64 大事より小事の方を気にしてしまいがち
おかしい……。
いったい、なぜ、このようなことになっているのだろうか……。
王都ザンベグルにある我が屋敷の一室で今、三人の男女が談笑していた――……
「――ですから必要なのは変革でした。今は亡きスコッチ・チャンク総長の武功によって、メビウス法国の民は鬼人を共に生きる者達として受け入れました。その部下の筆頭としてアルデバラン・バートル様の名が広まり、今度は獣人を受け入れ、法王となったヒバリ・マニ猊下が率いていたS級冒険者パーティー『天輪』の献身的とも言える高難易度モンスター討伐によって、ついに翼人も受け入れていました。民の間では、もはや鬼人、獣人、翼人は対等な存在だったのです」
「にもかかわらず、それら三種族を準国民として扱う法や、聖職者になれないとする法が残っていたわけですか。なるほど、確かにそれは問題ですね」
「しかし、同時に、メビウス神への拝謁を高位聖職者のさらに一部に制限する法も存在しました。ザイン様は、この法と、鬼人や翼人が明王に選ばれているという事実を合わせて示し、鬼人や翼人に聖職者――それも高位の者と同等の存在として扱われている前例があることを証明したのです」
「それでマニ猊下が法王に……」
「はい。そしてそれは同時に、法国の法の中に相互矛盾するものがあることを広く国民に知らしめました。その矛盾をどう解消するかは、すでに高位聖職者達の間で話し合われたはずです」
「メビウス神への拝謁の制限を無くすか、それとも三種族を正式な国民として扱い、聖職者にもなれるようにするか。どちらを選んだとしても、高位聖職者達にとっては権益の一部を譲ることになりますね」
「だが、三種族が正式な国民となり、聖職者にもなれるようになったとしても、いきなり高位になれるわけではなかろう。それに、法国の領主は厳密には世襲制ではないとも聞く。身分のハッキリしない者がメビウス神に近づくよりは、後者を選んだ方が利点も多いであろうな」
「利点ですか? 例えばどのような?」
「カスペル殿下、いずれ王位を継ごうというお方が早々に答えを求められては舐められます。いくつかご自身で挙げた上で意見を求めていただきたい」
「え、あ、はい――う、うむ、以後気を付けるとしよう」
「とはいえ、お答えは致しましょう。後者はいわば、より広く門戸を開くということですから、新たな信者の獲得やそれに伴う寄付の増額、人流の活性化、経済の好循環、有能な者の起用など、多くの利点が考えられます」
「なるほど……」
「わたしも高位聖職者達は後者を選ぶと思います。クラネス公爵が言ったように多くの利点があるのもそうですが、後者を選ばなければ多大な損害を被るからです」
「「多大な損害?」」
「経済からの締め出しです。――仮に高位聖職者達が前者を選んだとしましょう。確かに法の上での矛盾は無くなります。しかし、すでに法王の座には翼人であるマニ猊下が就いているのです。グランドラ・ココア前法王を認めたままでは暴力によって排除されかねないという危機感もあったとはいえ、これには過半数以上の高位聖職者達が賛同しました。わたし達はそれを見届けた上で法都リスティングを発ちましたから」
「ですが、それじゃあ、翼人は聖職者になれないという法が残るわけで、法に従うとマニ猊下は法王の座から降りなければならないですよね?」
「その通りです。メビウス神に拝謁できるという権益を譲ってなお、価値があるかはともかく、権力者の座から三種族を再び排除できます。――しかし、それを民衆は納得するでしょうか? いいえ、絶対に納得しません。ザイン様に誘導されたとはいえ、あの日、あの時、あの場所で、自らの意思でマニ猊下が法王になることを望んだという自覚が民衆達にはあるからです」
「民衆の意思――か……」
「王侯貴族であるお二人からすれば、横暴な権力者は権力と暴力をもって民衆を黙らせてしまうものなのでしょうが、法国ではそうではありません――いえ、そうではないことをザイン様が思い出させたと言うべきでしょうか」
「ああ! 先日、話されていたメビウス教の教義ですね?」
「『汝、己が宿命に叛逆せよ』――良き努力は神が必ず報いてくれる、というのがメビウス教の教義の根幹です。そして、そこには同時に、神に逆らってはならないという教えは無いのです。ならば聖職者――権力者に逆らうことも、メビウス神はまた否定されません。わたしがザイン様のクーデターで最も妙手だと感じたのは、横暴な権力者と戦う方法を示すことで、人々にそれを思い出させたことでした。さらにザイン様は、寺院兵団を味方に引き込むことで、兵団に所属する者もまた民の一部なのだということも思い出させたのです」
「……つまり、経済からの締め出しとは、民草の反発のみならず、その正当性の保証があり、暴力装置である兵団が敵に回ると確信できるが故の結論であったか。確かにそれは多大な損害であるな。王侯貴族が生きていけるのも食糧を作る民草がいてこそ。金があっても食糧を買えず、暴力をもって奪おうとしても、領軍は命令に従わないどころか敵に回ってしまうわけか」
「なるほど! いやあ、民草の気持ちまで理解が及ぶとは。『聖女』と呼ばれるだけのことはありますね!」
「いいえ、わたしなどザイン様に比べればまだまだです。わたしもあの方にお教えいただいた身。日々、精進を重ねています」
「うぅん……ますますそのザインザード・ブラッドハイドという者に会いたくなってきましたね……」
「ドーラ嬢のお話を伺うたびに期待が増すばかりですな、カスペル殿下」
「……………………」
そして私は、気持ちだけ脇に下がり、それを黙って眺めていた。すでに二度も聞いている身として余計な口を挟まないために。ちなみに、一度目はモニカ王女とともにあの男から、二度目は個人的に渦中の中心にいた「心眼の聖女」からだ。
三人の男女は、終始、私が黙っていても、全く気にした様子はなかった。
一人は、あの男の同行者の一人である「心眼の聖女」。白い布で両目を覆った赤毛で褐色肌の女だ。
もう一人は、モニカ第二王女と同じく薄い茶髪に灰色の瞳を持つ青年。言わずもがな、モニカ王女と母を同じくする兄――カスペル第一王子だ。
そして最後の一人が何を隠そうクラネス公爵だ。
……いやなぜ???
まだカスペル王子はいい。いや、良くはない気もするけど、私はあくまで臣下なのだから、王子に求められればよほどのことでない限り否とは言わない。
しかし、クラネス公爵は違う。確かに彼の方が爵位は上だけど、我が屋敷に滞在している者と談笑するために我が屋敷に来るのは何度考えてもおかしい。本来なら彼自身の屋敷に招待してしかるべきだ。なお、伯父はとうに引退しているので、ここで言うクラネス公爵とは私から見ると従兄にあたる。
最初はカスペル王子だった。
妹のモニカ王女が近頃ご執心だった者がベーグル王国に現れ、実際に会って話してしまったという話を聞いただけなら、カスペル王子もどんな人物だったか尋ねる程度で終わらせていたはずだ。ところが、それが若い男で、しかもなかなかに顔立ちが整っているとなれば、悪い虫かどうか確かめたくなるのも頷けるというものだろう。
しかし、カスペル王子は未だあの男に会えていない。
時期が悪すぎた。
あの男が王都ザンベグルに来たのは、春の半ばに開かれた議会の準備で王宮内が慌ただしかった頃。陛下はまだ後継者を指名していないとはいえ、カスペル王子も次期国王としての教育を受けなければならない。当然、多忙を極めていた。
ようやく暇ができたのは、おそらく、春の終わり頃だっただろう。
しかし、その頃にはもう、あの男は王都ザンベグルから去っていた。理由はもちろん、オルシュテン伯爵の自死だ。フォカッチャ王国やグリッシーニ王国に何やら仕掛けるかららしいが……結局、具体的なことは何も教えてもらえなかった。
それにしても……オルシュテン伯爵の自死を聞いただけで、あの男が、フルザキ公爵やその周辺の貴族、オスカル第二王子が玉座を簒奪せんと反乱を起こすと言ったのには本当に驚かされた……。しかし、どうやらあの男は、私やモニカ王女が均一報酬法の法案作成や施行、実現のために奔走している間、ずっと獣人排斥派のことを調べていたらしい。道理でこちらが混乱するほどの情報を持っていたわけだ。
だから、カスペル王子が議会前や議会中に無理矢理時間を作ったとしても、あの男には会えなかった可能性が高く、そういう意味では縁が無かったとも言えるだろう。
しかし、オルシュテン伯爵の自死から一週間ほど後に、四人の同行者のうち三人が戻ってきた。
カスペル王子としては、当然、本人に直接会いたかっただろうけど、同行者からの話もある程度は参考になる。
そうして何の前触れもなく我が屋敷を訪れ、出会ってしまったのだ――「心眼の聖女」という、似て非なる生まれの彼女に。……いやまあ、別に悪いことではないのだけど。
端的に言えば、話が合う相手を見つけてしまった、というところだ。
遥か南方の大国の出身者というだけでも心躍るのに、それが前法王の孫娘ともなれば、第一王子という自身の境遇とも重ね合わせて、様々な話をしたくなるのは必然というものだろう。
しかも、その身分は、母を同じくする妹の後ろ盾――つまり私、ジェシェフ伯爵の保証付きだ。何の気兼ねもなく会うことができる。
とはいえ、この一か月半の間に四回は、少々、多い気がして、要らぬ感情を抱いていないかと、過ぎたことを言いもしたのだけど、
「は……??? ああ……ハハハッ、大丈夫ですよ、ツェザリ公。クラネス公にも同じことを言われましたが、私だって自分の立場くらいは理解しています。いくら話が合うとは言っても、彼女はあくまで友人です。婚約者のエミリアもいますし、それに――彼女の心はもう、たった一人が独占しているようですよ?」
どうやらそれは私の杞憂だったらしい。
ところが、三回目の訪問で予想外の人物が増えた。
レオン・ヴォイチェフ・クラネス――そう、クラネス公爵だ。
つまり、カスペル王子は、自身の後ろ盾である彼に、「心眼の聖女」のことを話してしまったのだ。おそらく、妙に機嫌のいいところを指摘され、「気の合う友人ができた」とでも答えて、あれよあれよという間に全て聞き出されてしまったのだろう。あー……目に浮かぶようだ……。
あの従妹と血を分けた兄と聞くだけで想像がつくだろうけど、クラネス公爵もクラネス公爵でへそを曲げられると大変に面倒くさい。カスペル王子としても、私と同じような懸念を抱いたクラネス公爵の同行を断り切れなかったのだろう。
そしてクラネス公爵も異国文化の話の虜になってしまった。
もちろん、彼女が話し上手なのも一因だろう。「聖女」と呼ばれる以上、説法にも慣れているはずだし。
しかし、事態はさらにややこしい方向に発展した。
カスペル王子とその後ろ盾であるクラネス公爵が伴って若い女性に会いに行ったとなれば、いかなる理由からなのか気になって気になって気が気でない女性が一人出てくる。
言わずもがな、カスペル王子の婚約者であるエミリア侯爵令嬢だ。
こうして、四回目の訪問となった今日この日、私としては「何かまた増えている……!?」となったわけだけど、当の本人は「心眼の聖女」と一言二言交わしただけで安心したような表情になり、今は庭の方でモニカ王女や我が娘ニナ、白い獣人の少女カロン、金髪金眼の幼女ラーちゃんと戯れている。私もあちらに行きたい……。
「――やぁぁぁん♡ 可愛いですわぁ! ものすっごく可愛いですわ、この子! もふもふですし、素直ですし、もふもふですし、頭も良いですし、何よりもふもふですしぃ!!」
「ふぇぇぇぇ!??」
「ダメですよ、エミリアお姉様。獣人の方は、大切な方にしか耳や尻尾をもふもふさせないのですから」
「ならうちの子にしますわ! 是が非でもうちの子にしますわ!! 大丈夫です! カスペル殿下なら侍女が一人二人増えようと気にしませんもの!」
「いいえ、そのようなことは私が許しません。カロンはザインのことが大好きですから、一緒にいるべきなのです。その程度のこともわからないエミリアお姉様にはもふもふする権利などありません。――まあ、私は両方手に入れてみせますが」
「ぐぬぬぬぬぬ、ですわぁ!!」
「あぅぅぅぅ……!!?」
「……ラーちゃんにはどこがいいのかさっぱりなのですぅ。カロンよりラーちゃんの方が圧倒的に可愛いのですぅ」
「その通り! あなたの方が百万倍可愛いわよ、ラーちゃん!! だから妹になって!!」
「ニナはよくわかってるのですぅ。でも妹になるのはノーセンキューなのですぅ」
「「――もふもふは渡しません(わぁ!!)」」
「ら、ラーちゃん、助け――……」
「無理なのですぅ。諦めるのですぅ」
…………やっぱり私にはこちらの方が合っている気がする。うん、そうだな、そうに違いない。
そして、モニカ王女はいったい、どうやってあの男とカロンの両方を手に入れるつもりなのかとか、考えると頭と胃が痛くなること必然な諸々は脇に置いておこう。
これ以上、ややこしい事態に巻き込まれてたまるか!
フォカッチャ王国軍やグリッシーニ王国軍すら相手にしなければならなくなるかもしれない内戦が間近だというのに、カスペル王子とエミリア侯爵令嬢の今後や、モニカ王女の将来などといったことばかりを気にしてしまっていた。
そんな私を現実に引き戻したのは(いやどれもこれも現実なのだけど)、応接室の扉をノックする音だった。
「――入れ」
「ご歓談中、失礼致します。旦那様、お客様がお帰りになられました」
「っ!」
ヤクブの言葉に真っ先に反応したのは、なぜか「心眼の聖女」だった。……いや、本来なら私が真っ先に気付くべきなのだけど、正直に言えば、ヤクブが言っている意味がすぐに理解できなかったのだ。
カスペル王子もクラネス公爵も「心眼の聖女」もこの部屋にいる。
庭を見れば、エミリア侯爵令嬢もカロンもラーちゃんもいる。
他に客などいたか? という疑問を抱いたところで、「客が帰った」という意味ではなく、「客が帰ってきた」という意味なのだと気付いた。
つまり――あの男が戻ってきたのだと。
緊急で開かれた貴族議会は大いに動揺していた。
ついに、フルザキ公爵領から軍勢が動いたからだ。向かう先は当然、王都ザンベグルだろう。
それとほぼ同時に、フォカッチャ王国から参戦する旨が通達された。
もちろん、陛下も何とかして内戦を避けようとはしていた。フルザキ公爵達が戦争の準備と思われる行為を始めたと聞いた時には、その理由を訊くために使者を送ったし、その使者が取り付く島もなく追い返された時には、話し合いを求めるために使者を再度送った。
結局、返答は無かったけど。
だから、正確に言えば、フルザキ公爵達が王都ザンベグルへ向けて軍勢を動かすこと自体は誰しも予想できていたことだ。
それでも我が祖国の貴族達が動揺したのは、その軍勢の中にオスカル第二王子がいることが原因だった。
国が割れた。
つまりは、そのことを認められないからこそだった。
「――もはや戦争を避けられないのは明白であろう。諸兄らもそのつもりで準備を進めてきたはずだ」
「「「「――…………」」」」
明らかな結論をなかなか口にしようとしない者達を遮り、そう断言したのはクラネス公爵だった。
「それともまさか――フルザキ公爵達だけならば余裕で勝てるからと、さほど準備をせずにいたわけではあるまいな?」
「そ、そのようなことはない!」
「で、あれば、すべきことは決まっている。挙兵だ。……いかがでしょうか、陛下」
反論はないと見たクラネス公爵が陛下に進言し、全員の視線が一人に集まる。
ベーグル国王アンゼルム・アルトゥル・ベーグル陛下は、悩ましげな、しかしどことなく悲しげな表情をしていた。息子と殺し合わなければならないのだ、出すべき結論がどれほど明らかだろうと、口にするのをためらってしまうのは致し方ない。
「…………ラスラ侯爵、貴殿はどう思う……?」
「はい、陛下。まず事実として、フルザキ公爵を筆頭とする我が国の貴族数人が軍勢を組織し、この王都ザンベグルへ向けて進軍しとることは確かです。その理由を彼らは明らかにしとりませんが、陛下が二度にわたって送った使者を追い返した以上、叛意を疑うには充分かと」
陛下が意見を求めたラスラ侯爵は、国を割りたくないと考える貴族達の筆頭だ。ちなみにエミリア侯爵令嬢の父親でもある。
おそらく陛下は、迷いを断ち切る快刀を、彼がどんな結論を述べるかに委ねたのだろう。
「……問題は、その軍勢にオスカル殿下が加わっとることです。仮に、そうでなければ、そこまでするような何かしらの事情があったのだろうと斟酌し、恩情を与えていただくよう進言することもあったやもしれません。しかし、そこに王位継承権を持つ者が加わっとる以上、これは陛下への叛逆ではなく、自らの欲をもって王位を簒奪せんとする行為――すなわち、ベーグル王国そのものへの叛逆です。断じて許してはなりません」
ラスラ侯爵はそう言い切って軽く礼をした。
それはつまり、この場に集ったベーグル王国の貴族全員が、開戦すべきだと言ったも同然だった。
「……諸君らの意見はよくわかった。強い意志があることも充分に伝わってきたよ」
そこで陛下は一旦、目を閉じ、次に開いた時には悩みも悲しみもその瞳の中から消えていた。
「――――ベーグル王国国王として命じる。オスカル・アンゼルム・ベーグルの王位継承権を剥奪。これに協力するシモン・ジガ・フルザキ以下全ての者を逆賊とし――」
そして、
「――殲滅せよ」
両軍はベーグル王国中央北西部のケルツェ平原で激突することになる。
「――ところで、フォカッチャ王国からは参戦通達が来てるのに、その同盟国であるグリッシーニ王国からは何も来てないそうなんだが――」
王としての威風を纏い厳命を下した次の瞬間、陛下の表情はニコリとした笑顔に変わった。
つまり、モニカ王女と同じ、あの圧の強すぎる笑顔に、だ。
「――実に妙だとは思わないかい? ジェシェフ伯爵」
来た……!!
あの男がもたらした頭と胃の痛くなる問題を話さなければならない時が……!
「何となく、余は貴殿が何か知ってると思うんだが」
「はい、陛下……。私が知っている限りのことをご報告させていただきます…………」
なお、陛下からは、呆れとため息とさらに圧の強い笑い声を賜った。