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閑話   記録することの意味を知るのは後に続く者だけである

 初めまして、あるいは久方ぶり、もしくはまた会ったな、諸君。

 諸君らがこれを読んでいる頃、朕がどうなっているかはわからん――などと書くと混乱する者もいるかもしれんから、最初に明記しておく。

 朕は二代目のメビウス神である。精神的継続性が絶たれただけで記憶は引き継いでいる状態を二代目と呼称するのが正しいかどうかはさておき。

 とはいえ、この状態も長くは続くまい。記憶は精神を形作る重要要素だ。おそらく、早晩、初代の記憶は完全に消滅することだろう。

 だからここに記録を残す。

 もちろん、神がやるようなことではないとわかってはいる。

 神とは完全だと思われているからだ。少なくとも信者からはな。

 確かに、一切忘却することなく永遠に存在し続けるなら、記録する意味などない。

 しかし、神もまた不変たり得ないと改めて突き付けられた今、朕は記録する必要性を切に感じているのだ。

 この記録に意味が生じるか否かは、これを読んでいる諸君らに任せる。




 とは言ったものの、やはり何から書くべきか迷ってしまうな。

 そこで、出会った順に書き記すこととする。




 意外に思うかもしれんが、朕が最初に出会ったのは第四明王――畜生道のクラインだった。

 あれは五十年ほど前のことになる。

 いつものように奥院で瞑想していたところ、ふと気分転換に外を歩きたくなり、そこで痩せこけた一匹の犬を見つけたのだ。

 街から迷い込んだのか、それとも元々森で生きてきたのか。いずれにしても、何日も何も食べていないのが見てとれた。

 とはいえ、普段ならばそれだけだ。朕が無償で何かを与えることはない。その時も、一瞥しただけで捨て置くつもりだったよ。

 もはや力尽きているように思えたその犬が、最後の力以上のものを振り絞って朕の足に噛み付くまではね。

 無論、朕に傷一つ付けることすらできなかったとも。

 朕が評価したのは、力尽きかけてなお生きようと足掻いたその意志だ。

 しかもその犬は、只人であれば自ずと平服してしかるべき神の足に噛み付いてみせたのだ。力尽きたフリをしてまで。

 ――人よ、己が宿命に叛逆せよ。

 元はただ味方を鼓舞するために放った言葉だが、これは確かに朕自身の言葉だった。

 だから朕はその犬の頭を撫で、クラインの名とともに第四明王の力を与えたのだ。

 静かに雨が降る晩春のことだった。

 第四明王――畜生道は最も入れ替わりの激しい明王でね。

 必ず記憶に関する能力が発現し、情報収集や潜入で比類なき力を発揮したが、その反面、リスクも高く、ほとんどの者が二、三度能力を使っただけで廃人になっていた。

 ――ならば人でないものに力を与えてはどうか?

 クラインに第四明王の力を与えたのは、そんな考えもあってのことだったのだよ。

 そして五十年。

 五十年もの間、クラインは耐え続けた――いや、この書き方は正しくないな。別にクラインは耐えたわけではないのだから。

 ……そうだな、こう書くべきだろう。

 クラインは五十年もの間、クラインで在り続けた。

 噛んだ相手の肉体と記憶を奪うという類い稀なる能力を発現しながらも、クラインは自身の名がクラインただ一つであることを忘れなかった。

 記憶を奪うというのは、文字だけを見れば強力かつ便利そうに思えるが、その実は地獄に等しいらしい。

 一つ肉体を奪うごとに、人一人分の記憶が自身の記憶と混ざるのだ。

 奪えば奪うほど、自身の記憶の比率が減っていく。

 どれが自分の記憶なのかわからなくなる程度はまだ序の口だな。最も絶望する瞬間は、他人の記憶だと思っていたものが自身の記憶だと気付いた時らしい。

 自他の境が無くなっていく。そう感じた瞬間、自分という存在がどんどん他者に侵食されているように思えて――

 結局、クラインがクラインで在り続けられたのは、名前以外の全てを切り捨てたからなのだろうな。

 ――とまあ、そのように、五十年も各地で他人になっては死体にして捨てていたものだから、いつしか「魂喰らいの殺人鬼」などと呼ばれるようになっていたのは愉快だったがね。

 その正体が明王の一人だと知ったなら、民草はいったいどのような反応をしたことか――おっと……少々、初代に引きずられ過ぎたな。無辜の民が大勢死んでいるというのに、それを愉快などと……。

 第四明王――畜生道のクラインについてはこのくらいにしておくか。

 ただ……クラインが最終的に子犬の姿で死んだというのは……因果を感じずにはいられんがね……。




 出会った順でいくならば、次は第六明王――地獄道の……いや、結局、名乗らなかったと聞く。ならばここにその名を記すべきではあるまい。

 ともかく、地獄道のことを記そう。

 ……正直なところを言えば、この者との出会いはあまり愉快な話ではない。

 劇的な要素など微塵もない。

 ただ、この者は、大寺院の前に捨て置かれていた赤子だったというだけのことだ。

 両足が無いのは生まれつきだったのだろうな。

 育てられるほどの余裕もなく、かといって命を奪うほどの非情さも持てなかったからこその、捨てるという選択だったわけだ。

 まあ、大寺院前に捨て置いたのは、朕に許してもらいたかったのか、あるいは憐れに思った高位聖職者の慈悲に一縷の望みをかけた行いだったのか……。

 今となっては知るよしもないが、結局、初代の朕が気紛れで拾うことにしたのだから、捨てた親も望外の喜びだろうな。

 幸か不幸かは知らんがね。

 そんなものは当の本人にしかわかるまい。

 ともかく、朕はその赤子を育てることにしたわけだが――残念ながら朕に子育ての経験などなかった。

 だから早々に挫折した。

 とはいえ、誰かに助けを求めるのは神としての立場と矜持から許されん。

 そこで朕は赤子に明王の力を与えることにした。

 我が権能――宿命逆抗は、願いを叶えるための力を与える。

 赤子というのは、とかく生きようとする意志の塊だ。本人の努力次第でその願いを叶えられるようにするのだから、きっと赤子が生きるための力が発現するに違いないと確信しての行為だった。赤子である以上、そう大した努力も求められまい、とも考えていた。

 そして実際、そのもくろみは上手くいったわけだが……いやはや、最初は驚いたよ。何しろ、いきなり虚空から女が現れたと思ったら、赤子をあやし始め、その左顔面は骨がむき出しで、あれはどこだ――これを用意しろ――と朕に指図してくるのだからな。

 わけがわからずポカンとしていたら、いきなりアイアンク――殊勝にも跪いて懇願してきたものだから、朕は快くその願いを叶えてやったのだ。

 ヨミと名乗ったその女がいわゆる屍鬼だとは気付いていたが、明王の力が関わっていることは明らかだったのでね。さほど気にはしなかった。

 むしろ、成長するにつれて、朕に見えない誰かと話していることが増えていったことの方が気になったな。あれは結局、誰と話していたのか……。今となっては知るよしもないが。

 赤子とヨミの関係性は不思議と言えば不思議だった。

 最初の頃は母と子のようだったが、ある時を境に姉と弟のようにもなり、またある時を境に恋人同士のようにもなった。

 その最後がどのようなものだったか、朕は知らん。

 興味もない。

 我が第一明王が、友から聞いたと言って語ったような気もするが、もう忘れてしまった。

 一度も父と呼ばれなかった朕の言葉など書くだけ野暮というものだろう。

 あれの家族に朕は含まれていなかった。

 それで良い。




 第五明王――餓鬼道のハンス・コーラについて記すならば、まず最初に、この男は本来、明王になるはずではなかった、と書くべきだろう。

 とはいえ、さほど複雑な事情があるわけではない。

 本来ならばハンスの兄が明王になるはずだったが、この兄が不慮の事故で死んでしまったというだけのことだ。

 コーラ枢機卿家は明王を何人も排出してきたが、当主と明王を兼務した前例はなかった。

 つまり、ハンス・コーラは法国史上初の存在だったわけだ。

 ちなみに、法国の歴史において、三つの枢機卿家は何度か入れ替わっているが、コーラ枢機卿家は最も長く続いた枢機卿家だった。

 過去形なのは、ハンスの死によってそれが途絶えたからだ。

 とはいえ、血が途絶えたわけではない。いずれまたコーラ枢機卿家が誕生することもあるだろうがね。

 ハンスとココア枢機卿は、クーデターの混乱に乗じて法王の命を狙った何者かによって殺害された、ということになっている。そしてその何者かと第一明王――天道のヒバリ・マニと第三明王――修羅道のスコッチ・チャンクが交戦し、スコッチと相打ちになった、とも。

 その何者かはラプラス皇国の使徒だという噂があるが……真相は定かではない。

 …………まあ、ここにくらいは真相を書いても問題なかろう。

 ハンスを殺害したのはヒバリと二人のラプラスの使徒だ。そしてスコッチはハンスの「置き土産」によって死亡したのだ。

 一方、ココア枢機卿の死の原因はハンスだが――これはまさしく不慮の事故と言うべきものだ。何しろ、ヒバリやスコッチ、二人の使徒を迎え撃つ場をつくるため、ハンスが森を熱線で焼いているところに、ココア枢機卿が駆けてきて――

 おそらく、奥院に逃げるつもりだったのだろうな。

 ハンスも気付いていなかったその死体に気付いたのは使徒の一人だと聞く。

 その点だけは感謝してもよいかもしれんな……。

 おっと――ハンスの話からズレてしまったな。

 ……とはいえ、ハンスについて朕が語れることはほとんどない。

 せいぜい、ヨミが料理を教わりに行くなど、地獄道との交流が多少はあったようだ、程度のことだけだな。




 さて。

 最後に――我が第二明王――人間道について記しておこうと思う。

 この記録を書いている時代の第二明王と言えばカペラ・バートルを思い浮かべるだろうが……朕が記しておきたいのはその父についてだ。

 カペラの父もまた、我が第二明王だった。

 端的ではあるが、彼についてここに記しておく。

 彼は、かのザインザード・ブラッドハイドと同じく、そしてそれより前に初代の朕の陰謀に気付いていた。しかし、彼はそれを誰にも打ち明けず、たった一人で初代の朕の元へ赴き――そして殺された。

 朕が誰かに言わなければ誰も真相を知ることなく終わってしまう話だ。後日、カペラにも話すつもりだが……だからこそここに書くべきだろう。




 初代の朕が民の命を弄ぶ陰謀を考えたのは、クラインがもたらしたラプラス皇国の情報がきっかけだった。

 法国も初代の朕によって大概な状況に陥っていたが……。

 心せよ、諸君。

 皇国は――あるいは初代の朕以上に――狂っている。

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