1 一度目
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ベルティーユ・セドラン、それが私の名前。
セドラン男爵家に生まれた私は、七人兄弟の末っ子だ。
特に金持ちでもない田舎のしょぼい男爵家。特に美人という訳でもない私の行く末は平民のみ。
といっても田舎にまともな職がある訳もなく、私は王都の高等学院に通い、城の文官を目指した。
さて、私も年頃の女の子。高等学院の同級生に恋をした。
相手はパトリック・オジェ。オジェ伯爵家の三男坊で、同じく行く末は平民、城の文官を目指している男だった。
美男美女の多い貴族だが、パトリックは特別イケメンという訳ではなかった。惹かれたのは彼と話すのが楽しかったから。話が上手い彼がモテなかったのは、単純に同じ学年にイケメン公爵子息がいたというそれだけの理由だった。
パトリックに交際を申し込まれた私は、一も二もなく頷いた。
好きだったのもあるし、同じ目標があるからお互い頑張れると思った。
「ベルティーユ!今日はカフェの予約を取ってるんだ、一緒に行かないか?」
「うん、行く!」
そのカフェはスイーツが美味しくて、また学生が勉強するのにもよく使うカフェだった。
当然私は勉強に使うつもりでカフェに行ったのだが、彼はそうではなかった。
自習に使えるカウンター席に座ろうとすると、パトリックはテーブル席へと私を誘った。
「え、」
「二人なんだからさ」
「……そうね」
まあそうか、と思って私はテーブル席に座る。
勉強するつもりだったのに、勉強道具を取り出したのはそれから一時間半後。やっぱり彼との話は楽しくて、それに乗ってしまったのだ。
一時間もせぬ間に気付けば外は暗くなってきていた。
別会計にしようと主張したのだが、自分が誘ったのだからとパトリックが支払いをしてくれた。
「送るよ」
「いいの?ありがとう」
初夏の夕方の風は涼しく心地よい。家の前でもつい立ち話をしてしまって、すっかり遅い時間。あまり勉強できぬまま、私は眠りにつく。
翌日には、教室での自習を提案された。
学院は自習用に放課後に教室を解放している。けれど教室で勉強する人はあまり多くなく、基本はカフェや図書館、あるいは自宅で勉強をする。
私は基本的に場所には拘らないので、断る理由もなく、パトリックの提案に頷いた。
彼の話術に乗せられて、つい長話をしてしまった。
最終下校時刻が迫って、私は殆ど勉強できずに帰宅することになってしまった。
彼と付き合ってからそんな日が続いた。
一人で勉強したいと言おうと思った。
けれど彼が好きだったから、どうしても断れなかった。
上位をキープしていた私の成績は徐々に下がっていった。
理由なんて明らかだった。
模試で合格率40%以下という判定が出たとき、このままでは流石に駄目だと思った。
「放課後、家にすぐに帰ろうと思うの」
「え、どうして?」
「成績がちょっとね……それに、パトリックもそろそろちゃんと勉強しないと」
「僕は大丈夫だよ!それに、もし分からないところがあるなら僕が教えてあげられるし」
パトリックは合格率80%以上という判定だった。だから、教えてあげられるという言葉は理にかなっていた。
うーん、と私は言葉を濁し、曖昧な笑みを浮かべる。
『貴方といると私が勉強できないから、正直迷惑なの』
遠回しにそう伝えたつもりだったが、伝わらなかったらしい。とはいえ愛する恋人にそんなことをストレートに言える訳がなかった。
結局同じような日々がずるずると続き、そのまま試験の日がやってきた。
判定は相変わらず40%以下。けれど試験を受けられるのは、高等学院卒業後のこの一回きり。
結果は分かり切っていて、予想と違わないものだった。
「ベルティーユ、どうだった……?」
「パトリックは?」
「僕は合格してたよ」
「そう、私は駄目だった」
パトリックは絶句し、泣きそうに顔を歪めた。
「僕が、邪魔したよね。ごめん……」
「……断れなかった私が悪かったのよ。パトリック、私は領地に帰るわ。だから別れましょう」
「そんな!王都でも就職先は探せるでしょ?」
「お城のメイド?」
私は何とか笑みを浮かべる。
貴族の侍女になるには、初等学院卒業後すぐに見習いとして入らなければならない。高等学院を卒業した私は侍女にはなれない。
なれるとしたら、下町で働くか、城のメイドになるしかない。
文官としてではなくメイドとして城で働くのはどうしても嫌だった。
「こんなことなら最初から侍女を目指すべきだったかもね」
呟きは嫌味に聞こえてしまっただろうか。
「領地に帰ってどうするの?」
「領主補佐をしつつ、嫁入り先探しね。執事か有力な平民か……」
「それなら僕と結婚しよう!僕が城の文官なら、君が働く必要もない。勿論何かやりたい仕事があれば応援するし――」
「なら文官を目指してるときにも応援して欲しかった」
泣きそうになるのをぐっと堪える。
パトリックはびくりと肩を震わせた。
「パトリック、私達別れましょう。ね?」
私の声には懇願の響きが混じっていた。
分かった、とパトリックは小さく呟いた。
「今までありがとう。楽しかったわ」
「……僕も、楽しかった。愛してた」
「ええ、私も愛してたわ」
私はくるりと踵を返し、馬車の待機場所へと歩き出す。
爵位順に待機しているから、男爵家の私はかなり歩かなければならない。
色々といっぱいいっぱいで、涙で視界が滲んで、ぎゅっと目を瞑る。足元がふらついた。
「危ないっ!」
叫び声と、馬の嘶き。
強烈な痛みとともに撥ねられたのだと気付いてすぐに、私の意識は暗転した。