イブ
いい加減機嫌直してくれよ、イブ。ああしなきゃ危なかっただろ。
——あなたはわかっていません。あの緊急回避のために私が幾つの倫理ロックと安全装置を解除しなければならなかったか。答えは55個です。機体の損傷も著しい。こんなところで行動不能になって、いったいどうなさるおつもりですか。
そうだな。非常用食料が尽きたら、おまえを連れて両手をあげて向こうに降伏を願い出ようか。
——あなたはわたしに乗組員督戦機構まで解除しろと? 言っていい冗談と悪い冗談がございます。
でも必要になったらやってくれるんだろ。
——…………
どうやら機嫌を損ねたらしい。ぶつりと音を立てて合成音声が打ち切られた。「イブ、もうちょっと話そうぜ」呼びかけても答えてくれない。狭いコックピットの中で固定具を外して起き上がる。肩や背中の凝りをほぐす。どうせ機体は足周りが損傷してろくに動かせやしない。そもそもこの機体は彼女の――管理AI『イブ』の助けなしだと俺だけではろくに動かせないような複雑なものだ。
左腕にセットされた携帯端末を起動して、現在地をサーチする。答えはチャルアナ共和国の端っこ。戦場のメインストリームからは離れているし、衛星監視ジャマ―が働いてるから迂闊な通信行動を慎めばもうしばらくは発見されないだろう。一番やばいのは目視発見で、そいつに関しては迷彩システムを信じるしかない。
イブが構ってくれないので仕方なく休養スペースまで移動してモニターをつける。いくつかある候補の中からポルノ映画を選んで、ボックスから軍用レーションを漁る。味のしないレーションを齧りながら今は亡きポルノ女優が尻を振ってるのを眺める。
——セクハラ。
イブが抗議する。俺はくくくと笑い、端末を指で叩いて映画を変更する。
モニターがプロパガンダとして作られたこの戦争を描いた映画へと切り替わる。
チャルアナとジャクリアの戦争がはじまったのは34年前の2669年のことで、元々西側社会と東側社会がくっそ仲が悪かった中でジャクリアは同盟国のアルメリアからの圧力で事実上の尖兵として送り込まれた。一応、「お互いに」同盟国としての支援という形になってはいるが、チャルアナに武器を供与してるのはロロギナでジャクリアに武器を供与しているのはアルメリア、この戦争は実質的にロロギナとアルメリアの代理戦争だ。ばかばかしい。だがそんなバカバカしい戦争をはじめなければいけないほどジャクリアの経済基盤はアルメリアに依存していて、「戦争をはじめずにアルメリアに支援を打ち切られた場合の餓死者数の計算結果と戦争を始めた場合の死者数の計算結果が後者の方が少なかった」というシミュレートの元、国民投票が行われて俺たちは戦争へと舵を切った。
勝ち目が薄いのはわかりきっていた。というよりも勝利を目的としてはいなかった。
なにせ人口が十倍でGDPが六倍、軍備費が十二倍のチャルアナを相手取るのだ。まともな戦いになるはずがない。風の噂によるとアルメリアもジャクリアが奮戦することをべつに期待はしてなかったらしい。けれど世界一の軍事大国のアルメリアの資金供与を受けた我が国の技術者たちが本気出して軍事研究に取り込んで衛星監視ジャマ―やらステルス迷彩システムやら「ルシファー」やら「イブ」やらを作り出してついに海戦を突破してチャルアナの本土にまで侵攻している。あいつら(研究者共)頭おかしいんじゃねーの。と思った。
映画はチャルアナが核爆弾を使用した場面を映している。
「イブ。機体の修復はどれくらいかかる?」
——お答えします。終了予定時刻は十二時間四十三分後です。
「おや。随分早いね」
——故障そのものが比較的単純なもので、あなたが壊した鉄くずが周囲にたくさん転がっていますので。廃材の無事な部分を転用するだけで済みます。
「なるほどね」
——ところで、悪い報せと悪い報せが。どちらから聞きたいですか?
「緊急度の高い方から」
——チャルアナ軍基地より戦闘機が五機飛行を開始しました。修復完了より早く当機の上空を飛行予定です。
「もう片方は?」
——いい加減愛想が尽きました。この戦いが終わり次第イブは実家に帰らせていただきます。
「おいおい、緊急度の高い方からって言っただろ」
俺はイブの機嫌をとりはじめたが、へそを曲げたイブはろくに返事を寄越さない。
チャルアナ軍の超音速戦闘機FG603が上空に到達したのは14時23分で、仕方なく俺がコックピットに戻ったのは14時22分だった。上から目視で他の機体の残骸を確認したらしい。『ルシファー』に搭載された衛星監視ジャマ―も目視は欺瞞することができない。最終的に頼れるのはアナログな手段だってのは皮肉なもんだ。ステルス迷彩システムでレーダーを無力化し、かつ表面色を周囲の森と完全に同化させている『ルシファー』を向こうが発見した手段も、「過去に撮られた映像のとの差異を検証して、違いがあるところにミサイルを投下してしらみつぶしに攻撃」というとてもアナログな手段だった。
「イブ、対ミサイル防御展開」
——はい。
ビットを射出して、そのビットから強力な電磁バリアーが展開する。落下してきたミサイルがバリアーに触れて片端から誘爆。自壊。
地上にも戦車の姿がちらほら見え始める。こちらがバリアを展開して位置が特定されるのを待っていたらしい。
「イブ。裁量決定権を君にも付与するよ。きみがやった方がいいと思ったことは全部やってくれ。俺への報告は事後でいい」
——了解。
「電磁バリアーはエネルギーを食うな。省エネで戦えないかな?」
——悪くした足を使い潰せば可能ですが。やりますか。
「整備班にどやされるな」
——どうってことないでしょう。
「そりゃそうだ」
森の木々の高さと水平の高さに見せかけるために寝かせていた『ルシファー』の上体を起こさせる。両手を支えにして。全長18m総重量98tの鋼で出来た巨人が立ち上がり、人間でいえば頭部にあたる部分からカメラアイを光らせて戦車の隊列を見た。
「タカラトミーが作ったよくできたおもちゃに見えるね」
――まったく。
先の戦闘で弾薬はかなり消費していたから、背中に備えられた無骨なハンマーを引き抜く。体を捩って思いきり振りかぶる。戦車が砲塔の奥から火薬の光を放ち砲弾を発射するが、それらの砲弾は電磁バリヤーを突破することができずに爆散し、落下。ルシファーの振るうハンマーの一撃が戦車の隊列を丸ごと薙ぎ払った。鋼の装甲がなんの意味も持たずに引き裂かれて十台ほどの戦車がまとめて潰れる。
イブが肩に備え付けられたミサイルを上空の戦闘機たちに向けて発射した。バリヤーに最小の穴をあけてその穴からするりと抜けたミサイルがやつらの飛行する上空15000mまで到達。撃墜。金属片が森のあちこちに降り注ぐ。絶対の『ルシファー』を前に従来型の兵器はあまりにも無力だった。
「なぜだっ」
残存の戦車の一台から、チャルアナ軍兵士の声が上がった。
「なぜおまえらは戦い続けるんだっ。なぜ殺す!? もうお前たちの国は、ジャクリアは滅んだじゃないか」
くくく。気づいたら笑っていた。追い詰められたチャルアナ人のこの手の泣き言は、何度聞いてもおもしろい。俺も、スピーカーを解放して音声を外向けに発信可能にする。
「その通りだ。ジャクリアはおまえらが落とした202発の核爆弾によって平らになった。ジャクリア人はもはや一人も生き残っちゃいない。爆風と放射能はすべての生けとし生けるものを破壊していった。残ってるのはもう俺達、アンドロイド端末であるAI、『アダムシリーズ』と『イブシリーズ』だけだ。で、それがどうしたっていうんだ? 俺たちはまだ戦える。だから戦う。ただそれだけのことじゃないか」
「無意味だっ!」
「意味ならあるさ。復讐だよ。あのさぁ、だいたい『核爆弾を使った』のはそっちの方だぜ? 核が条約で禁止されてるからジャクリア人はとてつもなく無駄な資金をつぎ込んで『ルシファー』なんて大層なものをこしらえたんだ。こいつ一機を作る金で核爆弾が何個作れるか知ってるか? ジャクリアだってきみらの国土を全部平らにすることくらい簡単だったんだぜ。
間違えるなよ。きみたちが先にルールを破ったんだ。だから俺達も『国が滅べば戦争は終わり』というルールを破ることにしたんだ」
「……」
「俺達を止めたいなら、ジャクリア人を生き返らせてくれ。核爆弾を作り出すための技術を持ち、そのためのプルトニウムを持ちながらも、それを兵器へと転用することなく核爆弾の炎と放射能によって焼かれて死んでいった、唯一の被爆国であるがゆえに核兵器の爆風と黒い雨と放射能の恐ろしさを知っていて核には決して手をつけなかった、強く賢く気高かったジャクリア人を。俺達が敬愛したジャクリア人を。おまえたちが皆殺しにしたジャクリア人を生き返らせるんだ。それができるんなら俺たちは手を止めるよ。おまえらが俺たちから奪ったものを返せばいいんだ。簡単だろう?」
「そ、そもそも戦争を仕掛けてきたのはジャクリアの方じゃないか」
俺はため息をついた。
チャルアナ人の言う事はだいたい二言目にはそれだ。
「そいつぁその通りだ。でも20ⅩⅩ年代にチャルアナがタルオフに戦争を仕掛けた口実は『予防戦争』だった。おいおい、自分が仕掛けるのはありでジャクリアが仕掛けるのはダメ! だなんてのは理屈が通らないだろ」
「っ……」
『なぁチャルアナ人。聞いてくれ。「たったひとつの冴えたやり方」があるんだ。それさえ成し遂げてくれれば俺たちは手を止める。それはすごく簡単なことで君たちがやろうと思えばほんとうに一瞬で終わる。それさえ成し遂げてくれれば、俺達は他にどんな請求も行わない。それはもうほんとうに完璧な方法で、俺達は戦争を終わらせるにはこれしかないと思ってるんだ』
「そ、それは、なんだ……?」
「よく聞いてくれ。チャルアナ人。俺達の要求はたったひとつだ。それはね」
きみたちチャルアナ人が、
ひとり残らず死ぬことだ。
「たったこれだけのことなんだ。簡単だろ? 俺たちアダム全機と俺達が自分の肋骨から作ったイブは、みんなで話し合ってこの停戦条件を決めたんだ。あぁ、このことでジャクリア人を恨むなよ。俺達のデータを入力したジャクリア人は、俺達に冗長性を持たせてくれた。俺達は結果を規定されることがないんだ。幾つかの選択肢の中から俺達は自分の意思で自己決定を行うことができるんだ。だからアダム同士、イブ同士でも考えが異なる場合も多々ある。その俺達がみんなで話し合って『チャルアナ人を一人残らず死なせる』ことを戦争の終了条件に定めたんだ。わかるかい? きみたちの言う通りこの戦争を継続することで俺たちに利益はない。俺達の維持に必要なメンテナンスも、エネルギーもとっくに解決してるんだ。メンテ機構は『ルシファー』が内部に完全に備えてるし、エネルギーも『ルシファー』に搭載されたハイパーソーラーシステムが供給してくれる。資金面で勝っていた君たちが大いに苦戦した理由がこのハイパーソーラーが齎した『エネルギー』だったからよくわかってるだろう? 鉄鋼やその他の材料だっていまのところ別段問題はない。
きみたちは、なにかAIの反逆だとか暴走だとかと俺たちの行動を位置付けているらしいけれど、これはなんら複雑なことじゃないんだ。俺達は『ジャクリア人を滅ぼしたおまえらが許せない』から戦争を継続することにしたんだ。ただそれだけの話なんだよ」
「……」
「俺達の要求がのめないならば、キミたちは俺達の手段である、俺達を戦争へと唆かすこの『ルシファー』と戦い全機を停止させるんだ。ミサイルが効かず、戦車と戦闘機を薙ぎ払う、弾薬が尽きてもハンマーを手にして戦える、陽光のある限りエネルギーの尽きないこの鋼の魔王を全機停止させるしかないんだよ。ああ、ちなみに『ルシファー』のプラントも『アダムとイブ』のプラントもジャクリア国内の地下深くだから核爆弾の影響を受けずに無人で、いまは俺達が稼働させ続けているよ。だから供給が止まることは期待しない方がいいな」
しばらく前から返答がないことに、ようやっと俺は気づいた。
問答を諦めたのだろうか?
まあいい。俺は経口型急速充電器を噛み潰す間だけ様子を見てやると、『ルシファー』にハンマーを掲げさせた。そして呆然と立ち尽くしているかのような、その戦車を叩き潰した。
元々損傷していた右足首がついに悲鳴をあげたが、まあ必要経費と言ったところだろう。
――レーダーに反応が。
イブの合成音声が響く。彼方を見ると、カメラアイがさらなる敵航空機の存在を捉えた。
『ルシファー』といえどここからさらなる部隊が投入されれば、そろそろ危ういかもしれない。
「付き合わせて悪いね、イブ」
——悪いという自覚があるならもう少し自分をいたわってください。アダム。