第二話
「さ、殺人って…。」
冗談かと笑い飛ばすにはあまりに不謹慎過ぎる話で、誠さんの今にも卒倒しそうな血の気を失せた顔がとてもジョークで言っているようには思えない。
それにしたって、灰が殺人なんていくらなんでも…。
「何かの、間違いじゃないんですか…?」
「証拠が幾つも揃っているらしくて、ほぼ確定らしいんだ…。」
「そんな…。」
にわかには信じられない話に、尊も衝撃を隠せないようで顔を青ざめながら、
「な、七が…。」
「そうだ!七ちゃんは⁉︎七ちゃんに直ぐにでも見てもらわないと!」
見てもらう、というのは氏神様のことを言っているんだろう。
尊が既にその話を知っているのは誠さんや薫さんもわかっているだろうが、尊の前でその話をするところは初めて見た。タブーなんだと思っていたが、今はそれを気に出来ない程の大事なんだろうけれど、
「それが…、」
肝心の七は、たった今その灰に寄って目の前で連れて行かれてしまった。
「さ、拐われたあ⁉︎」
誠さんの絶叫が周囲一キロには響きそうだった。
「なんてことだ…。殺人の上に、誘拐だなんて…。しかも七ちゃんを…。」
誠さんは頭を抱えて崩れるようにその場に座り込む。
「誘拐だなんて…。流石の灰でも、そんな…。」
「そうですよ、七を連れて行ったのも逆に身の潔白を証明するためだったとか…。」
俺と尊はそもそも灰の殺人というのもまだ受け止めきれていなくて、なんとか七を連れて行ったことに正当な理由を考える。灰はそんな事しないと思っているのもあるし、七が危ない目に遭っていてほしくないという願望もあるかもしれなかった。
誠さんはその見た目とは裏腹に事態を冷静に考えてるらしく、
「なら、拐う必要なんかないんだろう⁉︎ここで氏神様に見てもらえばそれで証明になるんだから!」
「それは…。」
確かに、何度も氏神様と接触している灰が氏神様への信仰心が薄いわけもないのだから、氏神様が見て灰が殺していないと言ってくれれば、それで今すぐ身の潔白を証明できる。氏神様のことは説明できなくとも、警察にも顔が利く神楽所本家から灰が犯人じゃないと断言してもらえれば、捜査も灰以外の可能性を考えてくれる筈だ。
というより、本当に本家から睨まれれば灰を逮捕なんて出来るはずがないのに。それだけの力が神楽所家にあることだって灰はわかっているはずなのに。
どうして、七を連れ去る必要性がわからない。
「そうだ、GPS!」
七と尊と三人で位置情報共有アプリを入れていて、スマホからすぐに見られることになっている。尊も同じようにスマホを開くが、
「…いない。」
七のアイコンだけが消失していた。電源を落とされているのか、アプリ自体を消されてしまったのか。情報共有アプリは七の護衛のために織衛組でも管理しているから、居場所がバレないように先回りして七を連れ去ってすぐに行動に移したのかもしれない。
もうこれで七の居場所もわからなくなってしまって、ここまでさせているとなると、本当に誘拐と言っても間違いないようにも思えてくる…。
「まさか…。氏神様がいる限り逃亡ができないから、七ちゃんから氏神様の権利を剥奪させるつもりなんじゃ…⁉︎」
誠さんは自分で言ったその言葉に青い顔を白くさせて、家の中に転びそうになりながら走って入って行った。お婆様のところに行ったのかもしれない。
その後ろ姿を見送りながら尊が、
「逃亡ができないって…?」
「信仰心があるうちは県外に逃げようと、海外へ行こうと、氏子の全てがわかる氏神様の観測内だから。」
どこへ逃げたところで、氏神様に情報をキャッチされてしまう。だからと言って、信仰心の方を無くすのは簡単じゃない。灰は特に氏神様を何度も見ているし、その恐ろしい力を目の当たりにして、それを忘れるなんてそうそうできるものでもないだろう。
「だからって権利を剥奪って…。さすがに七を殺すなんてこと…。」
尊の言葉に一度頷きかけて、
「え?いや、そうじゃないんじゃ…。」
「え?」
尊は俺の濁した言葉に全く見当が付いていないようだった。
そのつぶらな瞳には、巫女の条件を知っているようには見えず…。
「その、ひょっとして…、知らない…?」
「何をですか?」
そうか。
尊は七からしか氏神様について聞いていないから、七の知っている情報しか知らないんだ。
そして七の方も基本的に俺からの情報しか知らなくて、ということは…。
七は氏神様の器としてのー巫女の本当の条件を知らない。
嘗て自分が氏神様の器であることを知らされた七に、俺は知り得る全ての情報を伝えたのだが。
一点だけ話さなかったことがある。
そう、俺が話さなかったから。
七が巫女の条件として知っているのは、神楽所家の女系が後継しているということだけなのだ。
もう一つの条件である、手入らずである必要があるということを七は知らない。
氏神様の器になるために、あり続けるために、そんなとんでも設定が付けられているということを俺は七に話さなかった。
…正確には、話させなかった。
「だから…、その、氏神様の条件っていうは…、」
うわ、俺の口から言いづらい…。
あまりにもあんまりな内容故、本人にも言えなかったようなことを、身内の姉同然の相手に言わないといけないのはあまりにも苦行だが…。
「な、なんですかそれっ⁉︎」
俺の話した内容に、今度は尊の絶叫が半径一キロに轟いた。
こんな大きな声出す尊初めて見た…。
顔を赤らめているのは、話の内容に赤面しているわけではなく怒りで血が上っているようだった。
「なんですか、それ!聞いてないです!」
「それは…、七が知らないから…。」
いや、俺が教えなかったからだけど。
「なんで言わなかったんですか!」
「だっ、そんなの!本人にそんなこと言えるわけないだろ!」
「それは…!」
尊はそこで一瞬考えてから、「そうですよね…。」と苦い顔をしていた。
…理解のある姉で助かる。
本人にそんなこと言ったらアッパーパンチが飛んで来そうだ。…仮に飛んで来なかったとしても。思春期の男子高校生が女子高校生に言うような台詞ではない。
俺は絶対に言えない。
冷静になり頭が回ってきたのか、尊は赤かった顔を今度は青くして、
「ま、待ってください!っていうことは、灰さんが権利を剥奪させるって…。」
「いや!それは絶対ない!」
そうだ。絶対ない。
そんなこと、ある筈がない。
あの日、七を公園へ連れ出したあの日。俺に七を連れ出す許可を出してくれたのは灰なのだから。
お願いできる相手が限られていた俺に、本家にバレないように七を勝手に電車に乗せて連れ出すなんて無茶なお願いに二つ返事で了承してくれた。自分が見張り番の日に、誠さんやお婆様にバレないよう、送迎する松戸さんに一緒にお願いしてくれて、あの日後ろで護衛までしてくれていて、何かあれば責任を取ると言ってくれた灰なのだから。
結果何もできなかった俺に、笑い飛ばすこともなくラーメンまで奢ってくれた。
そんな灰が。
七にそんなことをするはずが…。
「絶対に…。」
…だけど。
七を抱えながら、「悪ぃな」と、見たこともない程心苦しそうに呟いた灰の顔が頭の中でチラつく。
こんなことを言って、悠長にしていて、もし今にでも七の身に何かあったら…。
七が怖い思いをしているのだとしたら…。
「そうですよねっ!」
尊が大きな声を出した。
さっきほどではないが今の方がずっと自信に満ちた声で、俺を見る顔に不安そうな色は一切ない。俺の無意識に握りしめていた両手を、尊の細い手が力強く握ってきて、
「灰さんに限ってそんなことをする方じゃありません!」
「尊…。」
「一緒に信じましょう?」
七が連れて行かれて、心配なのは尊も変わらないだろうに。
…本当に。
理解のある姉で助かる。
「…ああ。」
「君たち、神楽所さんのおうちの子だよね?」
唐突に、鼓舞し合う俺たちの横から現れたのはスーツを着た大人達だった。一般人とは思えない特有の鋭い眼光と、嫌に伸びた背筋から見せる姿勢の良さが訓練を受けた人間であることを物語っている。
「私たちはこういう者で、」
と大人達が懐から出したのはドラマでよく見るのと同じ手帳で、その人達が各々映る写真の下には旭日章の紋章が光っていた。
「神楽所灰さんについて伺いに来ました。」
警察だった。




