第一話
さて、七はと言うと。
「あー、またお菓子食べてる。」
いつもの部屋にやって来た七は、放課後で部屋着に着替えてきていて、既にテーブルの前に座っていた俺の手元にあるアイスを見てにやにやと笑う。そしてこの広い居間の中で俺の横にやって来て、この広いテーブルの中で俺の真隣にぴったりと隙間なく座り、
「一個ちょーだい。」
手元にあるアイスは箱の中に小さいアイスが6個決まった隙間に並べられていて、チョコレートでコーティングされている専用ピックで食べるバニラアイスは、既に自分で食べて一つ減っている。
「いいよ。」
返事をすると、隣に座った七は俺に向かって、
「あー、」
と。
親鳥に餌をもらう小鳥のように口を開けてみせ、要求通りにピックに刺したアイスを口の中に入れると、「んふ」と美味しそうに笑う。
「……。」
…誰なんだ、この子は。
あれ以来。
公園での一件から数日経って、ずっとこの調子で。
別にあの後、俺があれ以上の何かを言ったわけではなく、特別な関係になったとかでもない。
あの日は公園で泣き疲れて、結局松戸さんに迎えにきてもらって(予定では電車で帰る予定だった)、そのまますぐに部屋に寝に行ってしまった。翌日朝起きてみたらこの調子で、最初は幻覚でも見ているのかと思ったが、しばらく様子を見てわかってきた。
ただ、単純に。
警戒心がなくなっただけなのだと。
ガードが緩んだだけなのだと。
尊といつもやたらと距離が近いのは、別に一線を超えそうなわけではなく(と思いたい)、単純に七は本来これが素なんだとわかってきた。
本当に家族として、受け入れている状態がこれなんだろう。
「もう一個頂戴。」
「はい。」
再び開けた口にピックでアイスを放り込むと、またニコニコしながらアイスを冷たそうに頬張っている。
思い返せば春ちゃんや清さんとも距離が近いし、七のあの野生的なまでの警戒心の強さは、育った環境による後天的なものなのかもしれない。それにしたって、加減ってもんがあるとは思うが。
…多分人付き合いして来なさすぎて、その辺の匙加減が下手なんだろうなぁ。
友達のいない弊害がこんなところに表れていて、ちょっと可哀想だった。
野生的な警戒心は無くなったが、今は懐いた狼とか牙の抜けた虎とか、そういう野生動物感が出ている。どっちにしろ人間ぽくない…。
今なら餌付けだけじゃなくて、尊みたいに一緒にお風呂に入ろうとか言ってもついてくるんじゃないか心配になる。
「七、」
「何?」
「……。もう一個食べる?」
「そんなに食べたら臨の無くなっちゃうよ?」
「いいよ、そんな甘いの好きじゃないし。」
「え?じゃあなんで買ったの?」
別に。
七に餌付けするのが楽しくて買ったわけではない。
連日ここでお菓子を広げているのは、最近そういう気分なだけで、決してあーんを期待しているわけではない。家に一回帰ってきてから、一緒に行ったら自分の分を買われてしまうからって、わざわざ一人でチャリを走らせてコンビニまで行っているのは、決して邪な気持ちがあるからではない。
「…ハロウィン前だし…。」
…流石に無理があるか。
明後日に控えるハロウィンには、本来何の思い入れもない。秋の収穫をお祝いしたいわけでも魔女や悪魔に扮して悪霊から身を守りたいわけでも、昨今の日本ではむしろこっちが主流となったコスプレイベントに参加したいわけでもない。
元来あの手の大賑わいが好きではない俺がそんなこと言ったって納得してもらえないかと思ったが、だけど七は、
「ハロウィン…。」
何故かその単語に反応して頭を抱えたのだが、距離が近過ぎて動く度に身体がぶつかる。
「どうかした?」
「春が、ハロウィンパーティをしたいって…。」
「ハロウィンパーティ…。」
思わず繰り返す程にはしっくり来ない単語だった。
ハロウィンパーティって、何をするパーティなんだろう。
「なんでまた急に…?」
「今月入ってから試験と氏神様に身体を長期レンタルしてたのと、その後は親族会の準備で殆どお婆ちゃんの家に行けていなかったから、春が寂しがってて…。」
「どうせまたなんでもしてあげるとか言ったんだろ。」
「…仰る通り。」
妹の春ちゃんにだけやたらとビックマウスなのは、姉としての矜恃だろうか。
「折角なら本家ですれば?家政婦さんにお願いしたらそれらしい料理作ってくれるんじゃない?」
「この間親族会やったばっかりなのにいいのかな?」
「一応聞いてみるよ。後はお菓子とか用意すればいいの?」
「多分…。」
七もハロウィンについていまいちよくわかってないようだった。俺もわからない。あとはなんだろう、コスプレとかだろうか。
「あ、こういうお菓子とか?」
そう言って七はスマホを取り出して、何やら検索してから俺に見せた。大分扱いに慣れてきたスマホの画面にはおどろおどろしい目玉の形をした何かが写っていて、とてもお菓子には見えないが、それよりも。元々近い距離が、スマホを見せようとさらに寄って来て、もう顔が目と鼻の先にある。
「凄いでしょ、これゼリーなんだって。」
と、スマホを見ていた顔を俺に向けると、近付いた顔に気を取られていた俺と七の顔が数センチのところで真正面を向く。
が。
「…聞いてる?」
七はそんなこと気にしない。
何っにも気にしない。
照れるわけでも、避けるわけでもなく。
気にしない。気にも留めない。
完全に春ちゃんとか清さんとか尊とか、同じカテゴリーに入れられてしまっている。いやこれなら、まだ尊相手の方がよっぽど照れている気がする。尊が帰宅すれば尊横の定位置に戻って行ってしまうのも、信頼関係の序列が顕著に表れているし。
俺だって変に意識されて、学校の中みたいな誰も寄せ付けないオーラで遠ざけてほしいわけではない。そうならないように今の関係のまま様子見しているのであって、それはもちろん避けたいところだが。だけど、これはあまりにも…。
男としてのプライドが傷つく。
家族として認めたことは確かなのだし、氏神様にもああ言われてしまったし、焦ることなく、少しずつ認識を変えていくつもりではいるが。
だけど。
もう少し何か、アプローチするべきかと手を伸ばそうとして、
「七様はいらっしゃいますか?」
心臓が止まるかと思った。
突然襖の外からかけられた声に、何もしてないですと思わず返そうとして、
「はいー。」
と七がさっさと立ち上がって襖を開けると家政婦さんがいた。
ああ焦った…。
「灰様がいらっしゃっていて、七様を呼んでほしいと。」
「灰が?」
七がそれを聞いて俺を見るが、俺も心当たりはない。
最近アイツちょっと本家に来過ぎじゃないか?まあ色々用件があって来ているのだというのはわかっているが…。
今度は何の用かと首を傾げる七に付いて一緒に玄関まで行くと、
「どうした…?」
と声を掛けずにはいられない程、玄関に立った灰は憔悴しているように見えた。灰色の髪は乱れていて、着ている服と一緒で所々泥のような汚れが付着している。
それに灰の雰囲気が、纏っている空気が殺気立っているようにも思えた。
灰は俺の言葉には返事をせず。
七と俺を交互に見てから、
「なんか、お前ら近くね?」
「えっ。」
言われて。
横にいた七が俺の顔を見てから、ちょっと恥ずかしそうに口を尖らせて「そう?」と、すすすと離れた位置に移動した。
一応恥ずかしいとは思うんだ…。
ていうか、いらんこと言うな。
「…あれ?」
俺から離れた七は灰との間くらいの位置に立つと、表情を曇らせてから灰の服の汚れを覗き込んだ。泥のようなその汚れは黒い、何かベトベトした液体が固まったようで、
「これ、血…?」
灰の服に手を伸ばそうとした七が、次の瞬間、
「ぎゃあ!」
灰に捕まった。
身体を持ち上げられて、肩に担がれていた。
…担がれていた?
「え、なんで?」
七の方も「なんでなんで」とジタバタとその上で暴れていて、あまりの出来事に目を瞬かせていると、
「…悪ぃな。」
灰らしくない、見たことない程心苦しそうな表情で言った。
次に瞬きを開けた瞬間には。
七を抱えた灰がもう玄関を出て走り出していた。
「ちょっ!」
裸足のまま追いかけて行くが、既に運転席側から助手席に七を強引に放り込んでいて、自分も乗り込むと、運転席のドアも半開きのままアクセルが踏まれ車が離れて行く。
「待て!」
と言って待ってはくれず。家の敷地から前方確認もしないまま車が出て行った瞬間、灰の車が行こうとしている反対の道から車が走り込んできた。突然出てきた灰の車に激しいスキール音を立てて急ブレーキがかかり、なんとか衝突は回避できたが、その間にも灰の車は走り去って行ってしまった。
家の前で危うく衝突事故が起きそうになった車は松戸さんの車で、道路に車が止まったまま、尊が後部座席から慌てて降りてきた。
「怪我は⁉︎」
尊に駆け寄るが、それよりも今し方急発進して行った車を指して、
「灰さんの車に七が乗っているように見えたんですが、何かあったんですか⁉︎」
「いや、俺も何が何だか…。」
困惑している尊に俺も状況が掴めないまま説明もできず、いきなり連れて行かれた七に何が起きたのか、今度は誠さんが神社の方向から家まで走ってきた。
神主の姿のまま、こっちも慌てているのか乱れた髪と服装で、
「大変だ!」
と血相を変えて俺たちに向かって叫んだ。
「どうしたんですか?」
「今警察から連絡があって、灰が…。」
荒い息を整える間もなく、誠さんは真っ青にした顔で言った。
「灰が殺人事件の犯人として指名手配されているって!」




