第十話
広間に入って来たのは、好青年という言葉は彼のためにあるような、それはそれはため息の出るほどの美青年だった。
「樹くん!」
座っていた奥様方からその姿に黄色い声が上がる。
「まあ、また大きくなって!」
「ちょっと見ないうちに、またいい男になったわね。」
内容こそ親戚らしいけれど、アイドルにでも声をかけるように、その場に来ていた夫人達が襖の前で立っているその青年に話しかけて、
「お久しぶりです。」
と青年は爽やかに受け流していた。
黄色い声が上がるのも肯ける、アイドルというよりは俳優みたいな鼻筋の通った顔立ちに、すらっとした長身が目を引く。
座っていた誠さんまでがわざわざ立ち上がって、
「久しぶり樹君。勉強の方はどう?大学院に進学するんだろう?」
「はい、誠さんに色々教えてもらったおかげです。」
「樹君には期待してるから、頑張ってよ!」
なんだか二人で盛り上がっていた。
その樹と呼ばれる青年が来たことで夫人達も誠さんも楽しそうで、だけど、
「樹、お前の番だぞ。」
と、さっき灰が見ていた無愛想なおじさんが座ったまま言った。その空気を悪くするような、相手を萎縮させるような声色に広間が一度静かになり、
「まあまあ、樹くんもお疲れでしょう。」
と誠さんが宥めるように言うと、おじさんは誠さんを一瞥してから、グラスに入ったお酒を飲んでいた。およそ分家の人の態度とは思えないけれど、誠さんは気にしていないのか、青年に座るように促していた。
本命って、この樹って人の方なのか。よかった、おじさんの方じゃなくて。危うく尊と東京へ駆け落ちするところだった。
ていうか、本命ってそもそもどういう意味だろう。
灰に聞こうとして、だけど私の横に座っていた灰は、その本命の登場に既にその場から立って退こうとしていた。
「灰さん、そのままで。僕ここで大丈夫ですから。」
と。青年はテーブルから離れた、座布団もない私の隣ーというよりは後ろの畳に座った。
その行動に灰が微妙にやりづらそうな顔をして、
「いや、こっち座れって。」
「ちょっと走って汗かいちゃってて、こんなので女の子の隣座れないんです。畳の方が涼しいですし。」
さらりと嫌味なくそう言う姿は、ドラマでも見てるみたいだった。確かにちょっと汗をかいてるけれど、むしろ汗も滴るなんとやら、爽やかさに拍車をかけているのに。
「飲み物だけでも。」
と誠さんにコップを渡されて、それを私に向けた。
「挨拶が遅れちゃったね。初めまして、神楽所樹です。」
「え、は、初めまして。」
別にイケメンに斜に構えてたわけではなく、後ろに座る樹さんを斜めの体勢で見ていた私は、慌てて自分のグラス持ってテーブルを背に樹さんに向く。
向けられたグラスに私のグラスを当てると、樹さんは自分のグラスの中身を一気に飲み干した。本当に急いで来たのかもしれない。
や、やりづらいなこのイケメン…。
人気度といい、コミュニケーション力といい、絶対学校とかで同じクラスだったら仲良くならないタイプの人種だ。圧倒的カースト上位感。初期の臨と会話しているみたいなやりづらさ。
「七ちゃん、」
と、誠さんが私にビールの瓶を渡してきた。空になった樹さんのグラスに注げって意味だろう。
こういうの苦手なんだけれど…。
自分で見ても慣れてない手付きで注ごうとして、
「大丈夫だよ、主役の子に注がせられないから。」
と瓶ごと受け取られてしまい、手酌していた。
いい人でもあるようだ。
「樹くんは神主になるために関西の大学に行っているんだよ。」
と、誠さんが誇らしげに紹介してくれた。
神主になるための大学って…。
尊が行こうとしている神道学科っていうのと、同じなんだろうか。
「神主になるなんて、そんな…。この学部に興味があっただけですよ。」
とは言うけれど。
きっとそういう意味での「本命」に思える。
誠さんもそうだけれど、神楽所家を継ぐと言うことは神社を管理するということだから、必然婿は神主だったり神職に就くんだろうし。
この無愛想なおじさんがどんな家系筋かは知らないけれど、この婿候補たちの中で唯一そういう学校に行っているということは、本命なんて称されるということは、樹さんはずっと本家入りを前提に育てられてきたのかもしれない。
…ていうか、今更気付いたんだけれど。
この間まではこの人尊の婿になる予定だったってことなんじゃないのか?
この人もだし、他の人もだけれど、今までは尊の婿になるために本家入りを頑張って来たんだろうに。代打が私なんかではちょっと可哀想。
まあ尊は誰の嫁にも行かせたくないけれど。尊のウエディングドレス姿なんて見たら泣いちゃう!
ついその晴れ姿を想像して尊の方を見ていると、
「大人に囲まれてばかりで疲れてるよね。」
樹さんにこそりと耳打ちされ、
「尊ちゃん、臨くん、久しぶり!」
とそこから大きな声をかけた。
声をかけられた尊と臨が樹さんに向いて、お辞儀をする。
「よかったらこっちで話そうよ。」
尊と臨は二人で顔を見合わせてから、一緒にこっちに来た。
今のは私のために二人を呼んでくれたんだろうか。本当に内面までイケメンだ…。
樹さんの横に尊と臨の順で座って、私も含めて畳の上で小さな輪になった。
「二人とも元気だった?」
「はい、樹さんは大学どうですか?」
「やっぱり専門的な学部だから難しいよ。尊ちゃんも神道学科目指すことにしたんでしょ?」
本当に二人とも同じ学部なんだ。
ってことは、尊も神主になれるんだとしたら。大学を卒業して、いつか本家に戻ってきてくれるつもりなのかな。
そうだとしたら。
大人になってからも、本家でずっと一緒にいられるのに。
尊と樹さんが話しているのに聞き耳を立てていると、横の臨が私に向いて、
「大丈夫?」
「…うん、大丈夫。でもお料理食べれなくて残念。」
「ちょっとくらい、食べてもいいんじゃない?」
「袖が気になって無理なんだよー。もう着物脱ぎたい。」
臨の方に腕を伸ばして着物の袖を見せるように動かしていると、隣の樹さんが、
「着物姿似合ってるから脱いだら勿体ないよ。」
と。イケメンはこういうのさらっと言うから凄い。対して私は、
「そんなことは…。」
卑屈になって、さらりと返すこともできずに困る。尊だったらきっと上手く躱せるんだろうけれど、いや躱す必要ないか。尊に言うならお世辞じゃなくて事実なんだし、当然という顔でいればいいんだ。尊がそんな高飛車なことしないだろうけれど。
「凄く似合ってるよ。ねえ、臨くん。」
「そうですね、可愛いです。」
「えぅっ。」
思わぬところからの追撃で変な声が出てしまった。
今言ったの本当に臨か⁉︎
いつもなら「まあ、馬子にも衣装って感じですかね。」って鼻で笑う感じじゃなかったっけ⁉︎
言った臨はなんか平然としており、あれか、イケメンキャラが被った樹さんとポジション争いを繰り広げようとしているのかもしれない。
しかし樹さんはその圧倒的なカースト上位感を見せつけるように、
「モテるでしょ?学校で彼氏とかいるんじゃない?」
うわあ、凄い。
さらっとそういう話が出来るコミュニケーション力は正直羨ましい。誰と話しても上手く盛り上げられて、きっと友達も多いんだろうし、なんならこの人の方がよっぽど彼女がいそうだ。ここで婿候補してる場合じゃないんじゃ…。
「私は全然…、そういうのは尊の方が、」
と、コミュニケーション力に乏しい私は尊を生贄にしようとして、
「七はそういう話は照れてしまうので、程々にしてあげてください。」
と尊に笑顔でカウンターを喰らった。
こっちも生贄にしようとしておいてなんだが、尊がひどい。
樹さんは「じゃあ程々にしとくね」と笑ってから、
「でも僕が高校生の頃って、友達とそんな話ばっかりしてた気がするよ。」
と懐かしそうに言う。樹さんの高校生活なんて、私が百人で束になっても勝てなさそう。友達の数で言っても。ゼロにゼロを掛けたところで、足したところで、ゼロにしかならないし。
引かれるだろうから、言わないけれど。
と思っていると、横の臨が、
「七は友達いないんで。」
「言うなよ!」
猫を被るのも忘れて臨に拳を叩きつけてしまった。
折角いい子でいようと頑張ってるのに邪魔すんな!
「仲良いんだね。」
とそれを見ていた樹さんに言われて、まあ仲が悪いとは思っていないけれど。
そう言われるとちょっと返しづらい。
「えっと、まあ…。」
「一緒にいる時間長いですから。」
臨が被せるように言った。そうやって普通に返せばいいのか。
いいなあ、コミュニケーション能力高い人は。
けれどその臨の返しに、「ふん、」と鼻を鳴らす声が、場に水を差すような声が聞こえた。
それは私の後ろで、テーブルの向かい側の席で変わらず無愛想な顔をしているおじさんが言ったようだった。
思わず振り返った私たちに、
「家族でもないのに、年頃の男女が一緒に住んでいるのはどうなんだ。」
不愉快そうに言いながら、おじさんが腕を組んだ。
その一言で。
しん、と静かになった大人たちのテーブルの中に、何も知らない子供達のテーブルから楽しそうな声だけが響く。
「父さん!」
樹さんの咎める声を無視して、
「尊ちゃんとは小さい頃から住んでたから黙ってはいたが、今から七ちゃんが一緒に住むにはちょっと無理があるんじゃないのか?」
「どういう意味ですか?」
言ったのは臨だ。
その言いがかりに怒っているわけでも、不機嫌な大人に萎縮しているわけでもなく、ただ淡々と。問うているようだった。
おじさんは臨の態度に更に苛立ったような顔をして、
「アイツのことを忘れたのか?」
その瞬間。
その場の空気が凍りついたのがわかった。
誰も彼もが、その場にいた大人たち全員が、尊も臨も、知らぬ存ぜぬで食事を続けていた灰ですら、その言葉にひりついた。
「…?」
誰だろう、アイツって。
固まった大人たちに、わけもわからない私だけが周囲をよく見渡せて。
隣の誠さんと、その向こうに見えるお婆様が特別青い顔をしているのがよく見えた。
「ちょっとあなた!」
隣の奥さんらしき人が一番最初に我に返ったのか咎めたが、おじさんはそれを制して、自分のグラスにお酒を注いでいた。相当、酔っ払っているのかもしれない。
だからお酒は嫌なんだ。
「七ちゃんも、あんまり臨には油断しない方がいいぞ。」
その標的が、私に向かってきて。
「…は?」
「だって臨は、」
聞くつもりはなかった。
いい子でいるのには、飽きてしまった。
テーブルに乗った私のグラスを、ジュースの入ったグラスをこのおっさん相手にぶちまけてやるつもりで持って、
「大丈夫です。」
と言った臨に。
後ろからグラスを持った腕を止められた。
もうかけるつもりで動き出していたので、急に止められたグラスが中のジュースを揺らしていたが、グラスの縁まで波打ったジュースはギリギリ溢れることはなく。臨が反対の手でそのグラスを私から剥がして、テーブルの上に静かに置いた。
静まり返っている空間の中で。
臨はそのおじさんに向き直ってから、真っ直ぐな正座をして。横から見ていた私にもわかるほど、真っ直ぐな視線で。
「俺は七と、真剣に向き合うつもりでいますから。」
その言葉に、返す人はいなかった。
そのおじさんも、誠さんもお婆様も、樹さんも、灰も、尊も、…私も。
誰も何も言わずに。
私は、何を言えばいいかわからずに。
ただ、臨を見ていた。
この空間を作った臨だけが動いて。
おじさんを見ていた目が、こちらを向いた。
「……。」
何を言えば、正解なんだろう。わからないのは、私のコミュニケーション能力が低いから、なんだろうか。
だけど。
こんな顔をしている臨に。思いつく言葉なんか、なかった。
臨はそれから、私から視線を外してから立ち上がった。
「失礼します。」
と律儀にも一礼して部屋を出ていった臨に。
まだ誰も動けない空間に、取り残されてから。
「…待って」
気付いたら、立ち上がっていた。
違う、気付いたらとかじゃなくて。
ちゃんと、追いかけないと。
着物が動きづらくて、襖を開けた時には既に廊下に臨の姿はなく、見失ってしまっていた。襖も開けっぱなしで臨の部屋の方へ走って向かう。
着物は大きく動かした裾の方から崩れてしまっていて、髪飾りも重さに負けて下がってしまっているのがわかる。
だけど、そんなことよりも。
私は臨のところに行って、何を言うつもりなんだろう。
何を言うべきなんだろう…。
後に、人の気配がした。
走っていた足を止めて、立ち止まった。
開口一番なんと言うべきか迷って、考えてもわからず、でもとりあえず振り向こうとした私に聞こえてきたのは。臨の声なんかじゃなくて。
聞いたことのある激しい電流音。
振り返った私を襲ったのは、あの強い痛みだった。
「ぅあっ!」
いきなりの衝撃に耐えられず、後ろの人間を目視することはできないまま、膝から崩れ落ちた。
床に伏せた視界からはスーツ姿の足元だけが見えて、その視界も数秒で暗くなっていった。




