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イサイアスに捧ぐ  作者: 万事塞 翁
第一章
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第六話

その後大人しく神楽所臨についていくと、広い家の廊下を通過するだけ通過し、まさか家の中で見ることがあるとは思わなかった長い渡り廊下を更に渡った先に、10畳ほどの和室が出てきた。部屋の隅っこには私のキャリーケースが置いてある。他に小さめのテレビにdvdプレーヤーが設置してあるのと、その前に簡易テーブル、敷布団が畳んだ状態で置いてあるなんとも殺風景な部屋だ。


「ここがあんたの部屋だよ。」


物がないせいか、それとも我が家と比べてしまうからか、やけに広く見える。


「分家が本家の手伝いに来た時とかに使っていた部屋だから、この離れにはトイレも洗面台も揃ってる。ここで生活してる限りは、神楽所の人間と顔を合わせなくて済むだろうから。」

「私、本家の人と一緒に生活しなくていいの?」


てっきり知らない人に囲まれて食事も睡眠も取らなければならないような、修行僧の様な生活を送らなければならないのだとばかり思っていた。

しかし神楽所臨は心底嫌な顔を出し惜しみもせず、こちらに向ける。


「絶縁した家の娘がそうそう受け入れられる筈ないだろ。」

「…え?私が神楽所になるのってまだ認められてないの?」


てっきり了承は得ているものだと…。だって、昨日あんな大見え切って養子になってもらうとか言っていたのに。


「神楽所は本家や分家で一枚岩じゃないんだよ。取り敢えずあんたの演舞が成功したらって言うのが大前提だけどな。」

「そうなんだ…。」


よくその状態で演舞踊れとか言えるもんだ。それって途中でやっぱり踊らないでとか言われたらどうしたらいいんだろう。お婆ちゃんにも春にもそう言って出てきたのに、恥知らずもいいところじゃないか。

まあ、他人と一緒に生活しないですむならそれに越した事はないけれど。


「でも挨拶もしないでここに住んでていいの?」

「尊の両親には尊が帰ってきてから行くよ。その二人はもう認めてくれてる。分家の人は暫くこの家には来ないらしいけれど、あんたも軽々しく家の中を歩き回るなよ。」

「…わかってるって。」


こっちだって知らない人と会いたいわけがない。いちいち喧嘩売ってくる奴だな。

そんな私の悪態を気づいているのかいないのか、テーブルの上に乗った幾つかのケースに入ったDVDを指差して、


「取り敢えず尊が来るまでは演舞でも見ときなよ。この部屋はあんたの部屋として自由に使っていいから。」


と、さっさと出て行ってしまった。

部屋で一人になってから、鞄をその辺に置いてテーブルの前に座る。

今日からここがあなたのお家よ、なんてどこかで聞いたことのある台詞だが、実際そう言われても全然自由に寛げない。後々挨拶回りをするならこのまま制服でいた方がいいだろうし、とにかく居座りが悪い。

とりあえず言われた通りDVDをセットして開始ボタンに手をかける。画面にはすぐに神楽所神社が映し出された。昨日は閉め切られていた神楽殿の窓枠が解放されて、中をぐるっと外から見ることができる祭り仕様になった神殿に、巫女服をきた神楽所尊が登場した。後ろで流れる祭囃子をかき消すように、喝采が上がる。

神楽所尊は結った髪と金色の髪飾りを靡かせながら、流れる様な動作で正面に正座をした。

ほどなくして、笛なのか、琴なのか、和様な演舞の音楽が流れ始めた。それと同時に、続いていた周囲の喝采が静まる。


神楽所尊のその踊りに、思わず息を飲んだ。


私も夏祭りでこれは見たことがある。だけど祭りの最中に行われるそれは、神楽殿の周囲を通れなくなる程人で埋め尽くされ、遠目でしか見れたことがない。物心付くようになってからは演舞に集まる人混みを避け、人がまばらになった屋台を回っていたため、そう言えばきちんと見たことなどなかったかもしれない。


圧巻だった。

綺麗で、洗礼されていて、神秘的で、神様に捧げるに相応しい舞だった。


これを、私が踊るのか…。たった一ヶ月で。

この踊りを見る限り、神楽所尊は一朝一夕でこの踊りを覚えたのではないと確信できる。そう思わせる所作が、素人の私にも動画越しに訴えかけてくる。

舞自体は5分程度のもので、取り敢えず一回見終わり、巻き戻して一から踊りを覚えようと再生し直す。何度見ても素人目では、大きな鈴のついた棒を振り回していて、けれど一寸の狂いもない様な、真似しようにも何が正しい動きすらわからない。テレビでよく見るアイドルのダンスのように、曲調に合わせたわかりやすい動きとは種類が全然違う。

しかも思っていたより動きが激しい。動作の予測もできなければ、そもそも曲の規則性すらわからない。

演舞を踊ることを何も簡単に習得できるなんて、思ってはなかった。でもこれは、思っている以上にまずいのかもしれない。背中に嫌な汗が伝う。

焦る気持ちで何度も同じ部分を繰り返し見ていると、


「尊です。入っても大丈夫ですか?」


襖の外から声がした。


「どうぞ。」


そっちに体を向けると、制服姿の神楽所尊が部屋に入ってきた。ただ襖を開けて、部屋に入って襖を閉める動作でも、所作の一つ一つが洗練されている。


「演舞、見てくれていたんですね。」

「はい。全然覚えられる気がしませんけど…」


思わず苦笑いしたが、それを吹き飛ばす様な笑みで返される。昨日のことがあっても、この平然たる堂々とした態度は尊敬すらしてしまう。嫌な顔とかしたことないのかな。


「私がこれから直接お教えるから、大丈夫です。それより先に、私の両親に挨拶だけ良いでしょうか。」

「はい、神楽所くんから伺ってます。」

「ふふ、ここにいるのは全員神楽所ですよ。」

「あ…。」


穏やかに笑う姿は同性の私から見ても、見惚れてしまう。こんな田舎の学校のミスグランプリが肩書きでは勿体無い程に。


「これからは家族ですからね。臨、と呼んでいいですよ。私のことも尊と呼んでください。」

「じゃあ、尊さん…。」

「家族なのにさん付けはおかしいです。尊、で大丈夫です。」


ええ…、距離の詰め方えぐいな。

まあわからなくもないけれど。この容姿と神楽所の家柄があって、生まれてこの方誰かに何かを断られたりした事ないんじゃないだろうな…。


「いやでも、流石に呼び捨ては…」


その申し出に躊躇していると、悪戯げに微笑まれる。


「では尊お姉ちゃんと呼びますか?」


どうしよう、可愛い…。

こんな状況でも私にそう思わせてしまう程、神楽所尊という人間の存在はまるで作り物みたいに可愛いのだ。自分がこんな境遇じゃなければ、尊お姉様と喜んで呼んでいたかもしれない。実際、神楽所尊ーいや、尊の後輩には姉の様に慕う者が何人もいるらしいし。


「じゃあ、尊で…、お願いします。」

「私も七、と呼ばせてもらいますね」


なんだか初めて名前を呼び合う恋人同士みたいで(その経験は一切ないが)、無駄に照れてしまう。いや待て自分気持ち悪いなと我に返っていると、


「尊、誠さんと遥さんが百合の間で待ってる。」


襖の外から再び声がかかった。神楽所臨ーいや、臨の声に尊が返事をして私を促す。


「両親は既に説得済みです。これから親代わりになるわけですから、緊張しないで大丈夫です。軽く挨拶だけしましょう。」


親代わり、なんて言われたら余計に緊張してしまうけれど…。神楽所の一員になる、というところまで考えていたつもりでいるが、自分がこの家の家族になるのはまだ想像が追いついていない。尊と臨の後ろを付いて、再び渡り廊下を越え長い廊下を通り、ある部屋の前で立ち止まった。


「お父様、お母様、入ります。」


尊が襖を開けると、広い茶室に黒い木目の高級そうなテーブルがあり、その向こうにしゃんとした中年の男性と妙齢の女性が座っている。男性の方は神主の格好をして、いかにも神職といった神妙な面持ちで、女性の方は落ち着いた色の着物を着て、優しげに微笑む顔はどこか尊に似ている。


「神楽所神社の神主、神楽所誠です。」

「その妻の神楽所遥です。」


そう頭を下げられ、こちらも慌てて合わせる。


「は、はじめまして。葛七です。」


神楽所遥と名乗った女性が、見た目通りの優しい声をかけてくる。


「あらあら、そんなに賢まらなくていいのよ。」

「そうだよ、今日から七ちゃんはここの家の子なんだから。」


神妙な面持ちだった神主も、そう言うと表情を緩めると優しいお父さん代表みたいな顔をした。


「…ありがとうございます。」


二人とも言葉の端から品を感じられて、思わず、自分の父親と比べてしまい嫌な気持ちになった。


「それに、はじめましてではないよ。七ちゃんとは一度会ったことがあるんだ。」

「え?」

「七ちゃんは覚えてないかもしれないわね。五歳の頃に清さんに連れられて、一度尊と臨と遊んだことがあるのよ。」


初耳だし、そんな記憶一切ない。


「すみません、全然覚えてなくて…。」

「今度写真を見せてあげるわね。尊と臨と一緒に写った写真があるのよ。」

「そ、そうなんですか?」


尊にも、臨にも、会っていたことがあるなんて。思わず尊を見るが、


「え、ええ。懐かしいですね…。」


浮かない顔をしており、尊もあまり覚えていないのかもしれなかった。まあお互い子供の記憶なんてそんなものだろう。


「思い出話は後にしましょう。それより演舞についての話を。」


臨が冷たい声を上げた。相変わらずこちらを睨むような目つきをしているのだが、いつまで睨まれなければならないのか。多分、昔会った事があるからって勘違いするなとかそういうあれなのだろうけど。五歳の頃の話なんかこっちだって今更興味もないわ。


「そうだね。七月の末日に行われる神座祭りで演舞を行っているのは、七ちゃんも知っているね。」

「はい。」

「今年はその演舞を七ちゃんに任せても、大丈夫かい?」


口調も表情も温和だが、その言葉には重みがあった。今まで生きてきた中で、最も責任の重い質問に思えた。

だけど同時に、躊躇ってはいけないとも思った。

ここまで来て、即答くらい出来なくてどうする。


「はい、踊らせてください。」


今度は身体ごと頭を下げると、少しの間を置いて、


「うん。こちらこそ、尊に代わってよろしく頼むよ。」


とりあえずホッとして頭を上げる。ここでダメとか言われたらどうしようかと思った。


「流石は清さんの娘さんね、肝がよく座っている。」


遥さんが年齢不詳(過ぎる)可愛らしい笑顔を浮かべて言った。それにしても、尊の母親なのだからどんなに少なく見積もっても三十中盤だと思うんだが…。尊と並んだら姉妹に間違われそうだな。


「祖母をご存知なんですか?」


お婆ちゃんとは関わりがある様な言い回しだけれど、お婆ちゃんの話を聞いた限り神楽所家とそこまで親交があった様には思えない。


「ええ、母が何度も話しているわ。清さんが神楽所本家入りを断った時の大立ち回り。」

「…。」


尊の母のその母と言えば、神楽所家頭首のあの神楽所薫の事だろうか。

今は表舞台には立たないが、昔は神楽所神社で尊と同様に演舞を踊る巫女だったらしい。県の偉い人がご機嫌伺いに挨拶に来るとか、裏社会の影のドンとか、そんな噂が実しやかに囁かれている。この地域で最も怖いと名高く、絶対に敵に回していけないという神楽所薫。お婆ちゃんはその相手に神楽所入りを断ったのか…。大立ち回りって…、うん、今後の事を考えれば深入りはしたくないな。


「きっと七ちゃんは清さん似なんだわ。」

「ど、どうも…。」


これが褒められていると受け取っていいかも正直微妙なところだ。


「清さんのお孫さんだもの。きっと上手に演舞を踊れるわ。」

「期待しているよ。」


そこにどこまで本心が含まれているかはわからないが、二人とも笑顔でそう言ってくれた。

色々考えるのはやめよう。

外部の私では神楽所の中のことはわからない。私は私に出来る事ーまずは演舞を踊れるようにならなければ、話にすらならないのだから。


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