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イサイアスに捧ぐ  作者: 万事塞 翁
第四章
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おまけ⑨

松戸さんというのは、私たちの住む神楽所本家のお抱えの運転手である。

安全運転が趣味の初老の男性で、神楽所に勤めてもう四十年になるらしい。その朗らかな人柄についこちらも警戒心を解いてしまうような、けれどその隙を突いて要求を受け入れさせる言葉巧みな人心掌握術はかなりの人たらしに違いない。


そんな松戸さんの朝は早い。

まだ日が登り切る前には起きて、車の清掃から一日が始まるらしい。


「神楽所の皆さまが朝早くから気持ちよく移動できるように当然の事でございます。」


前に毎日綺麗な車がふと気になって聞いてみた時に返ってきた言葉だ。

車の清掃が終わると、松戸さんは愛犬の散歩に行くそうだ。毎日5km走っているというのだから、驚きだ。どうしてそこまでストイックなのか聞くと、


「神楽所家にお支えする身として、不精で不健康な身体でいるわけにはいかないのです。」


愛犬の散歩が終わり、愛妻の作る朝食を食べた後はいつも定時より三十分も早く出勤し、神楽所家の前で通学する私たちを出迎えてくれる。


「私のような老いぼれとは違い、若い時を一分一秒大事に生きておいでですから。もしも必要な時に足がないなんてことで、皆さんの貴重な時間を浪費させてしまうわけにはいかないのです。」


まずは生徒会の仕事等で早めに出発する尊を学校に送り、そして少ししてから私と臨を送ってくれる。入り組んだ山の中にある学校への通学路はいつも生徒たちで混雑しているが、今まで事故を起こしたことはもちろん一度もない。


「この車で事故を起こすということは、神楽所家の汚名となります故。万一の事がないよう、毎日通る道でも過信のないよう常に細心の注意を払っております。」


その精神が宿った松戸さんの丹念な運転は、その車に乗れば誰もが納得だ。

日中は神楽所家の大人たちの移動の足となり、放課後にはまた私たちを迎えに来てくれる。放課後の私たちのお遊びの移動にも付き合ってくれて申し訳ない限りだが、


「青春とは長い人生に色をつける瞬間ですから。大人に遠慮している時間なんて一秒だってあってはなりませんよ。」


松戸さんの寛大な懐を知れる情け深い言葉だった。



そんな松戸さんだが。



放課後私たちを乗せた車が公道を走っていると、クラクションが鳴らされた。

松戸さんの安全運転にクラクションが鳴らされるような落ち度なんてあるはずもない。何事かと窓の外を覗くと、すれ違いざまに走って行った車が灰の車だった。


「アイツ…。知り合いの車だからってクラクション鳴らすなよ。」


と臨が呆れていた。

クラクションで挨拶された松戸さんは、灰がした実は交通法違反のその行為にもいつもと変わらず朗らかに笑っていた。

けれど。

荒い運転の灰の車とすれ違う時、松戸さんが内心イラッとしているのことを私たちは知らない。



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