第十一話
氏神様は目を覚ましてはくれなかった。
「七!おい、七!」
灰にスタンガンを押し当てられた時も、テニスの試合の時も、スタンガンを当ててからすぐに意識が交代していたのに、七はどんなに声をかけても起きる気配がない。
「おーい、起きろー。」
スタンガンを当てられて伸びていた男が、仲間の男に足蹴にされて起こされていた。
小柄な七と違って体格のいい大人の男ではスタンガンの利き方が甘くなるのか、数回蹴られているうちに、
「痛ってぇ…。」
と目を覚ます。痺れているのか緩慢な動作で、だけど起き上がり始めている。
一方で七は声をかけ続けても全く目を覚まさない。
「これ、改造してあんじゃない?」
別の男が七の手から落ちたスタンガンを拾い、バリバリと試し撃ちして見せると、
「やっぱ筋者なんじゃね?こんなん普通持ってないでしょ。」
「じゃあこのガキも一緒に処分でいいか。」
「女だからとっとけば良くねー?」
「ボスに聞いてからにしよーよー。」
「連れてっても暴力団と繋がりがある奴なんか厄介なだけだ。」
「えー。」
話は最悪の状況に進んでいく。
「七!七、頼む、起きてくれ!七!」
喉が潰れそうな程に声を出しても、縛られた手を伸ばして揺すっても、氏神様も、七すらも意識を戻すことがない。土埃の地面に顔を伏せたまま、事切れたように倒れている。
…それだけはやめてくれ。
スタンガンを当てられた男が立ち上がり、意識がはっきりしてしまったようだ。
「くそガキが…。」
七の首元を持って身体を持ち上げた。ぐったりと意識のないままの七はだらんとした状態でされるがまま男の目線まで連れて行かれる。
いやだ…。頼むから、それだけは…。
「七、起きてくれ!七!」
擦り切れそうなほど動いても結束機は外れてくれることもなく。
男は持っていた刃物を七の首筋に当てた。
「!やめ…!おい!」
どんなに大声を出しても、七は起きることもなく。
「やめろ…!七!やめてくれ!頼むから!」
ナイフが七の首筋に沿って、赤い血を、その銀色の刃に流れ始めさせて、
「たわけが。」
言ったのは、七だった。
真白くなった髪の毛が、月明かりに反射している。
だらんと落ちていた腕がいつの間にか男の腕を握り、刃物の進行を食い止めると、七はー氏神様は持ち上げられている身体のまま男の膝を蹴った。強く蹴ったわけではなく、首を持ち上げられている手を軸に蹴った反動で身体を後ろに捻ると、戻ってくる勢いでそのまま男の顎を目掛けて爪先を叩きつけた。
衝撃で手を離した男は膝から崩れ落ち、氏神様は男が倒れ切る前にその膝を踏み台にして、空中で後ろにバク転して地面に真っ直ぐ着地した。
「…。」
俺が驚いたのは、氏神様が目覚めたことではなく、その見事なアクロバティックでもなく。
つまり、そういうことなんだろ。
氏神様がどうしたら起きるのか。昼間に居間で寝ているだけでは起きないのも、灰に押し当てられて起きたスタンガンも、不意を突いて当てるように言われたスタンガンも、自分で当てても効かないスタンガンも、今のも。
つまり、七の身に外部からの危険が迫ることが氏神様を起こす条件なんだろう。
なら、ならば。
じゃあ、毎晩七はどうやって氏神様を起こしているんだ。
一体何をされて、覚醒させられているっていうんだよ。
「そんな顔をするな、臨よ。」
氏神様は俺の導き出した答えを認めるように、
「じゃから、お前には知らせたくなかったんじゃ。」
と自虐的に薄く笑った。
「…氏神様…、」
だけど俺の言葉を待たずに視線を外して、氏神様は後ろの男たちに向いた。
「…今、何が起きた…?」
「髪の色変わったよな?」
「っていうか、え?めっちゃ強くね?」
男たちは当然戸惑いながら、氏神様に警戒している。
氏神様は足元に沈んでいる男を片足で踏みつけると、周りを囲んでいる男達を指差した。
「ワシの大事な氏子たちを散々痛ぶってくれた礼、今ここでたっぷりと返してやるわ。」
臨戦体勢に入った氏神様に、十人近い男たちが各々武装し始める中、
「勘違いしてくれるでないぞ、洟垂れ共が。お前たち如き視えなくとも、ワシに傷一つつけられぬ。」
氏神様は怒っていた。
その敵意を向けられていない俺が、今日散々な目に遭ってきた中で命の危機に瀕した時よりも恐怖を感じるくらい。氏神様は自らの氏子たちを傷つけられたことに、憤っていた。
「恐怖という信仰心を、お前たちに植えつけてくれるわ。」
そこからはあっという間だった。
七の小柄な身体をハンデとせずに、むしろ小回りを効かせて身軽に立ち回り、的確に男たちの急所を叩いていくと、ものの数分で、あっという間に氏神様はその男たちの屍の上に立っていた。
氏神様の白い髪が月明かりに反射して、床に広がった血でさえも、照らされたその光景は酷く幻想的だった。この酷い現実が夢であれば良いと思うほどに。
氏神様が俺を見て、何か言おうしたがやめたようだった。
俺も、返す言葉は見つからなかった。
「七!」
外から大声がして、七が頑張って僅かに開けた工場の扉が、一押しで全開になる程の勢いでこじ開けられた。鉄の扉の開く金切り声のような酷い音を聞きながら中に入ってきたのは灰だった。
「お前は!俺が行くまで待てって…!」
怒鳴りながら入ってきたが、七の髪色を見て、横たわる男たちの上に昂然たる佇まいでいる七の姿を見て、
「変わったのか…。」
「遅い。」
氏神様は不満気に、
「お前が遅いから、臨にあの事を知られてしまったではないか。」
「…。」
「臨に嫌われたらどうしてくれるのじゃ。」
灰は俺を見てから、「そうか…。」と、あの本家であった時と同じに後めたいような顔で頭を掻いた。
「灰は、知ってたのか…?」
七の入れ替わるための条件を。
灰は「…俺だって知りたくなかったわ。」と眉を顰めて、
「今回の件で知っちまったんだよ。身内の子供が毎晩あんな目に合わされてて…、胸糞悪りぃ。」
やっぱり、七はいつも入れ替わるために何かされてるんだ。
「普段、どうやって七のことを…?」
「…。」
灰は言いたくないようで答えてくれなかった。
「短刀を、胸に突き立てておる。」
代わりに言ったのは氏神様だ。
「…。」
思い出していたのは、さっきの七の首に刃物が当てられた映像だった。
思い出すだけで身の毛もよだつような、そんなことを、毎晩毎晩されていて…。寝ている七に、刃物をむけて…、
「おぇっ…、」
想像しただけで吐き気がした。胃がひっくり返るみたいで、それ以上考えたくないのに、脳内に一度焼き付いたその想像は離れない。
「おい、臨の気持ちも、」
「もう今更隠せぬわ。臨よ、お前が気に病むようなことではない。小娘がワシの器である以上は必ずワシが起きる。危険なことなど何もないのじゃから。」
「…だからって、」
だからって。危険がないからそうですかなんて言えるはずがない。
今までは七の身体が氏神様の器として狙われているから危険だと思っていたのに、器であるだけで、身内からも危険に晒されているなんて。本家のお婆様や誠さんが、七にそんなことをしているなんて…。
そんなの…。
元凶であるはずの氏神様は、
「灰、運べ。」
と両腕を灰に伸ばしていた。
言われて灰は七の身体を抱え上げて、
「おい、いつも言っておるじゃろうが!ワシを運ぶときはお姫様だっこじゃ!こんな俵を担ぐようにぞんざいに運ぶでない!」
「こっちの方が片手開くんだからいいだろうが。」
と灰の肩の上で暴れていた。
氏神様は元々七の身体をあまり大事にしないから、いや、今までそうやって神楽所の巫女が氏神様と代わってきているからそんなことは気にも留めていないのかもしれない。
そして氏神様はそうやって氏子に呼ばれているから起きているだけなんだ。本当は氏神様が元凶であるわけではないということもわかっているが、だけど…。
「まったく。この小娘にも、もう少し身体を鍛えるように言っておけ。この程度で毎回へばられてはワシが迷惑じゃ。」
「へいへい。」
と灰はてきとうに受け流しながら、俺の目の前にしゃがんだ。
「怪我ないか?」
「…ああ。」
灰は空いている片手で手首を絞める結束機に手をかけると、強引に引きちぎった。
あんなに外そうとしても取れなかったのに…。
同様に足も外してくれて、
「隣の子は?」
ちかを指差した。
ちかはまだ眠っていて、俺の横で倒れている。
「…俺が巻き込んじゃった子で。」
「もうすぐ他の奴らも来るから、病院に連れてってもらうか。」
と、片手で携帯を取り出して病院の手配をしてくれていた。
ちかも、無事のままでよかった…。
「お前も行くか?」
「…いや、俺は平気だから。」
この中で最も怪我をしてない程度には。
俺が周りを巻き込んでおいて、結局ちかが無理やり眠らされ、七には怪我を負わせた上で戦わせて情けない。
「あほか、無事で何よりだよ。」
灰が手を伸ばしてくれて、それを借りて立ち上がった。
「七がお前の心配してどんだけ取り乱してたと思ってんだ。」
子供をあやす様に頭を撫でられて、
「…。」
言葉に詰まった。
口を開けば、それを皮切りに泣いてしまいそうだったから。
「帰るぞ。」
灰の言葉に、頷くことしかできなかった。




