第八話
「ちが、ここ紹介してあげられるよ。」
そう言って、目の前の女の子は地下のクラブを指差した。
「ほ、本当?」
「うん。ちか今日予定ないし、一緒に行ってあげるー。」
たまたま顔を合わせただけの子だったのに、僥倖だ。
もはやちょっと諦めかけていたが、これで中に入れる。
ちかちゃんに腕を引かれ、というか組まれて、階段を降りてもう一度思い扉を開けると、同じように立っていた大男がこちらを見た。
「二人お願いねー。」
そう言うとさっきとは違いすんなりと通してくれ、料金を払って中に入れた。
中は煙草の煙なのか演出で何か焚いているのか知らないが、やたらと煙たいし、ひっきりなしに移動している上からの光が眩しくて居心地が悪い。音楽も耳に叩きつけるような音量で流れていて、五感がやれてしまいそうだ。
入場料金の中にドリンクが一杯含まれているらしく、一緒にバーカウンターで飲み物を適当に頼んで端の方で空いていたテーブルについた。と言っても椅子とかないから立ったままだが。
クラブの中は踊って騒いでいる人がいたり、壁にもたれかかっているだけの人がいたり、一段上にあるソファの席で(VIP席とかなのか?)いちゃついている男女がいたりと中々カオスな空間だった。
どいつも危険そうな奴に見えるし、全員疑っていてはキリがない。俺が周囲を見渡していると、
「ねえ!なんでクラブ来たかったのー?」
後ろの音楽に負けないように、ちかちゃんが大きな声で俺に聞いてきた。
「一回来てみたくて。」
俺も声を張っても、お互いどうしても声が届きづらく自然と距離が近くなってしまうのだが。その、胸元の空いている服であんまり近づくのはやめてほしい。目のやり場に困る…。
「そうなんだー。でも別に普通の場所でしょ?」
「普通では、ないと思うけれど…。」
少なくとも、俺が生活してきた環境で経験したことも見たこともない空間だ。中にいる人も、この雰囲気も。
「ちかちゃんは普段ここで遊んでるの?」
「ちかでいいよー。っていうか。ちか、君の名前知らないんだがー、」
そういえば名乗ってなかった。苗字は伝えずに名前だけ言っておいた。
「いつもここじゃないけど、この辺では遊んでるよー。」
「こんな時間に?」
「こんな時間て。まだ九時前だよ?」
けらけらとまた笑われてしまった。いやまあそうなんだけれど。でも俺達の家の周りでこんな時間に学生がその辺を歩いているかと聞かれれば、そんなことはないと思う。
「ちか大体朝まで遊んでるしー、」
「学校とか、朝困んないの?」
「中卒なんだー。」
「…、」
言われて、返答に困る程度には驚いた。初めて見た。本当にいるのか、そういう人って。
俺の物珍しそうな視線に気づいたのか、ちかは笑って、
「ちかね、ママが再婚して、新しいお父さんに虐待されてんの。」
「え、」
「ママはお父さんの言いなりで助けてくんないし、家にいるとボコられるから。だから、中2からずっと家帰ってないんだー。」
「…。」
「あはは、引いてるー。」
何でもないことを話すように、さっきまでと変わらぬ口調で笑って言うが、笑い事じゃない。少なくとも俺は笑えなかった。
「…どうやって、生活してるの?」
「前はねー、色々やってたんだけど。今は京介さんが色々面倒見てくれるから。」
この子も七と同じで京介さんのバイト先の子だったのは、そういうことなのか。
「京介さんまじ神様だよー。京介さんに助けてもらった子いっぱいいるんだから。顔広いから中卒でも雇ってくれる仕事紹介してくれたり、部屋とか貸してくれたり、」
「…そうなんだ。」
あの人バイトで高給出しているみたいなことしか言っていなかったが、他にも色々やっているのか。つくづく女子高生好きという趣味だけが勿体無い人だ…。
まあ確かにそれならなんとか生活していけなくもないのか…?
「でも、帰れなくて困らない?」
俺の質問に、ちかは「ちーがうよ。」とまた笑う。
「帰れないんじゃなくて、帰らないの。ちかが帰りたくないから、帰ってないんだよ。」
「…。」
「みんなが家に帰りたいわけじゃないんだよ。」
なんとはなしに聞いただけだったが、随分失礼なことを言ってしまった気がした。
「…ごめん、」
家に帰れば必ず安心とも限らないし、親が子供を守ってくれるのも当然じゃないのか…。家っていうのは外からの逃げ場のようなものだと思っていたが、そこが逃げ場どころか危険な場所であれば、帰りたくないのも当然で…。
それはひょっとして、七も…?
俺が気に病んでいると思ったのか、ちかは気を遣ったような明るい調子で、
「謝んないでいいよー。臨君ってちかと違くていいとこの育ちっぽいし。もしかして、浦学?」
浦学というのは親戚の神楽所唯が通っている私立高校の通称だ。そういえば唯の学校はこの近くだし、田舎で珍しい私立の進学校だから、浦学はこの辺では金持ちが行くところみたいなブランド的な扱いなのだ。
否定しようとしたが、金を持っているという周囲へのアピールになるし、ここは乗っておくことにした。
「そうなんだ。」
「やっぱりー。京介さんとどう言う関係?」
「あー、七の…」
家族で、と言おうとしてやめたのは、何もお婆様に言われたことが気にかかったわけではない。七が夏祭りで演舞を踊ったのがあまりにも有名なことすぎて、身内だと言えば俺が神楽所の人間であることがバレてしまうと思ったからだ。尊はともかく分家の俺は別に有名人じゃないから今のところバレていないみたいだが、そういう情報は周りに知られれば警戒されかねない。
「友達で。」
「あー、わかった!彼氏なんだ?」
「断じて違う。」
「あやしー。」
七の話はあまり深追いされると面倒なので、ちかの飲み終わったドリンクを指して、
「ここ紹介してもらったんだし奢るよ、これ使って。」
わざと財布を広げて、中の札を見せつけるように万札を渡した。使っていない、というより毎月使い切れずに貯まっていたお小遣いをかき集めて財布に入れて来たから、財布の中身が中々に壮観だった。
我ながら子供にお金を渡すと禄でもないことをする見本みたいになっている。
「ちょ、ちょっと!」
ちかは慌てて俺の財布を手で覆った。
「こんなところでそんなお金見せたらやばいって!変な人に絡まれちゃうよ!」
見かけによらずいい子だな…。
だけど心配してもらって悪いが、わざと周りに見せつけたのだからむしろカモにされて望むところだ。
「もう、臨君ちょっと育ち良すぎで心配なんだがー?」
と呆れたように言いながら、ちかは飲み物を買いに行った。
後ろ姿を見送ってから、さて。
この程度の餌では流石に引っ掛からないだろうかと、周囲を見渡していると、
「景気いいじゃん。」
と突然後ろから肩を組まれた。
心臓が跳ね上がったが、顔には出さないようになんとか堪えた。
「…どうも。」
肩を組んできた男は、顔に刺青の入った厳つい男だった。隣にもう一人男が控えていて、こっちは丸刈りに咥え煙草をしていて、ゴールドの装飾品を耳やら首やらにじゃらじゃらと付けている。どっちも普通の人には見えないが、だけど、織衛組の人達ほど厳ついわけでも身体が大きいわけではない。
比べるのもおかしいが、だけどそう考えれば煩い心臓も少し冷静になれる。
とりあえず相手の出方を伺うように、
「何か用ですか?」
「君、お金持ってるならいいもの売ってあげよっか。」
…かかった。
思わず口が緩みかけたが我慢して、
「…いいものって?」
「楽しいお薬。一緒にいた女の子に使ったりするともっと楽しいかもねー。」
「…。」
「あ、違法じゃないから安心していいよ。」
下衆いやり方だ。違法じゃないという見え透いた嘘にも反吐が出るが、とりあえず今はなるべく接点を作るために、
「いくら?」
「2枚でいいよ。」
言われた額を財布から出して渡すと、
「気に入ったらまたここおいでよ。売ってあげるから。」
と。さっさと去って行こうとする。
薬を買えばもっと何かアクションがあると思っていたから、拍子抜けしてしまった。
だけど普通に考えれば売るだけ売ってさっさと姿をくらました方が証拠も残らないし、ばら撒くだけばら撒いて、後は向こうから寄ってくるのを待った方が効率がいいのかもしれない。
くそ…、これだけじゃ全然情報にならない。
こんな簡単に声をかけてくれる程度の奴らじゃ、京介さんが言っていた足切りにされるような下っ端くらいのものなのだろう。時間をかけて買い続ければ親密になれる可能性もあるが、それじゃあ織衛組の解決を待っているのと変わらない。
なるべく早く情報を掴みたいのに。どうにかして、聞き出す方法は…。
「あのさ、」
足を止めさせて、上に連れていってもらわないと意味がない。
そのためには、こちらも嘘をついてでも…。
「その薬ってあとどれくらい売ってくれたりする?」
後ろからかけた俺の声に、男達は足を止めた。
「…どーいう意味?」
「俺、お金稼ぎたいんだよね。」
動揺を見せるな。冷や汗一つ流すことも、視線を泳がすことも、声を裏返らせることも許されない。
弱気なところを見せたらつけ込まれる。堂々としていろ。
…そうだ、俺が知っている人間の中で、最も人を騙すのが得意だったアイツみたいに。
「俺、この辺で有名な私立通ってて結構金持ちの友達いるからさ、紹介させてよ。そんで、紹介したマージン俺にくれない?」
思いつきの嘘にしては上出来だろう。
金を稼ぎたいのであれば、カモはでかい方がいいに決まっている。
「…。」
男達は俺の話をどう受け取ったのか。無言で互いに顔を見合わせてから、俺のところまで戻ってきた。




