第六話
あれ以来、七の部屋の前にはいつも家政婦さんが付いているようになった。俺が部屋に行こうとするとお婆様に止められているからと面会謝絶にされた状態で、七の様子がわからないまま二日経ってしまった。学校にも来ず、家の中でも会うこともなく、だけど何もできないまま俺はいつも通りの生活をさせられていた。
この二日の間に尊から、
「七が風邪をひいたと聞いたんですが、大丈夫ですか?」
と連絡があった。
七に尊との連絡も取らせない状況の中で大人たちが勝手にそう言ったのか、それとも心配させないように七が自分で言ったのかも定かではない。俺から七の携帯にメッセージをしても既読にもならないのだから。
俺は散々迷った挙句、その話に乗っかっておくことにした。
「家政婦さんが面倒見てくれているみたいだから大丈夫。」
本当は、尊に伝えてどうするべきか一緒に考えてほしかったけれど。
尊が聞けば東京での予定を全てほっぽって戻ってきかねない。尊の人生に関わることだし、きっと七だって自分のために折角の東京行きにケチがつくようなことがあれば嫌だろう。
それに。
それに、どこかでもう俺や尊なんかが出て行ってもどうしようもないということがわかっていた。もう七は神楽所神社の巫女として、神様の器として、その地位を確立してしまっている。大人たちの思惑通りに。
俺たちのような子供が介入できない、ましてや、そうだ。お婆様の言う通り、俺たちは家族ですらないのだから…。
そして七と会えなくなってから二日目の夜。
「氏神様がお呼びだ。行きなさい。」
誠さんが俺の部屋に来た。
七には言っていないが、俺は時々こうして氏神様に呼ばれていた。七が寝た後なのか、日付を超えて丑満時辺りに呼ばれることが多く、でもまさか七とは会えないのに氏神様の方に会えるとは思わなかった。
氏神様は俺を呼んで何をするかと言えば、別に神託を聞かせてくれるわけではなく、雑談の話し相手にしたり、基本的には神事とは関係ないで暇潰しの相手にしているだけだった。
そのためなのか、氏神様の希望あってのことなのかは知らないが、基本的に二人きりにされることが多く、そのおかげでテニスの試合についても色々交渉できたのでそれ自体は良かったのだが。度々無茶なお願いをしてくるせいで七には言えなくなっていた。…自分の身体で俺に何をしているのか知ったら二度と口を利かなくなると思う。
だけど、ともかく今日は呼んでくれて助かった。
七の顔が見れる。
神楽殿に向かうと、七の身体で、髪を真白くした氏神様が待っていた。
「久しいのう、臨よ。」
七の身体でそう言う氏神様は相変わらず脇息にもたれかかっていて、だけどどこかやつれているようにも見えた。
「七は、大丈夫なんですか。」
「…久しぶりに会ったと言うのに、他の女の心配か?」
氏神様はムッとした顔をしたが、そもそもその身体は七の身体なのだし、他の女という表現はどうだろうか。それにテニスの試合の後にも会っているから、久しぶりって程久しぶりでもない。
「ワシをそんな風にぞんざいに扱うでない。」
「七の身体は大丈夫なんですか?」
氏神様の戯れに取り合っている場合ではない。
氏神様はまたムッとした顔をしてから、
「…見た通り問題ない。」
「七に何か飲ませたっていうのは、何を飲ませたんですか?」
「それは、入れ替わるために必要だったただの睡眠薬じゃ。」
「睡眠薬…。」
随分とあっさり返ってきた返事に拍子抜けだが、それは俺も考えていた。意識が混沌とする程に眠る七を見ればなんとなくは。
だけど、ならどうしてお婆様は隠すんだ?入れ替わるために、眠るために睡眠薬を飲ませただけなら俺にあそこまで隠す必要がない。
「それは、臨に必要以上に心配をかけさせたくなかったからじゃ、」
「七が眠ることだけが条件じゃないからですか?」
「…、」
「そうなんですね。」
なら、隠さなければならない覚醒条件というのが何なのかが問題になってくる。
氏神様は困った顔をして、
「臨、それについて説明する気はワシにはない。」
「何か危ない目に合わせているんじゃないんですか…。」
「言わぬ。それについて臨が知る必要はない。」
「…。」
こうなった氏神様に口を割らせるのは俺には無理だ。今までも、知りたい情報について色々聞いてきてはいるが、教えてくれるものはすんなりと答えてくれるし、だけど答えてくれないものは何度聞いても教えてくれたことはない。とりわけ、氏神様を起こす方法は絶対に教えてくれない。
貴重な時間を押し問答で潰すのは勿体ない。別の話題にすることにして、
「その、七の身体が疲れているように見えるんですが…。」
「ワシとこうも頻回に入れ替えればその分器への消耗は激しくなる。これは副反応みたいなものじゃから仕方ない。」
「…やっぱり、昼間も入れ替わってるんですか。」
「仕方ないじゃろう。この身体はそういう役目なのじゃから。」
毎日昼も夜も入れ替わって、七の身体を消耗させてまで…。
「何をしているって言うんですか。」
「何もしておらん。いつもと変わらぬ神託を告げているだけじゃ。」
「変わらないって…。今まではこんなことはなかったじゃないですか。」
氏神様はそう言われて、持っていたセンスで困ったように頬を掻いた。
「ちと厄介な件でのう、解決するまでは時間がかかっているんじゃから仕方ないだろう。」
この地域のことならなんでも見える氏神様に厄介とまで言わしめる何かが起きているのか。
「分家がまた何かしようとしているんですか?」
「そういうわけではない。今回の件は、神楽所とは別件じゃ。」
…じゃあ、七の身が危ないからどうしてもやらなければならないわけじゃないんじゃないのか?聞けば聞くほどに、ただいたずらに七の身体に負担をかけているだけのようで…。
「七の身体に負担をかけてまで、やる必要があることなんですか…?」
「氏子に望まれれば、ワシは応える。それだけじゃ。」
「そんな…、七は、学校にも行けてないんですよ⁉︎」
「勘違いするなよ、臨。」
「…!」
あの時、誘拐事件の時に氏神様の一声で全員を地面に伏せさせたあの時のように、氏神様は冷たい声を放った。
それだけで、肺さえ押しつぶされてしまいそうな程に、呼吸すら自由にできなくなる。
「この身体はワシの器で、それ以上でもそれ以下でもない。
「この身体がワシの器として機能しなくて困るのは、ワシではなくお前たち氏子の方じゃということを忘れるなよ。
「この身体がこの家で不自由なく、いや十二分な生活を送れているのは、ワシの器だからじゃろう。
「この身体はその対価に、ワシの器として使役される義務がある。
「この身体はまだ幸せな方じゃ。時代が違えば、年中ワシと入れ替えられ、若い時代をただ器として虚ろに生きる娘もいたんじゃぞ。
「この身体がワシの器である以上、それだけ何よりも最優先されるのが神事であるのじゃ。
「もう一度言うぞ。
「この身体はワシの器じゃ。臨にとってはどうでも、それ以上にもそれ以下にもならぬ。
そして最後に、呆れるように言った。
「じゃから言ったろうに。器に、誑かされるなと。」
「!」
ぞわり、と。背筋に虫でも走ったみたいに。
「俺はそういうわけじゃ…!」
強く否定する様に声を荒げた一方で。
『神楽所の女に口を開いて餌を待つ池の鯉のようになってしまうぞ。』
いつだったかの、氏神様の言葉が蘇って来て。
俺は氏神様の言う通り池の鯉になってしまっているのか…?
七を心配しているのは、本当に俺の感情か…?
「誑かされているわけじゃ…。」
ならなんで俺は、一緒に暮らして数ヶ月も経っていない女の子にここまで肩入れしているんだ。確かに七と一緒にいる時間が長くなればなる程に、七に対する言動や気持ちが俺らしくなくなっていると、自分でも思うことはあって…。
「…。」
本当にこれが俺の気持ちだと、俺はちゃんと俺自身のままだと言えるのか…?
氏神様はため息をついてから、
「臨よ、今日はもう帰れ。ワシも興が覚めた。」
「…だけど、」
「心配せずとも、この身体はこの件が終われば元どおりの生活に戻してやる。臨はただ待っていれば良い。」
氏神様に部屋に帰らされ、自問自答を繰り返しているうちに朝が来た。
…答えは出なかった。
出たところで、それが本当に俺の答えかすらも怪しくなっていて。考えれば考える程に、もしこの感情が全て作り物だったことを考えるのが恐ろしくて。もはや考えることすら放置しかけていた学校から帰った時、見慣れないバイクが家の駐車場に止めてあった。
織衛組の人のものだろうか。
ということは、やっぱり今日も七は…。
玄関を開けると、ここで見るとは思っていない人が立っていた。
相変わらず俺のことは、というか女子高生のこと以外は興味がないみたいで俺を見て、
「あれ、…えーっと…。」
「…臨です。」
…そろそろ名前くらい覚えて欲しい。
「ああ!そうそう、臨君。七いる?」
そこにあったのは、京介さんの姿だった。




