第五話
「おじさん達君たちのお婆様に用があるから、またな。」
会長は織衛組を引き連れて歩いていった。
灰と目が合ったが、何か言おうとして、やはりやめたようだった。口を噤んで、俺たちを置いてその後ろに着いて行ってしまった。
部屋に残された俺は、その不穏な空気を感じていた。
ただ嫌な予感だけがして…。
「…七、」
「何?」
「ここから離れよう。」
「離れ…、え?離れてどうするの?」
「…。」
自分で言っておいてわからない。今から何が始まるのかも、ここから離れてどうすればいいのかも。
七は今のを何とも思わなかったのか?普段そんなに鈍い奴じゃないと思うけれど、俺が過敏になっているだけなのか?
だけど、それでもここにいてはいけない気がして…。
「とにかく、誰か来る前に、」
「七はいるかい?」
部屋にお婆様が入ってきてしまった。
お婆様がこんな風に七を探しにきたのも、やはりこの事態がただ事でないことを物語っている。
「ここにいたのか。七、早く部屋に行きなさい。」
お婆様は俺には一瞥もしないで七にそう言った。七は、
「はい。」
お婆様の言われた通りに、部屋を出て行ってしまう。
なんで、この空気の中で従えるんだよ。なんで、なんとも思わないんだよ。怖くないんだよ。
「待っ、」
七を引き止めようとして、お婆様に間に入られた。
「臨は部屋で待っていなさい。」
「な、七に何をするつもりですか。」
「器としての役目を果たすだけだ、臨は関係ない。」
「そんなの…!」
そんなの、信じられるわけがない。
「危険なことはない。心配せずとも、いつもと同じだ。」
「なら、俺も一緒に、」
「臨。お前がいたところで、出来ることは何もないんだよ。」
「…。」
それはわかっている。俺がいたところで、何もできないということくらいは。俺はただの子供で、分家の息子で、だから。
何も言い返せなかった。
お婆様は俺が反論できないのわかっているからか、そもそも聞く気もないのか、俺を置いて部屋を出て行ってしまった。
七が氏神様の器だと知った時、俺は七を器として利用されないように、七を危険な目に合わせないように氏神様から遠ざけようとした。その結果氏神様からの神託を聞き漏らし、春ちゃんや七の身を危険に晒すことになってしまった。
わかっている。何も知らないということはそういうことだ。
今からだって強引に七の部屋に行って連れ出すことはできるかもしれない。だけど、それが七のためになるとも限らない。あの時みたいにそれが七を危険に晒す可能性もある。俺が分家の息子で、子供で、何も知らないから。何が正しいかすらわからないから。
俺が例えば本家の息子だったら、誠さんのように神主だったら、灰のように大人であれば…。
「くそ…。」
落ち着かない時間を過ごし、夕方になった。時折家の中を歩いてみたりはしたが、七もお婆様も、織衛組の人とも誰も会わない。氏神様を起こす時はいつも神楽殿にいるから、もしかしたらそっちにいるのかもしれない。
危険も承知で行こうか迷ったが、
『臨がいたところで、出来ることは何もない。』
あの言葉に何度も足を止められ、やっぱり行くことはできなかった。
夕食時になっても食堂に行っても七は現れない。
食卓には東京にいる尊の分も、七の分も用意していなくて、俺の分の食事だけが広いテーブルの中にぽつんと置いてあった。
七はまだ氏神様と交代したままなのだろうか。この間のテニスの試合に知ったが、七は氏神様と交代することでかなり身体的負担を被っているらしく、何が正しいかはわからなくとも、せめて身体の心配くらいはしてもいいだろう。
後で部屋に見に行くくらいは…。
食事を済ませていると、隣のキッチンで家政婦さんがお盆に乗せて一食分のご飯をどこかに持って行こうとしていた。
「それ、七のですか?」
慌ててキッチンにいる家政婦さんに聞くと、
「そうです。」
「ど、どこに持って行くんですか?」
「大奥様より、今日は七様がお疲れの様なのでお部屋までお持ちするようにと、」
じゃあ、もう部屋にいるのか?
それとも、俺相手には口止めされていて、適当に受け流されている可能性も…。
「それ、俺が持って行ってもいいですか?」
「え…、ええ。お願いしてもいいんですか?」
てっきり断られるかと思ったが、家政婦さんは本当に七の部屋に持っていくだけのつもりだったらしい。七のお膳を預かって、七の部屋に向かったが、
「七、開けていい?」
何度か声をかけても、一向に返事がない。いないのかと思ったが、氏神様の負担で中で生き倒れている可能性もある。もう一度声をかけてから、部屋を開けた。
中では、布団の中で眠っている七がいた。
髪の色は黒のままで、氏神様に変わっているわけではなさそうだった。
「な、七…?」
寝ているところを起こすのは、というよりも寝ている部屋に勝手に入ったことが少し躊躇われて。だけど控えめに声をかけると、小さく唸り声を上げながら、
「んー、臨…?」
目を覚ました。だけど目を開けただけで身体を起こすわけでもなく、ぼんやりとした顔で俺を見上げている。
「寝ぼけてるのか…?」
「…ううん…。」
返事もするし、起きているのかと思ったが、やっぱり身体は起こさない。怠いのか、やっぱりまだ寝ぼけているのか?
「大丈夫?」
「…何が…。」
「昼間連れて行かれて、何があった?」
「……んん、なんだっけ。」
七は眠そうな目を擦りながら、頭を働かすことも億劫なのか眉間に皺を寄せながら、
「…お婆様に、これを飲むようにって…、」
「……。」
「…それ飲んでから、…もう、覚えてない…。」
なんだよそれ…。
「七、それ何を飲まされて、」
七はまた瞼を閉じていた。
「七、おい、七⁉︎」
俺の言葉に再び目は開けたが、
「…ごめん、もう…寝かせて…、」
意識が曖昧としているのか、すぐに寝落ちてしまった。
「……。」
一体何を飲まされて、何をさせられてるんだよ…。
これが七のためになることなのか?やっぱり無理にでもここから引き離した方が…。だけど、やっぱりそれが正しいかもわからない。そもそもここから連れ出す手段もないのに…。
色々考えて、だけど目の前で眠っている七に何も出来ず、俺はその場で途方に暮れることしかできなかった。
眠り続ける七に対して俺は部屋に戻っても寝ることはできず、翌朝を迎えた。起きて来ない七を部屋へ見に行くと、七の部屋からはお婆様が出てきた。
俺を見ると、
「今日は学校を休ませるから、臨は一人で行きなさい。」
と、七の部屋の前に立ち塞がり、通してくれるつもりはないようだ。
「体調でも…悪いんですか?」
「そうではないよ。神事で疲れているだけだ。」
あくまでも、俺には何も教えてくれないつもりなのか。
「…七に何を飲ませたんですか。」
「…聞いたのか…。」
「七に、何をさせてるんですか。」
「昨日も言った通り、臨には関係ないことだ。」
「…俺は、関係なくないです。」
七は俺の家族で、だから関係なくないと。だけど、
「勘違いするんじゃないよ、臨。」
と、お婆様は俺を強く非難した。
「お前は七と直接血が繋がっているわけでも、長く暮らしてきたわけでもないんだろう。少し一緒に暮らしたくらいで、家族とは言わないさ。七は氏神様の器で、臨はただの分家の子供だ。自分の立場を弁えなさい。」
その言葉に、言い返せる言葉などある筈もなく。
だけど、今までの七と尊と過ごしていた数ヶ月を否定されたみたいで、居た堪れ無くて。俺は無言でその場を離れた。
そしてその日も、その次の日も七は学校には来なかった。
俺とも一度も会わないままに。




