第十一話
「…試合、まだ途中なんだ…。」
「ま、まじ…?」
とりあえずタイムを取ってもらい。
なんだかやたらと重い身体を引きずってベンチまで行き、状況を聞く。
「ちゃんと氏神様が交代してくれたから、試合はスタートできた。今は二セット目だよ。」
臨が得点表を指差す。三対零で私が勝っているようだ。
「一セット目も氏神様が勝ってる。テニスなんか初めてしたって言ってたけれど、信じられないくらい上手だった。唯の考えが全部見えているから、どこにボールが飛んでくるか全部わかるって言ってた。」
チート過ぎじゃないか。相手の技術をコピーするだけじゃなくて、その上で相手の動きを全部読めるのだからそんなの負けるわけがない。
だけど、と臨が表情を暗くして、
「二セット目が始まった辺りでふらつき始めて、…途中で倒れた。」
それで、目が覚めたら私だったというわけか…。
今回は5ゲームマッチで3ゲーム先取した方が勝ちというルールを採用しているらしいから、あと2ゲームを県ベスト八の唯から自力で取らなければならないなんて…。うん、無理に決まってる。
「も、もう一度スタンガンを…。」
「いや、ダメだ…。何回も使うのは命に関わるって灰が言ってた。」
「…。」
じゃあ一体どうやってこの後氏神様に変わればいいというんだ…。
「…って言うか。」
私は自分の姿を改めて見る。
「この格好は何?」
唯と同じくテニス用のユニフォームを着ていた。試合前は学校用のジャージを着ていたはずなんだが?
臨が気まずそうな顔で、
「氏神様が来てみたいって。」
「…。」
人の身体で何をしてくれているのだろうか。お茶目すぎるだろう。
いや、そんなことよりも。
氏神様を起こさなければならないが、スタンガンは使えなくて、他の手段もわからなくて。
残る手段が私が戦うしかないというのであれば、それはもう無謀でしかない。相手は県ベスト八だ。救いとなるのは、第二ゲームは私があと一点取れば勝てるのだから、一点ぐらいはどうにかしてこのゲームを取れるかもしれない。けれど、だからと言ってその次のゲームを真っ新な状態から一試合取れるかと聞かれば、やはり無謀すぎる。きっとあっという間に二ゲーム取り返されて、四ゲーム目にはゲームセットだ。大逆転の末の大敗北として。
そうすれば、罰ゲームが待っているわけで…。
「棄権しよう。」
臨に言われて、流石に私も迷った。
だけど。
「いや、やる。」
「七!」
「だって!ここで引いたら、」
ここで引いたら、尊に合わす顔がない。勝てもしなくて、負けもしなくて、試合からすら逃げたら。あれだけ大口を叩いておいて、これからどんな顔で尊の傍にいたいなんて言えるんだ。例え罰ゲームをする羽目になったとしても、ここで逃げるのだけは絶対にダメだ。
「大丈夫!なんとか…、なんとかするから!」
「ダメだ!絶対棄権しろ!」
「いやだ!」
「七!」
臨が出した大きい声に驚いた。
「いい加減にしろ!」
臨が怒っていた。見たことないくらいに。聞いたことないくらい大きな声を出して。今にも、それこそ引っ叩かれるんじゃないかという勢いで臨は私の肩を掴んで、
「七が自分をぞんざいにすることで、それで他に傷つく人がいるってわかんないのかよ⁉︎もっと自分のこと大事にしろよ!」
「……、」
…危なかった。いや、今だってちょっと危ない。気を緩んだら、ちょっと泣いてしまいそうで。
不相応にも、こんな風に心配されることが嬉しいことだったんだとか、臨にこんな顔をさせたこととか、あとは。あとは、尊を怒った時に私はきっとこんな顔をしていたのだろうなとか。
私だって、尊のこと言えないじゃないか。
「…ごめんなさい。」
臨は怒っていた顔を、なんなら臨だって泣いてしまうんじゃないかって顔を少し緩めて、
「棄権してくれる?」
「…。」
私が、返事をしようとして。頷こうとして。
「随分盛り上がってますわね。」
後ろから、唯の声がした。
気づかなかったが、タイムが長すぎたのか、話し声が大きくなったせいか。反対側のベンチから唯がこちらに来ていた。
「今、棄権と聞こえた気がしましたけれど?」
「ああ、七は棄権する。」
臨が前に出て言った。だけど、
「許しませんわよ。勝ち逃げなんて。」
唯は怒った顔で。臨の怒っているのとは全然違う、苛立った顔で。
「あの女の様に、勝ち逃げなんて許しませんわ。」
と。オーディエンスに投げかけた。
「皆さん!今さら棄権なんてありないですわよね⁉︎敗者を決めるまで、罰ゲームを見るまで終われないですわよね⁉︎」
その煽りに、観客が歓声で応える。その声にテニスコートが揺れ、熱気に包まれた会場から私を絶対に逃さないと、歓声の檻に閉じ込められたみたいだった。
「な、唯!ふざけるなよ!」
「ふざけてるのはどちらですの?そちらが仕掛けた勝負なのに、逃げるなんて許されるとでも?」
「だけど、七は…!」
臨がそれでも食らいつくが、この会場を見れば棄権できるかどうかなんて一目瞭然だった。スタッフ役をやっているクラスメイトも戸惑うほどに、会場はもう熱を帯び過ぎてしまった。
「いいよ、臨。」
臨に向かって言った。
仕掛けたのは私なのだから。私が自分でこの状態を作り上げてしまったのだから、その責任は負わなければならない。今更やめたらこの場を設けたクラスメイトも、私を止めた臨だってブーイングを受けてしまう。もう逃げられないのだから。せめて、潔く闘うしかない。
「何に言ってんだよ!ダメに決まって、」
「私なら、大丈夫だから。」
臨に「ごめんね。」と謝って、それから、
「…試合を続けよう。」
「ふん、当然ですわ。」
唯とコートに戻る。
テニスコートの横に長机が置いてあるだけの簡易的な解説席から、
『さ、さあ、タイムが終わり試合を再開します!』
マイク越しのクラスメイトの実況で、観客がまた沸き立つ。
サービスは唯だった。ボールを何度か地面にバウンドさせてから、トスしたボールをラケットで打つと、勢いよくボールがこちらのコートに入った。一度バウンドして、そのまま私のいる場所から逆方向に跳ねた。
ボールの跳ねる位置を予測することも、跳ねてから対応なんてもっとできるわけもなく、呆然とテニスボールを見送ってしまった。
唯の得点に、
『ここで唯選手初の得点だ!』
と実況と観客が盛り上がる。
は、初得点⁉︎二ゲーム目なのに⁉︎氏神様容赦がなさ過ぎでしょ。
だけど、これから先はそんなわけにいかない。
再び唯がボールを受け取り、サーブを構える。今度はボールの跳ねる位置を考えて動けるように待っていたが、唯の打ったテニスボールは勢い良く私のコートに入って来て、バウンドしても勢いを落とさないまま真っ直ぐ飛んで行った。
今後は速過ぎて、対応できなかった。
いや、それだけじゃないかもしれない…。
『どうした七選手!タイムを挟んでから調子が出ない!』
実況が喧しい。だけど、実際そうなのだ。
氏神様ほどのポテンシャルなど元々ないにしろ、身体が怠くて調子が出ない。鉛でも背負っているのかと疑うほど、手足が、身体全体が重い。
その間に唯はまたサービスのためのテニスボールを受け取ったみたいだった。
唯はさっきよりもずっと表情を怒りに染めていた。それに気を取られていると、
「!」
物凄い速さのボールが、バウンドすることなく私を目掛けて真っ直ぐ飛んできた。
「うわっ!」
反射的にラケットを前に出したが、テニスボールの勢いに負けて、ラケットが私の顔を掠って飛んで行った。その勢いで後ろに尻餅をつく。
『ダイレクト!』
「痛…。」
くそ、今わざと私を狙っただろ…。こんなの反則じゃないのかよ?
だけど、得点は唯の方に入っていた。
臨が審判に抗議しているのか見えたけれど、テニスは野球のデッドボールとかとは違い、身体にボールが当たったら当てられてしまった側の失点になると漫画で読んだことがある。実際臨の抗議は棄却されていて、だからってこんなわざと狙ったりもありなのか…。
転んだままの私に、唯はネットのところまで来て私を見下した。
「なんですの?情けでもかけているつもりでして?」
唯が怒りに震えていた。さっきまで一得点も取れない様な劣勢が、急に三連続得点に変わったのだから私が舐めプでもしていると思っているのだろう。
「ふざけてないでくださいまし。そんな悠長なことやってられないくらい、絶対に叩きのめしてやりますわ。」
「…。」
言い返せないのは、唯の攻撃に怒っていたわけでも、逆にこんなに必死で勝ちに来ている唯に対してズルをしていたことに心苦しくなったわけでも、負けを確信して失望したわけでもない。
ぐらりと視界が滲んでいた。さっきから、身体がおかしい。
「…?」
立ち上がるが、真っ直ぐ立っていられなくて、ふらふらしている。倒れそうまではいかなくとも、思うように身体が動かなくなっていた。
確信はできなくとも、心当たりはあった。氏神様と交代した直後からこうなっていて、そういえば、あの誘拐事件の後も身体は怠かった。あの時は灰に抱えられて移動していたからあまり気にしなかったけれど。
要は氏神様に身体を貸すことの代償なのだろう。自分の限界を超えた能力に身体が追いつかなくなっているんだ。
自分の体制を意識しているうちに、唯は既にサーブを構えていた。
再び私に向かって直に飛んできたボールに、避けきれずにまた転ぶ。
『再びダイレクト!これで唯選手、初の一ゲーム獲得だ!』
「…はあ、…くそ…。」
あと一点取れば勝てた、せめてもの勝ち筋だったゲームを取られてしまった。
コートチェンジのために移動するが、ふらついた状態は治らない。今度は私がサーブの番だったが、トスしたボールを力の入らないラケットで打っても、よろよろとしたボールはミスを連発し、コートの中にやっと入っても、
「っ!」
それを唯が返してくるボディ狙いのボールに何度も転ばされ、そのうちに、
『第二ゲーム、唯選手の勝利!これで逆転されてしまった!』
あっという間に二ゲーム取られてしまった。
身体も思う様に動かなくて、そもそも相手は県ベスト八だ。身体が万全な状態でも勝てるわけもない状況に、もう負けを確信すらしていた。
コートチェンジの合間に、臨が走って来て、
「ふらついてるけれど大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫…。」
「一旦タイム取った方が…、」
だけど、タイムを取ったところで負けまでの時間が伸びるだけだ。状況は変わらない。だったら潔く、負けてしまった方がいい。
「大丈夫。」
それに、臨の顔を見ている方が辛い。あんな風に心配してもらっておいて、こんな顔させて、無様に負けるしかできないのが、罰ゲームより多分ずっと辛い。
第四ゲームが始まり、今後は唯のサーブだ。
そろそろ立っていることすらキツくなってきていて、テニスラケットを構える余裕もないまま。その間にも容赦なく唯はサーブを打った。私にまたダイレクト狙いのボールが飛んできて、避けることもテニスラケットで防ぐこともできず、そのままボールが直撃した勢いで後ろに転ぶ。
「痛…。」
手をついた時に思い切り擦りむいてしまい、血が滲む。なんだか懐かしい光景だった。演舞の時もいつも傷だらけで、そういえば、臨が手当てしてくれて…。
…ああ、まずい。
「…。」
「さっさと起き上がったらどうですの?」
唯がまたネットのところまで来て私を見下ろしていた。それでも立ち上がらない私に、
「それとも、もう負けを認めますの?」
「…。」
何も言い返せないまま下を向いている私に、唯は勝ちを確認したようで「ふん、」と笑い声が聞こえた。そして、
「皆さん!神楽所七は負けを認めましたわ!お待ちかねの、罰ゲームの時間ですのよ!」
唯の煽りに、「演舞!」「演舞!」と観客からのコールが始まった。コート内に響くその声に、けれどもう、私は立つことすらできなかった。
…尊にあんな大見え切っておいて、馬鹿だな私。臨にだって灰にだって協力させてこのザマじゃ申し訳が立たなくて。だけどせめて逃げずに、罰を受けるくらいは…。
顔をあげると、唯も、観客も、転んだままの私に注目していた。ありえない数の視線がこちらを向いていて。
「…。」
私はもう起き上がれなかった。違う、起き上がらなかった。だって、顔をあげた先に、唯の向こうの、テニスコートの先の、観客を超えた先に。私を見ていて誰も気づいていないけれど、だけどそれは間違いなくて。その人影は凛とした声で、
「待ってください。」
会場を一気に引きつけた。
「尊…。」
尊が立っていた。メイド服だった。




