第九話
ここ最近尊は文化祭の準備なのか、それとも私と顔を合わせないためなのか、夕食より遅く帰ってきて、それから一人で部屋でご飯を食べているみたいだった。朝も私が起きるより先に学校に行っているから、あれ以来一度も顔を合わせないまま一週間近く経っていた。
今までも何度か謝ろうと部屋の前まで行ったけれど、結局中に声をかける勇気もなくて、何を話したらいいかもわからなくて。でも、それじゃダメだ。
例え私のことを嫌いと言われても、考えなしと罵られても、話をしないといけない。
夜も大分暮れた時間に、尊の靴が玄関にあるのを確認してから、尊の部屋に向かった。
扉をノックしようとして、いや待て。まず何を言うか決めよう。尊が出てきたら開口一番にまず謝罪を伝えて、誤解を解く。それから尊の気持ちを聞いてみて…。いや、私からいきなり喋ってばっかりだと言い訳がましいかな?まずは尊の気持ちを聞いてから…。待てよ、そもそもノックしても無視されるんじゃないか?そしたら話すことすら出来ないじゃん。というか、尊に無視されたら私の心が折れる。強引に部屋に入ってみるか?いや、着替え中だったらハプニングが起きてしまう可能性も…。いや、全然それを狙っているとかじゃなくて。ほんとに。
部屋の前で悶々としているうちに、
「あの、どうかしました?」
尊が普通に部屋から出てきた。
「…。」
えっ。
人間本当に驚くと動けなくなるというのは本当らしい。硬直した私に、
「七?大丈夫ですか?」
「へ、え、あ、うん?」
「廊下から荒い息が聞こえてきたので何事かと…。」
なんの音だったんでしょう、と辺りを見渡す尊。
…不審者でもいたのかもしれない。最近物騒だから、家の中でも気をつけないといけないよね。
「それで、そんなところでどうしたんですか?」
尊は私に言った。普通に。この間のことが嘘みたいに、それまでのいつもの優しい顔で。穏やかで、鉄壁で、…いや、それ以上を今考えちゃいけない。私は今謝りにきたんだ。
「尊、あのさ…。」
「なんですか?」
「…。この間のこと、ごめん。」
頭を下げた。精一杯、誠心誠意。その気持ちは嘘じゃなかった。
だけど、違和感が、気持ち悪さが拭えなくて。
「そ、そんな。頭を上げてください。私もこの間は感情的になってしまったから…、ごめんなさい。」
「…。」
やめろ。どの面を下げて、何を思っているんだ私は。忘れるな。私は今謝りにきたんだ。尊を傷つけたことに対して謝罪以外の気持ちを持つな。
「いや、尊の気持ちも知らないで、勝手に押し付けたから。本当にごめんなさい。でも、私は尊を追い出そうとしたとかじゃなくて、」
「いいんです。わかってますよ。」
尊に遮られた。優しい声のまま、鉄壁の神楽所尊のまま。
「七は優しいから気にかけてくれたんですよね。大丈夫ですから、気にしないで。」
ね?と。顔をあげた私に、笑った尊に。
「なんで?」
と。気付いたら口が勝手に言っていた。
「なんで怒らないの?」
「…怒ることなんかないからですよ。七の気持ちはわかって、」
「じゃあ尊の気持ちは?私が尊のことを思ってやったことなら、どんなに浅はかで馬鹿で尊を傷つけても、尊の気持ちがどうなってもいいの?」
「…私は、なんとも思ってないですよ。」
「なんで嘘つくの?」
私の言葉に、尊が詰まった。
「泣いてたじゃん。なんで私にそんなこと言われないといけないのって怒ってたじゃん。」
「…。」
「怒りなよ!私なんかが後から来てデカイ顔してんなよって思ってるなら、ちゃんと怒ってよ!」
「そんなこと思ってないです!」
尊が大きい声を出した。言ってからすぐに我に返ったのか、困った顔をしながら、
「あれは、そういうつもりで言ったわけじゃないんです。ごめんなさい、七を傷つけてしまいましたね。」
許せなかった。多分唯と同じくらい。
そうか、あの尊大好きな臨が唯の言葉に怒らない筈がない。なのに臨が怒らないのは、いつものことだと慣れっ子になるのは、だからずっと横で止めてきたんだろう。大丈夫だからと、気にしていないからと。尊自身が。
一番尊を大事にしていないのは、尊自身だったから。
「言ってよ。尊がちゃんと思ってること。」
「私は…、ちゃんと思っていることを言ってますよ。」
「嘘つき。」
吐き付けてるみたいに。
「尊はいつもそうだよ。私が演舞を踊りに来た時からずっと、そうやって。優しくて、完璧で。神楽所尊を演じてる。」
「…。」
「親の前でも、臨の前でも、学校でも外でも誰でも彼でも、全部、一緒じゃん。神楽所尊の皮を被ったまま、平等で。」
尊は下を向いて黙っていた。
「でも、私には夏祭りの日に言ってくれたじゃん。本当のこと!だから、私は…。」
尊が下を向いていても、私は尊を見続ける。
「私は、家族だって思ったのに!尊もそう思ってくれてるって思ったのに!尊は、私の前でもずっとそうやって神楽所尊のままで居続けるの⁉︎」
「それは…、」
「怒ってるなら怒ってるって言いなよ!嫌いなら嫌いって言いなよ!後から来た私が邪魔だったら、出て行ってって言いなよ!」
「だから、私はそんなこと思ってないです!」
「その敬語だって、私にはやめてよ!」
お互いこんな薄暗い廊下でムキになって、涙目で、馬鹿みたいだった。肩で息をしないといけないほど呼吸も荒くなっていて、けれど伝わらないのが悔しい。
「私たちの関係が複雑なのなんか、最初からじゃん。最初から、私が尊を傷つけたことから始まってて。でもそういうの引っくるめて、嫌いでも、なんでも、言ってよ。そうじゃなきゃ、」
そうじゃなきゃ、家族と言えなくなってしまう。血も家族と呼べるほど繋がってなくて、気持ちも通じ合ってなくて、言葉ですら繋がれなかったら、そんなの他人じゃないか。
けれど。
「…言って何になるんですか?」
尊は悲しんでいるわけでも、冷血に拒絶したわけでもなくて。怒っていた。こんな風に怒る尊を見るのは初めてだった。
「七に言って、何ができるんですか?」
「そんなの、聞いてみなくちゃわからない、」
「今更、七が神楽所を抜けることなんかできないんですよ?神様の器やめることが出来ないことくらい、私にだってわかります。」
「それは…、そうだけれど。」
「七は自分の立場をわかっていない。私の心配をするより、自分の心配をしてください。唯とだって、あんな試合を約束して…。負けたらどうするつもりなんですか?」
「それは…、」
「私のことはいいんです。唯の言う通り、私は出来損ないですから。それよりも、」
パン、と。今度は私が尊の言葉を遮った。
尊の頬を平手打ちして。思わずとか、手が勝手にとか、そんな言い訳をするつもりはない。
今のは私の意思で、尊を殴った。
「尊が私のこと家族と思ってなくても、私は思ってるから。尊が自分のこと大事にしなくても、私はするから。」
「…。」
尊は、多分殴られたことなんかないだろう。驚いたまま、打たれた頬を抑えて、固まっていた。
「唯のことだって、今の尊のことだって、絶対に許さない。尊の代わりに私が絶対唯に勝って、謝らせるから。だから、私に何にも出来ないなんて言わせない。私が勝ったら、ちゃんと話すって約束して。」
尊は頬を抑えたまま、震える唇で、
「…勝てるわけないです。唯は県ベスト八なんですよ?」
「勝てる。」
「負けたら、自分の身がどうなるかわかっているんですか⁉︎」
「それでも絶対勝つから。」
「私は、あんな試合認められない…。」
「それでもいいよ。勝って、そう言えなくさせてみせるから。だから、試合見てて。」
尊はまだ何か言おうとしていたが、私は尊を置いてその場を去った。
全裸で演舞を踊るより、揉め事の火種になる分家の息子を婿に入れることより、唯に土下座させることよりも、絶対に負けられない理由ができた。
そして、時は文化祭当日を迎える。




