第六話
「私は神楽所唯。神楽所神社新殿の娘ですわ。」
「…はあ、」
目の前の女は高らかにそう言ったが。
神楽所?この学校に尊と臨以外に神楽所の人間がいたなんて聞いたことない。尊だって臨だってそんなこと言ってないし、神楽所の名がいれば本家筋でなくとも有名人のはずだ。
それに、神楽所新殿ってなんだ?神楽所神社を総本社と呼ぶのは知ってるけれど…。
「自分の家の神社を把握していないなんて、あなた本当に本家に養子になったんですの?」
「…。」
それを言われると痛いところだ。私は本家に入ったっきり、神楽所神社についてまるで知らないままだ。神社の手伝いをしたこともなければ、神楽所本家としての自覚を持っているわけではない。尊と違って…。
「神楽所神社新殿は、古都問川を渡った先にある神楽所神社の分社ですわ。」
古都問川というのはこの地域に通る大きな川のことだ。その先に、言われてみれば確かに神楽所神社の分社があったのは知っているけれど、あれを新殿と呼ぶのは初めて聞いた。
「神楽所本家も落ちたものですわね。こんな教養もない人間を養子に入れるなんて。」
「そんなこと言いにわざわざ声かけたの?」
言い返してはしてみたが。今はその辺りの話をされるのはあまり楽しくはない。
実際その通りだし、私の今の立場を考えれば、反論もできない。
「ふん、尊の代わりに演舞を踊ったと聞いたから少し気になっただけですわ。」
「…あっそ。」
別にこれ以上話したいこともないのだし、向こうも用がないならさっさと帰ろうとその女ー唯を置いて帰ろうとして、
「まあ、あの尊の代わりではこんな程度でも仕方ないですわね。」
動いていた私の足が止まった。
「…今何て言った。」
「まあ、怖い顔ですこと。」
振り返った私を挑発するように唯は肩を竦めた。
「本家の娘だからと持て囃されているだけの尊には丁度いい代わりだと、そう言ったんですのよ。」
「わかった、ぶん殴る。」
唯に近づこうとして、周りが騒がしくなった。いつの間に騒ぎになっていたのか、周りを観客で囲まれていた。「神楽所同士で揉めているって。」とギャラリーから聞こえてきたから、本当に目の前の女は神楽所の人間らしかった。そうしているうちに、
「七、今後は何やってんの⁉︎」
騒ぎを聞きつけたのか、臨がやってきてしまった。怒っているようだったが、いつも私が火種だと決めつけるのは失礼じゃないか。
「私じゃないって。あの女が絡んできたの。」
「あの女…?」
向かいの女を指差し、
「神楽所神社神殿とか言ってるけれど?」
「あ、ああ…。唯か。」
唯を知っているようだった。本当に神楽所の人間なのか…。やだな、こんなのと親戚。
「臨、お久しぶりですわね。」
「どうも。」
臨は微妙な顔で返事をしていた。普段親族を前にする時は大概愛想笑いをしているから(灰の時は別だけれど)、珍しい反応だ。
「どうしてうちの学校に?」
「今日は偶然にもこの学校と部活の合同練習でしたのよ。」
ということは、やっぱりこの学校の人じゃないのか。
臨が隣で「…偶然ね。」と、呆れた顔をしている。
「なんですの?県ベスト八の私が特別に弱小校を指導しに来てさしあげたのに、文句でもありますの?」
弱小校、と言われて。周りに居たテニスラケットを持ったテニス部らしい生徒たちはこめかみに血管が浮いていた。こっちのみんなは普通にジャージだ。なんだ、唯のこの服装は趣味なのか?
「ああ、そういえばこの間大会だったっけ?おめでとう。」
と臨が軽くあしらったが、
「テニスを極め続けた結果ですから当然ですわ。逃げたあの女と違って。」
「…。」
唯の言葉に臨も腹は立っているようだった。眉間にシワが寄っている。けれど怒る事はせずに、
「それで、七に何か用?」
「別に。新しい本家の娘に挨拶をしていただけですわ。」
さっきのどこが挨拶なんだ。と文句を言おうとして、だけど唯はもう私には興味がないように臨の周りをそわそわと見渡して、
「今日はあの女と一緒ではないのね。」
尊を探しているらしかった。
「…尊なら今、生徒会の仕事中だよ。」
それを聞くと「ふん、」とまた鼻を鳴らして、
「あの女が生徒会長だなんて、そこが知れる学校ですこと。」
「ああん?おい巻糞頭、今何つった?」
私の低い沸点も簡単に越えた。この女は周りを怒らせる天才か?
「まき…っ、よくもそんな、汚い言葉を…!」
絶句している唯の巻糞ロールを今すぐ引き千切ってやろうとして、臨に肩を掴まれた。
「神楽所として自覚を持てって言ったよな?」
…怒られた。
「夏休みの約束忘れたの?」
「だ、だって、今のはアイツがいけないんじゃん!」
アイツ、と指差した唯は聞いたこともない汚い言葉で罵られたことに顔を青くして震えていた。
「今のは流石に七が悪い。」
「じゃ、じゃあ!巻おうんち頭め!」
「一旦、頭に排泄物をつけるのをやめようか?」
というか、今そんな事は今どうでも良くて。
「でもアイツ尊の悪口ばっかり…!」
「そうだけれど…。唯のあれはいつもの事なんだよ。」
臨はもう諦めているようにため息をついた。
「いつもって?」
「小さい頃から尊に対抗心が強くて、ああやっていつも絡んでくるんだよ。」
なるほど、そこまで言われてやっと察した。
「ああ…。わかった、僻みね。」
わざとらしくこちらも鼻で笑ってやると、
「な、何を言ってますの⁉︎」
と、青くしていた顔をあからさまに赤くして怒り出した。わかりやす。
「まあ、尊に敵う人なんかいないもんね。」
「そうそう。唯は尊と同い年でずっと比べられてきたから仕方ないんだよ。」
「あー、それは同情しちゃうわ。尊と並んだら見た目も中身も完敗だもんね。」
「まあ身内贔屓を差し引いてもそうなるよなぁ。」
私も臨も鼻高々で。シスコンが揃うとツッコミがいなくなってしまった。周りのギャラリーですら誇らしげなのだから、この学校全員尊のこと大好きすぎる。
「何ですの⁉︎私があの出来損ないに負けてるとでも言いたいんですの⁉︎」
唯のその言葉に、
「出来損ない…?」
聞き捨てならないその言葉に、私も臨も空気がひりついた。後ろの生徒たちも一瞬で一触即発な状態に空気が変わる。
「そうでしょう?演舞を踊る巫女の座を養子の、しかもこんな品のない女に奪われて、うちの両親も言ってましたわ。本家の底が知れるって。」
「いい加減に、」
辞めろと言おうとした私を遮るように、
「ちょっと見た目がいいからチヤホヤされてる様でしたけれど、結局それだけで次期頭首の器なんかじゃなかったんですのよ。あの出来損ないの時代はもう終わりですわ。」
「おい、」
今の私の前で言ってはいけない事だった。
『もう私にはこの家で居場所はない…。次期頭首なんて嘘でも持ち上げられていたのも、もう…。』
そう泣いていた尊の顔が過って。
「今の言葉、撤回しろ。」
「嫌ですわ。私、事実を言っただけですもの。」
「じゃあぶっ殺す。」
「まあ、野蛮な事。」
私が怒ったところで大した事はできないと踏んでいるんだろう。余裕な顔をしている唯を五発はぶん殴るつもりで、近づこうとして、
「やめとけ!」
臨に腕を掴まれて止められた。
「離して、アイツぶっ殺す。」
「暴力沙汰はまずいから!みんな見てる!」
「他の奴らなんか関係ない!」
臨に止められている間に、唯はこちらを背にして、既に言い逃げしようとしていた。ギャラリーも唯の言動に空気をピリつかせてはいたが、分家とは言え神楽所の人間には何も言えず、そのまま引いていく生徒たちの合間を抜けて帰ろうとして…。
絶対に許さない。私が本家に来て尊の立場を奪った事は、唯には関係ない事なのはわかっている。だけど、私は馬鹿で浅はかで自分勝手な人間だから。例え唯には関係なくとも、尊を傷つけたのが本当は私でも。私の地雷を思いっきり踏まれただけで、唯を許さないのに十分な理由だ。私の前で、尊をー私の家族をこんな風に侮辱したのは絶対に許さない。
「じゃあ、テニスで勝負しようよ!」
声をあげたのは私だ。
唯が去ろうとしていたその足を止めた。
振り返り、
「…正気ですの?」
尤もだ。何せ、相手は県ベスト八なのだから。
「当然。アンタが負けたら、ここで全裸で私に土下座してもらう。」
「…は、」
唯は鼻で笑った。
「お断りですわ。そんな事してなんのメリットが、」
今度は唯の言葉を私が遮り、
「私が負けたら、この校庭で全裸で演舞を踊ってあげる。」
私の言葉に、
「は、はあ⁉︎」
声を出したのは臨だった。
「何言ってんのかわかってんのか!っていうか何言ってんだ⁉︎」
「臨煩い。黙ってて。」
隣で喚いている臨を押し返して、唯に向き直る。
「どうよ?」
「ふん、私はそんな品のない賭け事を神聖なテニスに持ち込みませんわ。」
「なら、追加。私が負けたら、本家をかける。」
「は?」
「一人くらいいるでしょ?アンタの分家筋にも男が。私がそいつを婿に入れると約束するわ。」
「何を、」
「嫌いは好きの裏返し。本当は本家に仲間入りしたくて仕方ないんでしょ?本家嫌いの本家好き。」
「…。」
私から最大限の分家への侮辱を、唯への侮辱を、唯は一度黙って噛み締めてから。
「わかりましたわ。その勝負、お受けして差し上げます。」
その言葉に。このふざけた勝負の承諾に。後ろから、うおおおお!と歓声が上がった。
「神楽所家が勝負するって!」「本家対分家だって!」「やばい絶対見たい!」「ベスト八に勝てるわけなくね?」「全裸で土下座ってえぐ…。」「いや、全裸で演舞もやばくね?」「まじでやんの?」「みんなに言ってくる!」
周りから色んな声が上がって、煩い程の、嵐のような騒ぎが起きていた。私たちの周りだけではなく、校内の中からも昇降口が見える場所にギャラリーが出来ていてこちらを見下ろしていた。その中で学校の廊下から、見た事ある顔が数人窓から身を乗り出していて、多分クラスメイトだと思う。彼らが叫んだ。
「今年の文化祭、うちのクラスの出し物は神楽所七と神楽所唯のテニス対決だ!」
ちょうどいいじゃないか、お誂え向きだ。
「上等。」
私の言葉に、唯も「ふん、」と得意の鼻を鳴らしてから、
「望むところですわ。」
勝負は一ヶ月後の文化祭に決定した。




