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イサイアスに捧ぐ  作者: 万事塞 翁
第一章
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第三話

神楽所臨に連れられ、案内されたのは神楽殿だった。

ここは、毎年夏祭りに神楽所尊が演舞を踊る場所だ。境内の中に本殿とは別にある高床式の豪勢な建物で、数少ない柱と柱を繋ぐように四方を囲む大きな扉は夏祭りにのみ開放され、周囲をぐるりと観客で埋め尽くす。

今は扉は全て閉じられ、建物の中は、ただ外からの日差しがないというだけではないひんやりとした空気に包まれていた。


そして、その中央に神楽所尊が控えていた。


「ようこそ、いらっしゃいました」


巫女服を着た彼女は、正座をして、恭しくも私を出迎えた。

私の後から神楽殿に入った神楽所臨は神楽所尊の後に控えるように下がって座る。


「どうぞ、座ってください」


神楽所尊は、私に自分の向かいに座るよう促した。

そうは言っても。

上座に神楽所尊、その後に神楽所臨。既に私が一方的に反省させられているような気分になる。そう思わせる圧迫感がそこにはあった。

神楽所尊。

行事毎の生徒会長の挨拶で何度も目にしているし、廊下でも何度かすれ違ったこともある。

だけど、目の前にしたその空気感は伊達じゃない。

大きな目を縁取った長い黒いまつ毛に、優しげに微笑むその口元に、しゃんと伸びたその背筋、鈴の音を鳴らすような声色、黒くしなやかな長い髪、指先まで行き届いた所作が、私の背筋に針金でも入ったみたいに、動けなくする。さながら美しいメデューサだ。

自分の境遇を驕った傲慢な態度でも、私の様な虚勢の強気でもなく、彼女はただ堂々としていた。神楽所本家の一人娘として、神楽所の巫女として、彼女の存在がそれだけで圧倒的だった。

彼女がこの地域を表社会でも裏社会でも治める神楽所家の次期頭首という噂も、きっと噂だけの話ではないのだろうと思えてくる。


そうはいってもいつまでも立ち尽くすわけにもいかず、おずおずと、自分でも情けない程ぎこちなくその場に座った。


「葛七さん。…こうして面と向かって会うのは初めてでしょうか?」

「…そ、そうですね。神楽所先輩みたいな方と、私みたいなやつ接点ないですから」


これは神楽所尊を前に思わず卑屈になってしまったわけではなく、先制攻撃と言っても良かった。こちらから不必要に卑屈になる事で、相手に気を遣わせる。相手は家庭内傷害事件の加害者家族、神楽所みたいなお家柄の人間に効果は抜群に違いない。最大の防御とは攻撃なのだ。

そんな私の攻撃を見透かしてか、しかし神楽所尊は、


「そんなことないですよ。」


と嫌味を感じさせない微笑みで簡単に受け流した。

くそ、過度に同情させてさっさと逃げ果せるつもりだったのに。

しかし効かないのなら仕方がない。さっさと話を済ますだけだ。


「報道規制の件ですよね?お手間をおかけして申し訳ありませんでした。」



実は事件後に行われた警察の事情聴取の中で、「この事件について神楽所家から地元の報道局に報道規制が敷かれた。」という話をされた。

いくら家庭内の傷害事件とは言え、田舎で常に報道に飢えているテレビ局や新聞社からしたら、うちは格好の餌食だったらしい。それを神楽所家が止めたと。神楽所の権力を思えば規制を敷いたというよりは、規制を強いたと言った方が正しい気がするけれど。

ともかく、「寛大な神楽所の方に感謝するんだよ」と、いかにもこの地域の警察官らしいことを言われ嫌気が差したのを覚えている。

まあ感謝の気持ちがないわけではないが。この状況で祖母の家に報道陣が押しかけでもしたら、妹の精神が壊れてしまっていただろうし。…でもだからってわざわざ呼び出してお礼を言わせるなんて、恩着せがましいじゃないか。

とは思いつつも。


「ありがとうございました。」


と深々と頭を下げる。何度もいうが、お礼の気持ちは嘘ではない。

さて、お礼も言ったしさっさと帰ろうと立ち上がろうとしたが、そうはさせまいと神楽所尊が言った。


「その件でしたら、気にしないでください。神楽所の血筋が困っていれば、助けるのは当然です。」

「……。」



やっぱり、()()を言うのか。



()()を知ったのは、中学生にあがる前だ。

母親からある日ふと、「あなたのお婆ちゃんは神楽所家と親族だが、絶縁しているから他言無用だ」という旨の話をされた。当時の私にそれを誇らしく思う気持ちがあったのを、今更隠すつもりはない。この地域で神楽所と言えば、赤子でさえ泣き止むと言わしめる程の権力者なのだから。

けれど歳月が流れるにつれ、家庭がどんどん綻びるにつれ、それは私にとって恥ずべき事になっていった。

父親はろくに仕事も行かずに酒を飲んで暴れ、それに黙って耐えるだけの母と、なにも出来ない自分が神楽所の家系?

こんな事を誰かに言ったら笑われてしまうと、いつからそう思うようになっていった。きっと狭い田舎だし、分家を多く持つ神楽所の家系のことだから、その親族なんてこの地域ではたくさんいるのだとそう思うようになった。

だから私はこの話題について誰かに語った事もなければ、警察署で「神楽所」の名が出るまで半ば忘れていたのだ。

なのに。


「血筋って…。大袈裟ですよ。うちなんか、神楽所先輩からしたら遠縁も遠縁の、赤の他人みたいなものでしょう?」


私からしたら、ただの事実確認のつもりだった。遠縁なのに気を遣って報道規制なんかかけさせちゃってすみませんね、で済ますつもりの。

けれど、神楽所尊は平然と答えた。


「私たち、再従姉妹(はとこ)同士ですよ。」


は、?


「再従姉妹…?」


互いの親がいとこ同士で、互いの祖父母が兄弟関係の、再従姉妹?

私が神楽所本家の一人娘と、再従兄弟?

それはつまり、私の祖母が神楽所尊の祖父母と兄弟という事か?

それだと祖母が本家の人間だったって事になるんじゃないか。そんなの、ちょっと血が繋がっているとかそんなレベルの話じゃなくて…。


「覚えていませんか?」

「い、いや、初めて聞きましたし…。…人違いだと思いますよ。うちみたいな酷い家と、神楽所本家が…」


今度は、思わず卑屈になってしまった。


「人違いではありません。私の祖母―神楽所薫は、あなたの祖母の井上清さんと姉妹です」


卑屈にもなるだろう。同じ血筋なのに、ここまで育ちに違いが出るのかと。

いっそ、他人の方が救いようがあった。他人であって欲しかった。

いやそれは神楽所の人間も同じ気持ちだろう。

絶縁した神楽所の血筋が家庭内傷害事件など起こし、面汚しもいい所だと。そう思っている筈だ。

それが、呼ばれた理由か…。


「…つまり、私に神楽所を当てにするなと言うためにわざわざ呼びつけたんですか。」


吐き捨てる様に言うと、神楽所尊より先に神楽所臨が口を挟んだ。


「おい、失礼だろ。」

「失礼なのはどっちよ。私は元々貴方達なんか当てにしてない。うちの問題はうちで解決する、他人は口出ししないでよ。」


今にも掴み合いの喧嘩が始まりそうな空気に、


「他人ではないですよ。」


と神楽所尊が静かに間に入る。


「再従兄弟です。あなたも神楽所の人間です。他人なんかではありません。」

「…。」


思わず目を背けてしまった。

真っ直ぐに私を見る目は、こんな状況の私を嘲笑うわけでもなく、嘘をついているわけでもなく。

その真っ直ぐさは、私なんかが到底持ち合わせないもので、その私に卑屈になることすら許してくれない。


「私はね、七さん。お願いがあってあなたを呼んだんです。」

「お願い?」

「はい。」


言いながら、神楽所尊は既に真っ直ぐだった姿勢をさらに正して、私に告げた。


「今年の奉納演舞を、あなたに踊っていただきます。」

「……は?」


今、なんて言った?


「い、や。え…?」


もう二の句どころか一の句も継げない私に、


「お願いできませんか?」


神楽所尊の目は、やはり、嘘をついている様にも私を嘲笑う様でもなく、真っ直ぐと。嘘偽りなく。

というかやっぱり神楽所家は下々にお伺いをたてるという事はしないのだろうか。お願いというわりに、物言いが決定事項になっているんだが…。


「む、無理に決まっているじゃないですか。奉納演舞って神座祭りの奉納演舞ですよね?」

「はい」

「どうして…、私が踊るんですか?」

「今年は私が踊らないからです。」

「なんでまた…。」

「それは言えません。」

「…まさか、うちがこんな事になったからって、施しのつもりですか?」


思わず、語尾が強くなってしまった。

私は同情されて距離を置いてほしいだけで、施しなんか受けるつもりはない。家があんな事になって可哀想だなんて、思われたいわけではない。


「助けてほしいなんて、思ってないです。」

「…誤解です。その件は関係ありません。」

「…。」


神楽所尊にはっきり断言されると、追求しづらい。分が悪いわけでも、こちらに非があるわけでもないのに、神楽所尊には存在それだけで相手を黙らせる威圧がある。


「… じゃあ、あんたが踊れなくても、他に神楽所の誰かが踊ればいいじゃないですか。」


そう、神楽所尊が踊らなくとも代役が私である必要はない。というよりどうしてここで私が出てくるかわからない。神楽所家は分家に親族がたくさんいるのだからそっちで探せばいいじゃないかと、けれど、神楽所尊はきっぱりとそれに答えた。理由は、用意されていた。


「神楽所の演舞を踊れる人間は、神楽所の女系のみ」


あの演舞に、そんな決まりがあるなんて初めて知った。

というより嫌な予感しかしない。

その予感を的中させるように、神楽所尊は私を人差し指で真っ直ぐと差した。


「私の代では、私と、あなただけです。」


嘘だろ…。

そんな大それた役割が勝手に自分に課されていたなんて。そんな話、今まで一度だって聞いたことがない。


「私が踊らないと、あなたに踊っていただくしかないのです。」

「…いや、いやいや。だからって、私が踊るわけないじゃないですか。夏祭りまで、あと1ヶ月ですよ?」

「私が教えます」

「神楽所の人だって、部外者の私が踊るのなんて許すわけが…。」

「奉納演舞を踊るために、神楽所家の養子になっていただきます。」

「は、はあ⁉︎」


演舞を踊るより、そっちの方が大事じゃないか。


「演舞を踊れるのは、神楽所本家の女系の娘だけです。なので、七さんに神楽所本家の娘になっていただきます。」

「そ、そんなの…」


無理に決まっている、と言いかけて。

何故、無理なのだろうか。

どうして私はここまで反発しているのだろうかと。神楽所本家からのお願いで、私を引き止める(かどうかはわからないけれど)両親だって今はいない。むしろ、妹やお婆ちゃんを守るにはそれが最善策とも言えるだろう。だってあの「神楽所本家」の養子になれるのだから。


けれど、そうだ。


一番の問題は…私がもう嫌なんだ。

気の安まらない家に帰って、両親の喧嘩に巻き込まれて、妹を守って戦う事が。祖母の家で、祖母と妹と過ごすこの数日間があまりにも静かで、穏やかでだったから。

神楽所の家に行けば、また家の事で争いに巻き込まれるに決まっている。

私はもう、疲れてしまった。


「…やっぱり、無理です。」

「どうしてですか?あなたにとっても、妹さんや清さんにとっても、…あなたのお父様やお母様にとっても悪い話ではない筈です。」

「!」


思わず、手が出てしまった。

気付いたら、神楽所尊の襟を掴んでいた。敵に回してはいけない神楽所本家の、その一人娘である、あの神楽所尊の胸ぐらを掴んでいた。


「おい!」


慌てた神楽所臨の声が後ろからしたが、神楽所尊は静かに私を見つめる。胸ぐらを掴まれているというのに、黒い大きな目は動揺一つしない。


「私は…」


一方で、私の声が震える。きっと目は泳いでいて、惨めで、みっともないんだろう。


「私は、父親が母親を刺すような家で育っているんですよ…?」

「知っています。」

「…っ」


だから、そんな目で見ないでほしい。

逃られなくなってしまう。

やっとあの家が崩壊して、決壊して、居たくもない居場所から逃げる事ができたというのに。私はまた、その選択肢を選ばなければならなくなる。

戦うという選択を…。


「…どうしてもと、言うんですね。」


襟を離すと、巫女服が少し乱れてしまっていた。それにも動じず、神楽所尊は静かに頷く。


「はい。」

「わかりました。ただし、条件があります。」

「条件?」


神楽所尊が目を細めて、怪訝そうな顔をした。さっきまでの私であれば、きっとその視線にさえ萎縮していただろう。


「あなたのお願いを聞く代わりに、私のお願いを一つ聞いてください。」


神楽所尊はそれに返事をしない。見定めるような視線を送るだけだ。


「あんたが神楽所の人間になる事で十分以上の対価だろ。身の程を弁えなよ。」


代わりにそう神楽所臨が不機嫌そうに言った。

なら交渉は決裂だと返そうとして、けれどそれを制すように、


「言ってください。」


と神楽所尊の目が私の目を見た。

この真っ直ぐな目を、それだけで私を責め立てるような綺麗で清廉で潔白な目を、私は見返す。

彼女に比べて、私がどれほど汚いだろうか。



私はそのお願い事を、口にした。



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