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イサイアスに捧ぐ  作者: 万事塞 翁
第三章
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第四話


「え、尊東京の学校行きたいの?」


臨が主宰した夏休みの勉強会の時。飲み物を取りに行った臨がいない間にしていた話だ。なんの話の流れだったかは忘れてしまったけれど、尊はそう言っていた。


「い、いえ。行きたいというわけでは無く、少し興味があるだけで…。は、恥ずかしいので、誰にも言わないでください。」

「いいじゃん東京!上京は夢だよね。」


やっぱり田舎で生まれて田舎で育つと、東京には憧れる。私も修学旅行とかでしか行ったことないけれど、住んでみたいと一度は思ったことがある。まあどちらかと言えば、東京に行きたいよりあの家から逃げたいの意味合いの方が強かったけれど。


「七も興味ありますか?」


私の何気ない反応に尊はぱっと顔を明るくして、東京の大学にしかない専門的な学部とか、住んでみたい場所とか、珍しく年相応にはしゃいでいた。私は尊ほど東京に詳しくなかったが、それでも一緒に行ってみたい場所とかで盛り上がった。

その後臨が戻ってきて、何の話で盛り上がったのかを聞かれて、


「内緒って言ったでしょう?」


と慌てた尊に。尊は高校三年生で、入試だってもうすぐの筈で。

なのに家族に東京に行きたい願望を伝えられていないなんて、勿体ないと思った。

確かに神楽所家の本家の一人娘だから、きっと地元から離れるのも反対されるのかもしれないけれど。だけどそんなの話してみないとわからないし、尊の成績ならどこの大学だって入れるだろうし、金銭的余裕だってあるのだから絶対に行けないなんてことはない筈だ。

今まで私の代わりに、神様の器のフリを、窮屈な生活をさせてしまっていたことへの贖罪みたいな気持ちもあったかもしれない。私は尊の上京の背中を押してあげたいと思った。

入試のことはよくわからないけれど、調べたら多分まだ進路変更も間に合うようだった。だから尊が言っていた住んでみたい場所にある大学とか、尊が言っていた専門的な学部がある大学の赤本をいくつか買って。あの日はその後色々あったから帰ってからも尊に渡せなくて、それからも渡すタイミングが無くて、時間が経ってなんだか渡しづらくなってしまっていたのだけれど。

京介さんと話していて、東京に興味を示していた尊にやっぱり渡すべきだと思った。背中を押してあげたかった。




バイト先から帰った後、また初めて会う親戚(一体何人いるのだろうか)に挨拶をしてたらあっという間に一日が終わってしまった。いつも通り三人で晩ご飯を食べた後、私は本を持って尊の部屋を訪れた。


「尊、いる?」

「どうしました?」


すぐに部屋から出ていた尊に促され、部屋に入れてもらった。

度々尊の部屋に来てはいるが、いつも凄くいい匂いがして困る。促されるままソファに座ると、さっき借りたメイド服が数着ハンガーに掛けてあった。


「どれ着るか決まった?」

「まだです…。何人か用意できない子がいるので、その子たちに選んでもらって余ったのにしようかと…。」

「えー、勿体ないよ!一番可愛いの着なよ!」


なんてたわいもない話をしてから、一息ついて。


「あのさ、」


と、紙袋の赤本を取り出した。


「よかったらこれ…。」


ちょっと恥ずかしくて尊の顔を見ないまま尊に渡した。

受け取った尊は、


「…。」


何故か沈黙のままで。不思議に思って顔を上げると、


「尊…?」


尊はいつもの優しい顔を歪めさせていた。


「…これは、」


やっと喋った尊は、けれどそれ以上何も言わない。予想外の不穏な空気に私は慌てて、


「あ、よ、余計なお世話だったらごめん!尊この間の勉強会で、東京の話してたじゃん!行きたい学部とかの本、買ってみたんだ…。あとその…、京介さんの東京の話も、興味ありそうだったし…。」


言いながら、どんどん声が弱々しくなっていってしまう。自信が無くなっていってしまう。

だって目の前の尊の表情がどんどん暗くなって、俯いていくのだから。


「あの、…ご、ごめん…?」


何に謝っているのかもわからなかったけれど。だけど目の前の尊の顔を見えば、謝らずにはいられなかった。


「七は、」


口を開いた尊はやっぱり表情は暗いままで、俯いたままで。


「うん…?」

「七は私を遠ざけたいんですか?」


え?

と、声にもならなかったと思う。思ってもないことを聞かれて、意味が分からなくて、一瞬思考が止まってしまった。それでも、即座に否定する。


「い、いや。そんなわけないじゃん!」

「なら、どうして東京の学校なんか勧めるんですか?」

「え、だって、尊…。東京、行きたいんでしょ?」

「確かに興味はあるって言いましたけれど。でも行きたいかどうかは別の話です。」

「そ、そん…な、感じじゃなかったじゃん。」


だって、東京の話をする尊は楽しそうで。見たことない程、ワクワクしていて。今の目の前の尊とは正反対だった。冷たくて暗い表情をしている尊とあの時の尊が上手く繋がらない。繋がらないから怖くて、あの時の顔で喜んでくれるつもりでいたから、今の尊にどうしていいのかわからない。


「そもそも、私が地元から離れるのはお父様もお母様も許してくれないです。」

「そ、そんなの…。尊にやりたいことがあるなら説得すればいいじゃん!私も協力するよ?」

「…。」


私の言葉に、視界の下の方で尊が掌をぎゅっと握ったのが見えた。その指が震えているのが見えた。


「七が神楽所神社の神様を降ろせるから、ですか?」

「え、…え?」


尊は知っている。自分が神楽所神社の神様を宿せないということを。大人たちが話しているのを聞いてしまったから。

尊は知っている。夏祭りに私が神様を降ろしたということを。私があの時それを話したのだから。

けれど尊は知らない筈だ。神楽所神社の神様のその特性を、価値を。どうして尊が自分は神様を降ろせないのかを。その事実はお婆様から私たちに至るまで、尊にはひた隠しにしてきたから。もちろんいつかは話さないといけないと思っていたけれど。

だからなんで急にその話が出てきたのか、わからなかった。


「七なら、お婆様のことも説得できると言いたいんですか?」

「…あ、ええ?違うよ?そんな私なんかの話…、聞いてくれるかわかんないし。」


確かに私は神様の器ではあるが、だからと言ってそれは女系を継承してきた私の身体がその器なだけであって、私にそんな権力はない。お婆様だって、誠さんだって遥さんだって、尊の言葉の方がよっぽど聞いてくれる筈だ。私は、その後押しをしたいだけで…。


「聞いてくれますよ。だって七は望まれているのだから。」

「何を、」

「私とは違いますから…。」


顔をあげた尊は、あの夏祭りの時の様に。いやそれよりもずっと辛そうな顔で、泣いていた。


「私は本当は、東京でもどこでも行けますよ。お婆様もお父様もお母様も、私が上京したいと言っても止めるはずがないです。だって、七が来てくれたから。」

「…。」

「七が居てくれれば、もう私にこの家で居場所はない…。次期頭首なんて嘘でも持ち上げられていたのも、もう…。」

「そ、そんな私が来たことなんか関係ないよ…。尊がこの家の子供なのも、本家の一人娘なのも変わらないじゃん!」

「…私にもわかりますよ、挨拶に来る親族の態度を見ていれば。次期頭首は、私ではなく七に変わったということくらい。」


そ、そんなのは知らない。そんなことある筈がない。私が神楽所家の次期頭首だなんて。


「私そんなのやらないよ⁉︎」

「やらないんじゃありません。やるんです。だって七は神様を降ろせるんですから。」

「そんなの、次期頭首とか関係ないじゃん。関係ない…。」


自分で言っていて、疑いたくなってきた。

本当に、関係ないのか…?

だってお婆様は氏神の器で頭首になっていて。私には同じ力があって、それを継承していく立場になってしまうのだから。本当に、そんなことないと言えるのか…?


「私が東京に行けば、むしろみんな好都合なのかもしれません。厄介払いができて。」

「そんなことない!」

「あるんです!…私はここに残りたいんです。私の家は、…ここですから。東京に行けば、ここから離れれば…。」


そう言って私を見てから、


「…七にこんな事を言われるなんて。」


と、尊は静かに涙を流し続けた。

尊がそんなことを思っていたなんて。私が尊をここまで追い詰めていたなんて。

私は馬鹿だ。

夏祭りの日、尊のそばにいたいなんて言っておいて。吐かしておいて。だけど結局、尊の何もわかってなかった。

尊を傷つけたくなくて、神様のことはまだ黙っておこうと思っていて。だけど結局、尊はとっくに傷ついていたのに。人知れず事情を察して、人知れず傷ついて。結局また誰にも寄り添うこともできず、寄り添うこともされず、そしてそれは私のせいで、尊をまた一人で傷つけてしまった。


「ごめん…。」


東京に行かせてあげたいなんて、見当違いもいいところだ。尊の居場所をなくした私が、その尊を更に追い出そうとしているなんて。そんなつもりが例えなかったとしても。

もう、今の私にはそれしか言えなかった。

私の言葉に、尊は少ししてから、


「本、返します。」


そう言って突き返された本を持って、私は尊の部屋を出た。

一人で廊下を歩きながら。


「…っ。」


…泣くな。私に泣く資格なんかない。

尊から奪っておいて。傷ついているのは尊だ。私に泣く資格なんかない。

だけど。

仲良くなれたと思っていた。家族だと思っていた。

尊にそんな劣等感を抱かせて、私が隣にいるせいで傷つけて、何が家族だ。

自分の馬鹿さ加減に恥ずかしくて、悲しくて、悔しくて。

私はここに来なければ良かったのかもしれないなんて。

結局、部屋に戻って泣いた。


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