第一話
二学期初日。
夏休み中、夜は氏神様に身体を貸していたせいで、私は昼過ぎまで寝るという習慣が身についてしまっていた。学校の八時四十五分の始業開始に間に合うように朝起きられる自信がなかったけれど、目覚まし時計を三つかけた甲斐があってなんとか時間に起きられた。昨日は十時には布団に入ったのに、体感的にはその半分も寝た気がしない。こんな生活が続くのかと思うと、ちょっとゾッとする…。
身支度をして朝食の席に向かうと、臨がいた。
「おはよ。」
「おはよー。尊は?」
「生徒会の仕事でとっくに家を出たよ。」
まだ八時だというのに。生徒会長は大変なんだなぁ。
「二学期はすぐに文化祭の準備が始まるから、生徒会は忙しいんだよ。」
「そうなんだ、文化祭か。」
確か去年学校見学会込みで行った気がするが、高校なんて何処でもいいと思っていたから大してちゃんと見ていなくて、どんな感じだったかあんまり思い出せない。出店とか出てたりして、小規模な展示会くらいしかやっていなかった中学とは違い、結構盛大な感じだった気はする。
「俺達のクラスだって何かやるでしょ。」
「ふうん。」
「何その他人事。」
「他人事だもん。私クラスの内輪にいないし。」
こういう時、ぼっちは楽でいい。中学の時もそうだったけれど、文化祭は楽しみたい人が楽しめばいいのだ。ぼっちは与えれた雑務を黙々とこなし、みんなが楽しげに居残りしている中で粛々と自分の仕事を終わらせ早々に帰る。これが鉄則。当日はどうせやる事ないから保健室で寝ていよう。
「何その悲しい文化祭。」
臨に哀れな目を向けられた。
「うっさいな。いいんだよ、私はこれで。」
どうせ今更友達の輪に入れるとも思えない。女子の輪は固いんだ。出るのは簡単でも、入るのは難しい。入学時に躓いた時点で、もうその辺りは諦めているから問題ない。
「それより尊のクラスって何やるのかな。コスプレしないかな!コスプレ!」
「尊で変な想像するな…。」
できればもう一度、夏祭りの時の浴衣を着て欲しい。世界で一番似合っていた。
「っていうか、早く行かないと遅刻するよ。」
臨はとっくにご飯を食べ終わっていた。時間は八時十五分。
折角頑張って起きたのに、遅刻をしたら元も子もない。慌ててご飯をかき込んだ。
八時三十分。玄関を出ると、既に松戸さんの車が待っていて臨と一緒に乗り込んだ。車で五分とかからない学校には、むしろ余裕を持った時間だった。家と学校が近いって素晴らしい。実家から通っていた時の方が、四十五分からの授業にギリギリで教室に入っていたくらいだ。
それより今心配なのは、校門前でみんなに車から降りるのを見られる方で…。
「あの、松戸さん…。できれば、車を学校から少し離れた場所に止めて欲しいんですけれど…。」
運転席の松戸さんにお願いしてみるが、
「大変申し訳ございません。薫様より、学校の正門前まできちんと送り届けるよう言い伝えられております故。」
「そ、そこを何とか…!」
「以前、七様が一人でお帰りになられた際大変お叱りを受けたばかりのこの老いぼれに、また叱られろと言うのではあれば…。」
「うっ…。」
その返しはずるい…。今となれば何故送迎されないといけないのかがわかるが、あの時は何もわかっていなかったし、それ故に松戸さんを待たずに勝手に帰って勝手に危険な目に遭った私のせいで松戸さんが怒られてしまったと言われれば、もう何も言えない。
渋々諦めた私に、横に座っていた臨が、
「観念しな。尊は一年生の時も二年生の時も、一人でこの車で通学してたんだよ。」
「尊すごいな…。」
尊は今まで本家の娘として、氏神様の器として、その継承を受け継いでいるフリをさせられていたが故に。その事実をひた隠しにするために、必要以上に保護された身で生きてきたのだ。ものの数分で着くような距離を。いやきっともっとずっと幼少期の頃から、通学路を車に乗させられ、上級生からも同級生からも注目を浴びながら、たった一人で。
…それを思えば、私が逃げるわけにはいかない。
だが、二学期開始の始業前。校門前は混雑を極めていた。神楽所の車が来た事で生徒たちが一斉に道を開けるが、校門前に横付けされ、車の周りを生徒たちに囲まれたような状態になっていた。
「降りるよ。」
臨に声をかけられるが、返事ができなかった。スモークが貼ってあるからまだ外からは中が見えないだろうけれど、こちらからはばっちり見える。大勢の生徒に見られている様子が。唐突にも夏祭りで神楽所神社の奉納演舞を踊った私が、神楽所の車から降りてくるのか注目を浴びている様が。一学期に噂になった神楽所の車に乗った生徒の答え合わせをしようしているその様が。
「大丈夫?」
顔真っ青だよ。と、臨が言う。
「始業式開始まで待ったら、皆いなくなるだろうから。待とうか?」
そういう優しさを今出さないでほしい。泣きそうになるから。
確かに一学期は毎日遅刻していたから他の生徒たちはいなかった。下校も勝手に早引きしたり終業のチャイムと同時に走って車に乗り込んだり、何とか視線から逃げてきたが。だけど私は今日から神楽所七として学校に通うのだから、いつまでもそうしているわけにはいかない。尊が一人で闘わされて来た道から、逃げるわけにはいかない。
ばちんっ
と、我ながらいい音をさせ過ぎた程に。両手で顔を叩きつけた。
「大丈夫、行こう。」
多分顔色は悪いままだと思うけれど。
「松戸さん、扉お願いします。」
「かしこまりました。」
松戸さんに扉を開けてもらい。車から道路へ降り立った。後で臨が、
「え、さ、先歩くの?」
と言っていたが、そうか。臨に先陣を切ってもらえばよかった…。けれど、もう降りてしまったのだからしょうがない。今更臨が降りるのを待ってその後ろを歩くのも負けた気がする。
神楽所の車から降りてきた人間に、車を見ていた生徒からどよめきが起こった。視線、視線、視線視線視線視線視線…。演舞の時だって、こんなに見られなかったんじゃないかって程、見られながら。
「まじで乗ってたんだ!」「一年のあの事件の家の子が…。」「演舞踊ったってまじ?」「葛七じゃん。」「ああ、俺演舞見たよ。」「あの事件の…。」「何で神楽所の車から。」「一学期の噂もあいつなの?」「臨くんが家族とか言ってたってまじ?」「あいつに絡んだ子が何人か転校したって…。」「え、じゃあ神楽所の子なの?」「え、やばいやばい!みんなに言いに行こう!」「でも苗字違うよな?」「尊先輩とどういう関係?」「一緒に住んでんの?」
色々と聞こえてきて。見られて。手に汗が滲み出てきて、心臓が煩くて、喉が貼りつきそうな程渇いて。だから人前は苦手なんだ。勝手に呼吸が浅くなって目眩がしてきた。
や、やばい。死ぬかも…。
車を降りた場所から一歩も動けないでいると、
「おい、大丈夫?」
反対側から臨が降りてきて、心配そうな顔をしているが、そうだ。こんなところで立ち止まっている場合じゃない。
「平気。」
言いながら、私が先に歩き始めると。モーゼの海割りのように生徒たちが引いていき、そのど真ん中を、斜め後ろに臨を引き連れて歩く。このまま旧約聖書とかに載っちゃいそうだった。そういえば私、神だし(笑)。
見られて、見られて、見られて、噂されて、見られて。
精神力でどうにか耐えようとしても、歩いても歩いても視線、視線、視線、視線、視線…。歩き方すらわけがわからなくなる程限界が来ていた。校舎までの道が長すぎるって…。
そろそろ血の気が引いて来て、ふらふらと、視界が歪み始めて。
「七、」
その美貌に天女がお迎えが来たのかと思った。
校舎の中から同じくモーゼの海割りの様に生徒が引けた道の真ん中を歩いて、私を迎えるように出てきたのは尊だった。
「ごめんなさい。正面玄関で待っているつもりだったんですが、間に合いませんでした。」
「み、尊…。」
走って来てくれたのか、尊は少し息がきれていた。
尊の顔を見たら、安心して気が抜けた。浅くなっていたどころか、なんならちょっと止まりかけていた呼吸が戻ってくる。
「こんなに顔色を悪くして、」
そう言うと、徐に尊は自分が来ていたカーディガンを脱ぎ始めた。
「み、尊⁉︎」
唐突な行動に、周りを囲んでいた生徒たちが一層騒つき、悲鳴すら上がっていた。
私も見ちゃいけないものを見たような気がして手で顔を隠しつつ(指の隙間からは見ていると)、尊はさっさとカーディガンを脱いでブラウス姿になってしまい、その姿により一層観客が沸く。アイドルが早着替えした後のライブ会場みたいだった。
いつもカーディガンを着てブラウスのボタンを一番上まで閉めた、夏でも無駄な露出をしない鉄壁の尊が、ブラウス一枚になるなんてそれ程までに前代未聞だ。けれど尊はそんなオーディエンスを一切気にすることなく、
「はい。」
脱いだカーディガンを、私の肩に被せた。
「少し身体を温めた方がいいですよ。これ、着てください。」
ぎゅっと、覆うように。まるで、尊の物だと。自分の家族だと、縄張りの印でも付けられたみたいだと思うのは、自意識過剰過ぎだろうか。
だけど尊がかけてくれたカーディガンは温かくて、お守りみたいで、他の人の視線から守ってくれるみたいだった。あと超絶いい匂いがした。
「ありがとう…。」
「困った事があったら、全部私に言えば大丈夫ですよ。」
その一言が全てだった。
その一言で、沸き上がっていた生徒たちが静まりかえった。
尊が、この地域で最も権力のある神楽所本家の娘が、次期頭首と噂される神楽所尊が、そう言った事で。もう誰もこの学校で私に手出しできる者はいなくなった。
神楽所七として、学校内に認知された瞬間だった。
その後の始業式にて。生徒会長挨拶で、いつもカーディガンを着ている鉄壁の神楽所尊のブラウス姿に先生も生徒も全員騒ついていた。
「朝、尊先輩があの子にカーディガンあげてるの見たよ。」「葛が神楽所の子ってまじ?」「あのカーディガン尊さんのらしいよ。」「神楽所の親戚なの?」「じゃあ神楽所さんて呼ばないとなの?」「あの子に何かしたら尊先輩が黙ってないって言ってたらしいよ。」「あのカーディガン、夏休みのバイト代全部叩くから売ってくれないかな…。」
一年生が並ぶ列の中、同級生からも上級生からもコソコソと言われていたが。もう、何を言われても平気だった。なんなら、それすらも誇らしい程に。
…あと絶対売らない。




