第七話
「わかったわかった。言うって。違ぇんだよ。頭首様のご命令だ。」
「…は?」
お婆様からの、命令…?
「あーあ、言うなって言われてたのによー。」
「薫さんが、どうして…。」
「巫女様が危ない目に遭われると困るんだとよ。」
…そうか。本家は拐われた春ちゃんの身よりも、巫女の器である七の保護を優先したんだ。
「巫女様…?」
「姉ちゃんのことだよ。演舞、踊ったろ。」
灰も俺も、七のことを知っている。巫女のことを、氏神様のことも。
けれど、当の本人だけが知らない。
「は、はあ?それが一体…。」
「巫女様は、その妹を助けに行っちまうだろ。」
「当たり前でしょ!私の妹が拐われているんだよ?」
「だからだよ。」
灰は言い淀むことさえなかったが、言いたくなさそうに、
「お前の妹は、いわばオトリなんだよ。巫女様である姉ちゃんを、誘き出すための。」
甘かった。俺の認識が甘過ぎた。
神様を起こさなければとか、そんな程度で解決できるような話じゃなかったんだ。何が、神楽所から引き離して清さんの家に帰すだ。それで七が普通の身体に戻れるわけでも、身の安全が保証されるわけでもなかったのに。
七はどこにいても、何をしていても、これから先危険に身を晒され続ける。
それが例え、七の周りの人間に危害を加えても、どんな手段を取っても。
「じゃあ、何?もしかして、神楽所が関係しているの…?」
七の声は震えていた。それは神楽所に裏切られたことへの怒りかもしれなかったし、自分のせいで春ちゃんを危険な目に合わせてしまった怒りからかもしれなかった。
「ああ。そうだ。」
「薫さんも、みんな裏切ったの…。」
「違う。頭首様はあくまで巫女様の保護を優先しただけだ。妹を拐わったわけじゃねぇ。」
「そんなの!」
七は震える事を荒らげて、
「私の身なんか、どうだっていいんだよ!春を助けてくれないのなら、裏切ったのと同じじゃん!」
「そういうわけにはいかないんだよ…。」
「春はどうなるの!見捨てる気⁉︎」
「悪いな。」
「どうして、春がこんなに目に合わなきゃいけないんだよ!」
灰はもう一度、「悪いな。」と呟いて、
「妹の方だって頭首様の指示で護衛は付けてたんだ。だけど連中、思ったより強硬手段に出やがった。」
そうか。七の妹の春ちゃんだって、神楽所の女系の娘なんだ。だから、当然保護の対象だった。それでも分家は、強引にも春ちゃんを拐った。
「そんなの、そんなの言い訳になんないよ!ちゃんと見つけて、助けてよ!」
「…。」
状況は絶望的だった。そこまで強硬手段に出られる分家なら、春ちゃんを消すことなんて容易いだろう。それで脅威の種を一つ減らすことができて、そして、もし七まで出ていけば…。
「あんた達がやってくれないなら私が行く!」
「ダメだ。」
「春を見捨てるなんて、絶対に許さない!」
「巫女様が出てったら、妹と一緒に、お前も明日湖に浮かんでることになるぞ。」
「ッ!」
ずっと堪えていたんだと思う。春ちゃんを失う恐怖を、怒りに変えていた。
けれど、その言葉で。
七の目から、大粒の涙が流れた。七の心が、折れたみたいに。
「灰、お前…!」
灰に殴りかかろうとしたが、灰はそれを躱し、俺の腕を掴んでそのまま床に転がされた。わかっている、灰を殴ったところで解決しないことも、見当違いな怒りなことも。だけど。
だけど、俺はこんな風に泣く七を、見たくなかった。
七は立っていられなくなったようにその場に座り込んで、頭を項垂れさせた。
「俺の役目はあくまで巫女様の護衛だ。巫女様は現状あんた一人いりゃ十分だし、敢えて危険に晒してまで二人目を助けにいく理由がねぇ。そういう命令なんだよ。」
「…。」
七は涙を流し続けながら、その言葉を聞いていた。
灰はそういうと、「はあ。」と大きなため息をついて、ソファに凭れ掛かる。
「俺だってあんなちっちゃい子供見殺しになんか、したくねぇっつの。」
「だったら、助けに行けよ!」
七はもう闘えない。俺が何とかしないと春ちゃんが本当に見殺しにされてしまう。灰に詰め寄ろうとした時、
ガシャンッ
と後ろから大きな割れる音がした。俺と灰が振り返る。
窓ガラスは割れないはずだ。
振り返った先には、床の間のような場に置いてあった大きな壺がバラバラになって床に散っていた。横に七が屈んでいて、押し倒して割ったのだろう。
バラバラの破片の上に立ち上がった七は、もう泣いていなかった。
「…おい、なんのマネだ。」
怪訝そうな顔をする灰に、
「よくわかったわ。私がいるから、春を助けに行かないって事が。」
七は割れたツボの破片を拾って、その先端を自分の首に当てた。
「私がいるせいで春を見捨てるって言うなら、その原因を取り除く。」
「…ッバカ!」
七が動くより先に俺が気づき、動き出した。
そうだ、神楽所七はそういう女だった。
けれど距離がありすぎて、間に合わない。ツボの破片のとりわけ一番尖った部位が、七自らその首を、切り裂いた。
血が、赤い血が、目の前で飛び、
「七、!」
けれど、ほんの数滴で終わった。
灰が間に合っていた。七の腕を掴みあげるような形で強引にそれを奪い取った。
流石に、腰が抜けた。
「あ、あったまおかしいんじゃねぇの⁉︎」
灰が裏返った声で言う。灰も慌てていたらしい。
それもそうだ。護衛していた筈の巫女が目の前で自死しようとするのだから。
けれど、七はそれでも止まらなかった。灰が奪い取ったツボの破片を目掛けて、首の方を差し出しにかかり、
「だああ、もう!」
灰にアイアンクローの様に頭を掴まれて、抑え込められた。
「離して!」
それでも暴れる七を見てから、灰は。
「…、はあ。」
大きくため息をついて。
七の頭を離してから。今度は七の身体を宙に持ち上げたかと思うと、米俵を持つみたいに肩に担ぎ上げた。
「は、離せよ!」
灰の肩にぶら下がりながらも暴れる七に、
「本当におっかねぇ女だな!」
ツボの破片を床に捨てて、諦めたように頭を掻く。
「おい臨、着いてこい。」
そのまま七を抱えて、扉の方へ向かう。七を抱えていない方の手をポケットに突っ込み、鍵を取り出した。鍵を幾つか開け始めるが、しかし片手で上手く開けられず、そのうちに鍵を開けるのが手間になったのか、
ゴンッ!
と、七が椅子をぶつけた時より鈍い音をさせて。足で扉を強引に蹴り開けた。
「な、何の音⁉︎」
灰の背中しか見えていない七が声を上げるが、それを無視して、事務所を出て行ってしまう。七を担いだまま階段を降りていく灰を、慌てて俺は追った。事務所前に止まっていたさっきの車を遠隔キーで開け、後部座席を開けると、七を放り込んだ。
「何すんの!」
「おい、臨も乗れ。」
俺に促すと、灰は運転席に乗り込んだ。
「いいか、こんな事は今回限りだぞ。」
「…え、」
灰のその言葉に、七と顔を見合わせる。
七は運転席に身を乗り出して、
「た、助けてくれるの?」
「喜ぶのは助けてからにしろ。こんな危ない橋渡って、どんな事になっても俺は責任とらねぇからな。全部巫女様の命令ってことにさせてもらうぜ。」
「うん、うんっ!それでいい!ありがとうっ!」
既に喜んでいる七の姿にもう一度ため息をつくと、灰は車のアクセルを踏み込んだ。
「ひゃあ⁉︎」
「うおっ⁉︎」
明らかに法定速度を無視して走り出した車に、俺と七は座席に叩きつけられるような勢いでよろめく。
「ああ、それと、」
灰はギアを掴み、尚も車を加速させながら、
「さっき巫女様が割ったツボ、会長のお気に入りの何百万もする奴だから。後でうちの系列店に売られても知らねーぜ。」
「えっ。」
ミラー越しに笑う灰に、七が顔を青ざめさせた。
おい、本家の娘を売り飛ばそうとするな。




