第二話
「…な、七?」
神楽殿の奥で、神楽所の大人たちに頭を下げさせていたのは間違いなく七だった。
「誰だ⁉︎」
声を出してしまったせいか、最後尾に座っていた大人が気付き、しまったと思った時には、もう神楽殿の扉を開けられてしまった。
一斉に振り返った大人たちの中で、
「り、臨!」
上座の近くに座っていた誠さんが声を上げた。
「どうしてここに!」
誠さんは見たことない様な怖い顔をして、七を隠す様に立ち塞がる。
「どうしてって…。」
どうしたはこっちの台詞だ…。
「申し訳ございません!すぐに追い出します!」
後ろに控えていた大人に数人がかりで追い返されそうになる。
「離してください!」
「いいから、出て行きなさい!」
後には階段もあるのに、それを気にも留めないそぶりで強引に押し出されそうになり、
「離してやれ。」
と、七が言った。同時に、すぐさま両腕を掴んでいた神楽所分家の大人達が手を離した。
違う。七じゃない。
声も、顔も、七ではあるけれど、七はこんな表情をしない、髪の色だって。真っ白で、ちょっと染めたとか、そんなのでは説明が付かない程、真っ白で。それに神楽所家の大人たちを、こんな風に懐柔したりしない。
誰だ、こいつは。
「お前が臨か。」
七は、いや、七の様な女は、手に持っていた扇子を俺に向ける。
「ふむ、悪くない。やっと若い男が来たな。」
そういうと、
「生憎老いぼれ共に囲まれるのは趣味ではないのでな。」
と軽快に笑った。
「誰だ…、あんた。」
言ってから、後悔した。きっと、いい返事を返してくれるはずもなかったから。
絶対にそんなわけないと、そうであって欲しくないと、願いながら。けれど。その女は、脇息に寄り掛かった姿勢のまま、その顔を楽しそうに、楽しそうに歪ませて、言った。
「神楽所神社の神様。」
「お前たちが心底敬愛して崇拝する神様じゃ。」
そんな馬鹿な話があるか。
そう思っているのに、ふざけた格好をしている七に、軽口の一つでも言ってやりたいのに。
なのに、どうしても言い返せない。
この女から感じる威圧が、全身の肌がひっくり返る様な寒気が、勝手に垂れる冷や汗が、全てが、この女が本当に神様だと、そう言っている様で。俺自身が、勝手にそう思ってしまっている様で。
しかしそんな俺に、目の前の女は「おいおい、」と呆れた様に、
「そうびびるでない。何も、供物にして取って食おうとしているわけではないのじゃぞ。」
「…。」
「供物なのは、この身体の方じゃ。」
瞬間、踏み出していた。大人たちが止めにかかろうとしたのが見えたが、それよりも先に、目の前の女に手を伸ばした。
「あんた、七に何を…っ!」
伸ばした手が女の首を掴もうとして、
「やめなさい!」
手は空を切ったまま、誠さんに止められた。いや、止められたなんて可愛いものではなく、強引に引き離され、そのまま後に引き倒された。
あと少しで手は届きそうだったが、七の顔に思わず躊躇ってしまった。
「臨!何を考えてるんだ!」
それは、あんたの方だろう。言い返そうとして、
「大人しくしていろ!」
「大変申し訳ございません!」
「とんだ失礼を!」
周りの大人たちに抑えこまれ、女に頭を無理やり下げさせられる。大人たちは震える声で女に口々に謝り、自らも頭を下げる。
なんだ、この状況は…。
頭が追いつかず、反抗もできないまま呆然と神楽殿の床を見ている。
床についた傷が目に付き、これ七が付けたやつだったなとか。七なら、さっきの一瞬で平手打ちをかますくらいならしてただろうなとか。現実逃避にも近いことをして、
「離してやれと言っておる。」
ぴしり、と空気が凍るような冷たい声が響いた。即座に周りの大人たちが俺から再び手を離して、今度は頭を床につける。
「まあ、この有様を見れば、嘘か真か察するじゃろう。のう、臨よ。」
「…。」
もはや否定はできなかった。目の前にいる女は七ではなく、普通の人間ですらない。
なら、七はどうしたのか。どうなってしまったのか…。
「そう絶望した顔をするでない。別に、この身体は借りているだけで、危害は加えるわけではない。」
「本当か…?」
「安心せい。大事な依代じゃ。」
それから呆れた様に扇子でその頭を掻く。
「相変わらず神楽所の男という者は、身内の女に入れ込みやすいのじゃだから。何百年経っても進歩がない。」
「何を…。」
「お前も、ちゃんと自分を律しないと、ほれ。」
と、扇子で俺の周りを指す。床には、未だに頭を地面に擦り付けたままの神楽所の親戚たちがいた。
「いつか此奴らみたいに、神楽所の女に口を開いて餌を待つ池の鯉のようになってしまうぞ。」
「…。」
女は、その男たちを冷たい目で見下ろしてから、
「ふっ、まあ良い。臨、せっかく来たのだから、座りなさい。」
「氏神様、それは…。」
口を挟もうとした誠さんを一睨みし、黙らせ、俺を横に座らせる。
「此奴らの隠蔽体質のせいで、折角久方ぶりに目が覚めても、会うのはこの老いぼれ共ばかりでのう。退屈していのじゃ。」
「久方ぶり…?」
「この身体を自分の意思で動かせるようになったのは、ここ数日じゃからの。」
「…演舞。」
聞いてないぞ。あの演舞にそんな意味があってなんて。ここにいるみんな、誠さんも、それをわかっていて七に踊らせたのか?
そうだ、演舞を踊るのが条件なら、
「じゃあ今までに尊も…!」
「尊…?ああ、薫の孫か。あれは器として不出来じゃから、ワシが入るのは無理じゃよ。」
「不出来?」
尊を悪く言われたようで、声色に苛立ちが混じる。けれど女はそれを気にする素振りも見せず、
「ワシは見た通り女の神様じゃから。神楽所の女系の娘にしか入れんのじゃ。」
…?それを言うなら、
「尊だって、女系の娘じゃ…。」
言うと、きょとんとした顔をしてから、
「そうか、臨は誠と遥の話は知らんかったか。」
と含み笑いをする。
「何の話ですか。」
「氏神様、その話は子供に聞かせる話では…。」
誠さんが再び止めようとしたが、
「ここまで聞いて、今更聞かなった事なんかできんじゃろう。のう、臨。」
何の話かはわからないが、促され、頷く。今更、やっぱり知らない振りなど出来る筈もなかった。全て聞かなければ気が済まない。尊の事も、七の事も。
「いいかい、薫の本当の子供はのう、誠なんじゃよ。」
「……、っ⁉︎」
は、あ?お婆様の子供が、誠さん…?遥さんではなく?
「たまたま同じ日に−いや、これも嘘じゃな。出産日の近かった神楽所の分家の娘を同じ日に強引に産ませ、それと入れ替えて、女系が引き継がれていると、そう今まで嘯いてきたのじゃ。」
「そんな…。」
にわかには信じられない。けれど、確かに誠さんと遥さんは誕生日が同じだと、尊が言っていた。「運命ですよね。」なんて言って。とんでもない、そんな素敵なもの所か、とてつもなく不気味な話になってきた。
「じゃあ、神楽所の女系は…。」
「そう、唯一の女系の娘は、この身体の器だけじゃ。おお、そういえば、妹もおったか。」
既に、情報は俺の許容範囲を超えていた。それでも、女は続ける。畳み掛けるように。
「遥が演舞を踊らなかったのはこのためよ。遥がいくら踊ったところでワシは入れぬ。無駄だとわかっていたから遥には踊らせなかったのじゃ。
「薫は何度か、清に代わりを打診したみたいじゃがな。断られ、演舞自体をもう諦めていた。けれど、ワシを呼び起こしたい神楽所の連中は沢山おった。入れ替わりを知らん其奴らは、当然、演舞を踊らせたがる。
「ちょうど尊がそんなことを露知らず、薫に自分に演舞を踊られてくれと頼み込んだわけじゃ。さぞ都合が良かったことじゃろうな。
「そして知らぬまま尊は本物の巫女のふりをさせられてきたんじゃよ。唯一の女系の娘として、ずっと今まで、ワシが降りてきていたかのように。ワシの力を、本家が、薫がその権利を独占しているように扮してな。
「そうしている間は、分家は神楽所本家に手も足も出せまいと踏んでな。薫がやたらと神楽所家として権力を持つのはそのせいじゃよ。」
聞きたいことは色々あった。どうして、そんなことをしてまで入れ替えなければならなったのか。どうして、尊にそれを言ってくれなかったのか。そもそもどうして、そこまでしてこの神様とやらを、羨望するのか。
けれど突っ込む隙も与えてくれず、淡々と、その話をまとめに入る。
「じゃからの、神楽所本家はずっとワシが入れる器を望んでいたのよ。そこに七がやってきて、鴨がネギを背負ったような状態でやってきて、今それでこうして、何十年ぶりかにワシの神託を聞くことができるようになったのじゃ。」
と。大人たちの思惑を、聞くも悍しいような話を、淡々と。俺の、尊の、神楽所での今までをひっくり返すようなことを。
「あ、あんたの神託を聞くと、寿命でも伸びるのかよ。」
唯一の抵抗のつもりだった。そうだ、こいつが降りてきたからなんだって言うんだ。
髪の毛が白くて、偉そうなだけじゃないか。態度のデカさで言ったら、七と大して変わらない。
目の前の女は、その偉そうな態度のまま、七でない表情で、
「ワシはこの地域の信仰を一身に受け入る氏神そのもの。この地域の人間は、みな神楽所神社に参拝に来るじゃろう?神を信じ祈るというものは、その行為は、ワシに心を捧げるということじゃ。本人にその気はなくともの。じゃからワシは氏子の心を通し、この地域の氏子の全ての心を通し、この地域の全てを見ていて、そして知っているのじゃ。ワシがこの地域で知らないものはない。全てを知っている。」
のう、臨よ。と、女は言う。やっぱり、七ではない表情で。
「この意味がわかるじゃろう?」




