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イサイアスに捧ぐ  作者: 万事塞 翁
第一章
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第一話

さて、この話をする前にまず、私の話をさせてほしい。

私はこれまでこの片田舎で窮屈にも一介の女子高生として平凡に生きていた。

育ちは、人並み以下だと思う。

由緒正しい神楽所となんか、比べる事すら神楽所の方からお断りだろう。

気性の荒い父に、日和見主義の母。毎日喧嘩をしながら、別れる事もせず、特には暴言や暴力に子供達を巻き込みながらも、それでもなんとか首の皮一枚繋がったような状態で、家の中に家族として収まっていた。私としたら、無理に収められていたくらいの感覚だったが。



六月二十七日。

その日は学校の授業が早めに終わり、部活にも入っておらず放課後一緒に遊びに行く友達もいない私は早々に帰宅していた。田舎のため運行本数が極端に少ないバスにたまたま運良く乗れ、最寄りバス停で降りて家の前まで歩いていた。


家の前まで来て、嫌な顔の一つでもせずにはいられなかった。


玄関前の駐車場には、車が二台止まっている。これは父と母が家にいる事を意味していた。パートの母はともかく、父はまた会社に行かなかったのだろう。

私が小学生くらいの頃から仕事を休みがちになり、家で酒を飲むことが多くなっていった。当然家計は圧迫し、母は家の事に加え仕事を増やし、忙しそうにしている事が多くなった。私もバイトをしているが、高校生の稼ぎなど大した額にならず妹へのお小遣い程度だ。

家の中では当然のように怒鳴り声が響いているのだろうと、嫌々ながらも自分で鍵を開けて家に入ると、不自然な程静かだった。


「…?」


なんだろう、この匂い。

生臭くて、…鉄臭い。

今年は梅雨明けが早いそうで、既に猛暑近い暑い空気に乗って、嫌な匂いが鼻をくすぐる。

臭くて、むせ返りそうで、臭い。

この時点で、おそらく私は予感していた。廊下の先で、部屋の中で起きている事態を。

ただ認める事が、事実を確認することが怖くて、怖くて、立ち尽くした。

じわじわと追い詰められるような暑さに、首筋を通る汗に、足が竦んだ。

喉が張り付くようで、声はおろか息をする事もままならないような、そんな感覚に。


何秒、いや何分経ったろうか。

玄関の外から聞こえてきた、子供のはしゃぎ声に我に返った。


玄関には、まだ妹の靴はない。小学生の妹は、学童に寄ってからそれから友達と遊んで帰ってくる。もう、妹が帰ってくる時間だ。

そう思うと自然と足が動き、家の廊下をぎしぎしと鳴る足音に歯を噛みしめながら、リビングの扉を開けた。



眼前に広がるったのは、血。

血みどろ。赤。

血塗れ。鮮血。赤、赤、赤。



その赤い色の真ん中に母が倒れていて、いつも慌ただしく動いているその身体はぴくりとも動かなかった。そのすぐ横に座っている父は、いつもの気性の荒さを感じさせない、茫然と血の気を失せさせた顔をしている。手元には、黒く変色し始めた包丁を握っていた。




それからの事はあまり良く覚えていない。

夢でも見てたかのような、目が覚めてから時間が経つと勝手に忘れていくような、そんな定かでない朧げな記憶だ。

気付いたら−多分自分で呼んだのだろう救急車とパトカーが来て、救急隊員が母を、警察官が父を連れて行った。私は警察官にその場に残され、ある程度話を聞かれ、それから警察署に連れて行かれた。


「父が母を刺していました」


何度も何度も同じ話を立ち代わり入れ替わり警察官に聞かれ、淡々とそれに応えて、そのうち自分で言ってることが本当にあったのか確かではなくなってきた頃、警察署から解放された。

何度も確かめ私の話の整合性が認められたのかもしれないし、連れ去られた父の証言で事実確認ができたのかもしれないし、そのどちらでもないのではないのかもしれない、と今になっては思う。

いつの間にか警察署に来ていた母方の祖母が取調室から出てきた私を迎え、私はそのまま祖母の家で暮らすことになった。

先に祖母の家に来ていた妹は、私が警察に連れられた後に家に帰宅し事情を聞いてしまったらしい。目を真っ赤に腫らして泣き疲れたまま眠っていた。翌日、起きた時には暗い表情のまま口を閉ざし、学校には行けなくなってしまっていた。

一方で私は調書のため翌日もう一度警察に呼ばれはしたものの、その次の日にはもう学校に行っていた。

祖母には少し休む事も勧められたが、「大丈夫だよ」としきりに繰り返した。何が大丈夫かもわからず、自分に言い聞かす様に、何度も、何度も。

多分今学校にいくのをやめてしまえば、このまま行けなくなると思ったのだ。


ただまあやはりというか、当然と言えば当然なのだが、私を学校で待っていたのは好奇の目だった。こんな田舎の中で家庭内傷害などと扇情的な事件が起きれば、噂など広まるのはあっという間だ。被害者家族であり、同時に加害者家族でもある私は学校中の視線の恰好の餌食だった。例をあげるなら一年生である私の教室にわざわざ二年と三年の野次馬が見に来た程である。


こうして私は有り難くも学校一、いや地域一有名人の名を欲しいままにしてしまった。


けれど、人の噂も七十九日。

物語は、いや物語にすらならない。この程度の家庭内不和なんかどこにでもある話で、そのうちまた新しい話題ができて、あっという間にみんなからも忘れられる程度の話。そして、私自身もいつかは忘れていく。

―そう思っていた。

私が何で出来ているかを知らずに。そう、知らなかったから。この無知が罪なのだとしたら、私に起こるこれからの物語は、そんな私に対する罰なのかもしれない。


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