第十六話
そしてお祭り当日がやってきた。
演舞は十九時からのため、朝から最終調整をしていた。薫さんと誠さんに遥さん、そして尊と臨の前で演舞を踊る。
「うん、いいですね。」
神楽所の神主である誠さんが頷く。
「どうですか、お義母様。」
誠さんが聞くと、上座に座っていた薫さんは深く頷いた。
「これなら、神様の前にも出せるだろう。」
「頑張ったね、七ちゃん。今日の演舞よろしく頼むよ。」
誠さんが言うが、まだ本当に踊る実感が湧いて来ない。
「七ちゃん、こんな手になるまで練習してくれてありがとうね。」
遥さんが私の手を握る。いつもの包帯は演舞の時には見栄えが悪いので今日はしていない。掌に出来た無数の傷跡は、勲章と言っても良かった。
「私こそ、踊らせてくれてありがとうございます。」
頭を下げると薫さんに、
「二人とも、礼は終わってからにしなさい。」
と笑われた。
「さ、お昼まで最後の調整をしましょう。演舞は十九時からだから、お昼から夕方までは七ちゃんもお祭り楽しんでおいで。」
「え、いいんですか?」
すると遥さんは、若々しい顔を悪戯げにウィンクさせながら「もちろん。」と微笑む。
「七ちゃんがお祭りを楽しまなきゃ、演舞でみんなを楽しませることなんかできないんだから!」
薫さんと練習をして、演舞までの流れを誠さんと調整して、ちょうど十二時だった。着替えて外に出ると、すでに神社の周りは賑やかな祭囃子でいっぱいだった。境内までに続く道路や駐車場は今日は周囲一帯通行止めになっており、代わりに屋台が敷き並ぶ。
賑やかなところはあまり好きではないけれど、この神楽所神社の祭囃子には毎年心を踊らされる。夏らしい、しかし標高の高いさっぱりとした暑さを、涼しい風が撫でる。セミの騒がしい声も、今日は賑やかな参拝者の声にかき消されてしまう。
「んー!」
もう少しで本番と思うと汗ばんでくる手を誤魔化すように思いきり伸びをする。
「練習はもういいの?」
境内の作務所から臨が出てきた。
「うん。とりあえず夕方まで解散。」
「ふうん、祭り行くの?」
「うーん、とりあえず婆ちゃん家に行こうかなって。多分昼間の人が多い時間帯は春が怖がるから…、夕方までそっちにいるよ。」
「なら、俺と尊が一緒に回るよ。」
「え?」
思いも寄らない提案だった。
「遥さんに言われたろ、祭りを楽しまないとって。俺と尊が一緒にいれば周りにとやかく言わせないから大丈夫だよ。」
多分普通にしてるより何倍も悪目立ちするような気はするが…。でも確かに。春も神楽所の人間であると周囲に知らしめることができれば、春に絡むような奴はいなくなるだろう。
「一応、春に聞いてみないと…。」
「ああ、このまま一緒に行くよ。清さんにも挨拶したいし。」
「尊は?」
「尊ならすぐくるよ。」
その声にちょうど被るように、神楽所邸に繋がる方角から、静かな足音が聞こえてきた。
そこには、浴衣姿で、長い黒髪をかんざしで括った尊がいた。
「めっちゃ可愛い…。」
女の私が思わず唸るほど、尊の浴衣姿は綺麗だった。水色に花柄の浴衣が白い肌によく映える。
「遅くなりました。お母様が巫女服を着ないからこっちを、と張り切ってしまって。」
変ではないですか?と、少し照れている尊に呼吸困難になってしまった。これはきっと演舞に緊張してきただけであって、決して尊の可愛さに射抜かれたわけではない。恋に落ちてしまったわけではない。
「これから、七と一緒に春ちゃんたちを迎えに行くことになった。」
「ええ、私もそのつもりでした。松戸を下で待たせてるのでいきましょう。」
浴衣姿の尊は、可愛らしい鼻緒のついた下駄で砂利道をいつも通りの静かな所作で歩き出す。付いて行くと、神楽所家用の駐車場にある黒塗りのハイヤーの前で松戸さんが待っていた。
「おや尊さま、今年は浴衣姿なのですね。よく似合っておいでで。」
「ありがとう。」
恭しくドアを開ける松戸さんに、尊は微笑みながら車に乗り込む。
「さ、七様も。本日はご健闘をお祈りしております。」
「ありがとうございます。でも、今から言われたら緊張しちゃうんですけれど…。」
「それはそれは、申し訳ないことを。」
松戸さんは朗らかに笑う。憎めない人だ。
「清様のおうちでよろしいですか?」
「ええ、お願いします。」
しばらくして、お婆ちゃんの家に着いた。先に連絡していたので、春とお婆ちゃんは家の前で待っていた。
「お姉ちゃん!」
春は車から降りた私に飛びつく。
「春、久しぶり。」
「お姉ちゃん、こんなすごい車乗ってお姫様みたい!」
その言葉に一緒に降りてきた臨が噴き出した。
「おい、何で今笑ったのかちょっと向こうで話そうか。」
「気性の荒いお姫様がいるもんだなって。」
「うっさいわシスコン!」
「おい、シスコンは今関係ないだろ。」
臨と言い合いをしていると尊が降りてきて、春は今度はそちらに駆け寄った。
「尊お姉ちゃん!すごく綺麗!お姫様みたい!」
「あら、ありがとう。」
春に取り残された私が固まっていると、臨に慰められるように肩を叩かれた。
ちくしょう、尊の浴衣姿と比べられるなんて反則すぎだ!
「七ちゃん、」
婆ちゃんが心配そうに近づいてきた。
「大丈夫かい?」
私の頬を両手で包み上げる。
「あはは、大丈夫だよ。今からめっちゃ緊張してるけど。」
「そう…。頑張って踊るんだよ。婆も演舞、見に行くからね。」
「うん。それで夕方まで時間できてさ、一緒にお祭り行かない?」
「え、お祭り⁉︎」
春が嬉しそうに振り返る。が、すぐに表情を曇らせた。
「あ…、でも…。」
きっとクラスメイトや知らない人に会うことを想像してしまったのだろう。
下を俯く春に、尊が屈んで顔を覗き込む。
「春ちゃん、私たちと一緒に回りましょう。」
春が顔を上げた。
「尊お姉ちゃんたちと…?」
「ええ、私の家のお祭りですから、大丈夫ですよ。」
「…。」
春がどこまで理解して尊の「大丈夫」を聞いたのかはわからないが、小学生でもこの地域一帯の神楽所家の権力はわかっているのだろう。おずおずと頷いた。
「うん、尊お姉ちゃんたちと一緒なら…。」
「よかった。では、春ちゃんも浴衣を着ましょう。私の昔の物を持ってきました。」
「えっ!」
尊の提案に、春が目を輝かせた。
「私が着付けしてあげます。」
「いいんですか?」
私が聞くと、
「もちろんです。」
と笑って頷いてくれる。こんな嬉しそうな、楽しそうな春は久しぶりに見た。尊の心遣いがありがたい。
「ありがとうございます。じゃあ春、尊お姉ちゃんを部屋にお連れしてあげて。」
「うん!」
嬉しそうに春が尊の手を引いていった。
「よかった。春、お祭り行く気になってくれて…。」
ああしている春を見て、私がやってきた事が報われる気がした。あのまま、三人でこの家で落ち込んでいるだけでは、きっとこうはならなかったように思う。
「ね、お婆ちゃんもいこうよ。」
「ううん、婆は七の演舞に合わせて行くよ。ずっと人混みの中にいると疲れちゃうからねえ。」
「…そっか。」
少し寂しいが、仕方ない。お婆ちゃんは、
「ちゃんと見に行くから、頑張るんだよ。」
と、私の頭をぐしゃぐしゃになる程撫でた。
浴衣に着替えた春を連れ、再び松戸さんに送ってもらった。お祭りの周りはもう既に混雑していて、少し離れた所で降りてから、四人で祭りの中に入って行く。
「春、何食べたい?」
手を繋いだ先の春はやっぱり少し不安そうで、それに気づかないフリをして明るく問いかける。
「うーん、苺飴…?」
「なら、こっちです。」
春のもう片方の手を繋いだ尊に引かれるがままついていくと、フルーツ飴と書かれた屋台の前に来た。流石全て把握しているようだ。
「おっ、尊ちゃん!」
屋台の中にいたおじさんに尊が声をかけられる。
「お久しぶりです。」
「いやあ、一年ぶりかい?会うたびにベッピンさんになっちゃって!おっ、そっちの子が噂の演舞の子かい?」
おじさんに目を向けられ、慌てて頭を下げる。
「そうです、前野さんも見にきてくださいね。」
「おおとも!いやあ、こっちのお姉ちゃんも可愛いじゃねぇの!おじさん楽しみになっちゃうね!」
と、前野さんと呼ばれたおじさんがガタイのいい身体を揺らして軽快に笑う。
「前野さん、苺飴4ついいですか?」
「お、臨くんも久しぶりだね。こっちはいい男になっちゃって憎いねぇ。」
「どうも。」
臨が話している隙に、
「私が踊ること知ってるんですか?」
尊にこっそりと聞くと、
「うちの神社でお店を開いてくれる人たちは準おじ様が取りまとめているので、朝話してくれたそうです。」
「…。」
隼おじ様というのは確かここら辺を取り仕切る織衛組の幹部とかいう人で…。
また聞いちゃいけない話を聞いた気がした。それって所謂テキ屋というやつだろうか?
「お祭りでトラブルがない様に目を光らせてくれているので、うちの神社に来てくださる方は皆さん心強いですよ。」
にっこりとそう言われ、尊も大概肝が座っているなと実感した。こんなに可愛いのに。
「はいよ!」
そうしているうちに、前野さんが苺飴を4つ渡してくれた。お金を出そうと鞄に手をかけると、
「いいよ!可愛い女子高生の巫女さん姿見せてもらうんだから!もらってって。」
「あ、ありがとうございます…。」
と、そのまま渡されてしまった。
そんなことが行く先々で起こり、それどころか歩いているだけでお店から声がかかり、ポンポンと商品を渡されて、手に抱えきれないほどの食べ物でいっぱいになる。
「お姉ちゃん、すごいね!」
毎年祭りにはきているが、こんなに好意的な対応を受けたのは初めてだ。そうでなくても、家は父親のせいで貧困していて、お祭りにきてこんなに何でもかんでも春に買ってあげられたことがない。
「春、楽しい?」
「うん!」
周囲の人の反応が思っていたより好意的なことに安心したのか、春は昔に戻ったように笑顔でチョコバナナにかぶり付く。周囲の目も、みんな祭りを楽しむ事に集中しているのか、思ったよりも目立たなかった。まあ多少尊と臨が気付かれはしても、神楽所家の子供をジロジロ見たり失礼な事はしないので、人の流れでそのまま視線も流されていく。
「今度は何がしたいですか?」
「うーんとね、金魚すくい!」
「金魚すくい?やめときな、お家連れて飼ってもすぐ、…。」
死なせちゃうよ、と言うのは事件のことを思い出させてしまうだろうか。
あまり刺激の強い言葉は、今の春に言うのは酷な気がして躊躇ってしまう。でも金魚を飼って数日で死なせてしまえば、それだって春にとっては傷つく要因かもしれない。
「…。」
言い淀んでいると、尊が助け舟を出してくれた。
「うちに水槽があります。取れたらうちで面倒を見るので、見に来るのはどうでしょう?」
「ありがとう、尊お姉ちゃん!」
そう言って金魚すくいの屋台まで来ると、金魚が入った大きい水槽の奥に座ったおじさんがギョッとした顔をした。
「や、やあ臨くん。」
珍しく一番最初に臨に声をかけた。みんな一番に尊に声をかけるのに。
「やっていくかい?」
「いや、俺じゃなくてこの子が。」
春を促すと、おじさんはぎこちない笑顔のまま春にポイを渡した。
「春、金魚すくいなんかやったことないけど大丈夫…?」
水槽の前に座る春の横で、一緒に水面を見る。元気そうな金魚が、縦横無尽に泳いでいて、簡単には捕まってくれなそうだ。
「んー、わかんない!」
笑顔のままポイを水の中にぼちゃんと突っ込んで、金魚を追っているうちに、金魚に触れる間も無く薄いポイが破れてしまった。春ってこんな不器用だったのか。お姉ちゃん知らなかった…。
「破れちゃった…。」
がくんと肩を落とす春に、おじさんは情けをかけてくれたのか、
「もう一個いいよ。」
ポイをもう一つ渡してくれた。
「いいの?」
「いいよ!もう少し優しく動かしてごらん。」
「ありがとう!」
春は助言通りに今度はゆっくりポイを動かしてみるが、今後は金魚を掬おうとした際に端が破れて、金魚に逃げられてしまった。
「あー…。」
私もやった事ないけれど、思ったより難しい様だ。そりゃあ、そう簡単に取れたら繁盛上がったりだもんな。穴のあいたポイを見ながら残念そうな春に、「もう諦めよ」と声をかけようとした。すると、臨が春の横にしゃがんだ。
「春ちゃん、それもらってもいい?」
「?、うん、いいよ。」
穴の開いたポイなんか、どうするんだろうか。春も私も首を傾げながら見ていると、臨は受け取ったポイをすっと水面に沿わせた。
「春ちゃん、そこでカップを斜めに持ってて。」
「こう?」
春が水面の少し上でカップを構える。
「うん、それで大丈夫。」
すると臨は縦横無尽に水の中を泳ぐ金魚をポイで誘導し、ポイの穴の空いていない側の和紙で金魚をすくい、春の持ったカップに金魚が入った。あまりにも自然な流れに、金魚が春の持っていたカップに泳ぎ込んできた、と錯覚するほどだった。
「うわあ、すごい!」
春の心底驚いた声に、臨は珍しく自慢げににやりと笑い、再び同じ動きで次々と春のカップに金魚を吸い込ませていく。屋台のおじさんがそれを見て顔を青くして頭を抱えていた。
「な、何あれ…。」
唖然としている私に尊が笑いながら、
「臨は小さい頃から私と一緒に祭りに参加していたんですが、私が演舞の練習ばかりで暇だったので遊びまわってたんです。金魚すくいを一人で全部いなくなるまですくったり、射的の景品を全部落としてきたり、紐くじで何の紐が何に繋がってるかが見抜けるようになったりとか、一時期はお婆様に怒られて屋台の出禁になったことまであるんですよ。」
「へえ…。」
それは随分意外だ。屋台で楽しそうにはしゃぎ回る臨は、普段の落ち着いた学校の臨とも神楽所での由緒正しい家柄の息子という姿とも似つかない。
「神楽所のお祭り男…。」
ぼそりと呟くと、尊が吹き出して、臨がボチャンとポイを水の中に落とした。
「…っおい、なんか言ったか今。」
顔を赤面させて怒った顔をする臨に、思わず私も吹き出してしまい、尊と二人でしばらく大笑いしてしまった。ただ普通に、再従姉妹としてずっと前から遊んでいたみたいに。私たちは、笑い合っていた。
「本当に、二匹だけでよかったの?」
春の小さなカップの中には水が隠れるほど金魚が有象無象としていたのだが、春はその中で赤と黒の金魚を一匹ずつだけ選んで後はおじさんに返した。
「うん!いっぱいとったらおじさん可哀想だし、一匹だけだと寂しいから、二匹がよかったの!」
「春は優しいなぁ。」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でると嬉しそうに笑い声を出す。
店も一通り周りきったので、境内の木陰で座って四人で食べ物に口をつけていると、
「あれ、尊ちゃん。」
と、また声がかかった。
しかし、今後は屋台のおじさんという雰囲気の男ではなかった。
甚平を着ていて両手いっぱいに綿飴やらチョコバナナやらやたこ焼きやらを盛り沢山に持った二十代半ばくらいの男だ。誰よりもお祭りを超楽しんでいる…。いやそれよりも、
「灰さん」
灰と呼ばれた男の髪も目も、灰色で。いや、単に灰色というより、寒い時期を連想させる様な鈍い灰色だ。でも顔つきは日本人で、ハーフか何かなんだろうか。とりあえず服装も含めてすごく目立つ。彼は軽い調子で、
「浴衣可愛いじゃねぇの、いいねぇJKはピチピチで。」
「おっさんみたいですよ。」
それに臨が冷たい目を送ると、肩をすくめた。そして私を見て、「へえ、」と呟いた。
「姉ちゃんが清さんの孫か。」
こういう言い方をする、ということは神楽所の人間なのだろうか。
「はじめまして、七です。」
失礼があってたらまずいと慌てて立ち上がると、灰という男は、変わらずへらりとした笑みのまま手を振る。
「ああ、いいっていいって。俺みたいな神楽所の下っ端にそんなかしこまらなくって。むしろ序列でいえば俺が頭下げなきゃいけなくなっちゃうし。」
「はあ…。」
「俺は灰ね。よろしく、っつっても俺はめったに神楽所にはいないんだけどな。」
「灰さんは、準おじ様のところでお仕事をしてるんですよ。」
準おじ様というのは堅気の人ではなくて、ということはこの人も…。
「はは。そんな怯えなくても取って食ったりしねぇから、大丈夫だって。」
顔に出ていたのだろうか。軽快に笑う灰さんに図星を突かれて、顔が引きつる。
「女子高生をつかまえて取って喰うとか言わないでくれる?変態みたいだよ。」
臨が再び冷ややかな視線を投げかけると、灰が揶揄うように、
「いいご身分だなぁ、臨。若ぇ女に囲まれて。」
「そういう神楽所の品位を落とす発言すんな。」
仲が悪いのか、相性が悪いのか。臨は終始冷ややかに対応する。
「んな事言って。お前こそ、本家の娘が分家の息子と籍入れんのが決まりだからって今から嫁選びとは隅におけないじゃねぇの。」
「死ね。」
吐き捨てるように言う臨に、いやそれより、聞き捨てならない情報が…。
「そうなんですか?」
尊に聞くと苦笑いする。
「決まりというわけではないと思いますが…。まあお父様も神楽所の分家の出なので、多いとは思います。」
「へえ…。」
「なに、コイツを婿に入れてやる気になった?」
灰さんに言わるが、
「いや、私結婚とかしたくないんで。」
自分の家を見ていると、結婚なんかする気にはなれない。そもそも私はそれ以前にそういう事にうつつを抜かしている場合ではない。
しかし灰さんは、ふう、とため息をついてから、
「そういうこと言ってる子に限って、結局一番最初に結婚してたりするんだよ。俺の初恋の京子ちゃんみたいに。」
「いや、誰ですか…。」
この人が随分ふざけた人ということだけはよくわかった。名家の神楽所にも、こんな人いるのか。去り際にその人は、
「ま、これから大変だと思うけどよ。困ったら俺んところおいで。護衛くらいならしてやっから。」
「はあ、はい…。」
大変なのは演舞のことだろうか、それとも神楽所に身を置くことだろうか、よくわからず気のない返事をしていると、ひらひらと手を振って去って行ってしまった。
「さあ春ちゃん、次はどこに行きたいですか?…春ちゃん?」
尊の視線に誘導されて見ると、春は私の横で座りながら、頭をゆらゆらさせて今にも眠りそうな目をしていた。
「疲れちゃったか…。」
ここ一ヶ月は学校も行かず、体力を使う機会もなくて体力が落ちてしまっているのだろう。
「春、ちょっと寝ようか。」
「うん…。」
目を擦る春の前にしゃがんでおんぶしようとすると、臨に制された。
「演舞前に転んで怪我でもしたらどうするんの。」
と、臨が春をおんぶする。
神楽所の本家に連れていき、私の部屋で寝かせることにした。
「ありがとう。」
春を布団に下ろした臨と、一緒に来てくれた尊に頭を下げる。
「これくらいどうってこと…。」
「ううん、それだけじゃなくて。春がこんな風に笑ってるの見たの、あの事件以来初めてだkら。」
「よかったですね。春ちゃん、楽しんでくれたみたいで。」
「はい。神楽所にいれば、みんなに後ろ指差されなくて済むって言うのがよくわかったと思います。これで春も、きっと…。」
きっと。あの家を捨ててくれるだろうか。
言い詰まった私に、
「それは祭りが終わってからゆっくり話していきましょう。」
尊に諭され、うなずく。
「演舞、きっと成功させてみせます。」
「七、そろそろ時間です。」
演舞まで春と一緒に部屋で少し休むことになり一度解散して、横になっているうちに眠ってしまっていたようだ。尊の声に意識が覚醒する。
「…すみません、今行きます。」
起き上がると、春が隣でまだ眠っていた。
「春がまだ寝てて、このままでも大丈夫ですか?」
「ええ。誰か家政婦さんについててもらいます。」
「ありがとうございます。」
尊から、巫女服と真白い下着を一式渡された。
「これから身を清めて、これを着てください。」
「わかりました。」
本番用の巫女服を受け取って、本当にいよいよ、私が踊るのだと実感してきた。
「それから本番用の神楽鈴をお婆様から渡すそうなので、準備が終わったらそっちに行ってください。」
「…はい。」
「そんなに緊張しないで大丈夫ですよ。七は、本当によく頑張りました。」
「いや、それは本番転ばなかったら言ってください…。」
苦笑いする私に尊は、
「いいえ、本当によく頑張りました。神楽所の誰もが思ってたより七は演舞をちゃんと踊ってくれます。」
そして。
あの最初に神楽殿であった時の様な真っ直ぐな目で、
「だから、今度は私が約束を守る番です。」
私を見つめる。そして、言った。
「あの日の約束を、今日果たします。」
「!」
それは、私を神楽所七から葛七に引き戻す言葉だった。
「七が演舞を踊っている間に、準おじ様の伝手で、病院で容体が急変して亡くなる予定になっています。」
「…。」
「七、」
何も言えなくなってしまった私に、尊は、
「やっぱり、やめておきますか?」
言われて、ハッとする。
何を躊躇うことがあるのか。
私はこのために、今まで踊ってきたのに。ここで今更、やっぱり怖くなったなんて、私が自分を許さない。
「いいえ、」
と、言えた。
「いいえ、お願いします。私も必ず演舞を成功させます。」
その言葉に、目の前の尊は軽蔑するでも嘲笑するでもなく、淡々と。
「…わかりました。」
と言って部屋を去っていった。
「……はは、」
ああ、やっとこれで、私は安心して生きていける。
怒鳴られなくて、叩かれなくて、殴られなくて、春を泣かされなくて、母親を傷つけられなくて、みんなの泣き顔をみなくて、これで。これで、私が家族を守れる。
「あはは、…ははっ、」
ずっと願っていたことだった。ずっと。神楽所に来る前から、事件が起きる前から。
なのに。なのに、どうして。
どうしてこんなも、気が晴れないんだろうか。




