第十四話
それから毎日薫さんにしごかれ、あっという間に数日がたった。
過去にないほどの全身筋肉痛だが、上達も凄かった。あの超スパルタ指導にも、きっとそういう意図があったのだ。殴りかかった私を憎んでたとかではない筈だ。多分…。
一学期最終日、明日からの夏休みに学校全体が浮き足だっていた。
終業式を済ませると、今日は特に授業もなく、ホームルームだけ行われた。私が住む地域は比較的涼しく避暑地のため、夏休みの始まりが遅いのが難点だが、明日からの夏休みは最後の練習期間だ。
部活に残る者、明日からの予定をたてている者と、意気揚々とした教室の中で急いで帰り支度を済ませていると臨が近づいてきた。私の前で立ち止まらずに、
「この後、尊の仕事手伝ってくから。」
すれ違いざまにお互い目は合わせないまま声をかけられた。
あの追われた件以来、私はきちんと松戸さんの車に乗るようにしている。そうしている限りは今のところ危険な目には合っていない。結局、あの犯人達が誰なのかはわからないまま。
けれど校内で神楽所の車に乗る部外者の件が噂になっている以上、こうしてかなり周囲の目には気をつけていた。つもりだった。
臨が去っていたのを確認してから席を立ちあがる。
廊下に出ると、廊下に剣呑な雰囲気の女子達が立っていた。四、五人が固まってこちらに視線を送っている。
だけど事件以来私に関わってくる生徒はいない。
最近聞いたのだが、事件について触れさせないよう神楽所家が先に教師を丸め込んでくれていたらしい。勿論私がその血筋な事は明かせないため、尊や臨が通う学校で不祥事を起こさせないためとか、そんな理由で。
だから過剰にも私を腫れ物扱いする教師達の指導もあり、生徒達も私には絶対に関わらない。だからまさか私を睨んでいるとは思わず、そのまま横を通り過ぎようとしたが、
「ちょっと。」
と腕を掴まれてしまった。
「…何?」
よく見れば、一人は同じクラスの女子で、他の女子は知らないが指定サンダルの色から同じ学年のようだ。いかにも世界の中心は自分たちだと勘違いしてそうな、髪の毛が巻き巻きの女達だ。
「ちょっと来てくれる?」
生憎だがそんな程度の凄みに負ける私ではない。
「忙しいから無理。」
どう考えても楽しいお誘いではないのでお断りしようとしたのだが、「いいから。」と掴まれた腕を強引に引かれ、強引に振り払う事も出来たが。けれど、この時期に怪我だけは絶対にしたくない。仕方ない大人しく付いて行った。
一つ下の階の空き教室に連れ込まれ、扉を塞ぐように囲まれるや否や、
「ねえ、あんた臨くんと何かあんの。」
やっぱり…。そんなとこだろうと思ってたよ。
「知らない、何言ってんの?」
すっとぼけてみる。
「うそ!最近よくこそこそ話してるじゃん!」
ビリビリと、耳が痛くなるほどの甲高い声で一人が叫び、教室内に響く。仕舞いには叫んだまま泣き出してしまった。
「るいちゃんが臨くんのこと好きなの知っててやってんの?」
うわぁ、全然知らない。
「尊先輩だっているんだよ?」
「尊先輩がいるから…私、ずっと…。遠慮してたのに…。」
「尊先輩がいるのに臨くんがあんたなんか気にかけるわけないじゃん、勘違いしないでよ。」
あいつらは本当にアニメキャラか何かなのか…。面倒くさい展開に頭を抱える。
だから学校の中で臨に話しかけられたくなかったのだ。だけど、まさか神楽所の車に乗っているのが私とは結びついていない様で、そこに突っ込まれないのは救いだった。
「だから、私はただのクラスメイトだから。何にもないから。」
「何しらばっくれてんの?」
どん、と肩を押される。もう昭和の少女漫画かよっていう展開なんだけど。笑っちゃいそうだ。か弱いヒロインなら泣き出すだろうが、
「痛ってぇな。」
と凄み返すと、喧嘩慣れしていないであろう彼女達が怯む。ふむ、これくらいのハッタリで効くならいけそうだ。それに、本当に怪我をさせられるわけにはいかない。
今日さえ、この場さえ乗り切れば、学校には来ないまま夏祭りが来る。今は誠さんとの約束通り、演舞が終わるまでは神楽所の事は黙っておくだけ。
さっさとここから去ろうと合間を抜けようとすると、
「ふ、ふざけないでよ!」
また腕を掴まれた。しつこいな…。
「あんたさぁ、なんか勘違いしてない?臨くんは優しいからあんたみたいな犯罪者の娘にも普通にしてくれてんだよ!」
るい、と呼ばれていた女がそう叫んでから、ハッという顔をした。
一応、教師陣という抑止力が働いて彼女たちもその話は暗黙の了解でタブーにしていたのだろう。彼女達の良識も、もしかしたらあったのかもしれない。でなければここに入ったタイミングで私をそう罵ることだってできたはずだ。しかし、この女がそれを破ってしまった。
「そ、そうだよ!神楽所の家にあんたみたいな女が関わること自体がありえない!」
「つか、なんで普通に学校来てんの?犯罪者の娘とか刺されそうで怖いんだけど。」
「もう学校くんなよ。」
一人踏み込んでしまえば、みんなで踏み込むなんて簡単だ。こういうの、なんて言うんだっけ。割れ窓理論だっけ?ちょっと意味が違うかな?
「あ、あたしぃ、パパから聞いたんだけど、こいつん家の報道規制って神楽所から出したらしいよ。」
「!」
一線を越えてしまった一人が、とんでもないことを言い出した。
「は?まじ?」
「うん…。本当は言っちゃいけないって言われたんだけど…、てかこの話自体学校で話せなかったし。」
「え?なんで?こいつ神楽所と関係あんの…?」
女達に戸惑いの空気が流れる。万が一私が神楽所の関係者であればこの状態はまずい、というのはバカでもわかるらしい。けれどそんなわけないと、信じられないあるいは認めないという気持ちが、逆に彼女たちをヒートアップさせる。
「そ、そんなわけないじゃん!この地域で殺人事件なんかあったら世間体がよくないから、神楽所が気を聞かせたんだよ!」
いや、死んでねぇからな。ぶっ殺すぞ。
「た、確かに!絶対それじゃん!」
「あー、それで臨くんのことも勘違いしちゃった感じ?うわぁ、可哀想」
いかにもバカにした様子の耳障りな笑い声が響く。ああ、うるさい。
いっそのこと、今すぐ目の前の椅子でコイツらの頭をかち割ってやろうか。だって私は犯罪者の娘なんだから、それくらいしても仕方ないよね、と思い。
これではあの父親と変わらないと、自分の発想に嫌悪する。
こいつらをここで殴ったら、演舞も、養子縁組も、あの約束も、全部全部無駄になってしまう。それはダメだと、だからここは耐え忍ぶしかない、と思い。
それでは、結局あの人と同じだ。辛いことを去るのを待ってるだけの、辛いのを我慢する事を頑張っている可哀想なあの母親と…。
私がどんなに嫌ったところで、結局は全部同じで、血筋で。私は、こんな自分が大嫌いだった。だから。
私は、椅子を手に取った。
「な、何を…。」
流石に、犯罪者の娘が鈍器と取れるような物を持ち上げ、構え始めたら慄くだろう。
一歩下がった彼女達と、真逆の方向に、窓ガラスに椅子を叩きつけた。
ガシャン!
何度もガラスが割れ合う音が響き、窓ガラスが割れた。
「きゃああ!」と耳を押さえたり、しゃがみ込むその女達に溜飲が下がった。ざまあみろ。うちではこれくらいの騒ぎ大した事じゃないからな。…いや、流石に窓ガラスが割れたことはないか。
椅子を適当に投げ捨てると、また怯えるように身体を震わせる。
「どいて。」
扉の前でしゃがみ込むそいつらに吐き捨てるが、動かない。動けないのかもしれないけれど。
仕方ない、反対側の扉から出るか。とそちらに向いた時、
「七!」
「げっ…。」
臨が入って来た。
「何してんの⁉︎怪我は⁉︎」
窓ガラスの音を聞きつけたのか、割れた窓を見たからなのか、私に聞く。
「ない、平気。私が割ったんだし。」
「はあ?」
何が起きたのかさっぱりわかっていない臨に、
「り、臨くん!」
「その子に近づかない方がいいって!」
「やばいよそいつ!」
扉の前で怯えていたそいつらが、叫ぶ。臨は一度そちらを見て、
「何してたの?」
と。いや、私に聞くなよ。話したがっているあの子達にどうぞ。
促すようにそっちを見ると、
「か、神楽所のお家がその人の報道規制かけてあげたんでしょ?だから、勘違いしてるみたいだから…。」
馬鹿だな。が、その返答への私の感想だ。神楽所の内部情報をこんな所で軽々しく言うなんて。
その証拠に、臨がそれに眉を顰めている。
「その話、どこで聞いたの。」
「え?えっと…、パパが新聞社で働いてて…。」
「へえ。」
「…。」
普段学校の中では見せない臨の無表情で感情のない声に、その威圧に、気圧される。
「社外秘をこんなところで広められてる、なんて神楽所から会社に直接抗議される覚悟はあるんだろうね。」
「えっ⁉︎いや!えっ…、ち、違うの!ごめんなさい!」
この地域の会社が神楽所から睨まれる、ということがどういうことかくらい小学生にでもわかる。彼女達は、神楽所からの恩恵を仇で返す私という図に仕立てたかったのだろうに、予想外の反応にどうしていいかわからなくなったのだろう。困惑しているようだ。
そこに、ドタドタと足音を立てて、
「何事だ⁉︎」
と、先生達が何人も入って来た。そりゃそうだろう。教室の窓ガラスが突然割れたのだから。
「せ、先生!」
「葛さんが、いきなり窓ガラスを割って!」
と、縋る相手をシフトチェンジしたらしい。
「か、葛さん…。」
先生達はそれを聞いて、私見て、ぎくりとした顔をする。問題児ーしかも神楽所が気にかけてきた札付きの問題児だ。それが窓ガラスを割ったと言われれば、そりゃあ対応にも困るだろう。
教師が来る前に逃げて、知らぬ存ぜぬを突き通すつもりでいたのに。臨が来たせいで逃げれなかったじゃないか。恨む視線を送ると、それにつられて先生達も臨に気付く。
「か、神楽所君!大丈夫かね⁉︎」
「怪我はない⁉︎」
蹲み込んで震える女生徒より、大袈裟に臨に近寄って心配して来た。わかりやすいものだ。
先生たちも、神楽所という存在が何よりも怖いのだろう。
「僕は大丈夫です。それより、葛さんに怪我がないか見てあげてください。」
腕を取られ、先生に引き渡される。
引き渡された私を見て、先生の一人(確か教頭だった気がする)が、
「え、ああ…。いや、それよりも話を聞かないと…。」
「窓ガラスなら、あの子達が割ってましたよ。」
臨が、未だに蹲み込んだままの生徒達を指差した。
いや、流石にそれは無理があるだろ。思わずツッコミそうになった。先生達も困惑している。
「ええ?い、いやぁ。神楽所君?何を…。」
そりゃあそうだろう。一般生徒と、傷害事件の娘の問題児と、どっちが窓ガラスを割ったかなんて明白だ。それに、私が実際割っているし。
「葛さん、とりあえず話を聞くから…。」
私もここで逃げるわけにも行くまい。また演舞の練習が削られるが仕方ない付いて行こうとした。が、腕を臨に引き戻される。そして。
「七は葛じゃありません。神楽所の、家族です。」
と、言った。
「…は?」
声を出したのは私だった。
女達も、生徒も、目を丸くしたまま声も出せずに固まっている。
「神楽所の人間に、謂れもない言いがかりを付けるつもりですか?」
臨以外が、誰も彼も、私も、黙った。沈黙を、セミの音と運動部の掛け声が埋める。
少しして、パソコンの丸いグルグルが消えた様に動き始めた教頭先生(多分)は、
「い、いやいや!そんなつもりは…。そ、そうか!神楽所君が言うならそうなんだろう!」
「失礼します。」
臨はそのまま、私の腕を引いて教室を出た。
下校時刻からしばらく経ったためか、廊下には誰もいない。
「…。」
怒った顔でひたすら廊下を歩き続ける臨に、
「ねぇ、言っちゃってよかったの…。」
「は?…あ、」
しまった、という顔で立ち止まり、口を押さえる臨に思わず吹き出した。
「あはは、何やってんの、はは、自分で話かけんなとか言っといてあんたのせいで結局バレるし、はは…っ」
そんな気などなかったのに、顎を伝っていった温かい水滴に、慌てて顔を覆う。
「お前…。」
「い、いや、違うから!」
何が違うか自分でもよくわからないけれど。犯罪者の娘と言われたのが地味に傷ついたのか、どう抗ってもあの両親と似ている事が嫌だったのか、あるいは家族だと言われたことが、思ったより嬉しかったのか。理由はわからないけれど。
恥ずかしくて、見られたくて。腕で拭うが、次から次へと落ちてくる。
「いいって、」
臨に拭う腕を掴まれる。
「泣けばいいじゃん。」
「…。」
「春ちゃんが心配してた。」
「春…?」
予想外の言葉に、顔をあげてしまう。
そういえば、この間神社に来た時に臨が送っていったっけ。
「七がまだ、事件から泣いてないからって、心配してた。」
「!」
その言葉にハッして、掴まれた腕を振り払った。
「…違うよ。」
「?」
「違う、春とは違うよ。あの子とは違う。」
「何の話…。」
「あの子は母親と父親を思って泣いてるんだよ。私は違う。」
私が泣いてないって?…そんなわけあるか。
悔しくて、事件のことが頭から離れなくて、練習がキツくて、もう逃げ出したくて、一人で何度も泣いてた。でもそれは、私が自分が可哀想だから泣いているだけなのだから、春とは違う。
ああ、そうだ。あの家であの子だけが、家族を思って生きていた。
「私は違う。あんただってあの約束で知ってるでしょ、私がどんな人間か。」
だから私は、自分のことだけ考えて生きてきた私は、自分のために。私は、演舞の代わりに神楽所尊とあの約束を交わしたのだ。




