第十二話
神社からの道から、松戸さんの車が出てきたのだ。
同時に、掴まれた後ろ襟が急に離されて反動で前のめりにバランスを崩した。道路のど真ん中で転んだ。地面に上半身が着く前に手を出せたので、膝を道路に打つだけで済んだけれど。
「七様!」
と、心底心配した顔で道路に急停車したまま車を降りてきた松戸さんを見て、やらかしたなと思った。後ろを確認するより先にそっちを思わずにはいられない程、心配した顔をしていたから。
「大丈夫ですか⁉︎お怪我は⁉︎」
道路に蹲み込んだ私に駆け寄り、跪く。あーあ、高そうなスーツが汚れちゃうと場違いな事を考えつつ、ここでやっと後ろを振り返った。
もう、誰もいなかった。
白昼夢でも見てたのかと自分を疑ってしまう。それくらい、現実味のない話だった。
「大丈夫です。」
立ち上がると、両膝を擦りむいていた。ちょっと出血している。
「すぐに手当てを。お乗りください。」
と車に促され、もうUターンしたらそのまま着いてしまうような距離を車に乗り、大袈裟にも松戸さんが肩を貸してくれながら、神楽所邸に帰った。
結局、ここに帰ってしまった。
家の中では松戸さんが連絡した様で玄関で誠さんが待っていて、傍に控えた家政婦さんが膝の手当てをしてくれた。
「他に怪我はないかい?」
誠さんは心配している様に言う。決して理由には触れずに。
けれど、その白々しさに、耐えられる私ではなかった。
「この家に、神楽所薫さんはいますか?」
私の言葉に、誠さんは顔を青くして、家政婦さんも手当ての手を止める程にその場が凍りついた。
「…。」
「いるんですね。」
手当てが途中なのも無視して立ち上がると、
「ど、どこに行こうとしているんだい。」
と誠さんに止められる。
「どこって、薫さんのところです。」
「どうして⁉︎」
「どうしてって。私が聞きたいですよ。急に追われて。」
「そ、それは…、お義母様に聞いたって…、」
明かに狼狽る誠さんに、やはり先ほどの男達が神楽所の関係なのだと確信できた。
「この家の頭首は薫さんなんでしょ?神楽所の本家とか、分家とか、私が演舞を踊る事に色々あるのはわかるけれど。いや、私なんかじゃ全然わからないけれど、でもだったら、一番上と話すのが手っ取り早いでしょ。」
「いや、それは…。」
「大丈夫です。勝手に探すんで。」
誠さんの横を擦り抜けて、神楽所本家の廊下を進む。
「待ちなさい!」
誠さんに止められるが、振り払い、片っ端から家の扉を開け始める。何度も誠さんに止められるが、その都度振り払い、また廊下を進み扉を開ける。が、広い家の中きりがない。部屋の奥にも部屋があるし、幾つ開けても全然見つからない。
「いい加減にしなさい!」
と。隣で止めていた誠さんに、腕を掴まれた。今までの制止が大分力加減をしていたと分かる程、強く掴まれ腕を動かせない。
「お義母様に聞いたって仕方ないんだ!いいから、君は演舞に集中していなさい!」
耳元で怒鳴られる。
「…。」
流石に動きを止めた私に誠さんも手を緩めた。
「わかりました。」
扉にかけた手を下ろした私に、
「大きな声を出してすまない…。」
誠さんは気まずそうに言った。私が、怯えたと思ったのだろうか。
私は諦めて、誠さんの横を通り過ぎ元来た廊下を戻る。玄関には、家政婦さんが困った顔をしていたけれど、それも通り過ぎて、玄関を出た。
「神楽殿に行って来ます。」
と、言い残して。
歩いて神社の境内を抜け、神楽殿に入った。
いつも通り、巫女服に着替える。もう一か月近くこの服に身を通し、複雑な作りのこの服も一人で着れるようになった。身支度を済ませ終えてから。
そして、私は神楽殿の窓を開放した。
神楽所薫を探すのは諦めた。だから、あっちから来させてやる。
境内の中には年配の参拝客が数人いた。いきなり開いた神楽殿の扉に、皆驚いている様だ。
当然だ。この扉は夏祭りの演舞にしか開かないのだから。
しかも、開けたのは巫女服の女で、けれど尊でもない。
その女が、演舞のカセットテープを流し始め、いきなり演舞を踊り始めたのだから。
神楽鈴が練習用というのが、締まらないけれど。何度もDVDで見た、尊が使ったあの本番用はどこにあるのかわからない。
でも、気持ちは本番さながらに。あの動画の中の尊を想像して。
一心不乱に踊った。私の怒りを訴えるように。
ふざけんな。あんな目に遭ったって、ちょっと怒鳴られたくらいで、私が今更怯むと思われたことが、何より屈辱だ。今更何をされたって絶対に引き下がってたまるか。証明してやる。私が、神楽所本家の血筋だと。
今、ここで。
最初はどよめいていた参拝客だったが、そのうちに静かになり、演舞が終わった頃には拍手に変わっていた。息をするのも忘れるほど本気で踊って、だけどまだこんな拙い演舞で、それでも喜んで貰えるなんて、有り難いより先に嬉しかった。
「はあ…、はぁ……、はは。」
笑ってしまうほどに。
そして、
「今年の夏祭りでも私が踊るので、見に来てください。」
と高らかに宣言した。
「え…?」
「尊ちゃんは…?」
思いもよらない宣言に動揺している参拝客に、
「何をしているんだ!」
と、騒ぎを聞きつけたのか誠さんが走ってきた。
「ああ、神主さん。この子が今年の演舞を踊るって本当かい?」
参拝客の一人が聞くと、
「な…!そ、それは…。」
口籠る誠さんが答えるより先に、
「はい。私が踊ります。」
ともう一度神楽殿から投げかける。
「七ちゃん!それ以上は…!」
口を突いて言ってしまったのだろうその言葉に、
「…七?」
「七ってあの、こないだの事件の…。」
田舎の老人たちは情報通だ。あんな事件があった家族の名前も知っていて当然だろう。今までだったら嫌気が差していたが、いまは好機だ。
「そうです。私、実は神楽所本家の家系なんです。」
不貞ぶてしくもそう言うと、そのままお迎えが来てしまわないか心配になる程、参拝客の老人は驚く。場は混沌としていた。それだけ、信じられないような事実なのだから。
「七ちゃん!辞めなさい!」
誠さんはもう慌てて私を止めようと神楽殿に乗り上がろうとして、
「そうさ、この子は神楽所の子なのさ。」
ぞわりと、背筋に寒気が走った。
その声に、ゆっくり近づいてくる足音に、その存在感に。
「か、薫さん!」
「アンタが出てくるなんて!」
老人たちは、先程よりも驚愕したように、その人を見た。
年齢はうちのお婆ちゃんとそう変わらない筈だ。けれど、放つ気配が違う。
しゃんと伸ばした背筋が、砂利道を真っ直ぐと歩いてくる姿が、その視線が、この場をー私が作った混乱を簡単に飲み込む。
どんな場数を踏んできたら、こんな立ち振る舞いになるんだ。
「うちの家系の子さ。けんど、まだ黙っといて。」
薫さんのその一声で、
「薫さんに言われたら、そりゃあ勿論黙っとくさ。」
と、いとも簡単に引き下がっていく参拝客を見送る事しかできなかった。
「アンタが清の孫か。」
再び、背筋凍るような寒気に襲われる。怖い、怖い怖い。
尊の視線なんか、どれだけ可愛いものだったか。この人に見られているというだけで、全身の毛が逆立つような錯覚に陥る。例えばここで殴り合ったとして、この老婆に力で負けるなんて事ないのに、それでも、気を抜いたら膝から崩れ落ちる様な恐怖だ。間違いなく、この人が神楽所家頭首ー神楽所薫だ。
「あ、か、葛…」
違うだろ。
「私は…、」
私は何のためにここで踊ったんだ。
「私は、神楽所七と言います。今年の演舞は、私が踊ります。」
絶対に目を逸らさない、と決めて。その鋭い目を見返す。絶対に引かない。絶対に引かない。と何度も自分に言い聞かせてながら。
「……。」
けれど、沈黙が続き、冷や汗なんだか汗なんだか顎から水が滴り落ちる程そのまま時間が過ぎた頃。
「追われたんか?」
と、薫さんが言った。
足を竦ませながら、手を震わせながら、それでも。
「…あなたの、差し金ではないんですか?」
と、返す。
「なんて事を言うんだい!」
誠さんに怒鳴れる。けれど、薫さんは黙ったまま何も言わない。
「そ、それじゃあ、あの人たちは誰の差し金ですか。」
声が裏返る。もう今自分が真っ直ぐ立っていられているのかすら、わからない。そんな私を嘲笑う様に、いや違う、嘲笑いすらしない。至極当然のことの様に淡々と。
「私はそんな姑息な手は使わなんよ。あんたみたいな小娘、あんたの家族ごと、今すぐこの町から消すことだって造作もないのに。」
と。そう言った。
ふ、
言いながら、神楽殿から飛び降りる。
「ふざけんな!」
怒りのままそう怒鳴り、けれど怒りは収まらず、そのままの勢いで神楽所薫に詰め寄る。
「私はもう、神楽所の人間だ!」
「な、七ちゃん!やめなさい!」
誠さんに押し止められながらも、神楽所薫―神楽所家の頭首に続ける。
「絶対に、演舞は私が踊ります!だから!私の家族に、春とお婆ちゃんに手を出したら絶対に許さない!」
伸ばした手が、頭首の襟を掴みかけ、絶対にこいつを今ここでぶん殴ってやると拳を作り、
「やめなさい!」
誠さんに突き飛ばされた。
無様にも地面に思い切り尻餅も着いて、
「痛っ…」
「あ、す、すまない!身体は大丈夫かい⁉︎」
「いえ…、」
心底心配そうな顔をされて、居た堪れなくなった。
「大丈夫です…。」
あまりにも沸騰した怒りだったからか、逆に急に冷静になってしまった。
「… 、…すみません。」
勝手に神楽殿を開放して踊るなんてとんでもないことをしたと我に返った。我に返ったところで、もう遅いかもしれないが。
もしかしなくとも、演舞を踊らせてもらえない所か、本当に春もお婆ちゃんもこの地域に居られなくさせられてしまうのではないかと立ち上がる気力もなくなっていた。
「…。」
本当に無様にも、地面を見つめて呆然とする事しかできなかった。
もう、無理だと。諦めるしかないと。
しかし、神楽所家頭首は一度大きくため息をついてから、
「神楽演舞は、」
と、口を開いた。
「神様を降ろすためのものだ。」
と続ける。
「…は、はい。」
私に言っているのだと気づいて、返事をした。顔を上げると、見下ろす薫さんと目が合う。
「神楽所神社の演舞を踊るということは、今日の様な目に合うと、こういうことだ。」
伝えたい意図がわからず、二の句を告げずにいると、
「肝に銘じておきなさい。」
そう言った。私に、そう言った。
意味がわからず、けれど自意識過剰にも、
「踊っていいってことですか…?」
私にはそう聞こえた。
薫さんは私の言葉には返さず、誠さんに、
「怪我がないか見てやりな」
と言い残して神楽所本家に戻って行った。
呆然とその後ろ姿を見送りながら、どうしたらいいのかすらわからず座り込んでいると、
「七!」
大きな声に振り向くと、額を汗で滲ませ、走って来たことが容易に想像できる尊がいた。
「大丈夫ですか⁉︎」
「え、あ、はい。」
何が大丈夫なのかよくわからず、その勢いに呑まれてとりあえず返事をしてしまう。
「不審者に襲われたと聞いて!本当に大丈夫ですか?」
「あ、ああ。そっちは大丈夫です。なんとか。」
空笑いをするが、尊は一緒には笑ってくれない。
「そっちはって?」
「お義母様が、七ちゃんの演舞を認めたよ。」
それを言ったのは誠さんで、その言葉に尊は元々大きな目を更に大きくし、持っていた鞄を落とすと、小さく「嘘、」と呟いた。




