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イサイアスに捧ぐ  作者: 万事塞 翁
第六章
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第十二話

「本当に、お前だけには会いたくなかったのによ。」

「そう言うなよ。久しぶりに昔話でもしようぜ、主に京子の卒業式の話とか。」


その言葉をトリガーに、京介さんも足を踏み出した。


「走れ!」


灰が叫び、頷くより先に七は走り出す。


「追って!」


こっちも京介さんの指示と同時に七を追いかけると、


「おわっ!」


灰の腕が向かってきた。

顔面に迫ったそれに殴られるかと思ったが、反射的に顔の前に出した俺の手首を掴まれる。振り払うことも敵わず、次の瞬間にはもうその腕を強引に捻られていた。蛇口でも締めるみたいにグルンと、くっついている身体ごと一周視界が回っていて、気付いたら地面に身体をつかされていた。灰に握られたままの手首が上から吊るすように身体を支えてくれていて、手を離されていたら回された勢いで顔から地面に叩きつけられていたかもしれない。

しかし。灰が俺の手を離さないのはそんな優しい理由じゃなかった。

既に一回転しているその握った手首を、あろうことか捻り続けた。


「い゛ッ!」


千切れる…!

痛いのは肩なのか手首なのか、その両方なのかわからないが内部の神経とか肉が千切られるような痛みに、その恐怖に呻き声が漏れる。やめろとも離してくれとも、まともな声なんか出せない。


「まだ連れ戻されると困るんだよ。」


上から降ってきた灰のその冷淡な声に、たった数秒でもう降伏状態だった。やはり力で敵うような相手ではないと思い知らされるが、


「高校生の恋路を邪魔してやるなって。」


京介さんの声が聞こえ、急に拘束されていた手が解放される。

捻られていた腕が一気に解かれ、力なく地面に突っ伏す。鬱血していた血が指先まで急に循環を始めたせいで痺れてはいるが感覚は繋がっているようだ。

よかった、千切れてなかった…。

視界の上では京介さんが灰の顔面に右ストレートを向けていて、掌で受け止めた灰がその拳を俺の時と同じように捻り下げようとした。と同時に京介さんの左足が灰の頭を狙い、灰はすぐさま拳を解放するとその腕を顔の前に置いて前腕で蹴りを受ける。頭までは届かなかったが、灰が蹴りの威力に体制を少し崩す。

が、バランスを崩しながらも蹴りを受け止めた腕とは反対の腕が伸びてその左足を掴みにかかった。京介さんはそれも見越していたのか一瞬早く足を引いていて、逃れるように一歩下がった位置に着地した。

ものの数秒の出来事だった。

予定調和のように、台本で決められているような動きの読み合いについ見惚れてしまった。

地面に転がったまま呑気に観戦している俺に京介さんはこっちを見ることなく、


「走って!」


そうだ、何のための時間稼ぎをしてもらっているんだ。

言われるまま、身体を起こしながら走り出す。


「待て!」


すぐ真後ろで灰の声が聞こえたが、今度は止まられることはなかった。後頭部を何か掠めた気はするが、多分京介さんが足止めしてくれていることを信じて七に向かって走り続ける。

七は既に視界の端で小さくなっていて、足場の悪い河川敷から歩道に上がり、距離が空いてしまっていた。

こういう時の七は大概タガが外れて限界以上の力を発揮してくる。喧嘩になれば自分の手が怪我する程の全力で相手を殴る女だ。体育の授業でこんな全力疾走見たことないんだが、こんなに早く走れるなら帰ったら無理やりにでも陸上部に入部させてやる。

俺も草に足を取られる河川敷から歩道まで上がり、これで転ぶ心配はないーこっちも応戦するように全速力で走り始める。同じ歩道まで上がると、空いている距離は百メートルくらいだ。


「止まれ!七!」


すぐ隣の車道で車が走っていて、その轟音に叫んでいる声は掻き消される。

聞こえたところで七が俺に言われて止まる奴ではないのはわかっているが。だけど元気に逃げる姿に苛ついているのは確かだった。ここ数日の心配を、溜まっていた鬱憤を晴らさずにはいられず、やけになって呼び続ける。


「七!」


いくら七が早いと言っても身長的にも運動神経でも圧倒的に俺の方が有利だ。

距離は縮まってきていた。

七の背中が近くなりラストスパートをかけるように追い上げて、あと二十メートルくらいの位置だった。ちょうど車の流れが減った瞬間、


「止まれ!」


叫び声が周囲に響いた。瞬間。

ビタッと、七が止まった。

ビクッの方が合っているかもしれない。そんなに怒号を出したつもりはなかったが、大声に驚いたのか脊髄反射のように緊急停止し、身体の方が追いつかず足を縺れさせていた。

この隙に距離を縮めている俺に、七はゆっくりと振り返る。

走っている間にフードは脱げていて、七の顔がやっと見えた。頭の上から毛先まで金髪だった。


「お、怒った…?」


開口一番、そんなことを言いながら。

親に怒られる小さい子供みたいな顔で両手をおろおろさせている姿に、もう逃げる気はないようで、ゆっくりとこっちの足も止まる。

あの七が。

今まで一度も俺の制止を聞いたことがない七が、言われるまま止まるとは。俺の機嫌を伺ってくるとは。…偽物じゃないのか?

金髪だし影武者かもしれない。残りの数メートルを詰める代わりに睨むように見定めていると、


「あ、あの…、ごめん…。その、色々理由があって…。だからあの、…あの、」


お、怒らないで。と。

許しを乞うように手振り身振りで焦りを訴えている七が、いつもの沸点に差し掛かったが最後怒りのまま暴走する姿にも、その強烈な金色の髪から与える強い印象とも似合わない。

へなった眉毛の下から俺を覗く目が弱々しいのは、疲労からというわけではないのだろう。


「……。」


ほだされて、戦意も怒りも削がれてしまった。心配かけさせやがってと怒れなくなってしまった。

やっとちゃんと見れた顔は疲れている気はするが無事で何よりだし、


「怒ってないからとりあえず…。…もう逃げないでくれない。」


あと俺も体力の限界だった。

連日寝不足で動きっぱなしの身体に全力疾走が大分応えて目眩がしている。七へのため息か息を整えているのかわからない息を深く吐きながら、一歩ずつ七に近づく。

そうだ。怒るより先に、とにかくこれを言わないといけない。


「今日七の誕生日なんでしょ?」

「…え?」


七は一度首を傾げて、何を言われたか理解が追いついていないままに、


「あ、そ、そうかも…?」

「おめでとう。」


こんな場面で言うことでもないが。

唐突に言われたある意味サプライズに七は驚いていて、というよりはまだわかっていないのか、目を瞬かせて返答するだけだ。

まあ天邪鬼な七が真正面から言われて素直に喜ぶとも思っていない。最初から自己満足みたいなものだ。だけどこれは家族として、直接言いたかった。


…ちゃんと言えてよかった。


達成感で自分でもちょっと笑えた。

それに吊られて、怒られていないとやっと頭が追いついたのか、七は安心したように窄めていた肩を緩めた。俺を見上げた目は視線が交わると一度伏せるように逸らしてから、もう一度目を合わせて、はにかむように目を細めて笑った。


「ありがとう。」


二日ぶりの顔に、たまらなかった。

距離はあと一メートルくらいで、もう一歩踏み出して手を伸ばせば届く。

後ろから強い風が来て、身体を押されるように。いや言い訳かもしれない。伸ばした腕の勢いのまま抱きしめようとした。

七の身体まであと数十センチで。

七が受け入れるように俺に向かって両手を広げた。


「七」

「りんんうっわあああああぁぁぁぁぁ!」


突然。

俺の真横を通り過ぎた大きな突風が、一瞬で目の前の七を掻っ攫って走り抜けた。


「なっ⁉︎」


バイクに乗った灰が、車体を走らせながら七を片手で拾って走り去ったのだ。

通り過ぎるスキール音のように遠ざかっていく七の悲鳴を響かせながら、そのノーヘル片手運転の上に人を担いで運転するという一体何の罪に問われるかわからない違反バイクは、小さくなるのと一緒に七の悲鳴も聞こえなくなっていった。


「バイク取られた!」


後ろから京介さんが走ってきて、膝に手をついて息を切らしている。顔や手の見える場所だけでもいくつも怪我をしていて相当やりあったのが伺える。

だけど。

灰には逃げられ、七は連れ拐われ、バイクは盗まれてしまった。


隣の京介さんに、俺は小さく呟いた。


「作戦通りですね。」

「ああ。」



距離感がわからないので何メートルって書くときは必ず測ってから書いています。時間がかかります。

人間関係の距離感もわかりません。メジャーで測りたいです。

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