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イサイアスに捧ぐ  作者: 万事塞 翁
第六章
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第十一話

その日の夕方。

七の誕生日はあと十時間を切っている。

京子さんのこととは別に、もう一つ京介さんにお願いして連れてきてもらったのは、近くにある古都問川という大きな川沿いだ。

この周辺の何駅分にも差し掛かる長い川にはその横に沿って道が整備されていて、車道と歩道とジョギングコースまでが作られている。川沿いはそうやって人通りも多くいくつも周りに公園が作られていたりするが、俺たちが今いる辺りは伸びた草があるだけの整備されていないエリアのため河川敷の土手まで降りてくる人はいない。

夕方のため車道の方は通りも多く車を走らせる音が聞こえてくるが、駅から遠いこの辺りの歩道を歩いている人自体がまばらだ。

俺と京介さんはその人気のない土手で、川を繋ぐ橋の高架下にいた。

ここに来て一時間が経過していているが、俺たち以外誰もいない。隣で川だけが過ぎていく河川敷に、俺も少し諦めてかけていた頃、だけどやっと人影が現れた。


向こうからこちらに向かって、二人の男女が歩いてきた。


一人は長身で目深に被った帽子から顔は見えないが、帽子の端から灰色の髪が覗く男と、もう一人は体型に合わないぶかぶかのパーカーのフードで顔を隠した金髪の女の子だった。

二人ともこちらに気付かず向かって来ていて、俺たちは隠れるように橋の影に移動する。

近距離まで来た時に女の方がため息をついた。


「今日野宿か…。」


聞こえて来た女の子の声は間違いない、七の声だ。


「昨日のホテルが良かったよ…。」


疲れているのか覇気のない声で、ふう。とまたため息をつくのが聞こえる。


「仕方ねぇだろ、警察が来るから移動しろって言われたんだから。…嫌なら帰るか?」


それに応えたのも紛れもなく、灰の声だった。



やっと見つけた。



灰の誘拐犯とは思えない言葉に対して、誘拐されているはずの七は意地を張るように、


「…帰らない。」


と低い声で返す。すると今度は呆れたように灰がため息を出していた。

声を聞くに、二人とも相当疲れが出ているようだった。当然だ。連日警察に追われているのだからいくら氏神様の協力があっても早々気の休まるものでもない。

で、あれば。

京介さんが俺に合図をして、それに頷いた。

後ろの夕日から照らし出された二人の影が迫ったのを確認してから、京介さんが先に動く。橋の影から二人の方に向かって走り出した。


「なっ!」

「え⁉︎」


突然現れた人影にー京介さんだと認識できたかわからないが、自分たちに向かってくる影に二人とも動きが止まり驚いていた。その隙に京介さんは手前で大きく飛んで、灰に向かって蹴りを入れる体制に入る。

一瞬遅れつつも灰はそれに反応してみせ、まだ状況に追いついていない七を片手で後ろに押してから、もう片方の手で自分の身体をガードするように構え、俺はその間にも京介さんの後ろから出て行って灰から離れた七を掴まえようと走り出す。


「七!」


京介さんの足が灰の腕に入ったと同時に灰の横を潜り、後ろにいる七に手を伸ばそうとして。

首の後ろに重い力が加わった。

多分首根っこを掴まれたと脳に警告が行くのと同時に、逃れる動作をする暇もなく、後ろにぶん投げられて草むらに身を打ち付けられた。


「げほっ!おえ…。」


引っ張られて服で思いきり詰まった喉に嗚咽しながら、なんとか起き上がって前を見る。京介さんは既に蹴り終えて地面に着地しているが、灰はさっきと変わらず七を背中にして、体勢を崩す様子もなく無傷なままだ。京介さんの蹴りを片手で往なしながら、俺を合間に吹っ飛ばしたようで、やっぱりとんでもなく強い。

だけど。

だからと言って灰が余裕というわけではなかった。


「おい、こりゃあ一体どういうことだよ…。」


いつものように緊張感のない笑いを顔に貼り付けながらも、額に汗を浮かべている。

灰と七はきっと警察から逃げるためだと氏神様に指示されてここに来たのだろう。

なのに、俺たちがここで待ち構えているのだから焦るのも無理はない。それはつまり協力体制である筈の氏神様が嘘をついたー裏切ったということになるのだから。


他でもない俺が、裏切らせたのだ。


「お前か、臨…。」


何を悟ったのか視線を向ける灰に、俺は身体を起こしながら正直に返す。


「俺は別に神様にお参りにしに行っただけだよ。七が早く帰って来ますようにって。」


ここに来る前、神社に行ってお祈りして来た。

神様は、神楽所家の氏神様は、氏子のなんでもがわかる。

それは氏子である俺の思考も、動きも。

だからこそ俺の思考を読みながら俺の動きを予測し、京介さんを連れてくるように灰や警察を使って、俺に気付かれることなく俺を裏で操っていたのだから。

ならば。

逆もできると思った。

氏神様に俺の思考を読ませることで、氏神様の行動を予測し、氏神様を操る。

言葉にするとかなり難易度が高そうに聞こえるが、決して難しいことをしたわけではない。氏神様相手では操ろうとしている思考すらバレてしまうのだから、難しい心理戦を繰り広げようとすることすら敵わない。

要は、俺はただ心の中でお願いしただけだ。

操るというよりは、操られてもらった。神様らしくお願いを聞いてもらった、と言ってもいい。

氏神様の趣味思考を考え、どうすればこちらに寝返ってくれるかを予測し、氏神様にそのお願いを読み取らせた。

なるべく氏神様との親和性が強くなるよう、必ず氏神様に届くよう神社に行って、俺はお願いした。


『七と灰を俺たちが待つ場所に連れて来てくれたら、代わりに俺が()()()()します。』


と。

流石に氏神様が本当にこのふざけたお願いに乗ってきてくれるかはちょっと賭けだったが。

まさか本当に来るとは…。

帰ってから氏神様に何を要求されるかは恐ろしいから今は考えないでおこう。


俺の返答に氏神様がした裏切り行為の意味に予想がついたようで、灰はこめかみに血管を浮かせていた。


「あのアバズレ神が…。」

「氏神様もこっちの味方についたことだし、大人しく帰って来てくれない?」


俺の問いに、灰はそれでも首を縦には振らない。

獰猛に笑って見せて、言った。



「俺は殺人犯の上に誘拐犯だぜ。誰が捕まりに帰るかよ。」



そう自白した灰に、罪を自ら認めた彼に、俺は悟った。

ああ、やっぱりそうなのかー


「じゃあ、無理にでも連れて帰るよ。」


格好つけて言ってはみたが、しかし。不意を突くことで二人を一気に制圧する作戦だったのに、敢えなく失敗してしまった。疲労していようが、灰は七というハンデを背負ったままでも十分戦えてしまう。

後ろの七は灰に隠れて顔は見えないが、足元はじりじりと下がっていて、この場で足手纏いにしかならない状況に気付いているんだろう。先に逃走するつもりのようだ。

それは俺も同じだ。灰と京介さんの間に入っても邪魔になるのはわかっている。だから七の方を捕まえるつもりでいるのだが、灰はそれをわかっていて俺に動く隙を与えない。まだ動いていないと言うのに、灰から牽制する重い圧を感じる。

誰が一番最初に動き出すかこの緊迫した空気の中で、


「おいおい、久しぶりの俺に挨拶もないわけ?」


と京介さんの場にそぐわない緩い声が聞こえた。

京介さんの後ろにいる俺からはその表情がわからないが、京介さんの声はいつもと変わらない調子で正面に立っている灰に向かって続く。


「こうやって面と向かうのはあの日以来だなあ、灰。」


灰は「あの日」というワードに眉間にシワを寄せたのが見えたが、すぐに表情を取り繕って煽るように笑い返す。


「…知らねぇな、お前みたいな軟派野郎。どちらさんだよ?」


それに京介さんが肩を竦めて、わざとらしくため息をついて見せる。多分笑っている気がした。


「いつも言ってるだろ、俺は女子高生が好きなだけで硬派だって。」

「それを軟派って言うんだよバカが。高校生ん時から何も成長してねぇな。」

「それはお前の方だろ。」

「……。」


京介さんは笑った。いや、相変わらず表情は見えないが。会話を続けていくほどに表情の険しくなる灰とは裏腹に、いつ殴り合いが始まるかこっちがヒヤヒヤしているというのに、京介さんだけが、高校時代の話を懐かしげにしていた時のような、心底楽しそうな声で、笑った。


「相変わらず好きだねぇ、京子のこと。」


その台詞をきっかけに。

灰が拳を握った。

さっきまで浮かべていた笑みは完全に崩れ、京介さんを捕らえる鋭い眼光は向けられていない俺でも背筋を凍らせた。氏神様やお婆様を思わせる…いやあんなに上等なものじゃない。二人みたいに思わず手をつかされるような上品なものじゃなくて、もっと野蛮で捕食した獲物を食い荒らす獣みたいな目だった。


「本当に、お前だけには会いたくなかったのによ。」

「そう言うなよ。久しぶりに昔話でもしようぜ、主に京子の卒業式の話とか。」


その言葉をトリガーに、京介さんも足を踏み出した。


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