この世界の片隅で今を生きている僕らは。
怠惰に生きる自分への戒めとしてこの文を書こう。
日々、意味のない時間を過ごしていると言う。そう思う。我ながらひどいもので、傍から見ても醜いとしか思えない様相を呈している。
それを是正しようという思いはあれど、実行に移せないところが性根の腐敗をよく伝えてくる。
笑えるものならよかったけれど、まったく笑えないのだから危機感しかない。それでも動かないのが、また最悪だ。
さて、しかし。
それでも、と言えばいいのか。
そんな自分でも、生きてはいるのだ。
この広い世界の片隅で、今を、今日を、この一瞬一瞬を生きているのだ。
食って寝て、起きて。働いて。食って寝て起きて。
どれだけこき下ろしても、生きていることに変わりはない。
世界は広く、見上げる空は青く遠く果てしなく。
見知らぬ街は多く、足を延ばせばそれだけで知らない土地になる。
車窓から眺める景色は、どこもかしこも行ったことのない場所だらけ。
テレビやネットを通じて見る景色はどれだけ遠いことか。
それでもそこは確かに存在していて、本気で立ち上がり向かえば辿り着ける場所が多い。
世界は広い。
広い広いと言っている自分が思っている以上に、きっと広く、本当に果てしないものだ。
あらゆる土地に足を置くことなど、きっと一生をかけても無理なのだろう。
地球という一つの星だけでも終わりが見えず、宇宙に目を向ければまた遠い。
数多の星々が見下ろしてくる世界は、真の意味で果てがない。
今はまだ手すら届かない世界で、数十年先にまた変わっていることがあるかもしれない。
ほんの少し、指先が届くようになっているかもしれない。
それほどに広い世界で。
そんな大きくて果てがない世界で。
生きているのだ。
私は、僕は、俺は。生きている。
ちっぽけな世界の片隅で今を生きている。
生きているからこそ、怠惰に生きた自分を認め、次の自分を肯定しよう。
明日の自分でもなく、一時間後の自分でもなく、次の瞬間の自分をこそ認めよう。
怠惰な自分はいた。
ならば、今の自分はどうだ。もう変わっている。今の自分は、ただ消費し使い潰すだけの人間ではなくなっている。
生きていることに変わりはなく、世界にとっても何も変わっていない。
それでも自分にとっては変わっている。
もう、今の自分は怠惰ではなく。惰性で生きているわけでもなく。
生きるために、何かを綴って生きている。
この世界の片隅で、今を生きている。
僕は、今を生きている。