宵街の女達~百合子~②~
かくして、騒動も一段落した頃俺は、気分の落ち付いた彼女をフロアに送り―出し、自分はたまった洗い物を片づけ始めるのだった。
「裕ちゃん…経営者のウチがこないなことゆうのも変やねんけどあんたぁ…百合子の事どない思うてる?店的には店内恋愛禁止にしてんねんけど…あんたら二人は別やぁ……今のあの子にはあんたの存在が必要不可欠やとウチは思ぅてる…百合子と付きおぅてみたらどないやの?ウチはあんた等ぁ似合いのカップルやと思うでぇ……」
百合子さんと行き違いに、酔覚ましにフラリとバックヤードに現れた皐月さんが何気なく、核爆弾クラスの魚雷をぶち込んでくれるのだった。
こうした皐月さんからの爆弾発言は、今までにも何度かあったのだが、今回の発言は、今までに無い、核兵器級の破壊力だった。
「ちょ…ちょ…ちょっとぅ急に何言い出すんすかぁ……そりゃ確かに百合子さんは凄く魅力的な女性っすよ……けど…だからって言って付き合うか否かは…百合子さんの意見も聞かないと俺の一存では決め兼ねます……」
撃沈寸前の俺には、舌を咬みそうになりながらそこまでを言うのが、せえいっぱいだった。
「うぅん…ま…確かにせやなぁ……生真面目なあんたの事やから…そないゆうてくるやろうゆうのもウチは想定内やぁ…あの子ぉにもも少ししたらこっちに顔出すようにゆうたるさかい時期に来るんとちゃうかぁ……ウチはこいでまたフロア戻るよってなぁ……後は若者どうしゆっくり話しでもしぃや……あんた等絶対お似合いやわぁ」
酒に酔いしれ、こういった爆弾発言を吐く皐月さんを俺は、無敵で最強だと思っていたため、それ以上の言葉は、全て己の腹におさめるのだった。
しかし、彼女との恋路は、永遠に実る事なかった。何故なら彼女は、前述の[アカサギ]で述べたように、結婚詐欺に遭い自殺してしまったのだから。
「……だから…だから言ったのに……俺のせいだ……全部全て俺の責任だ!」
彼女と昼間の仕事場が一緒だった智恵子さんから、百合子さん自殺の訃報を聞いた瞬間、俺の口から出た第一声は、自暴自棄の水底に俺を一気に引き摺り込む物だった。
「栄二ぃ!奴の居場所だぁ!草の根分けてでも探し出すんだ!奴の息の根を止めねぇ限り理不尽に死んだ百合子さんが浮かばれねぇ……」
最初こそ、威勢良く言った俺だったけど、語尾は流れ出る涙に掻き消され、俺の視界は完全に涙に遮られていた。
「裕ちゃん…そがい自分を攻めないやぁ……百合子がおらんようになったんは淋しい事やけど…そがい大きな荷物一人でせたろうたら…今度はこんなぁが壊れるじゃろがぁ……百合子を失のうてこんなぁまで失のうたら…残されたウチ等ぁはどがいしたらえぇのんよぅ?お願いやけぇくれぐれも無茶だけはせんといてつかいやぁ……約束やでぇ……」
物事が冷静に判断できる状態の俺ならば、彼女の言うのも、最もだと聞き入れられただろうが、この時の俺の状態からは、彼女の意見をまともに受け入れるだけの余裕などあろうはずも無く、結果俺は、彼女に噛みつくしかできなかったのである。
「裕さん!少し落ち着いてください!」
開店前の店のフロア、やいのやいのと言い争う俺と英美さんを止めたのは、紗子さんで、彼女の平手打ちが俺の右頬に小気味良い音を立てて決まった。
この時の彼女の平手打ちは、俺が今まで喰らってきどんな猛者の拳よりも強く痛かった事を、四十年以上経った今でも、鮮明に記憶している。
「紗子ぉあんたもしばらく店休みぃほいで裕ちゃんの傍ついとったってくれへん?この子ぉはほんまにあんたの姉さんすいとったんでぇ……せやから今の状態のこの子ぉ一人にするにはリスクが高か過ぎるんやぁ……」
感情の昂った俺を、一人にしとくのは危険と踏んだ皐月さんが紗子さんにも俺と同じように、しばらく店を休むように言った。
「……ママそれって…あたしに裕さんの行動を監視しろって事ですか?ぶっちゃけ言うとあたしも裕さんが好きです……だから…裕さんと一緒に過ごせるのはめちゃくちゃ嬉しいです…けど…裕さんの行動を監視しろって言われるなら最初からお断りします……」
「何でやぁ?あんたぁ裕ちゃんが大事やないんかぁ?」
初めてくらいに自分の提案に反論した紗子さんに皐月さんがさらに詰めよるのだった。
「裕さんを大事に思うからこそ彼を束縛したくないんです……姉が愛おしく想い妹のあたしも愛おしく想う…本当に最愛の存在なんですよ…裕さんは…あたし達姉妹にとって……」
いつもであれば、皐月さんの迫力に気圧されて文香さんが助け舟を出すのが当たり前だったのだが、この時の彼女は明らかにいつもとは違い、凛と張りのある声で皐月さんを正面から見てはきはきと応えるのだった。
「……やれやれ…裕ちゃんの事となるとあんたのお姉ちゃんも頑固やったけど…妹のあんたも中々やなぁ……まぁ…あんたが一緒やったらあの子かてそうは無茶せんやろ…ほな…まぁ二人でしばらくゆっくりしぃや」
紗子さんのてこでも首を縦に振らない頑固さに皐月さんは、根負けしたようにため息交じりにそう言うと、俺と紗子さんの二人を他のメンバーより先に帰らせてくれるのだった。
「裕さん…さっきは叩いたりしてごめんなさい……けど…ママや英美さん達の気持ちもわかってあげて……みんなもう裕さんに無駄な怪我させたくないの……けどね…あたしは正直めちゃくちゃ嬉しかった……裕さんが姉さんの事凄く大事に思ってくれてたんだって…実感できたから……」
店を出て、数十分後百合子さん姉妹の暮らしていたアパートに着いた時、彼女は伏し目がちにそう言うと、俺に身体を預けて泣くのだった。
[兄ぃ…英二です……奴の素性解りましたよ……この岐阜市で市議会議員やってる志垣小次郎って人物が居るんですが…そいつんとこのバカ息子ですわぁ……]
俺も紗子さんも泣き止み少しだけ落ち着いた頃、百合子さんを自殺に追い詰めた奴の素性探りを依頼していた英二さんから緊急連絡用に持たされていた携帯電話にかかってくるのだった。
しかし悲運にも、[クラブ皐月]在籍時には奴を追い詰める事は出来ず、無情にも時は流れて、俺が三十一歳の夏だった。
偶然紗子さんと文香さんが独立して立ち上げていた[ラウンジ愛鈴]に呼ばれて来ていた俺は、奴が親から勘当された事を聞き、そして、幸か不幸か奴を追い詰める事に成功して見事紗子さんの姉、百合子さんの敵討ちを成功させたのだった。
一様、[宵街柳ヶ瀬哀歌短編集]はこれにて一旦完結とさせて頂きます。
私のくだらない昔話にお付き合い下さった全てのユーザー様に感謝をこめてありがとうございました。
枝垂れ桜のお蘭