宵街の女達~百合子~①~
とにかく彼女は、無口
でまじめだった。
実の妹である紗子さんとの二人きりの生活の中、彼女は何時しか、笑顔を置き去りにしてがむしゃらに働いたが、笑顔と会話力の求められるこの場では何時しか異質の存在になり、彼女は、常にドン底でもがいていたのである。
今夜も彼女は、ほんの数分間だけ客に付いていただけで、すぐに俺のいるバックヤードに戻され、悔し涙を滲ませて洗い物をする彼女が、何とも不憫でならなかった。
『……あたしやっぱり…この仕事向いてないのかな』
彼女が独り言のように、ぽつんとつぶやいた。
「……悔しいかよ?…俺…付き合うから接客の練習しようや……向いてねぇとか考えるのその後からでも遅くねぇんじゃねぇかな……百合子が人一倍努力してんのみんな知ってる……それにさ…辞めるとか言わねぇでくれねぇかな?変に思うかも知れねぇけどよぅ俺…あんたの事気になって仕方ねぇんだ……目いっぱい頑張ってみようや……」
バックヤードでの彼女の独り言を聞いた時、思わずもれた、俺の本音だった。
「……裕さん…もう…優しいんだから……あたし…泣いちゃいますよ……お願いします!裕さん!あたしを目いっぱい鍛えてください!みんなの期待に応えられるように頑張りたいんで!」
彼女はそう言うと、再び輝きを取り戻した瞳で俺を見つめて言った。
それからしばらく、彼女の接客練習が始まるのだったが、接客の要領は何とか掴んでおり、後は笑顔と会話力だけだったのだが、彼女の真面目で頑張り屋な性格の凄さはここからだった。その日一日で笑顔も、会話力も向上させた彼女は、その日以来俺の居るバックヤードに来て泣く事は無く、接客の切れ間に洗い物を手伝ってくれる彼女は、いつも、鼻歌交じりの上機嫌だった。
しかしこの、クラブという所のフロアレディの世界は、かなり複雑な物があり、クラブとは一線を引くキャバクラ上がりの女性には泥臭く、成り上がり主義のこの店のやり方には馴染めなかったようで、実力一つでのし上がり今や複数の常連客を抱えるようになった百合子さんをあまり快く思わない女性もいた訳で、それが直接の起因になったのかは定かでは無いが、この騒動をきっかけに俺は百合子さんの意外な過去を垣間見るのだった。
かくして、トラブルの原因になったのは中原梨華という愛知県名古屋市の繁華街で錦通りという飲み屋系から性風俗系の店が立ち並ぶ一角があるのだが、そこのキャバクラで長らく頂点に君臨していたのか、めちゃくちゃ扱いにくい女性だったと俺は記憶している。
その日は少しばかり調子に乗り過ぎて、初歩的なミスを連発した百合子さんを俺はフロア脇に呼び寄せて叱りつけるのだった。
案の定、彼女は泣き出してしまい、それからしばらくは仕事にならないと判断した俺が、彼女をバックヤードに下げようとした時にその女は何を思ってか百合子さんに同情の言葉をかけるのだった。
「あんたもよくやるよねぇ……あんた悔しくないの?あんなガキんちょにあんな事まで言われてよく泣けるよねぇ……あたしだったらぁあんなガキの言う事絶対聞かないけどぉ……」
俺に叱られ泣き崩れる百合子さんに奴が彼女を見下したように言った時だった。
「……はぁあ!てめぇ今何つったぁ?よく聞こえなかったからぁもう一回ゆってくんない?あたしの目ぇ見てデカい声でさぁ!」
彼女がまるで人が変わったような乱暴な言葉使いになったなと思った次の瞬間だった。
彼女に同情染みた言葉をかけ彼女を見下したように言った梨華は、彼女の瞬時に出した平手打ちによって逆にその場に叩き伏せられていたのである。
事はほんの一瞬の出来事だった。
梨華のマウントポジションを取った百合子さんはそのまま、俺が止めに入るまで梨華の顔をこれでもかと殴り続けた。
「そこまでだ!もうやめろ!」
まるで糸の切れた操り人形のように無言のまま梨華を殴り続ける百合子さん。
俺は少し言葉強めにそう言うと、組合う彼女と梨華を少し強引に引き離すのだった。
「ちょっとぉ一体なんなのよぉ!」
引き離されて開口一番梨華がアザだらけの顔で喚いたのだが、その彼女の言葉に同調する者は、その場には誰も居なかったのである。
「梨華ぁあんたぁ自分がなしてそがぁなめぇに合うかちぃっと考えてみんさいやぁ」
引き離されてすぐ、自分の非を認めず、身勝手に喚く彼女に、英美さんが声色低く言った。
「英美さん梨華のバカちっと頼むわぁ百合子さんがまた発狂しかけてっからさぁ」
彼女のその一言に、百合子さんが再び俺の腕の中で暴れ始めた。
「一体どうしたってんだよ…何時の百合子らしくないなぁ……」
バックヤードに連れて行き、少しだけ平常心を取り戻した彼女に冷たいウーロン茶を差し出して、俺が聞いた。
「あいつが…梨華が…裕さんをバカにしたように言ったんで……気がついたらあたし頭真っ白になってて…ごめんなさい……」
そう自分のブチ切れた経緯を話す彼女は、いつもよりやや声色低めだった。
「あいつの言うこたぁかるぅく聞き流しときゃいいんだよぅ……百合子がとやかく言う前にあいつの態度暴言にはみぃんな頭きてんだ……ほっといてもあいつがクビになんのは時間の問題だ……」
少しだけ気分が落ち付き、俺の渡したウーロン茶をチュルチュルと飲み始めた彼女を見て俺はタバコを燻らせ笑った。
「けど…意外に喧嘩慣れしてんだな……相当の手練れでも、普通ああは行かねぇよ……平手打ち一発からの見事なマウントポジション……鮮やかだったなぁ……」
俺は一瞬で鮮やかにマウントポジションを決めた彼女を褒めて、二杯目のウーロン茶を出してやった。
「……あ…あれは…あたしも必死だったし…たまたまって言いたいとこだけど……やっぱり、裕さんにはごまかし効かないな……裕さんも薄々は知ってたと思うけど…あたし…このお店入る前までは名古屋で愚連隊してた…あ…これ一様内緒事情ですからね……」
最初から思うと、かなり気分が落ち付いたのだろう。彼女は問わず語らずに、自分のこれまでの経緯を話し始めるのだった。