宵街の女達~英美~②
「兄弟…何かまだ他に心配事でもあるのか?」
浮かない様相のまま、思案にくれてタバコをくゆらす俺にヒロさんが聴いてきた。
「……いや…何でもねぇよ伯父貴……」
俺は吸っていたタバコを灰皿で消して彼に笑みを見せるのだった。
「……いや…そいつは嘘だな……何か他に心配事があるって顔に書いてあんぜ兄弟……」
彼はいつもすぐに、俺の嘘を見抜きやがる。やはり、彼には叶わない。
「……兄弟にゃあ叶わねぇな……何だって俺の嘘見抜いちまうんだもんなぁ……兄弟の推察どおりだよ……英美さんの事だ…奴が英美さんに持ちかけていた薬の商談を俺が阻止した事で…奴がまた英美さんに何か仕掛けてきやしねぇかと思ってよぅ……」
俺は、観念したかのように二本目のタバコに火をつけて、頭の中で思案していた事を話し始めるのだった。
「なるほどな……そいつは確かに一理あるなぁ……けどこれは…奴の出方しだいだ…一歩でも出方を見誤れば事は奴の思うツボだ……飛炎会は内部分裂しちまうそんな事んなったら俺や兄弟だってただじゃすまねぇ…この件はしばらく俺に預けちゃくれねぇか?兄弟……」
俺の話し始めた事を一言一句かみしめるように思慮しながら、ヒロさんが言った。
「…ああ…よろしく頼んます……伯父貴……」
俺がそう応えたのは、喫茶店を出て、近くまで迎えに来てくれていた栄二さんの運転する車の中だった。
しかし、奴は見事に俺達の予想を裏切ってくれたのである。
それは、出勤途中の英美さんを拉致監禁してまたも彼女を薬漬けにしようとしたのだった。
そして、英美さんの拉致監禁を知った俺が、そのまま黙って見ている事などできるはずもなく、周囲の反対を押し切り敵地に乗り込み彼女を救出したまではよかったのだが、この時は俺自身も生死を彷徨う重傷を負う結果になったのであった。
「……亮ちゃん…この子このまま死んでしまわんじゃろうねぇ…もし…そがぁな事んなったら…ウチは…生きてられへんよぅ……なぁ…頼むけぇ…この子死なせんといてやってつかいやぁ…お願いやしぃ……」
栄二さん達の援護でどうにか修羅場を脱した俺と彼女だったが、俺は意識を無くしたまま、涌井さんの診療所に連れてこられており、僅かに残る意識の片隅で、彼女の悲痛な声を聴いた気がした。
「こいつならもう…命に別条はねぇよ……まだ若い分それに見合った体力がこいつにはあるからな……けど…おめぇは本当に幸せモンだぜ英美よぉ……そうはいねぇぜ…てめぇと一廻り近く歳の離れたおめぇをここまで心配してくれる…大した男だよ…こいつは……」
亮介さんはそういうと、英美さんの怪我をしている箇所に処置をし終えると静かにタバコを燻らせた。
「……ほうじゃ…あんなぁはアホかゆうくらいに純粋で優しゅうて……ぶち涙脆い……ウチみたいな女にはもったいないくらいのえぇ男じゃけぇ……」
そう言って、意識の無い俺を見つめて彼女は涙を流していた。
そして明けた翌日、意識の戻った俺は、彼女に抱き付かれ、これでもかというくらいに泣かれるのだった。
「二人とも…怪我が完治した訳じゃねぇんだからよぉ……無茶は厳禁だぜ……」
亮介さんがそう言ったのは、先ほど二人分の治療費を払いに来た、皐月さんと、付き添いで来た文香さんと百合子さんが帰った後だった。
「亮ちゃんありがとぅ……けんどぉウチ等ぁがこのままここ居っても亮ちゃんとこの営業妨害になってしまうけぇ……ウチ等はウチ等でちゃあんと養生するけぇ心配せんといてつかいやぁ…ほな…ウチ等行くわぁ……」
彼女はそう言うと、亮介さんに深く頭を下げ、俺を連れだって彼の診療所を出るのだった。
「裕ちゃん…ほんまごめんなぁ……ウチの不手際でこがぁな怪我までさせてしもうて……」
彼女はそう言うと、患部にまだ、かなりの痛みを伴い、しばらく歩くうちに自分とかなり歩幅の遅れ出した俺を気づかい、自分の背中に乗れとばかりに、人の行きかう往来の歩道にしゃがむのだった。
「大丈夫だって…そんなされたら目立って叶わねぇよ……ちゃんとついてくから…心配ご無用だ……」
正直言えば、すぐにでも英美さんの大きな背中に飛び乗りたい心境ではあったが、何せ思春期真っ只中の俺には傷の痛みよりも、恥ずかしさの方が勝ってしまっていた。
「……まったくぅこがぁな時までつまらん意地はらんの……こいでこんなぁに万一の事でもあってみんしゃいやぁウチが皐月んたぁにフクロ叩きに合うわぁ……」
彼女はそう言うと、少し強引に俺の手を取ると、意図も簡単に俺を自分の背中に背負うのだった。
「……叶わねぇな…英美さんにゃあよぅ…俺の思春期の照れもなにもかもしっかりお見通しってか?……」
俺はそう返すと、そのまま素直に彼女の背中に体を預けるのだった。
「ウチは…こんなぁに返してもよぅ返しきらんくらいの貸しを作ってしもうた……じゃけぇ…こがぁな時くらいはウチに甘えたってぇ……」
俺の戯けた問いかけに、真剣に応えてくれたのだろう。泣いているのか、彼女の大きな背中が小刻みに震えているのが彼女の肌を通して俺にも伝わった。
「……そがぁに泣かんでくれぇや…わしぃぶち嬉しかったんよぅ……こんなぁがわしの事認めてくれたんがよぅ……これからも頼んだでぇ…のぅ相棒……」
彼女の背中の震えを肌に感じた、俺の口をついて出たのは、何故か、広島弁だった。
「ふふふ…本当…こんなぁは面白い子ぉやなぁ……」
彼女の表情に笑いが戻った頃俺達二人は、英美さんのアパートに着くのだった。
そして、アパートに着いてすぐに、彼女は回収してもらっていた自分の車を取りに行ってくると言って、またアパートを出て行くのだった。
それからさらに数分後、彼女は爆音を響かせて、アパートに帰ってくるのだった。
「昨日からろくに何も食べとらんじゃろ?そう思うて今そこのコンビニで色々こぅてきたわぁ……」
彼女はそう言うと、コンビニの袋の中から買ってきたおにぎり数個と弁当を二つに飲み物二つを部屋の中央部分に置いたちょっとしたテーブルに並べるのだった。
「助かるぅ…俺もう腹ペコで死にそうだったわぁ……」
俺は冗談めかしにそう言って戯けたが、内心は彼女の細やかな心遣いに涙が出るくらい嬉しかったが、涙は見せず、夢中で彼女の買ってきた弁当を胃袋に描き込むのだった。
そして、あまりにもがっつきすぎて咽せるのだった。
「ハイハイ…そがぁにがっつかんでえぇけぇ…ゆっくり食べんしゃい……」
彼女は笑いをかみ殺すようにそう言うと、自分の飲んでいた缶チューハイの缶を自分の脇に置き、ペットボトルのお茶の蓋を開けて俺に渡してくれるのだった。
そして、彼女のお茶を手渡してくれる手と彼女と目があった瞬間だった。俺は今まで我慢していた何かの糸がぷつりとと切れたかのように、彼女に抱き付きこれでもかと言わんばかりに泣きじゃくるのだった。
「どうしたんねぇ…さっきまで笑ろぅとった思ったら今度は大泣きしだしてぇ……ほぅかぁ…こんなぁもこんなぁで我慢しとったんじゃねぇ……えぇんよぅ…思いっきり泣きないやぁ……なんや…こんなぁの泣き顔見よったらウチまで涙出てきたわぁ……」
彼女はそう言うと俺の頭を自分の胸にギュッと抱きしめてくれるのだった。
「…裕ちゃん……落ちついた?汗ぇかいたじゃろ?体拭いたるけぇ服脱ぎぃ?」
彼女はそう言うと母親が子供の服でも脱がせるように、俺の服を脱がせ始めるのだった。
「……こう言う時だけ子供扱いすんなよな…服くらい自分で脱ぐわぁ……」
俺は、思春期独特の照れだったり、強がりだったり、子供扱いされた事によるちょっとしたイラつきも相まって、そう言うと英美さんの体から離れ部屋の隅でこそこそと服の上着だけを脱いで、また英美さんの近くに戻るのだった。
「…下もじゃあ……くっさいパンツはいとったら女に嫌われるでぇ……ほいじゃけぇパンツもはよぅ脱ぎぃ……こんなぁが恥ずかしいゆうんじゃったら…ウチ…こっち向いとくけぇ……」
最初こそ威勢良く言った彼女だったが、俺がしぶしぶズボンのベルトに手をかけだした頃から、急に照れたように顔を赤らめて明後日の方向を向くのだった。
「…なんだよ…自分だって本当は恥ずかしい癖に…」
俺は、急に温和しくなった英美さんに少しだけ剥れぎみに言った。
「…そんなんちゃうわぁ……ウチ…この部屋に男上げた事ないけぇ…ちぃいっとびっくりしただけじゃ……ほれになぁウチぃデカい方が好きなんじゃ…じゃけぇ…こんなぁのちっちゃいの見ても何とも思わんけぇ…はよぅ脱ぎぃ!」
明らかに心の動揺を隠すように、英美さんが語尾を強めて言った。
「…以外だな…英美さんってもっとオープンな人だと思ってたんだけど以外に身持ちは堅いんだな…」
そう言って俺が、観念したように素っ裸になると、彼女も着ていた上着から肌着と下着を脱ぎ裸になると寂しく笑って言った。
「…そうじゃないんよ……今まで付きおぅた男のほとんどがヤクザばっかりやったけぇ…ここに連れ込むなんて出きひんかったし…たまたまナンパしてきたカタギの子ぉは…ウチのこの背中見たとたんにやばいもんでも見たぁゆうような顔してさっさと逃げてしもうたわ……こんなぁは別じゃったみたいやがの……」
そう寂しく語る、彼女の背中には、ちょうど肩から腰骨の辺りまで槍を構える毘沙門天が見事に一刀で彫られいたのだった。
「……体くらい…自分で拭くよ…それより早く服着ろよ!俺は…刺青はその人の過去に負った傷だと思ってる……そんなモンを軽々しく他人の目の前…曝すんじゃねぇや!」
俺は少しだけ剥れたように、語尾を強めて言った。
「……こんなぁは今までウチの付きおぅたどがぁな男よりほんまモンの漢なんじゃねぇ……ウチのこん刺青…そがぁにゆうたんはこんなぁが初めてじゃ……ごめん…ウチが悪ノリしすぎとったわぁ……」
今までのノリが、まるで嘘のように彼女は寂しく笑った。
その姿は、いつになくしおらしく見えたのだが、それは彼女の過激な悪ふざけの始まりだった。
俺を子供扱いせず、一人の男として見てくれるのは嬉しかったのだが、二人で過ごす時は成人男女のカップルと変わらない付き合いになっていて、いつの間にか仕事の最中以外は、すっかり彼女気分の英美さんだったため、頻繁に俺の体を求めてくるようになっていたのだ。俺としては体力向上に余念が無くなっていたのだが、それはそれで、人生の目標みたいなものを見つけ始めていた俺にはありがたいものでもあったのだった。
そして、十七歳のこの年に俺は、高校生活に終止符を打ち活動の場を[クラブ皐月]一本に絞る事にしたのである。