腹に剣を
肉の裂ける音が、フェルリッツの町に響く。
血は石畳を赤く染め、同時にその黒い外套をも湿らせる。
「トリストラント! 何……を……」
「最期の……奉公です……よ……!」
トリストラントは、自らの腹を、自身の剣で刺し、切り開く。
「どうしても……卿にこいつを……」
そう言って切り開いたトリストラントは、剣を地面に投げ捨て、自らの腹の中に手を入れる。そして……
「それは……!」
「『赤い星』……最悪の魔導具です……」
トリストラントの手には、深紅の丸い玉が握られていた。オスカーが見たものとは、どうやら形状が違うようだ。
「ガーレン・フォン・ホーエンハイムは……人間を材料に…………ぐっ……!」
「トリストラント!」
突然、前屈みに倒れこんだトリストラントを、オスカーはとっさに抱えた。
「…………奴は……戦災孤児を保護しながら……それを材料に、こいつを…………」
「トリストラント、もういい……大丈夫だから喋るな」
「……どのみち私は助からない…………奴は自分の作った赤い星を……部下に移植しています…………一部の内臓を引き換えに…………自らの加護を使って…………」
トリストラントは深呼吸をして、最期の力を振り絞って、こう言った。
「法皇は、赤い星を……奴から得ている…………奴らは繋がってる…………!」
「――!!」
「……………………ヘレナ……ちゃん、が………………ア……ン、ナ………………」
トリストラントは、そう言い残して、オスカーの腕の中で事切れた。
オスカーは、彼の亡骸を強く抱き締める。その瞳の奥に、強い怒りの炎を燃やして……。
トリストラントの亡骸を隠したオスカーは、足早に城に戻った。ホーエンハイムの元に直接向かうより、城に戻ってシュバルツに乗った方が早いからだ。
「帰ってきたか! ヘレナちゃんは……」
そう言って迎えるフリードリヒをオスカーは、何も言わずに肩に手を回して城の中庭、墓の前へと連れていった。
「……何があった?」
トリストラントの血がついたローブと、オスカーの纏う雰囲気から、何かを感じ取ったフリードリヒは、声を潜めてそう聞く。それに対しオスカーは、淡々とこう告げる。
「うちの部下が死んだ。原因はホーエンハイムだ。奴らは戦災孤児を使ってこれを作っている」
オスカーは、懐紙に包まれた丸いその石を、フリードリヒに手渡す。
「これは……! ……その話はどこまで本当だ?」
「うちの部下は優秀だ。このままじゃヘレナが危ない」
そう言うオスカーを、フリードリヒは苦々しげな表情で見つめ、声を絞り出した。
「…………クソッ! うちの領内でそんな事をしてやがったか!」
「俺は今からヘレナを迎えに行く。リード、お前は動くな」
「何故だ! 俺の領内での事件なんだぞ!」
「お前が動くには、ホーエンハイムは相手が悪すぎる。自分の子を、狂人の娘にしたいのか?」
ホーエンハイムの成してきた偉業は、冒険者界隈に留まらず、多くの人々にも深く浸透している。各地で起きる戦争、紛争に赴き、難民や孤児を保護し、負傷者の治療に当たる彼を、誰も批難するものは居ないのだ。……今ここでフリードリヒが軍を伴って、英雄・ホーエンハイムを討伐することは、フェルリッツ領民のみならず、シュバルツブルク全体の民衆の怒りを買うことに他ならない。大規模な反乱が起きることになるだろう。
その事を理解したフリードリヒは、血がにじみ出るほど拳を強く握り、地面に膝をつき、歯を食いしばって怒りを何とか抑える。
「……行ってくる」
オスカーは、フリードリヒの肩を叩いてそう言うと、シュバルツの待つ厩舎に向かった。……去り際にフリードリヒの呟いた「許してくれ」の一言は、彼の耳には届かなかった。
○
「レト、居るか?」
シュバルツを走らせながら、オスカーはそう呼び掛ける。すると間もなく、耳元から声が聞こえた。レトの声だ。
『……居るぞー』
レトは直接日に当たれない。思念だけを飛ばして、影の中に潜んでいるのだろう。
「良かった。……状況はわかってるな?」
『状況どころか、ギルの考えだってお見通しだー。……遠慮は要らないんだな?』
「ああ。ホーエンハイムは手練れの冒険者だからな」
『…………どうなっても知らないぞー?』
「……元より承知の上だ。ヘレナが生きてりゃ、なんとかなる」
オスカーは話を終えると、更にシュバルツの足を早めた。
オスカーがそこにつく頃には、日はかなり高くなってきていた。
「……ヘレナを連れ戻しに来た、中に入れろ」
シュバルツを降りたオスカーは、腰からさげた剣に手を当て、白いローブを身に纏った二人の覆面の門番達にそう言う。だが、
「ホーエンハイム師の命により、中に入ることは許されておりません。特に、『大烏』のオスカー・シュミット殿は……」
門番達はそう言って、持っていたハルバードを構える。どうやらオスカーがここに来ることは予想できていたらしい。
オスカーは、腰の剣から手を離す。門番達はハルバードを振り被った。そして、
「レト・イルクレア」
門番達はオスカーの影から伸びる無数の棘に体を刺し貫かれ、絶命した。どうやら彼らは赤い星を移植されては居ないようだ。
「……食っていいぞ」
『いっただっきまーす』
レトのその声が聞こえた瞬間、門番を刺し貫いていた棘が形を変え、彼らの体を覆う。凄まじい咀嚼音を響かせながら、形を変えた棘は次第にオスカーの影に戻っていった。
オスカーは門を破壊し、中に侵入する。それを見ていたホーエンハイムの部下達が一斉にオスカーに向かって殺到する。が、
「レト・イルクレア」
……その一言で彼らは物言わぬ骸に成り果て、レトに食われる。レトが食えば、それが赤い星を持っていても関係ない。ただ、彼女の魔力に還元されるだけだ。
オスカーは真っ直ぐに正面にそびえ立つ、巨大な白亜の建物、『救い手の社』に足を運ぶ。その背後には、血溜まりが出来ていた。