熱病
「おとーさん!」
「ヘレナ! 大丈夫だったか?」
「うん! ヘートヴィヒちゃんといっしょだったし、仮面のおじさんに助けてもったから」
オスカーは、フリードリヒの指示で一旦城に戻ってきた。
城に戻ると、既にヘレナ達が帰ってきており、オスカーは馬車を降りてすぐヘレナに飛び付かれた。
「父上は……?」
「今、ホーエンハイム医師と共に堤防の確認をしています。じきに戻られますよ」
「良かった……ありがとうございます」
そう言ってヘートヴィヒはホッと息をついた。
「それでは我々は師の元に向かいますので」
「あぁ、貴方達もありがとうございます。ホーエンハイム医師によろしくお伝え下さい」
「はっ!」
ヘレナ達を運んできたホーエンハイムの部下達はそう言って自分達の馬車で城を出ていく。その中に一人、オスカーはよく知る人物を見つけた。皆が白いローブを纏う中で一人だけ、漆黒の衣に身を包む男を……。
そして事件は、その夜に起こった。
○
「ヘレナ、しっかりしろ……大丈夫だからな……」
「はぁ……はぁ……」
夜、フリードリヒが戻り、夕食を終え、眠るまでの間ヘレナはヘートヴィヒと少しの間遊んでいた。その時、突然気を失ってしまったのだ。喉元が腫れ、体はかなり熱い。息もかなり荒く、顔は赤く火照っている。
オスカーは今、自室に移動させたヘレナの横で看病……もとい容態を見守っている。
汗をかけばそれを拭いてやり、冷水で湿らせた手拭いをこまめに換えてやり、不安にならないように手を握ってやり、絶え間なく静かに声をかけ続けていた。
「今通信用水晶で、ホーエンハイム先生を呼んだ。すぐ来てくださるらしい……容態は?」
オスカーの背後の扉が開き、フリードリヒがそう言いながら入ってきた。どうやら横にヘートヴィヒも居るらしい。
「熱が一向に下がらん……息も荒いままで、喉も腫れてる」
「風邪か?」
「ただの風邪でも、肺炎を拗らせたら不味いことになる……幸い、咳はそんなに酷くない」
そう言うオスカーの表情は、かなり険しい。今までろくに病に罹ったことが無いだけに、不安もひとしおなのだろう。
そのときだった、
「私が……私が剣の練習しようって外に連れ出したから……ヘレナちゃん雨に濡れちゃって……ごめんなさい、ごめんなさい!」
先程まで黙ってフリードリヒの隣にいたヘートヴィヒが、突然そう言って地面に崩れ込み、泣き出してしまった。
「ヘートヴィヒ……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
オスカーはそんなヘートヴィヒを見て、優しく微笑むと、頭を静かに撫でてやった。
「ヘレナは良い友人を持った……自分のためにこんなに泣いてくれるのですから……。大丈夫、ヘレナはきっと良くなります。だから、どうか一緒に居てやってください」
ヘートヴィヒは顔を上げ、こくりと頷くと、オスカーが腰掛けていた椅子の横にもう一つ、別の椅子を持ってきて、ヘレナの手を握った。
「……すまんな」
「いや、むしろ感謝してるよ。ヘレナはあんなに良い友人を持った。幸せな子だ……」
「そうか……ありがとう。先生が到着したらまた連絡する」
「おう。ありがとう」
フリードリヒはそう言って部屋を出ていった。
オスカーはなにも言わず、ヘートヴィヒの横に座り。ヘレナを優しく見つめる。
二人の間に、静かな時が流れた。
心なしかヘレナの呼吸も少し落ち着いてきた様に思える。
「……ヘレナちゃんに剣を教えたのって、オスカーさんですか?」
しばらく後、ヘートヴィヒが沈黙を破ってオスカーにそう聞く。
「いや、俺は本当に基礎しか教えていません。……本当はヘレナには、冒険者を目指して欲しくは無かったんです」
「……え?」
オスカーは続ける。
「冒険者は、常に死と隣り合わせの生業です。もしヘレナが魔物との戦いで大怪我を負ったらと考えると……だから最初は気ままに旅をして、色々な所に連れていって、色々な物を見て、ヘレナが大きくなったら自分も冒険者を辞めて行商なんかをするのも良いと思っていました。……でもヘレナには剣の才能がありました。そこら辺の木の棒を拾い、遊ぶだけで分かる程のものでした。ヘレナには才能だけでなく、強い剣への興味も湧いてきました。次第に俺の手の内や剣筋を観察するようになり、真似るようになり、模擬剣をせがむようになりました」
オスカーは一呼吸置き、また続ける。
「……結局俺はヘレナに模擬剣を買ってやりました。この子の望みは、出来るだけ叶えてやりたいと思ったんです。そして旅の合間を縫って基礎中の基礎を教えている内に、気付けばヘレナは俺よりもずっと巧みに剣を操ることが出来ると気づきました。ある時には、他の冒険者から剣術を学んできた事もありました。……その後は一旦故郷に戻り、剣の達人に指南して貰いました。……結果、俺は今ヘレナと模擬試合をして勝てる自信はありません」
そう言ってオスカーは微笑む。ヘートヴィヒは少し驚いたようにオスカーを見る。
「オスカーさんよりも強いんですか?」
「ええ、きっと。まぁ俺はヘレナに負けて恥をかくのが嫌なので、今までまともに剣で打ち合った事はありませんが……でも、お互いどんな間合いで、どんな呼吸で、どちらから、どのように、先手か、後手かと言うような剣の動きが手に取るようにわかります。ヘレナの事を一番良く知っているのが俺なように、今の俺の事を一番良く知っているのはヘレナですから」
「お二人とも、すっごく仲良いですもんね」
「いえ、実は先日喧嘩してしまいまして……」
「そうなんですか?」
「えぇ、ヘレナを怒らせてしまって」
「お二人も喧嘩するんですね……」
「あのときばかりは肝が冷えました……本当に」
そう言ってオスカーは少し笑う。
「この子を見つけたとき、この子の本当の母親は既に助からない状況でした。……そのときの事を憶えているのかいないのか、この子は一人を極度に恐れるようになりました……その事を俺は一番わかっていた筈なんです……この子はきっと、俺を心から許してはくれないんじゃないかと、常に頭のどこかで思っています」
「そんなことは無いと思います」
そのとき、ヘートヴィヒが、そう強く言い放った。
「え?」
「きっと、心の底から仲直り出来ると思います。だって、お二人とも、お互いの事が大好きなんですから。……剣の練習をしていたとき、ヘレナちゃんすっごく楽しそうにオスカーさんの話をしていました。オスカーさんの話をするとき、決まってヘレナちゃんはオスカーさんの真似をするんです。それがとっても上手で……本当に大好きなんだなぁって。だから、きっと大丈夫です」
「……………………そうですね。きっと、きっと……」
オスカーはそう、瞳を閉じて何度もこくこくと頷いた。
そうしてしばらく二人が話をしていると、再び扉が開いた。
開いた扉の向こうには、ホーエンハイムを伴ったフリードリヒの姿があった。




