コンラートの館
「……改めて、久しぶりだな。ヴィクトル……いや、ギルベアド、それともオスカーか?」
オスカー達は、特別報酬金の受け渡し式が終わると、そのままコンラートの館に呼ばれた。決して豪華ではないが、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせた、威圧感のある館だ。その私室もまた、高くそびえる本棚と、ワイバーンの首の剥製のせいか、どこか圧迫感を感じる。オスカーの横にいるヘレナも、居心地悪そうにソファーに腰かけている。
コンラートの瞳は墨で塗り潰した様に黒い。だが、右目の辺りから耳にかけて酷い火傷の後が残り、右目は白く濁っている。恐らく殆ど見えていないのだろう。その肌はハイジと同様に褐色を帯びており、口髭と髪は白……と言うよりも銀に近い色をしている。
彼もハイジと同じように、人間とドワーフの混血児である。もっとも、母親はハイジの様な在来の人間ではなく、東洋から連れてこられた奴隷だ。売られてきた先で慰め物として扱われ、客だったドワーフの男との間に出来たと、彼らを引き取った神父は語ってくれた。
「ああ……もう二度と会わないと思ってた」
「この国に来ていてそれは無いだろう。……その子は、お前の娘さんなんだったな。改めて、こんにちは。アイゼンブルク総統のコンラート・レームだ。よろしく」
そう言ってコンラートは口元に笑みを浮かべて、ヘレナに手を差し出す。ヘレナもそれに応じて、少しやりずらそうに手をのばした。
「あらためまして、ヘレナと言います。よろしくお願いします……」
ヘレナはそう言ってぎこちない笑みを浮かべる。それを見てコンラートは今度は苦笑した。
「ははは……少し怖がらせてしまったみたいだな。申し訳ない。オスカー、俺はやはり子供を相手するのは苦手だ」
握手を終えたコンラートは、そう言ってオスカー達にグラスを渡し、飲み物を注ぐ。ヘレナの事も配慮してか、中身は酒ではなく果物から出来たジュースだ。直搾りなのだろうか、果肉がグラスの中を舞い、底に沈殿する。
「孤児院時代は年少の奴らはあんたよりも俺に懐いてたからな。昔からあんたは、子供どころか、同年代の奴等すら寄り付かなかった……どうやってここまで登り詰めた? たった三十そこそこでボッチだったあんたが、どうやって一国の主に?」
オスカーはグラスに注がれたジュースに口を着ける。すっきりした味わいの、甘酸っぱい飲み物だ。アイゼンブルクにそんな果物は、この時期無かったはずだから、きっと何処かから取り寄せたのだろう。横に座るヘレナも、オスカーが飲む姿を見てそれに続く。口に入れた瞬間、目をキラキラさせ、その後一気にジュースを飲み干した。よほど気に入ったらしい。先程までの居心地の悪さはどうやら忘れてしまったらしい。
コンラートはそんなヘレナの空のグラスにジュースをもう一度注いでやり、オスカーの問いに答えた。
「……猊下の思し召しだ。何でもこの国の高純度のミスリルを大層気に入ったようで、教会にしきりに寄進してる俺に、選挙で勝たせてやるからミスリルの利権を寄越せと仰られた」
「受けたのか?」
「総統に就任した直後、財政的に支援して下さるなら利権を譲っても良いと言ってやった」
「それでいくら要求した?」
「白金縁付き金貨を十枚と、金貨を年に五万だ」
「あんたもえげつないな……」
「払えないなら約束は無しだと言ったらすぐに半分ずつ寄越してきた。残りは利権を譲り受けた後で払うと書いた書簡と一緒にな」
コンラートはその後に「まぁ、全額払ってもらうつもりも、利権を暮れてやるつもりも無いんだがな」と付け足した。
「元兄上に人の心が無いことは良くわかった」
「猊下の弑逆を狙うお前に言われたくは無いな……っと、ヘレナちゃんの前でする話では無かったな」
そう言って大人達はヘレナの方を見た。当のヘレナはグラスの底についた果肉を取るのに悪戦苦闘して、まるで話を聞いていない様だった。いくら規格外な大きさのヒョウモンイノシシを狩ろうとも、いくら一番早くワイバーンを、それも老齢な強者を狩ろうとも、やはりその振る舞いはまだまだ幼さの残る少女なのだと言うことを再確認させるようだ。大人二人は口元を緩ませた。
○
その日の夜、ヘレナは眠る事が出来なかった。コンラートの好意で泊めさせて貰え、ふかふかのベッドに、豪華な食事。それらに何ら不満は無い。大好きな父が居て、シュバルツが居て、ルドルフも居る。知らない場所に行き、見たことの無いものを見、多くの経験を積んだ。そしてこれからも、そうあるのだろう。
自分はいずれ誰かと結ばれ、子を産み育て、そして老いる。だが、そうであっても出来ることならオスカーと共に旅をしていたいと強く思う。家族皆で旅をする。小さいヘレナの、大きな夢だ。
(でも……)
最近、分からないことがある。父、オスカーの事だ。ヘレナの知らないオスカーの一面があるのは、当然だ。それはヘレナも重々承知している。自分を拾い上げる前、何をしていたのか。何処に居たのか。オスカーはあまり自分の過去について多くを語らない。
だが、今までオスカーがヘレナに一言も告げずに何処かへ行くような事や、人の血の臭いを纏わせて帰ってくる事は、一度もなかった。冒険者なのだから、急ぎの用もあるのだろうし、山賊狩りもするだろう。それでも、オスカーはどれだけ急いで居ようがヘレナに一言告げたり、一緒に向かったりしたし、山賊狩り等の人を殺す依頼は避けていた。
そしてここに来ての「猊下の弑逆」と言う言葉。この世界で猊下と呼ばれる人物はただ一人、ローシェン法皇だと言う事は、ヘレナも知っている。弑逆がどんな意味を持つのか、ヘレナにははっきりとは分からなかったが、確実に良い意味でないことは、幼いヘレナにもわかる。優しい父は、法皇に何をするつもりなのだろうか。
優しく、強く、そして誰よりもヘレナの事を想ってくれる父の、そんな変化や言動が、ヘレナにはまるで父が何処か遠くへ行ってしまうかのような、そんな気がして仕方無いのだ。ある朝、目を覚ましたらオスカーが目の前からふっと消えてしまった。そんな日が来てしまうかもしれない。そう思うと、ヘレナは眠れないのだ。自分の眠っているうちに、幸せな時間が終わりを告げてしまうことがたまらなく恐ろしいのだ。隣にオスカーが寝ていなければ、今頃ヘレナは声を押し殺して泣いていることだろう。
「おとーさん、何処にも行かないで……」
そう強く、切実に、祈るように、か細く呟いたヘレナは、オスカーの服の裾を強く握り締め、ぴったりと体をくっ付けた。オスカーの体温がヘレナに伝わる。その温もりによる安心感からか、それとも疲労からか、ヘレナは途端に強い睡魔に襲われた。眠りたくないと思っていても、体はそうともいかないようだ。結局ヘレナはゆっくりと瞼を閉じ、睡魔に身を委ねてしまった。目尻には、小さな雫が一滴、光輝いている。
窓の外に見える空は、そろそろ白み始めていた。




