満ち足りた日
ヘレナが倒した巨大なヒョウモンイノシシを農村へ運んでいくと、こんなに大きな物がこの森に潜んでいたのか、と言う衝撃と、それをこの小さな少女達が討伐したのかと言う驚きで村は騒然とした。
「じ、嬢ちゃん達、こんなにでかいのを倒したのかい?」
「うん! たおしたよ!」
「ヘレナのお手柄だな」
「はぁー……いやぁー凄いなぁ、嬢ちゃん。きっと大物になれるぞ」
村に来ていた解体ギルドの男にそう褒められたヘレナは、「うん!」と頷き、嬉しそうにしている。
「それじゃ旦那、肉はこっちの買い取り、血と牙と毛皮はそちらに、で良いかな?」
「問題ない」
「わかった。それじゃちょっと待っててくれ、じきにバラし終えるから」
そう言って男は部下の比較的若い者にイノシシを広い所まで運ばせ、自身は大きな包丁を持ってそちらへ向かい、作業に取り掛かった。
解体ギルドは比較的新しいギルドだ。元々は牛馬の屠殺、解体を生業としてきた人々の集まりだった所に目を付けた冒険者ギルドによって討伐した魔物の解体を依頼されるようになった。冒険者達が討伐した魔物を『買い取り』、その素材を『販売』することで実質無料な取引を行う上、その洗練された皮なめしの技術も相まって今では冒険者達にとって無くてはならない存在となっている。
解体ギルドの男は既にヒョウモンイノシシの解体を始めている。男達は丁寧に内臓を取り出すと、用意してあった吊るし台に逆さ吊りにし、肉に付いた血を再度洗い流す。その際に下には大きなたらいを用意し、血の混じった水がそこに溜まるようにしている。そして牙をとり皮を剥いでいく。
「旦那、終わりましたぜ」
しばらくすると先程の男が戻ってきた。手には大きな皮と牙を持っている。
「ほら嬢ちゃん、こいつがさっきのイノシシの素材だ。こいつにはあのイノシシの魂が宿っている。大切に使ってやってくれ」
男はそう言ってヘレナにそれを渡す。二本の牙はずっしりと重く、ヘレナはその重量に驚いた。
「うん! ありがとうございます!」
ヘレナは男にそう大きくお礼をすると、男は血の混じったたらいを最後にオスカーに渡して、作業に戻っていった。
「それじゃ、シュバルツの所に戻ろうか。お腹も減ったろ?」
「うん! お腹ペコペコ!」
二人もそれぞれの荷物を抱えて、シュバルツの元へ戻っていく。
二人が戻ってきたのを見たシュバルツは、犬のように尻尾をブンブン振って喜んでいる。母親がお産に耐えられず死んでしまい、馬屋の番犬を親代わりに育った為シュバルツの動きには若干犬的要素がある。
「シュバルツー! ただいまー!」
ヘレナはイノシシの素材を馬車に積むと、そう言ってシュバルツをわしゃわしゃと撫で回す。当のシュバルツは仕返しと言わんばかりにその幼い主人の子の顔をペロペロと舐め回す。見方によっては戦いで汚れて帰ってきた娘をねぎらい、汚れを落としてやる母親の様に見えなくもない。
「シュバルツ、馬車の番ご苦労様。ほら、水を持ってきたぞ」
オスカーはそんなシュバルツの前に、先程のたらいを差し出す。シュバルツはそれを見ると静かに歩み寄り、ガブガブとその水を飲み始めた。
魔物の血には少量の魔力が入っており、薄めて飲ませてやることで馬は強く、そして美しく育つ。馬の方もそれを知っているようで、魔物の血を見ると一目散に駆け寄ってきてそれを舐める。それを思うとシュバルツはかなり利口な馬だ。近くにいるヘレナが怪我をせぬようゆっくりと水の方へ歩み寄るのだから。
シュバルツは素早く水を飲み干すと、口をすすいでいるつもりなのか、元々用意されてあった真水を飲み始める。そしてそれが終わると今度は長年連れ添った主人の顔を舐め回し始めた。
「俺は良いって……」
オスカーはそう言って逃れようとするがシュバルツはぴったりとくっついて離れない。オスカーは諦めてシュバルツの首や顔を撫で始めたのだった。
○
「ギルっ! 遅くまで帰らないから心配したぞ! 何処に行っていた? その格好はどうした? 街の奴らに何かされたか?」
丸眼鏡を掛けた身長の低いエルフが、同じくらいの身長の少年にそう言う。瞳には安堵の色が写っている。遅くまで帰らない少年を案じていたのだろう。一方の少年は泥まみれで服には少量だが血が付いている。もっとも、自分の物では無いようだが。
「……これ。今日は誕生日だから」
「これは……毛皮か。これを僕に?」
「うん。黙ってた事は……ごめん。でも驚かせたかったから……」
少年の頬は紅くなっている。少し恥ずかしいのだろう。
「お前と言う奴は本当に……」
そう言ってエルフはフッと息をつき、
「うわっ!」
少年に思いっきり抱きついた。
「この馬鹿息子! 本当に心配したんだからな!」
エルフは力強く抱き締める。そうしたまま二人はしばらく動かずにいた。そして、
「……よし、帰ろうか。夕飯の前に体を洗わなくてはな。今日は僕が背中を流してやる」
「ちょ……! 良いってそんなこと……」
「心配掛けさせた罰だ! 大人しく背中を流されろ!」
「そんなぁー」
母と息子はそんな会話をして、しっかりと手を繋ぎ家路につく。空には満月が昇っていた。
……この後少年は、本当に母親に洗われてしまったのだが、それはまた別の話である。




