写し鏡(イラスト有)
ハイジとヴィルは金床の前まで来ると、火箸でそれぞれミスリルと灰の獣の角を挟んだ。
「それじゃヘレナちゃん、よーく見ててね?」
ハイジは少し後ろを振り向いてニヤリとヘレナに笑って見せる。ヘレナは「うん!」と返事をして、オスカーとしっかり手を繋ぎ、共に窯の近くまで歩み寄る。
煌々と燃え盛る窯の近くは、いくら風通しが良くてもかなり熱く、まだ寒さの残る初春であるのに、オスカー達の額には少し汗が出てきた。
「行くわよ?」
「おう」
ハイジとヴィルは目を見合わせると、同時に窯の中へ、二つを重ね合わせる様に入れた。
窯の中で熱せられた二つの物質は、間も無く赤く色が変わっていく。ヘレナは初めて見るその光景に目を奪われていた。
「うわぁ……」
ヘレナは思わずそう声を漏らす。ハイジはそんなヘレナに対して振り返ること無く、
「驚くのはまだ早いわよ」
と自信ありげに言う。そしてそのハイジの言葉通り、間も無く次の変化が訪れた。
「うわっ……! すごいすごい!」
「ああ! いつ見てもすごいもんだな……」
窯の中の二つの物質は互いにパチパチと激しい音を立て始めた。重なる部分からは火花が散り、熱で赤くなっていたミスリルは次第に蒼く変色していく。そして遂にミスリルは形を崩し溶け始め、辛うじて形を保っていた灰の獣の角に纏わりついていく。その瞬間、
「よし!」
ハイジはそう声をあげ、それを合図に二人は同時に火箸を引き、一つになったミスリルと角を窯から出し、金床に置く。
「ヘレナ、ちょっと下がろうか」
それを見てオスカーはヘレナと共に後ろに下がった。
「お兄ちゃんありがと!」
ハイジはオスカーにそう言うと、火箸を置いてすぐに鎚を取り出し、ヴィルが火箸で固定している金属を勢いよく叩いて鍛え始めた。
カンカンと言う激しい音が鳴り、先程までオスカー達が居た辺りまで火花が飛ぶ。あまりに音が激しいのでオスカーはヘレナの両耳を手で覆った。
「すごい音だねー!」
耳を覆われていても音は聞こえる。ヘレナは大声でオスカーに呼び掛ける。
「ああ! すごい音だ!」
オスカーもヘレナに聞こえるような声でそれに応える。
激しい鍛錬はしばらく続き、やがてハイジは鎚を置いた。
「よーし、ひとまずはこんなもんかな!」
「すごいすごーい! とってもかっこよかった!」
「ふっふーん! もっと褒めるのだ!」
「すぐに調子に乗るのは相変わらずだな……」
「ええ、全く……」
ひと息ついたハイジは軽く伸びをすると、
「あと半日以上はこんな感じの繰り返しだから、ちょっと暇かもね。この辺り散歩して来たらどう?」
と、オスカー達に振り返って言う。するとヘレナは、
「おとーさん、わたし、けんができるところ見ていたい! 良い?」
そう言って小首を傾げてオスカーに聞く。いつもならオスカーにどうするか聞くヘレナが、今回は珍しく自分の意見を先に述べた。自分の剣が出来ると言うことにかなり強い思いがあるのだろう。オスカーはそんな可愛い娘の小さな、だがしっかりとした成長を感じ、心が温かくなった。
「勿論。ヘレナがしたいようにすれば良い」
オスカーはヘレナにそう答え、頭を撫でた。
「おとーさんありがとう! だーいすき!」
ヘレナはオスカーにそう言って思い切り抱きついた。オスカーはそんなヘレナを慣れた動きで見事に抱き留める。
結局ヘレナとオスカーはその日殆どの時間を、工房で作られる剣を見守ることに費やした。
作業は最終的には夜通し行われ、そして翌日……
「ヘレナちゃん! 出来たわよ!」
オスカーとヘレナは、ハイジのその一言で目を覚ました。相変わらず頬やツナギはススで汚れ、前日よりも酷くなっているようだが、その表情は極めて明るく、むしろ元気になっているようだ。
「ほんと!?」
ヘレナはベッドからすぐに飛び起きると、ハイジと一緒に部屋から駆け出していった。まだ眠気の醒めないオスカーはゆっくりと上体を起こすと、大きなあくびを一つして、目を擦りながら二人の後を追った。
◯
「これが貴女の剣よ! 持ってみて」
ハイジはそう言って柄に納められた一振の剣をヘレナに渡した。
柄は『セイレイノヤドリギ』と呼ばれる特殊な香りのする木で作られている。非常に手に付きやすい絶妙な手触りをしている木で、貴族の剣には必ず使われる高級品だ。
鞘も同様の素材で作られており、素朴ながらも高級感溢れる作りになっている。
「実は鞘はまだ未完成なのよね。ヘレナちゃんが狩ったワイバーンの鱗を貼り付けて完成よ」
ハイジはそう言って親指を立ててニィッと八重歯を見せて笑う。
「これが、わたしのけん……」
ヘレナは両手に剣を持つ。ずっしりとした重みを感じる剣だ。だからと言ってヘレナが持つのに重すぎると言う訳ではなく、むしろヘレナが振るうのには丁度良いぐらいだ。自分の剣であると言うその実感と、緊張感が、ヘレナにその剣の重みを感じさせるのだ。
ヘレナはらしくない神妙な面持ちでまじまじと剣を見つめる。鼻をひくつかせて香りを嗅ぐ。そうした後、頬を紅く染め、にっこりと笑みを浮かべた。ヘレナはようやく、待ちに待った自分だけの本物の剣を手に入れたのだ。
「ヘレナ、抜いてみな」
「……うん!」
オスカーの言葉に頷いたヘレナは、静かに鞘から剣を引き抜く。
鞘から姿を現した刀身は、うっすらと紫色に静かに光を纏い、それよりも少し濃い紫をした本体は太陽の光の浴び方によって蒼や銀に色を変える。
「きれい……」
「あぁ……綺麗だ」
ヘレナは刀身の向こうに写る自分と目を合わせる。まるでこの剣に宿った化身の様に、ヘレナには思えた。
……剣は持ち主の心を表す。
古くから戦士達に伝わる金言の一つだ。心の動きは、そのまま握る剣に如実に出る。持ち主が激しい気性の者ならば、その刀身には多くの傷が付き、静かに流れるように扱う者ならば、その刀身も風の止んだ水面のように静かなものになる。
(ヘレナの剣は、どんな姿になるのだろうか)
オスカーは静かにそう微笑んだ。
「剣、振るってみてよ」
ハイジはヘレナにそう言う。ヘレナは「うん!」と頷いて剣を構える。そして
ビュン! ビュン!
ヘレナは縦に横に一度ずつ素振りをした。
風が優しく吹き付ける。暖かな春の風だ。
その後更に素振りを数度した後、ヘレナは剣を鞘に納めた。そしてオスカー達の方を静かに振り返る。ヘレナの顔には、今までオスカーが見てきたどんな表情よりも清々しく、大人びた、笑顔が浮かんでいた。
「おとーさん! ハイジおねーちゃん! ありがとう! 大好き!」
ヘレナはそう言ってオスカー達の方へ駆け寄っていく。春風は、そんな彼らを優しく撫でるように、吹き抜けていった。