記憶と思い
オスカーはローブから返り血を滴らせながら、暗闇を突き進んでいた。
ここは地下だ。外よりは多少暖かいとオスカーは思っていたのだが、少し寒い。この分だと外はもっと寒いだろう。
(ヘレナが体調崩さないと良いんだが……)
強烈な血の臭いが彼の鼻を突く。懐かしい感覚だ。少なくともヘレナと出会ってからのオスカーはこの感覚を感じることは無かった。やはり可愛い娘には、極力父親の醜い一面は見せたくないものなのだろう。それだけに、今のこの懐かしい感覚は、オスカーをギルベアドに……かつて戦場で数多の敵を屠った戦士だった頃に彼の意識を引き戻していく。
それでも未だに理性を保って居られるのはやはり、ヘレナによるところが大きい。愛する娘の存在だけが、オスカーがギルベアドに戻り切るのを引き留めていた。
「侵入者だ! 司祭様の部屋に入れるな!」
気づくとオスカーは通路の終着点らしきところに着いていた。
そこには一つの木製の扉と、それを守る四人の信者らしき男達が居た。リサの言う五人には一人足りないが、その一人はおそらくこの扉の向こう側だろう。
「ラーナ・マーク!」
信者の一人が右手を前に付き出してそう唱える。すると右手の先からは鋭い氷柱が形成され、間も無くオスカーに向かって真っ直ぐに飛んできた。
(……遅い)
オスカーは血で重く湿ったローブを翻してそれを躱すと、術を唱えた男の右腕を切り飛ばした。
「ぐわぁぁぁぁ……!」
切り飛ばした腕から大量に血飛沫が宙を舞い、オスカーに降り掛かる。また一歩、オスカーはギルベアドに近づいた。
オスカーは素早い身のこなしですぐ後ろに居た別の男に斬りかかる。男はいきなり肉薄し、同志の腕を瞬時に切り飛ばした侵入者に驚き、そして次はあり得ない素早さで振り返り様に自らの首に斬りかかる侵入者に驚き、全く動けずにいた。
(……こっちもか)
オスカーは硬直した男の首を刎ねると、続けざまにその更に後ろにいた男と、その横に立っていた男を次々に斬り、そして最後に腕を切り飛ばした男に止めを刺した。
「……弱い」
オスカーは少し失望していた。重要な所を守るのだから、多少は腕の立つ者だと思っていただけに、いざ戦ってみるとあっさりと倒してしまえた。これでは味気ない。
……だがまだ一人、残っている。
扉の奥にこそきっと自らのこの闘争心を、かつて戦場に置いてきた筈の懐かしくも醜いこの欲を燃え上がらせてくれる者が居ると、そう期待してオスカーは扉を開く。すると……
「あーらら。皆倒しちゃったの? あいつら俺っちのお気に入りだったのに。残念」
そこには左目に大きな傷を持った若い男が一人、椅子にふんぞり返っていた。
トゲトゲとした短い黒髪に、真っ赤な右目、復活派特有の真っ黒なローブの下には、紫色のラインの入った黒い法衣が覗いている。
「……お前がここの主か?」
「そそ、俺っちがここの大将。一応司祭って肩書きなんだけども、これ堅苦っしくて嫌いなんだよねぇ。あぁ、名前はお互い名乗る必要無いよね、だって顔見知りだもんねー。ギルベアドさん?」
「久々に強いのと戦えそうだ。あの時生かしておいて正解だったな」
「レフから話聞いたときは焦ったよねぇ。だって、生きてる目的がすぐ上に歩いてるって言うんだからさ……家族の仇、とらせてもらう!」
若い男は机を蹴飛ばし、オスカーの視界を塞ぐ。男の言葉には、明らかな憎悪と殺意が込められていた。
「ランバルトでの屈辱をそのままてめぇにお返ししてやんよ!」
男は机の影から回り込み、オスカーの左から姿を現した。その手には氷で作られた細身の長剣が握られている。
カァン!
オスカーは咄嗟に剣で防ぎ、軌道をずらしてこれを躱した。
「何故俺たちを生かした! 何故母さんや赤ん坊だった弟まで殺した! 何故俺たちの村を焼いた! 答えろ!」
男は軽やかな身のこなしでオスカーに剣での突きを何度も放つ。オスカーは男の問いに何も答えること無く、魔法を使うことすらなくただ剣でそれをいなし、弾き、躱す。血に濡れたその顔から、彼の今の心境を推し量るのは難しいだろう。
「……だんまりかよ。俺たちかつての『少年義勇隊』はな! お前を殺す為だけに今日まで生きてきた! 明日を生きる! お前に殺された家族の仇を果たすために!」
男の攻撃は更に激しさを増していく。その度にいなしていくオスカーの体にも、掠り傷程度ではあるが傷が増えていった。
「お前に奪われた体が未だに疼く! その度に俺たちはお前への憎しみを新たにする! お前への恨みは! 憎しみは! 消えることは無かった! そしてこれからも無いだろう!」
男の目からは涙がこぼれる。それは頬を伝い、地面に真っ直ぐに落ちていく。
「お前には分からないだろう! 俺たちの苦しみが! 恨みが! 祈りが! 家族への愛が! お前に分かってたまるものかァ!」
パリンッ!!
幾度もオスカーの剣と鍔迫り合いをした氷の剣はその時、音を立てて中程から真っ二つに砕けた。
「くそがァ!」
「……終わりだ」
オスカーがようやくそう口を開いたその瞬間……
「……旦那ァ、俺たちゃあんたを殺すためならなんだってするんっす」
見覚えのある波打つ刃を持った大剣が、若い男の胸を刺し貫いてオスカーの左肩に突き刺さる。
「レフか……!」
完全に予想外だった。何処に隠れていた? どうやってそんなに素早い動きが出来た? オスカーはあらゆる疑問を一度頭から捨て去り、目の前の敵を前へと蹴り飛ばした。
「レ……フ……あり……が……と……」
「相棒、後は俺たちがやる。貴方の魂が、どうか天空の楽園にたどり着きますように……」
オスカーは後退り、体勢を整える。後少し内側だったなら、危なかった。傷口からは黒い粒子が溢れ、宙へ舞い上がる。
……背後から幾つかの足音が聞こえる。後少しすれば来るだろう。それまでに決着をつけたい。
「旦那ァ。俺たちの思いが、醜く歪んじまう前に……死んでくれ!」
(使いすぎると可哀想だが、しょうがない)
「レト・イルクレア」
オスカーは真正面から突っ込んでくるレフに、漆黒の棘で応戦する。だが、
「効かねぇっすよ!」
まるで何かに守られているように、棘はレフにたどり着く前に粉々に砕け散った。
(まずい。結界魔法を使われたらレトじゃ手が出せんな)
オスカーは左へ大きく跳び、レフの攻撃を避ける。そして、
「魔法が無理なら、鉛玉ならどうだ?」
着地と同時に玉を込めたオスカーは、土煙の隙間から現れた無防備なレフの背中に向かって引き金を絞る。玉は真っ直ぐにレフの背中に向かう。
レフはこの前の戦いの傷が癒えきって居ないらしい。それで回避が遅れたのが、運の尽きだった。
「ぐはぁ……!」
玉は腰辺りに命中した。もはやこれでは動けまい。
「……何か言いたいことは?」
「俺たちは……死なない……誰か一人が生きている限り、俺たちの思いは……生き続ける……」
オスカーは剣で首を刎ねようと右腕を振り上げた。そのとき、
「団長! そいつには話を聞かなければならない。捕虜として連行する。剣を収めてくれ」
オスカーが後ろを振り返るとすぐ後ろにモンセフが居た。振り上げた右腕は彼にしっかりと掴まれていた。




