裏路地の死闘
「……レフか」
自身に向けられる強い殺気を背に受けながら、オスカーは振り返ることなく静かに声の主にそう言う。そして、それと同時にゆっくりと腰に差した剣に手を伸ばす。
「烏の旦那ァ。いや、あえてこう呼ばせて貰う。『黒衣の背徳者』ギルベアド・クルーガー。あんたは十年前、あそこで死ぬべきだった。そして俺も、あんたと最初に出会ったとき、あんたと刃を交えたとき、死ぬべきだった。お互い死時を逃した者同士、今ここで殺しあいましょうや。それに、あんたらは知ってはならないことを知ってしまった。どのみち、生かしておけねぇ」
殺気がさらに膨れ上がるのを、オスカーは感じた。それと同時に、剣に伸ばした手を引っ込めた。
「殺しあい? レフ、馬鹿なこと言っちゃいけねぇよ」
「あ?」
「これから始まるのは殺しあいじゃねぇ……一方的な殺戮さ……」
オスカーは含み笑いをしながら振り返る。その瞬間、レフは強烈な恐怖と、懐かしさを覚えた。片腕を失ったとき覚えたあの強烈な感覚。死への恐怖。生への執着。ようやく探し求めたものを見つけた。どんなに危険な魔物との戦いでも得られなかったものをレフは今再び、手にする事が出来たのだ。
「さぁ、今度は大人しく喰われな。坊主」
オスカーはそう言ってレフを真正面から見る。オスカーのその背後の影はさらに濃く、深くなり、そこから無数の赤い大きな瞳が、まるで瞼を開けるように現れた。その瞳達はレフを一点に見つめる。
「ギルぅー。こいつってこの前食べ損ねた奴ー?」
突如、辺りに声がした。それと同時にその無数の瞳の中の一際大きな瞳が割れ、中から真っ黒な髪と、喪服の様なゴシック調のドレスを着た、一人の少女が現れる。肌は恐ろしいくらいに真っ白だが、瞳は引き込まれそうになるほど真っ黒だった。
「ああ、そうだぞレト」
「食べて良い?」
「勿論」
「やったー!」
そう言ってレトと呼ばれた少女は万歳をする。そしてそのままレフを見つめ、
「もう逃がさないよ?」
そう言って悪戯っぽく笑う。その瞬間、レトは地面に吸い込まれるように消えた。そして代わりにオスカーの足元から無数の黒い、影の棘がレフに向かって延びた。だが、
「効かねェ!」
レフは大きく体を捻り、マントを翻しながらその自慢の大剣で棘を薙ぎ払う。その衝撃で剣を包む布が解け、波打った刃を持つ、特殊な剣が姿を現した。刀身には何やら模様が彫られている。
「フランベルクか……。その刀身の模様は分解魔法の類いか?」
「あんたらが大人しくこいつの餌食になってくれれば、教えてやらんこともないっすよォォ!!」
そう言ってレフは凶暴な笑みを浮かべながら、重い大剣を振り下ろす。そしてその勢いを利用した回転切りを行いながら肉薄する。
「レト・イルクレア」
オスカーは冷静に、レフを見つめてそう唱えた。先程と同じ様に影の棘をレフに向け、拳銃に弾を込める。
「そんなもんじゃ、俺の勢いは止められねェェ!!」
だが、その棘は瞬く間にレフによって破壊される。その勢いははっきり言って異常だ。よく鍛えられた戦士が両手で持つような大剣を、片腕で、しかも高速で回転切りをしながら迫ってくる。
(流石は魔族。足に風魔法の刻印でもして、推進力をあげているのか)
オスカーはそう思いながらレフの足を見、先程と同じ詠唱する。今度は足に重点的に棘を伸ばした。
「ぐおっ!」
するとレフは少し焦ったかの様な声をあげ、高く飛び上がる。よく見ると足からは緑色の、風魔法を使った時に現れる粒子が舞っている。オスカーの読みは当たりだった様だ。そして今、レフは空中で大きな隙を見せている。オスカーは銃口を静かに向け、
「レト・バルクルーム」
と唱え、引き金を絞った。
銃口から飛び出した弾丸は、真っ直ぐレフの胸に向かう。それとほぼ同じ速度で、同じ方向へ、オスカーの周囲にある深い影から無数の黒い腕がまるで弾に推進力を与えるかのように側面を囲いながら伸びる。
「くそったれェ!!」
空中でレフはそう叫びながら、大剣を落ちる勢いに任せて縦に振り下ろす。だが、弾丸は影の腕に守られ剣は届かない。弾丸はそのまま真っ直ぐにレフの胸を貫き、残った腕はレフを捕らえ、拘束する。オスカーに少し誤算があったとすれば、振り下ろされた大剣の風圧で弾丸の軌道が逸れ、レフの右胸に当たってしまった事だろう。
「レト、喰って良いぞ」
「いっただっきまーす!」
黒い影からレトの声が聞こえる。そして、レフを捕らえた腕は真っ直ぐに地面にゆっくりと下ろされようとしている。気づけばそのすぐ下の地面には、大きな口が現れ、獲物を呑まんと広げている。今まさに喰われんとしているレフは、いつの間にか気を失っていた。
「……グスタフにばれちゃ不味いなぁ……」
オスカーはそんなレフを見ながら、そう言葉を洩らす。
ゆっくり、ゆっくりと口に迫るレフは、既に絶望的な状態に陥っている。もはやこのまま呑まれ、命を終えるほかない。そう、誰もが思うような状況に変化が訪れるのは、もう間も無くの事であった。
「『隻腕』! 我が弟よ。偉大なるこの俺様が、助けに来てやったぞ!」
そう、上から声がした。虚を衝かれたオスカーは上を見上げる。だが、その時にはもう遅かった。既にそこに声の主は居なかった。
「うわっ!」
レトの声が即座に聞こえ、オスカーはそちらを向く。すると、無数の腕は中途で切られていた。既にそこにレフの姿はなく、気づけばその声の主は、オスカーのすぐ目の前に迫っていた。その背にはレフを背負い、左手でレフを支え、空いた右腕の指先をオスカーの眉間目掛けて真っ直ぐに伸ばしてきている。その右腕は、まるで金属の様に、微かな太陽の明かりを反射し、鈍い鉄色をしている。そしてその額から後頭部にかけて長く大きな角が二本、伸びている。魔族だ。
(右腕に金属光沢……こいつ!)
オスカーはなんとか回避しようと、相手の左側に飛んだ。相手の内側に避ければ、刺突以外にも相手が斬撃を行う可能性を潰せる。だが、
「ぐっ……!」
「チッ、掠っただけか」
完全に避けきることは出来ず、右頬をぱっくりと割られた。傷口からは血が流れ、ポタポタと地面に落ちる。
「クソが……まぁ良いさ。てめぇみたいなドブネズミなんぞ、いつでも殺せる。せいぜい余生を家族ごっこしながら、楽しむこった。」
そう言うと、男は颯爽と建物の屋根に飛び上がり、去っていった。オスカーはそれを見届けると壁に寄りかかり、その場に座り込んだ。
「レト、無事か?」
「レトはだいじょーぶ。ギルは?」
「掠っただけだ。何ともない……事もないな。こんなもん見られちゃ、ヘレナにまた怒られちまう」
そう言ってオスカーは少し笑う。まるで、痛みなど最初から感じていない様に。
「どうするの? リサちゃん呼ぶ?」
レトが心配そうに影の中から声をかける。
「リサを呼んでやるのは可哀想だ。それに、あいつにはやって貰いたい事がある。この近くに知り合いが居る。そこに行こう。ついでに、聞きたいこともあるしな」
そう言うとオスカーは立ち上がり、その場を後にした。




