人喰いの森
今回から『オリエントの皇子と灰の獣編』開始です!
(紫色は旧東ローシェン帝国領)
オスカー達がノイケーニヒクライヒ=ターコニアス間の国境を越えてから三日が経過した。
この国境地帯は、通称『人喰いの森』と呼ばれる旅の難所で、両国の警備兵の他、ならず者達ですらここには近付かず、大きな街道も関所も無い。まさに亡国の皇子が他国に逃れるのにはうってつけの場所だ。
「おとーさん。景色、変わらないねぇ」
「それが、この森だからな……」
この森が人喰いの森と呼ばれる理由は大きく二つ。
一つは国境を跨ぐように東西南北に延々と同じ風景が広がる巨大な樹海のため、自分が何処にいるかわからなくなり、森から出られなくなるから。
そしてもう一つは……
「おとーさん! なにか来る!」
「来たか!! シュバルツ! 頼んだ!」
そう叫んだ直後、樹海の奥から巨大な蛆虫のような怪物が凄まじい素早さで滑り込み、大きな口で馬車を飲み込まんと襲い掛かってきた。
シュバルツは脚を早めて何とかそれを回避し、その場を走り抜ける。後ろを振り返ると、巨大な蛆虫により、先程までオスカー達の馬車がいた地面が文字通り根こそぎ削り取られていた。
これが二つ目の理由、人喰いの森固有の魔物『トリュウオオバエ』による捕食の脅威だ。
トリュウオオバエの幼虫は、その名の通り竜をも捕食のする程の大食らいで、日常的に共食いまで行う。そうして獲物を喰らい続け、丸々と肥え太った幼虫は、他の幼虫に食われぬよう地中深くに潜りサナギとなる。そうして丸々一年眠り、力を蓄えた個体は羽化を行い、眠りから目覚める。成虫となったハエは竜にも匹敵する大きさになり、一年の飢えを満たすためかのように、再び暴食の限りを尽くす。
冒険者ギルドや、両国は何度もこの森の開拓に乗り出したが、彼らによってことごとくその試みは潰え、『魔王より恐ろしい』とまで言われる事さえあるのだ。
「あれがトリュウオオバエだな」
「あんなのに食べられちゃったら……」
そう言って後ろを振り返りながら、ヘレナは顔を青くする。
「ヘレナ、前においで。あんなのに荷台ごとヘレナが食われたら、お父さん悔やみきれないからな」
「うん……!」
ヘレナは素直にそう言って、荷台から御者台に移り、オスカーの隣にちょこんと座る。
「ねぇおとーさん」
「ん? どうした?」
「今探してる人達って、ここに居るんだよね?」
「だな。あともう少しで落ち合えると思うぞ」
「……あれに食べられちゃってたりしないよね?」
オスカーは少し考え込む。オスカーも噂には聞いていたが、実際本物を見るのは初めてだ。先程のあの素早さと、口の大きさなら、あり得ない話でもない。
「……急ごうか」
「うん!」
オスカーはシュバルツに、更に速くと合図を送った。
○
オスカー達は、そこからしばらくの間周囲に警戒しながら樹海を進んでいた。約束の場所まであと少しだと思ったそのとき、ヘレナの目つきが変わった。
「……おとーさん、向こうに何人か居るよ。戦ってるみたい……」
ヘレナの表情は少し曇っている。オスカーは嫌な予感を覚え、ヘレナの指差す方へとシュバルツを進めた。
シュバルツが近付くにつれ、戦いの音が徐々に聞こえてきた。トリュウオオバエの成虫が出すとされる、気味の悪い金切り声と剣の音。
オスカーは銃に弾を込めると、間も無く見えるであろうその光景に備えた。そして……
「……!」
そこには、トリュウオオバエの成虫と戦う、白い絹の外套に身を包んだ一人の剣士が立っていた。よく見れば背後にはヘレナ程の歳の幼い少年を伴い、そのすぐ近くには真っ黒な外套を着た男が血を流して倒れている。
「まさか……!」
オスカーはシュバルツを止め、馬車から飛び降りると、ハエに向かって銃の引き金を思い切り引く。弾は両手を広げた程の大きさの目玉に命中。ハエは気味の悪い金切り声をあげ、飛び上がろうともがく。右前脚と左の翅をもがれているようだ。上手く飛び上がれずのたうち回る。
「今だ!」
「……! わかった!」
オスカーは咄嗟に叫ぶ。剣士はハッとしたように返事をすると、のたうち回るハエに向かって駆け抜け、そして、
ザクり
「ギュェェェェェェェェェア!!!!」
眉間を貫かれたハエは、最期にとびきり大きな金切り声をあげて絶命した。辺りには、ハエの体液と人の血が飛び散っている。
「あなた方は……」
「話は後だ! まずは馬車に乗ってくれ! 他の奴らがたかってくるぞ!」
オスカーはそう言って彼らを馬車に誘導し、倒れ伏す男に近付き、背負う。最早助かる見込みはなかった。
「……かたじけない」
剣士はそう言って、背後の少年の手を引き、馬車に乗り込んだ。
オスカーは男を最後に乗せたあと、すぐに馬車を走らせ、その場を後にした。




