♪9 発見、虎娘
TVドラマもクライマックスに近付き、ハラハラドキドキしているところで気の抜けたCMに移り変わる。そんな肩透かしを食らって、やきもきした事はないだろうか。
私はある。あの時は、ホントにガッカリだった。
「トラムをどこにやった!」
店の奥で鳴り続ける黒電話。その受話器をとったセロさんは、開口一番そう吼えた。
普段の温厚な顔立ちと口調はそこには無い。銀縁の眼鏡越しに見える目は狼のように鋭く、放った声は聞いた者を怯えさせる威嚇の唸り。頭を覆うバンダナを解いたら、髪の毛は逆立ってるんじゃないかしら。
全身に怒気をはらんだセロさんだったが、受話器の向こうから聞こえた声を聞いた途端一気に気が抜けた。それこそ、プシューッと風船から空気が抜けていくように。
「……あ、ティバンニさん? 失礼しました。いえいえ、どうもしませんよ。ただ、ちょっと店内にアルパカが迷い込みまして、難儀しているところで……。ああ、今月の家賃ですか? はい? 先月と先々月? 嫌だなぁ、ちゃんと払いましたよ」
どうやら電話の相手は、セロさん達が店舗を借りている大家さんらしい。
「はいはい、もちろん。今月から……と、違う。今月もばっちりお納めしますとも。それでは、こちらも少々立て込んでおりますので、ええ、アルパカで。それでは失礼します。……やれやれ、なんと絶妙なタイミングの電話なのか」
電話を切ったセロさんは、気が抜けまくったせいかその場にヘナヘナと座り込んでしまった。
私はこんな状況で聞くことではないと思いながらも、気になっていた事を口にする。
「セロさん。ホントに家賃毎月払ってるの?」
「……え、ええ。もちろん」
なら、なんでそこで回答に詰まるのよ。
「と、とにかくです。慌てても仕方ありません。落ち着きましょう」
触れられたくない話だったのか、そんな話をしている場合じゃないからか。どちらを選んでも半分ずつ正解だろうけど、とにかくセロさんはそう言って立ち上がる。
現状を見る限り、落ち着いて欲しいのは私よりセロさんのほうよね。電話が鳴るたびにあの調子では、かけた側もたまらないわ。これで、もし来客があろうものなら、セロさんは噛み付きかねない。
「さっき、フルーちゃんの匂いがしないって言ってたけど、やっぱりしないの? 実はセロさん鼻が詰まってるとか」
ダメで元々聞いてみる。案の定、セロさんは苦い顔で首を振った。
「そりゃあ、フルー君はこの店の店員なわけですから、少しぐらいの残り香はしますよ。でも、それは今の今までいたという匂いではなく、あくまで長く生活する上で音楽堂に深く染み付いた匂いなんです」
タンタン。どこからか音が聞こえる。風に窓が震えているのかな?
「骨董品に埋まってわからない、とか」
「土砂や雪に埋まっているわけじゃないんですから、わかりますって」
タンタン。今日は風が強いのかしらね。
ふむ。私は腕組みして考える。
店内にいず、店の外もなし。そんな事は無いはずだ。フルーはどこかにいる。きっとどこか見落としているに違いない。さて、その見落としはどこか? 結局この疑問に行き着いて、ここで行き詰っちゃうんだけど……。
タンタン。……騒々しいなぁ。
腕組みはそのままに音のする方へと顔を向け、私は眉をひそめた。
タンタン。……風、吹いてないじゃないの。
窓の外から見える港町カオブリッツ名物、石畳の坂。その通りの各所に設けられた街路樹は、昼下がりの日差しを浴びて悠々と繁っている。時折吹く微風がわずかに枝を揺らしてはいるが、窓を打ち鳴らすほど吹き荒れる風は無い。
タンタン。じゃあ、この音はどこ? これってもしかして、怪奇現象?
いやまあ、セロさんやフルーちゃんと付き合いだした時点で、少々の事ではビビったりしなくなったけどさ。でも、落ち着かないじゃない。
タンタン。セロさんもこの音に気付いているらしく、音のする方へと歩いていき……あれ? 窓のもっと手前で止まった。
「……あらら」
セロさんは足元を見ながら困ったような呆れたような、そんな複雑な表情を浮かべる。
「え、何? セロさん、どうしたの?」
困惑する彼を不振に思った私は、足元の骨董品達をどけながら歩み寄る。
そして、一緒に困惑した。
「……フルーちゃん」
タンタンタンタンタン! 私達がフルーの存在に気付いたと知るや、彼女はさらに景気よく音を鳴らす。
……目の前の情景をそのまま言えば、フルーは鏡の表面を叩いている。ただし、鏡の中から。ん? じゃあ鏡の表面じゃなくて内面よね。まあ、とにかく中だ。そりゃ、セロさんの鼻センサーにも引っかからないわけだ。
「ねえ、セロさん。これって……?」
怪奇現象に怯えなくなったからって、理解不能なものは理解不能。
私は、その道に通じているセロさんを見て尋ねる。セロさんは鏡を吟味するようにまじまじと眺め、やがて眼鏡を直しつつ私を見た。
「これは……フルー君が、鏡の中に入ってますね」
いや、そりゃ見ればわかるって。
「いやー、私も何もかも心得ているわけではありませんからねぇ」
セロさんは申し訳無さそうに後ろ頭を掻く。
「からねぇって……。それじゃあ、フルーちゃんどうしよう」
フルーの入った鏡を前に、私とセロさんがウーンと唸る。
タンタンタン! 思案顔の私達を見かねたのか、フルーが口をパクパクさせながら鏡を叩く。でも、鏡越しでは声が届かないのか、何を言っているのかはわからない。
「どうやって鏡の中に入ったのかがわかれば、解決の糸口にでもなるのでしょうけど」
「フルーちゃんの声が聞こえないって事は、こっちの声も聞こえないんでしょうね。おーい、フルーちゃーん。聞こえるー?」
私は手を振ってフルーの注目を促し、声をかけてみる。対するフルーは、キョトンとした顔で私を見つめると頷いてみせた。
「いやはや、あちらが聞こえてこちらは聞けず。なんとも不可解なもんですね」
誘拐疑惑が晴れて安心したのか、この不可思議な状況の中でセロさんは呑気に感想を述べる。
そんな店長の反応に気を悪くしたらしく、フルーはセロさんに向かってパクパクと口を動かす。
「呑気な事言ってんじゃない! とか言ってるっぽいわね」
「ですね」
実際のところ、誘拐より厄介な事態に陥っている気がする。
「ごめん、フルーちゃん。こちらからはフルーちゃんの声が聞こえないのよ」
フルーにそう言うと、鏡の中の彼女は私に向かって口を動かす。
「そんなわけないじゃない。こっちは聞こえるもん! と言っているんですかね」
「みたいね」
タンタンタンタン! 真面目にやれ、と言っているみたいだ。
真面目にやりたいところだけど、生憎どう対処したらいいのか私はおろかセロさんもわからないみたい。さてさて、どうしたものやら。
少し考えこんだ私は、思いついた事をセロさんに話してみる。
「ひとまずセロさんは骨董品を片付けたら? フルーちゃんがこの中なら雪崩が起きる事も無いわけだし」
「……おお! なるほど、それは名案です」
冗談めかして言った私の言葉に、セロさんは手を打って答えた。
そして、私達は失言を悔いる事になる。
ギギギギギィィィィィッ! 機嫌を損ねたフルーが鏡に爪を立て、私達二人はその音に悶絶した。
鏡。物理的な解釈を知るまでは、とても不思議な存在でした。
そう思うのは私だけではないようで、古くから多くの作家さんが題材に使っておられます。
さてさて音楽堂メンバーで繰り広げられます私的鏡話。しばし、お付き合い下さい。