表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/42

♪8 消えた虎娘

 いつもの見慣れた風景。なのに、いつもと違って何かが足りない。そんな言い知れない違和感を持った事はないだろうか。


 私はある。あの時の……いや、あの時は何が足りないのか、わかっていたか。




 私の行きつけのパン屋、ピッコロベーカリー。その店の脇道、細い路地を進んだ突き当りが骨董屋の音楽堂だ。店の軒を見上げれば、初めて訪れた時と全く変わらない古めかしい音楽堂の看板が、私達を出迎えている。


 私は音楽堂の看板から視線を外すと、振り返ってパン屋のある方を見た。


「何かお茶に合いそうな物でも、買ってこればよかったかしら」


「そうですね。荷物を片付けたらみんなで買いに行きますか」


 セロさんは私の言葉に同意しながら音楽堂の扉へと近付いた。


 セロさんは扉の前に立ち止まると、ポストの郵便物をチェックし、慣れた手つきで扉に下げられた『準備中』の札をひっくり返して『営業中』を表に向け、そのまま手を滑らせるようにして扉のノブへ置く。


 さすがは店長というところか。澱み無く流れるような一連の所作に目を奪われていた私は、次の行動に移ろうとするセロさんを止め損ねた。


「あ、セロさん。危……」


「お、おろ〜!」


 セロさんがノブを回した途端、扉は彼の意思を無視して押し開かれた。そして、店の中から溢れた骨董品が土砂流の如くセロさんを襲い、バランスを崩した彼は成す術も無くその中に埋もれていく。


「わ、ちょっ、セロさん!」


 慌てて助けに入ろうとした私だったが、杞憂に終わる。セロさんは何事も無かったかのように骨董品の中から起き上がった。


「大丈夫? と聞くまでもないか。平気そうね」


「いやー、アハハハ。ビックリしました」


 大して驚いた様子も無く、朗らかに笑うセロさん。さすが音楽堂店長。骨董土砂災害など慣れたものだ。


「それにしても、これは残念な結果ですねー」


 セロさんは自分を襲った骨董品達を改めて見渡すと、笑顔を曇らせた。


 それもそうか。ここでセロさんが骨董雪崩に巻き込まれたという事は、フルーは棚の整理に失敗したという事だ。期待していたセロさんにとっては残念な話だろう。


 ……ゴメン、セロさん、フルーちゃん。私は骨董土砂を見た瞬間、ああやっぱりと納得してしまったのよ。


「まあ、次があるわよ。今日のところはみんなで片付けましょ」


 我ながらありきたりな励ましだ。


 それでも、セロさんは私に穏やかな微笑と力強い頷きを返してくれた。


「確かに次があります。一度や二度どころか、これが千、二千の失敗だとしても諦めなければ次がありますとも」


 待て。いったい何回やらかしてんだ、フルー。


「セロさん。あなたの器量は尊敬に値するわ」


「……? 励ましてくれたトラムさんの方が、立派だと思いますけど?」


 感心する私を不思議そうに見るセロさん。返す言葉が見つからない私の様子から会話終了と判断したらしく、足元に転がる骨董品を片付け始める。私も彼に続いて作業を開始した。


「さてさて、片付けるからには当事者にも手伝ってもらわないと……」


 入り口の土砂、もとい骨董品をどけて店内を入ったセロさんの足が止まる。


「どうしたの?」


 私の問いかけにもセロさんは黙りこくったままだ。不審に思った私は、彼の横から店内を覗き込んだ。


 そして、セロさんの沈黙に納得した。


「あれ? フルーちゃん?」


 床一面骨董品で埋め尽くされた音楽堂の店内。或いは、それはいつもの事なのかもしれない。でも、いつもどおりと言うにはこの風景には彼女が足りない。


「フルーちゃん、いないわね」


 私は店内を見回して呟いた。


 音楽堂の陳列棚に混沌をもたらし、それを問えば「小人がやった」と言ってはばからない少女、フルー。その姿が今の店内に無いのだ。


 仕事ぶりはさておき、店の仕事自体は楽しんでいるフルーが、店長のセロさんに断りも無く出て行くとは思いづらい。ましてや、店内がこの惨状となれば尚の事。こんな状況を口八丁で誤魔化そうとする事はあっても、決して店から逃げる事はしないのがフルーちゃんだ。


「ひょっとして、セロさんと同じように骨董品の雪崩に巻き込まれた。とか?」


 一番考えられる事をセロさんに言ってみたが、彼は首を横に振る。


「いえいえ、フルー君も私と同様、そんなのは慣れっこです。一人で脱出するぐらい簡単な事ですよ」


 私の意見を否定するセロさん。その口調はいつもどおりだったけど、鼻を引くつかせる彼の顔から笑顔が消えていた。感じられるのは不安と焦り。


「……店の中からフルー君の匂いがしません」


「匂いって……」


 セロさんの言葉に、彼の正体を思い出す。


 音楽堂店長セロと店員フルー。その者、人に似れど人に非ず。セロさんは一見穏やかな物腰の青年だが、正体は狼男。そして、フルーは虎人と呼ばれる種族。普段のこの人達を見ていると、つい忘れがちになるのよね。


 狼男であるセロさんの嗅覚は、人のそれを遥かに凌駕する鋭敏さを誇り、匂いから失せ物を探す事もできる。ともに生活するフルーの匂いなど、容易く知れるという事か。


「でも、だとしたら店の外?」


「うーん、理屈からすればそうなのでしょうけど、なんとも微妙なところです」


 首を傾げる私を置いて、店の外に出るセロさん。


「微妙って?」


 セロさんを追って外に出た私に、彼は肩をすくめた。


「店の外に出ていたのなら、さっき帰ってくる時に気付いたでしょうね。さっきも今も、店の外からはフルー君の匂いはしないんです」


 それはまた奇妙な話。店の中にいなくて、外にもいない。それじゃあ、フルーは消えたとでもというのか。


「セロさん、矛盾してない? 店の内も外も無しって」


 それは彼も重々承知らしい。私の台詞に苦笑いしながら頷いた。


「ですよねぇ。やはり可能性としては外ですか。なんとなれば、匂いを残さずに移動するという事もできなくはないですし」


 言いながらセロさんは、私の段ボール箱をぽんぽんと叩いてみせる。


「例えば、何かに入れて密封するとかですね」


「そんな無茶な。第一、フルーちゃん一人でできないわよ」


 笑いながら否定する私。半ば冗談だったらしく、セロさんも一緒になって笑っている。


「確かに無理な話ですよね。私は出かけていたのだし、誰か来ない限りフルー君を箱に入れるなんて……」


「それじゃあ、まるで誘拐みたいじゃ……」


 言いかけた私とセロさんは同時に青ざめた。


 ……笑い事じゃないわよ、これ。


 音楽堂の店内で一人棚整理に勤しむフルー。そこへ突如現れる誘拐犯。逃げるフルーと追う犯人がもみ合いになり、店の中は現状の有様。結局犯人に捕まったフルーは、無理やり箱に押し込まれて連れ出され……。


「や、やだなぁ、トラムさん。誘拐だなんて、冗談はよして下さいよ」


 同じ事を考えたのか、セロさんの抗議する声に余裕が無い。


「だ、だいたい、動機はなんですか? う、うちに身代金が払える余裕があるわけないじゃないことないんじゃないんですか」


 どっちですか、セロさん。というか、私に抗議しておいて誘拐の線で話を進めるんですね、セロさん。


「お金目的じゃない、とか。ほ、ほら、フルーちゃん可愛いし……」


 言ってしまってから、私は自分の失言を反省した。よほど今の言葉がこたえたのか、セロさんは激しく動揺してカタカタと震えている。


「セ、セロさん落ち着いて。まだ、誘拐だと決まったわけじゃないんですから」


「そ、そうですよね。私の鼻の調子が悪いだけかも……」


 努めて明るく振舞おうと笑いあうものの、お互い笑顔も笑い声も硬い。そんな私達の動揺を見透かしたかのように、突如電話のベルが鳴り響いた。あまりのタイミングの良さに二人して体をビクつかせる。


 私は震える体を抑え付けるように両手で抱え、店の奥で鳴り続ける黒電話を見つめた。


「そ、そんな、まさか……」


 私の声が引き金になったのか、一目散に店の中へ駆け込むセロさん。


 セロさんは、売り物である骨董品を蹴散らしながら黒電話まで一直線に進むと、ひったくるように受話器を掴んだ。




というわけで、フルーが消えてしまいました。

これからどうなっちゃうんでしょうね。


……私にもわかりません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ