♪7 音楽堂への招待
自分一人で片付かない事に困り果てた時、絶妙なタイミングで助っ人参上! そんな素直に感謝したくなるような瞬間が無いだろうか。
私はあった。あの時、彼が助けてくれた事を、私は今でも感謝している。
「ホント大助かり。ありがとうね、セロさん」
昼下がりの港町カオブリッツ。
私、トラム・ウェットは隣を歩くセロさんに心からの感謝を口にした。
「そんなお礼なんていいですよ。トラムさんのお役に立てて光栄です」
骨董屋『音楽堂』の店長セロさんは、そう言って優しく穏やかな微笑を返してきた。
外見は悪くないんだし、この笑顔を営業スマイルに使えば客も増えるんじゃなかろうか。いや、音楽堂の経営に口を出すなら、まず陳列棚の改善を指摘すべきよね。あと、店員の整理技能の向上と、それから……。
「いやー、たまたま通りかかって良かったです。いくらトラムさんだからって仮にも女の子なんですから、この量を持って帰ろうというのは大変ですよ」
少し呆れた感じのセロさんの言葉に、私は意識を音楽堂改善計画から現実へと戻す。
セロさんの言葉に何か失言が混ざっていた気もするが、助けられた手前スルーしておこう。
そんな彼が両手に抱えているのは、私の荷物である大柄な段ボール箱。
聖フォンヌ音楽院に通う私の趣味は、簡単に言えば作曲。頭に浮かんだ曲を五線紙に書き留める事だ。そんな趣味を持つ私は、外出の際は常に五線紙を鞄の中に入れておくし、アパートにもストックを常備している。
少なくとも数日前まではそうだった。大家の飼い猫シンバルの乱入によってストックしていた五線紙が全滅するまでは……。あぁ、今思い出しても腹立たしい! あのポテっとお腹の無愛想猫め!
「それにしても、これ何枚入っているんです?」
「家賃半月分」
シンバル事件の後、大家さんに事情を話して今月の家賃を半額にまで下げてもらった。飼い猫にダダ甘なところを除けば大家さんって素敵なマダムなんだけどなぁ。
とにかく、私は浮いた家賃の半額分を手に行きつけのパウロ文具店に駆け込み、お金を全て五線紙に代えたわけだが……。
「私も買ってから思ったのよ。無茶な買い方したなーって」
自分のとった行動に苦笑いする。
段ボール箱満タンに詰め込まれた五線紙の重量は推して知るべし。正直言って、ホント重かった。コレ持って我が町カオブリッツ名物石畳の坂道を歩いて帰ろうってんだから、気持ち的にもひたすら重かった。
そんな時、偶然通りがかったのがセロさんだった。なんの躊躇いも無く救いの手を差し伸べてくれた彼の顔が、いつもより割り増しで格好良く見えた。それを口にするのは恥ずかしいので黙っておくけど。
「とか言いながらセロさんにだけ任せていたらダメだよね。ゴメン、やっぱり自分で持つわ」
そう言って段ボール箱を受け取ろうとした私の手を、セロさんはヒョイとかわす。
「いえいえ、お気になさらず」
普段と変わらない穏やかな表情で受け流そうとする。
「いやいや、せめて半分くらいは持つから」
「段ボールを二つ割りにするわけにもいかんでしょう」
ヒョイ。改めて伸ばした私の手は空を切る。
「大丈夫よ。中身は袋分けされてるんだから、二つ三つぐらいは私が」
「どうぞお構いなく。当店では配達サービスも実施しておりますので」
またもやヒョイ。こちらの手を見もせずに難なく避ける。
「当店って、それは音楽堂の商品じゃないでしょうが」
「そこはそれ、ご贔屓さん特別便ってことで」
しつこくヒョイ。フェイントにも動じないセロさん。
「ご贔屓ってほどお店に行ってないわよ」
「それじゃあ、ご新規さん特別便にしておきましょう」
くどいけどヒョイ。本気で奪いに行っているのだが、かすりもしない。
「なかなかやるわね、セロさん」
私は動き回るうちにずれてしまったセルフレームの眼鏡を直しながら、改めてセロさんを見た。
「そう言うトラムさんも良い筋をしてらっしゃる。というか、やめません? お互い疲れますし」
そう提案するセロさんだが、穏やかな顔からは微塵も疲労を感じさせない。私を案じての事なのだろう。
「それもそうね。でも、ホントに疲れたら遠慮無く言ってよ。自分で持つから」
私は段ボール箱奪取を諦めて再び歩き始めた。
「なんのこれしき。背中の荷物に比べれば軽いものです」
「……確かに」
セロさんが抱えている段ボール箱から、彼が背負うリュックサックに視線を移して呟いた。
私の段ボール箱より大きなリュックサック。そこに収まりきらずに顔を出している中身を見る限り、私の段ボール箱より重そうだ。
「これって、さっきセロさんの言ってた配達サービスのやつ?」
私はリュックサックの中身を指差してセロさんに尋ねた。
壷に楽器に置時計。おもちゃ、まな板、鍋に桶。デタラメなラインナップだが、音楽堂の商品となればそのデタラメっぷりも納得できる。
だが、セロさんはそれを否定するように首を横に振った。
「いえ、違いますよ。この子達は私が仕入れた商品です」
……なんですと?
その言葉に呆気に取られて歩みが止まる。
「おや? どうしました、トラムさん?」
立ち止まった私を不思議そうに見ながら尋ねるセロさん。私は深々と溜息をついた。
「どうしたもこうしたも無いわよ、セロさん。あれだけ店に雑貨を詰め込んでおいて、まだ買い込んでくるなんて」
「心配ご無用。今頃フルー君が棚を並べ替えて、この子達の納まるスペースを作っていますよ」
それを聞いて、私はさらに募る不安を溜息と一緒に吐き出した。
心配ご無用とは無理な話だ。
「セロさん……。フルーちゃんに頼んで大丈夫なの?」
音楽堂唯一の店員フルー。自由奔放、明朗快活という言葉が似合う陽気で元気な少女だ。ただ、彼女にとって『商品の陳列』は『棚に詰め込む』と同意語という極度に大雑把なところがある。そんなフルーちゃんに棚整理を頼むというのは、とても危険な気がしてしょうがない。
そんな私の言葉に不満を持ったらしく、珍しく眉根を寄せるセロさん。
「それはフルー君に失礼ってものですよ、トラムさん。フルー君をなめてもらっちゃ困ります。あの子はああ見えて、やる時はやる子なんですから」
私の知る限りフルーは『やる子』というより『やらかす子』なんだけど……。
「そうですね。フルー君もトラムさんに会いたがっていたし、よろしければお店に寄られませんか? これぞ真の音楽堂という店内で午後のティータイムなど、いかがです?」
お茶の誘いに私の心が揺らぐ。
店の中の惨状を想像すると逃げ腰になるが、フルーとセロさんとのお茶会というのは興味深い誘いだ。
私は少し考えてから頷いた。
「うん、せっかくのご招待だもの。ありがたく伺わせていただくわ」
万が一、フルーがきっちり仕事をこなしていたとすれば、三人で楽しいお茶会。店内が予想通りの情景を作っていたとしても、セロさんに荷物を運んでもらうお礼として片付けを手伝わせてもらおう。
……ゴメン、フルーちゃん。私はすでに片付けを手伝う気でいるわ。
私の内心の葛藤をよそに、セロさんは嬉しそうな笑顔を私に向けた。
「そうと決まれば進路変更です。一路、音楽堂へ!」
軽い足取りで石畳の道を進むセロさん。その背中と両腕に重量級の荷物を持っているとは思えない。
私は彼に遅れまいと、急ぎ足でセロさんの背中を追った。
別作品の休載に合わせての連載再開と言いつつ、フライングいたしました。
この先どのような展開になるのか、隔週連載のペースで書けるのか。いろいろな不安を抱えつつ新章突入です。温かく見守っていただければ幸いです。