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♪5 虎と狼

 夜道を一人歩いていると、何か事件や事故に遭遇するのではないかと不安に駆られたことは無いだろうか。


 私はある。あの時の私の心中はまさにそうだった。




 私は夜のカオブリッツを足早に歩く。


 メトロノームの匂いとやらをかき消すほどのゴミダメ。その話で失礼ながら思いついたのはフィオの部屋だった。


 私が連絡を取ろうと、彼女のアパートの電話にかけてみたが出てくれない。


 その様子を見ていたセロさんとフルーは、私からフィオの住所を聞くとすぐさま部屋を出て行き、それを追うように私もフィオの元へ向かう事にしたのだった。


「本当にフィオが?」


 歩きながら自問する。


 確かに昼間のフィオのメトロノームを見る目は普通ではなかった。だが、盗みまでするだろうか。やっぱり、私の考えすぎなのかもしれない。


 どちらにせよ、フィオと二人をいきなり会わせるよりは、私が間に入ったほうが双方も話しやすかろう。セロさんはまあ大丈夫として、フルーちゃんはなんだか余計なトラブルを起こしそうだもの。


 幸いフィオの住むアパートは遠くない。充分歩いていける距離だ。二人の歩調がどれほどかは皆目わからないが、近道を選んでいけばフィオと遭遇する前の二人に、合流できるかもしれない。


 そう思いながら裏道を通ってフィオの住むアパート近くまで来た時、自分が楽観的過ぎた事を痛感した。


 彼女のアパートからガラスの割れる音、何か重そうな物が勢い良く転がる音等々が響いてきたのだ。


「嘘でしょ?」


 いくらなんでも、会ってから数分で乱闘騒ぎ起こすほどエキサイトできるものなの?


 慌てて走り出す私。アパートに辿り付くと彼女の住む階まで一気に駆け上がる。


 そこで待っていた光景は、フィオの部屋の玄関で重なり合って倒れているセロさんとフルーの姿。


「ちょっと、二人共!」


 駆け寄る私に気が付いた二人は、まったく同じタイミングで叫んだ。


「離れなさい!」


「来ちゃダメ!」


「え?」


 そう言われても勢いのついていた体はすぐに止まらない。私が減速し足を止めた時にはフィオの部屋の前まで来ていた。


「いったい、二人共何があった……の?」


 言いながら倒れている二人から視線をずらすと、二人のすぐ近くに湾曲した鉄製のドアが転がっていた。


 これって、このアパートの玄関についているドアじゃなかったかしら?


 そう思ってフィオの部屋へと視線を移す。


 彼女の部屋のドアは無くなっていた。丸見えになっているフィオの部屋の中は、いつも以上に散らかっている。普段は足の踏み場ぐらいはかろうじてあるが、今の彼女の部屋の中は床も見えない散らかりようだ。


「え?」


 彼女は、その足の踏み場が無いはずの部屋の中に立っている。いや、浮かんでいる。


「どうなっているの?」


「見てのとおりだよ」


 呻くように言うフルー。だから、それがわからないと言うのだ。


「簡単に言えば、あなたの友人はメトロノームにとり憑かれています。フルー君、いつまで私の上で寝そべってんですか」


 フルーの下敷きになっているセロさんが説明しながら起き上がる。


 フィオが尋常じゃない事はわかった。それはわかったが、この二人は?


「少し油断しましたね。あれほどのチカラを付けていたとは予想外でした」


 私の疑問を知ってか知らずか、セロさんは自分の上に乗っかっているフルーを押しのけて立ち上がる。


「あのメトロノームは、長い年月を生き抜いてチカラを持つようになったのです」


「チカラって?」


「例えば、意思を衝撃波に変えて鉄のドアを吹き飛ばしたり、アナタの友人を魅了してとり憑いたり宙に浮かせたり……」


 そこで一度話を止めたセロさんがいきなり抱きついてきた。


「ちょっと! 何を!」


 顔を赤くして抗議の声をあげる私の視界の端を飛んできた椅子が通過する。通り過ぎた先からは衝突音と同時に「ワキャッ!」と悲鳴が上がる。


「椅子を景気良く飛ばしたり」


「椅子をアタシにぶつけたり……」


 セロさんの言葉にフルーが続く。フルーは片手で顔を抑えながら、飛んできた椅子を支えにして立ち上がった。


「やったな!」


 叫ぶフルーの目の色が変わっている。これは素人目にも危険な事がわかった。


「落ち着きなさい、フルー君」


「でも!」


「いいから。君はトラムさんを……」


 今にもフィオに飛びかかりそうな雰囲気のフルーだったが、セロさんの落ち着いた声に諭されて少し大人しくなる。それでも不満で仕方が無いといった顔だ。


「フィオ! この二人はあなたに危害を加えるつもりじゃ……」


 言いかけた私の横を花瓶が飛ぶ。


「邪魔しないで……」


 僅かに口を開いたフィオ。でも、その声は聞き慣れたフィオのものじゃない。


「無駄です。今、彼女はフィオではない。メトロノームの一部」


「そんな!」


 目の前の事が現実だとわかっていても、信じる気になれない。非常識すぎる。


「あのメトロノームは歳月を経てチカラこそ身に付けましたが、まだそれを扱いきるココロが完成していない。完全なココロを作り上げるチカラを欲したメトロノームは、不完全なココロで自分なりに考え、人にとり憑いてチカラを吸い上げる事を思いついたのでしょう」


 こんな突拍子もない状態で冷静に推測を立てているセロさんに、私は少しヒステリックになりながら詰め寄る。


「じゃあ、なんでフィオなのよ! アレを手にした私は? いいえ、それ以前にあなた達の店にあったのならあなた達が……!」


「トラムさんが平気だったのは私達も不思議です。私達は特別です」


 落ち着いて答えるセロさん。彼は足元のガラクタの山を気にも止めず、ゆっくりと部屋に入っていく。


 彼について入ろうとした私だったが、力強い手に腕を捕られて立ち止まった。


「行っちゃダメ。邪魔だから」


 フルーの細腕のどこにこれほどの力があるのだろうか。締め上げられた腕から先の感覚が薄れていく。


「邪魔って……フルー、痛いわ。放して」


 私の抗議に少し力は弱まったが、手は放してくれそうも無いし、振りほどけるほど力を弱めてくれてもいない。


「フルー君。トラムさんを連れて一緒に……」


「ヤダ。セロがやられたら次はアタシ。それがダメなら先にアタシ」


 背中越しに投げかけてきたセロさんの言葉を、フルーは拒絶した。


 フィオも心配だが、隣で獰猛な虎のような殺気を放つフルーも正直言っておっかない。


「前門の虎、後門の狼ですか。生きた心地がしませんね」


 溜息混じりに言ったセロさんが銀縁眼鏡を外してフィオの前に立つ。


「メトロノーム。フィオさんを開放してください。でないと、少し痛い目にあってもらうことになる」


「邪魔をしないで……。もう少しでワタシは変わる……」


 フィオの、メトロノームの言葉に反応するかのように彼女の周りのあらゆる物が宙に浮き、セロさんに襲いかかる。彼は飛来するそれらを紙一重でかわしていく。


「焦らなくても私達が、あなたが完成するまで見守ってあげますから」


「いらない。ワタシはもうすぐ変わる……」


「それでは、とり憑いている彼女の身が持たないですよ」


「関係無い……」


「聞き分けの無い!」


 セロさんが少し声を荒げると、それを引き金にしたように飛び交う物の数が増えた。


 それでも彼は驚異的な速度で全てをかわし、じわじわとフィオに近付いていく。


「力ずくでも彼女を開放してもらう!」


 言って一気にフィオとの間合いを詰めた。しかし、彼が踏み込んだその瞬間、下から突き上げるように飛んだ鉄アレイに顎を打ち抜かれる。


「セロさん!」


 そこで叫んだのも不味かった。私の声はフルーの感情を刺激し、爆発させてしまった。


「アタシ、怒った!」


 隣でフルーが叫んだかと思った次の瞬間、彼女に掴まれていた私の腕は開放され、彼女は檻から放たれた猛獣の如くフィオの部屋に飛び込む。


「よせ、フルー!」


 倒れたセロさんがフルーに気が付いて叫ぶが、今のフルーには聞こえていない。


 当然のようにフルーに対しても部屋中の雑貨が襲いかかる。彼女はセロさんとは違い、飛来物を素手で弾き飛ばし、小物なら当たるに任せ、フィオに向かって一直線に走る。


「邪魔をするな……」


 再度、フィオの口を介してメトロノームの声。それと同時に壁際の戸棚が浮き上がり、彼女とフルーの間を遮るように立ち塞がる。


「ガァァァァッ!」


 しかし、フルーは立ち止まるどころかさらに加速し、目の前の戸棚に向かって雄叫びを上げながら腕を振り上げた。


 フルーの突き出した腕は轟音とともに戸棚を突き砕いただけでは留まらず、さらに目の前の獲物を狙う……。


 ちょっと、獲物って!


「フィオ!」


 目の前で起きるであろう惨劇を予想して、私は反射的に目を閉じる。


 閉じようとした瞬間、フィオの部屋の中で青い影が動いた気がした。


 目を閉じたはいいが怖くて開けられない。


 封じられた視覚の代わりに聴覚が周囲の情報をかき集めてくる。それは、静寂と、その後に響く無数の落下音。そして……。


「落ち着け、フルー」


 少々声色が荒いがセロさんの声だ。


 ひょっとして、セロさんがフルーの暴走を止めてくれたのだろうか。


 私は意を決して、そっと目を開けた。


 フィオの部屋に浮遊物は無い。部屋の中で立っているのはフィオとフルーと……。


「セロ……さん?」


 たぶんそうなのだろうが自信が持てない。


 もう少し伸ばせばフィオの首を掴んでいたであろうフルーの手に、割り込ませた自分の腕を掴ませ、逆の手には取り上げられたメトロノーム。部屋の中にいたのは女性二人以外にはセロさん一人だ。だが、その両腕は青黒く長い毛に覆われて、顔つきも変わっている。


「狼……」


 顔だけ見ればまさにそうだ。


 呆然とする私。部屋の中はさっきまでの喧騒は消え、静寂の中で興奮したフルーの荒い息づかいだけが響いている。


「もう終わった。落ち着きなさい、フルー君」


 今度はさっきよりも優しい口調でフルーの名を呼んだ。


 よほどの力が入っていたのだろう。彼女に掴まれた腕は爪が食い込み、血が滲み出していた。それを見て、やっと我に返ったらしく慌ててフルーが狼男から手を放す。


「ゴメン。ゴメンなさい、セロ! アタシ、ついカッとなって……」


 やっぱり、あの狼男はセロさんなのか……。


 涙声で謝るフルーの頭を撫でている狼男のセロさんを見ながら、戸惑いを隠せない頭でそれだけは認識した。


「ココロに関してはフルー君もメトロノームと同じで、まだまだ修練が足りませんね。我を忘れるほど熱くなってはいけない。ですが、私の身を案じて怒ってくれた事は嬉しかった」


 穏やかなその言葉に、フルーが声を上げて泣き出す。


「……あの、セロさん?」


「はい? あ! おっとっと」


 返事をしつつ、隣で倒れそうになるフィオの体を支えた。どうやらフィオは気を失っているらしい。


「あなたが何を言いたいのか、大体はわかります。本当は私もこの姿をお見せするつもりは無かった。満月が近いから人型のままでも平気だと、自分の力を過信し油断していたようです。見てもらったとおり、私もフルー君も人ではありません」


「……そうみたいですね」


「私の本来の姿はワーウルフ。見ての通りの狼男です。そしてこの子、フルー君はワータイガー。虎人と呼ばれる種族です。なぜ私達がこの人の住む町にいるのかは話すと長くなりますが、少なくとも私達のように人になりすまして生活する者は世界中にいるんです。このメトロノームだって、ちゃんとココロとチカラを制御するようになれれば人の姿にもなるでしょうね」


 言いながらセロさんが外していた銀縁眼鏡をかけなおすと、彼は元の人の姿になる。


「私達の本来の姿を見ると人は恐れます。時には迫害も受ける。でも、私達は平穏に暮らす事を望むだけ。人が恐れるような害をなす事は考えていません。まあ、今回のような例外もありはしますが、そうならないようにいつもそれぞれ監視しあって生活しています」


「……どうしてそこまでして人の中で暮らそうと?」


 私の問いにフルーが泣き止む。その少女の頭をもう一度撫でながらセロさんが哀しそうな笑みを浮かべた。


「昔の事。過ぎた事。今、それを話すのはやめておきましょう」


 フルーの強張った顔とセロさんの寂しげな声。私はそれ以上問う気にはなれなかった。


「一つ、お願いがあります」


「お願い?」


 そのまま問い返すとセロさんは頷く。


「今晩起きた出来事を誰にも話さないこと。あなたは誓う事ができますか?」


 彼の要求に、フルーも哀願するように涙の滲む目を私に向ける。彼女にそんな目で見られて嫌だとは言えない。元々嫌だと言う気も無かったが……。


「約束します。でも、フィオは……」


 なんと言うだろうか。フィオも大丈夫だとは思うが、その安易な考えが彼らを今の生活に追いやったのではないかという考えも捨てきれなかった。


「フィオさんも、このまま起こして約束できるか尋ねても良いのですが、できれば忘れてもらった方が確実でしょう。幸い、まだごまかしが効きそうですし……」


「ごまかし?」


「この子に、今日の出来事は全て夢だったのだとフィオさんに思わせるよう暗示をかけてもらいます」


 言いながらセロさんは手にしたメトロノームを見せた。


「え?でも……」


 さっきの騒ぎの再発は御免だ。


「大丈夫。幸か不幸か、フィオさんのおかげでこの子もココロが出来てきた。先ほどのことも反省していますし、協力はおしまないそうです」


「……そうなの?」


「この子を信じて」


 私の不安そうな顔を見てフルーが懇願する。


 素性、行動、どれをとっても怪しい二人だが、ここで彼らを信じなかったら私は二度と誰も信じる事が出来ないような気がした。私はメトロノームと、メトロノームのココロを信じるセロとフルーを信じよう。


「なんだか、あなた達二人にはずっと振り回されっぱなしだな、私」


 溜息混じりにそう言うと、セロさんに頷いて見せた。


 セロさんはフィオを起こさないように静かに寝かせ、彼女の耳元にメトロノームを置くと針を動かした。


 カチリカチリとゆっくりしたペースで、規則正しく音を立てるメトロノーム。これが、セロさんのいうところのメトロノームの暗示だろう。


 私はそのリズムに合わせて、知らないうちにハミングを始めていた。


「素適な曲だね。なんて名前なの?」


 隣で私のハミングを聞いていたフルーが聞いてくる。


「んー、思いつきで歌っただけだからねぇ。なんて題名にしようかしら」


 そう言って考えながらも、私はハミングを続けていた。


 その二人の様子を見ながらセロさんが口元をほころばせる。


「本当に良い歌だ。人の持つそういうチカラが私は大好きですよ」


「そう?」


 二人の反応に私は嬉しそうに微笑み、メトロノームの暗示が終わるまで優しく小さく歌い続けた。

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