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♪41 調律された演奏会

 殿堂入りしたホームラン王が初めて打ったホームラン。世界一のギタリストが初めてギターをかき鳴らした小さな町の路上ライブ。生涯現役、大物有名女優が緊張しながら上がった初舞台。そんな輝かしい伝説の幕開けに立ち会ったことはあるだろうか。


 私は……。あの日がそうなるといいなと心から思う。ホントよ、フィオ。




 白と黒が並ぶ鍵盤。私ことトラム・ウェットの指がその上を撫でるように走り、親友フィオ・ディーンの演奏会は始まった。


 トロ・リボーヌ楽器店でアルバイトを始めたフィオの遅刻罰ゲームとして催されるはずだった今回の演奏会。それが魅惑のヴァイオリンをかけた演奏会へと発展し、小さなホールの観客席にはトロ・リボーヌ楽器店の御一同と雑貨店音楽堂の面々が座っている。


 演奏会に準備したのは三曲。最初にお聞きいただくのは『カオブリッツの夕日』という曲だ。


 タイトルが示すとおり、この港町カオブリッツの情景を描いた作品。この町の出身の作曲家が作ったもので、世界的に見れば決して有名ではないけれど、この町の人にとってはとても馴染み深い曲。案の定、フィオのヴァイオリンが奏でる主旋律に、観客の皆が「ああ、この曲か」といった顔をした。


 客席の表情を見る限りでは聞き飽きた曲だと幻滅している様子も無く、通いなれた店に立ち寄るような気楽な印象かな。掴みはまずまずってところね。


 スローペースで優しい音程。少し哀愁を漂わせる旋律が、昼の喧騒から穏やかな夜へ移り変わろうとする夕暮れ時の町並みや、夕日に赤く染まる港の小波を描く。


 フィオと私で演奏会の選曲をする際に、一曲目はガツンと一発インパクトのある曲でフィオの演奏世界に叩き込んでやろうなどと話していたのだけど、最終的にフィオが選んだのはこの曲だった。


 でも、この曲ってヴァイオリンソロでやると、本来の曲よりも寂しさが強く出ちゃうのよね。この穏やか過ぎる選曲でガツンと……フィオ、それって無理がない?


 些か不安を残しながら伴奏を続けていた私の耳が、曲が進んでいくうちに違和感を覚え始める。練習でも薄々感じていた感覚だけど、この本番になってそれはハッキリと浮き出てきた。


 フィオの奏でる『カオブリッツの夕日』は何かが違う。でも、フィオの弾き方って違和感だけど、不快感じゃないわ。


 夜を迎えた町が眠りにつこうとする雰囲気を出す原曲に対し、彼女の旋律は夜を迎えようとも一日が終わったわけじゃないと言っているようだわ。眠るには早い、もう少しの間楽しく騒ぎましょうと誘うような元気がある。最後まで今日を楽しんで、陽気に明日を迎えようとしている。


 このフィオ版『カオブリッツの夕日』は、明日を待つ眠りのような原曲にはない、皆で仲良く明日を出迎える準備をしているような賑わいが感じられる。


 フィオの手によってヴァイオリンの上を踊る弓。その調べに、トロ店長や店員達も私と同じ感覚を抱いたみたい。だけど、皆の顔は原曲との違いに気付きながら、その違いを面白がっている。


 皆、フィオ版の演奏が不快だと思わない……思えないのは、明日へのつながりを感じさせる曲の主軸を壊していないからかしら。原曲のような穏やかな眠りに入る少し前の時間、夕食を囲む家族や友人の和やかな団欒を曲の中に取り込んでいるような……。


 狙ってやっているのか、ただの天然なのか、どちらにしても実にフィオらしい曲調。


 もちろん、フィオがそれを澱み無く弾いているからこそ耳障りにならない、という技術的な点数も見逃せない。流石、フィオだ。普段はまともな曲を弾かずに遊んでばかりだけど、真面目に楽曲を練習すればバッチリ聴かせる演奏のできる子なのだ。


 カオブリッツの夕日が作った客席の穏やかな顔は、フィオの色が強くなるにつれて朗らかなそれへと変化している。いい傾向ね。


 当初心配されていたフィオの緊張も、演奏開始とともに吹き飛んだらしい。観客同様、フィオ自身も実に楽しそうに弾いている。


 そして、楽しみながら演奏に耳を傾けてくれている皆の中、私は一番気になっていた人物の表情を伺い内心笑みを浮かべる。


 皆より一つ後ろの席に座ったヴィオナさん、満足そうな顔をしている。あの様子なら、フィオからヴァイオリンを取り上げるような真似はしなさそう。よしよし、この調子で行こうね、フィオ。


 万事快調。演奏は危なげなく進み『カオブリッツの夕日』は終盤へと向かう。


 落日と共に色を変える空のように。フィオ色に染まっていた曲もまた、次第に本来の落ち着きある曲へと調子を変えていく。


 遊び疲れた子供にやがて訪れるまどろみの時間のように。フィオの奏でるヴァイオリンの音色は、つい今しがたまでの陽気さこそが夢ではないかと思わせるほど穏やかに鳴り響き、明日へと繋がる夢路の道行きを描く。


 私が担当するピアノの伴奏パートは終了し、残すはヴァイオリンソロ一小節分。フィオの手がゆっくりと最後の一音を奏で、弦から弓が離れた。続いて彼女の肩口から離れたヴァイオリンが小さくコトリと音を出したのを最後に、小さなホールは静寂に包まれる。


 それから二拍か三拍か。観客から一斉に拍手と歓声が上がった。


 楽器店の熱血店長トロさんを筆頭に店員さん一同盛大な拍手喝采。いや、拍手なら音楽堂のフルーも負けてはいない。小さい身体ながら、手を打ち鳴らす音はトロ店長といい勝負だ。その隣では、いつも無表情なメローヌが顔を綻ばせている。さらにフルーの逆隣では……セロさん、指笛鳴らせないんだったらやらなくていいから。


「あ、あははは、えっと、その、ありがとうございます」


 フィオは頬を赤らめ、しどろもどろになりながら観客に礼を言う。聖フォンヌ音楽院で見る陽気な彼女でも、先程までの堂々と演奏する彼女でもない。初めて見るフィオの顔だ。いつも遊んでばかりだから、まともな演奏会に出たりする事は少ないだろうし、こういう雰囲気は慣れてないのかも。


 照れくさそうに頭を掻くフィオを次の曲に入らせようとした私は、彼女への視線が集中する中で自分に向けられたものもある事に気が付いてそちらを見た。


 ヴィオナさんだ。彼女は私と目を合わせると、良い出来だったと言いたげに微笑む。それに対し、私も光栄ですと言わんばかりに笑ってみせた。


 音楽をやっているといろいろと楽しいと思える時間があるけれど、こうして演奏を終えた後の喝采というのも楽しみの一つよね。


 でも、今はまだ一曲終えただけだもの、このままでは終われない。最後の一曲まで演奏しきって今以上の拍手と歓声を貰おう。今から楽しみだわ。


「さ、フィオ。次の曲よ」


「よしきた。お任せなさいって」


 私の声に、フィオはニヤリと笑みを浮かべながら応じる。フィオ、今の一曲で完全に調子付いたわね。調子に乗りすぎて凡ミスでもしやしないかと、これはこれで不安。


 でも、次の曲を思えばこれぐらい調子に乗っていた方が良いのかも。


 拍手が引き潮のように収まる中、ヴァイオリンソロで始まった演奏会二曲目『陽射しの悪戯』。イントロこそ『カオブリッツの夕日』原曲並みに穏やかだけど、いざ始まれば情熱的なサンバのリズムへと変貌する。乗りのいいトロ店長好みの曲。


 フィオのソロが終わり次第、今度はピアノの……私の出番となる。


 イントロの穏やかな曲色をピアノパートでハイテンションなサンバにまで引き上げなければならない。私の出来次第で次にヴァイオリン主旋律の入りに温度差が出来てしまう。こちらでテンションを上げなきゃヴァイオリンの熱気が浮いてしまうし、上げすぎれば沸点に達しないヴァイオリンが冷たく聞こえる。もっとも、フィオに限って言えば、上げすぎるくらいで調度良いのだけど。


 とにかく、ここからのピアノが重要だということ。私はフィオの穏やかなヴァイオリンを聞きながら改めて鍵盤に向き合い、そっと両手を鍵盤に乗せる。


 もうすぐソロが終わる。私の出番だ……。


 ヴァイオリンが終わると同時に私はピアノの鍵を叩いた。最初は単調な低音のリズム。そこに少しずつ高音を織り交ぜて、曲の温度を上げていく。


 な・の・だ・け・ど……。


 ……あれ? 今、何かおかしくなかったか?


 私の両手は順調に曲の調子を上げている。タッチミスは無い。私だって伊達に練習積んでないわよ。そもそも私が何か違うと思ったのは、弾き出したピアノじゃないもの。奇妙だったのは、ピアノに入る直前のフィオのヴァイオリンの最後の一音よ。


 イントロのヴァイオリンソロは穏やかだと例えたけど、それは裏に熱い思いを秘めていて、私が今弾いているピアノパートがその熱気を表へと引き出す。そして、フィオの情熱は、私はもちろん観客にも届いていたんじゃないかしら。私が違和感を覚えた最後の一音を除いては……。


 さっきのは一体なんだったの? あの音だけは私達の演奏を冷たく嘲笑っているようにも聞こえた。何かがマズイ。


 このまま続けていいの? そう思いながらも私の指は練習どおり、いや練習以上に上手く演奏している。ほんの一音が生んだ一抹の不安は私の心を霧の中へといざなうが、私の手だけは、曲だけは消えない火種となって導火線を走る。


 導火線の行方は一体どこ? 爆ぜるような熱で曲を燃え上がらせる? 観客の心を打ち抜く? それとも、私達の足元を砕き奈落の底へ突き落とす? 不安の霧に包まれた今の私には見えない。深い霧の中を彷徨い走ることしかできない。


 そして、ヴァイオリンが再び演奏に加わり、私は情熱の火種がどこで弾けたのかを知った。


 曲、観客、私の足元、どれも当たり。


 不安に駆られる私の心を無視して演奏を続けた私の両手は、ヴァイオリンを受け入れる最適な舞台を作っていた。その演奏から一気に噴き出した熱風が、観客を魅惑の情熱の園へと引き込む。そんな中、私一人の足元だけが砕けた気がした。


 私の頬を汗が伝う。情熱的な演奏にあてられて? 違うわ、これは冷や汗よ。


 再び奏でられたフィオのヴァイオリン。その音を聞くたびにゾクリゾクリと寒気がする。まるで、私の体温が曲の熱気を保つ薪としてくべられているような錯覚さえ覚える。


 この感覚、良く憶えている。初めてフィオの手にするヴァイオリンを見た時のもの。フィオから取り上げたヴァイオリンをセロさんに渡された時のもの。私の心の奥底を震え上がらせる感覚。魂が恐れる悪夢の音階。


 しっかり楽曲を練習しておいて正解だったわ。私の両手は心の恐れを映し出す事無く、ちゃんと演奏だけは続けてくれている。もし、そうでなかったら両手は互いの腕を掴み身体の震えを抑えようとしていただろう。いや、今でもそうしたい衝動に駆られている。


 それにしても、なぜ今になって? そもそも、この心の奥底から来る怯えは私だけ?


 私が鍵盤から顔を上げて確かめたのは、この演奏会の主役であるフィオ・ディーン。でも、彼女が恐怖しているかどうかなんて見る前から明らかな話。彼女がビビッて手を止めていたら、私がこんな体を震わせる思いなんかしなくていいもの。


 そう、彼女はしっかりと『陽射しの悪戯』を演奏している。むしろ、ノリノリで。この曲が秘めている燃えるような情熱が乗り移ったように。高熱にあてられて半ば夢見心地で。


 フィオが夢見心地? 私の寒気……。まさか!


 私はすかさず観客へと視線を向け愕然とする。トロ店長達もフィオと同じような恍惚とした表情をしている。間違い無いわ。


 あの狼女さん、やらかしてくれた!


 心ここにあらずといったトロ・リボーヌ楽器店メンバーから視線を移し、私はこの異変を作った張本人ヴィオナさんを睨みつけ……その前に音楽堂の皆が視界に入り、私は目を見開いた。


 フルーの眼つきが尋常じゃない。一度だけ見たことがある。フィオが当時メトロノームだったメローヌに取り憑かれ、セロさんが彼女に撃退されて激情した時の眼だ。心のタガが外れ、獣のような本能の赴くままに動こうとする時の眼だ。


「ウガ……ムグッ!」


 曲の熱で闘争本能に火が付いたのか、雄叫びを上げようとするフルー。咄嗟にセロさんが口を塞ぎ、椅子に押し戻した。それでも足りないと身じろぎするフルーの様子に、メローヌも慌ててセロさんの加勢に入る。


 正気を失って暴れようとするフルーと、それを必死になって押さえ込んでいるセロさんとメローヌ。これもあのヴァイオリンの影響なのだろうか? もし、トロ店長達がヴァイオリンの音色に魅了されていなかったら、今頃会場は大騒ぎになっていただろう。


 私は改めてヴィオナさんを睨みつける。


 そこにはいつもの眠たげな半目の顔があった。でも、半開きの眼の奥にある真意が見えない。美しくも凍えるほどに冷たい半月の相貌が、私を真っ直ぐ見つめ返している。


 ヴィオナさんがヴァイオリンに悪さをさせないようにしたなんて、真っ赤な嘘だ。彼女は、時間が来たら再び牙を剥くようにヴァイオリンをそそのかしたんだ! 何が演奏の邪魔はしないだ。フィオもトロ店長達もすっかり正気を失ってしまってるじゃないか! ここまでして演奏を台無しにしたいのか! そこまであのヴァイオリンが欲しいというのか!


 これが演奏中でなければ、今すぐにでもヴィオナさんの所に詰め寄っていただろう。それが出来ないのは、フィオの演奏を私が邪魔するわけにはいかないという思いが半分。ヴァイオリンの奏でる音に絡め取られて体が思うように動いてくれないのが、もう半分。


 ……って、待って。どうして私だけ寒気と戦っているの? 皆はヴァイオリンに魅了されて情熱的な演奏にのぼせ上がっているというのに。


 私が鈍いから? 違う。私も一度フィオの演奏に、あのヴァイオリンに魅了されているのよ。じゃあ、なぜ?


 疑問が湧いたと同時に、私は答えを導き出していた。


 深く考えるまでもない。答えは私の左の耳にぶら下がっているじゃないの。


 ヴィオナさんに渡された銀十字のピアス。彼女は、この演奏会が狂宴に変わり果てる事を見越して、私にこれを預けたのね。


 でも、それはそれで解せないわ。どうして私だけを残したの? いっそのこと私もヴァイオリンの魔奏の虜にしてしまったほうが演奏会は失敗するんじゃないかしら。それこそ、トロ店長辺りに渡してヴァイオリンの魅了の力を目の当たりにさせれば、トロ店長もあの危なっかしいヴァイオリンをフィオに譲ろうなどと思わなくなるじゃないの。トロ店長達にヴァイオリンの魔力が、ひいてはヴィオナさん自身や音楽堂の皆が人間ではない事がばれないように私を選んだ? それなら最初からヴァイオリンのに牙を剥くような馬鹿な真似はしない。じゃあ、あえてヴァイオリンを暴走させたのはなぜ?


 熱気を帯びて沸き立つように、私の両手は鍵盤の上を跳ね回る。それとは真逆に、私の頭は冷たく冴えていく。


 この魅惑の演奏会の中で、ヴィオナさんは私に銀十字のピアスという鍵をくれた。それってつまりは、私にこの窮地をなんとか乗り越えさせようとしているんじゃない?


 銀十字のピアスで私を試している。悪ガキのヴァイオリンでフィオを試している。魅惑の演奏で楽器店の皆を試している。総じて、ヒトの持つチカラを試している。


 この状況を打破してみせろ。魔力を秘めたヴァイオリンを欲した人間に対する、それが彼女ヴィオナさんの本当の交換条件なんだ。


 私はヴィオナさんからピアノへと視線を移し、勝手に動いていた自分の両手を再び自分の支配下へおく。


 面白い。上等じゃないの。挑戦受けて立とうじゃない。


 演奏の中で、私は初めて音楽堂の皆と出会った時の騒動を思い出した。その騒動の終焉のおり、私は人と人ならざる者達の暗い過去を垣間見たように思う。


 その時、私は私に誓っている。優しい狼男や陽気な虎娘と楽しく日々を過ごそうと。その時、私は確信を持っている。それは決して無理な事ではないと。そんな私がヴァイオリンの悪戯程度を乗り越えられなくてどうする!


 私は、演奏に熱を吸い取られてすっかり冷え切っている心と体を奮い立たせ、自らの意思で鍵盤を叩いた。



というわけで波乱の演奏会ですが……ほとんどトラムの語りになってしまいました。ここまで彼女の一人舞台になったのは一話以来か?

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