♪39 演奏会の報せ
風邪で休んでいる間にテストの日を告知されて、当日テストの存在を知る。話題に上がらないと思っていた誕生日当日に、皆からサプライズの誕生パーティを開いてもらう。そんな自分が知らないうちに話が進んでいた事が無いだろうか。
私はある。彼女のあれも、その一つだ。
「条件……でございやすか?」
瞬きしつつ鸚鵡返しする我が友人フィオ・ディーンに、私は深々と頷いてみせる。
「左様でございます」
ヴィオナさんにヴァイオリンを預けた翌日。私は聖フォンヌ音楽院の食堂でフィオと昼食をとっていた。
私の返事に、フィオは食べかけのマカロニサラダを咥えつつ腕を組む。そのまま思案顔する事数十秒。呑気にカップコーヒーなど啜りつつ彼女の行動を見守っていた私に向かって、フィオがカッと目を見開く。
「条件、条件ねぇ……。逆立ちして町内一周しろ、とか。カオブリッツ港に飛び込め、とか……」
「なんの罰ゲームよ」
何とかと天才は紙一重と言うけれど、時折見せるこのフィオの奇抜な発想は予想不可能だわ。
「まあ、順当に行けば金払えって言うんでしょうけど、それはそれで困るなぁ。バイト料はまだ入っていないし。そもそも、バイト料があのヴァイオリンなわけだからさぁ」
困り果てた顔で後ろ頭をかき溜息をつくフィオ。
まあ、順当に行けば金銭的報酬ということになるわよね。というか、それが頭にありながら、なぜこの子は捻りまくった答えから出してくるのやら……。
もっとも、その順当な答えであるお金もヴィオナさんの求めるものでは無かったりする。
「条件……ですか?」
瞬きしつつ鸚鵡返しする私にヴィオナさんは深々と頷いてみせる。
思い返せば、昨日の骨董品店音楽堂で私もフィオと同じ反応をしていたわね。
「なんや、ヴィオ姐さん。駄賃でも取るつもりかいな」
「結構ガメツイのだ~」
私達の話を聞きながら横槍を入れてくるディンベルとドンベル。呑気にクッキーを頬張りながら、すっかり観戦モード。でも、そのクッキーはフルーの……って、そのフルーも妖精ズと一緒にクッキーをかじりながらのんびりこちらを眺めてるし。まぁ、仲良くしているならいいんだけどさ。騒々しくなくなったし……。
ヴィオナさんは妖精ズを一睨みして黙らせると、再び私へと向き直る。
「ひょっとして、トラムもアタシを慈善事業家だと思っていたわけじゃなかろうね」
私へと戻ったヴィオナさんの視線に、小人達をすくみあがらせた眼光の残り火を感じ取った私は、すぐさま何度も首を横に振った。
「ヴィオナ。この出会いも何かの縁ではないですか。ここは一つお手柔らかに」
「そういう甘い事を言っているから、この店は繁盛しないのだろうな。仕事として請け負った以上は、仕事としてこなすのが商いというものだろう?」
ごもっともな意見です。
そりゃあ、私だってヴィオナさんを慈善事業家とは思っていなかったし、お礼をしなくてはならないとも思っていた。ヴィオナさんの方から何か要求してくれるというのなら、かえって良かったのかもしれない。問題は、その内容なのだけれど。
「それで、その条件というのは、いったい……?」
「そんな顔をしないでくれないかな。これではアタシがトラムをいじめているようじゃないか」
どんな無理難題をふっかけられるのかとおっかなびっくり尋ねる私の様に、苦笑いを浮かべて返すヴィオナさん。
「あ、ごめんなさい」
「いや、アタシも少々もったいぶってしまったな。条件と言うのは簡単なことだ。ヴァイオリンの持ち主……フィオだったかな? 彼女にこのヴァイオリンを弾いてもらいたい」
……それだけ?
「あの……それって……」
ほとんど無償でやってもらうようなものじゃないのかしら?
なんだかんだで流石は優男セロさんのお姉さんだ。厳しい事を言っておきながら、報酬が演奏を聴いてみたいだなんて。
「いやぁ、ありがとうございますヴィオナ。私はてっきり大金を要求するのではないかとヒヤヒヤしましたよ」
セロさんも安堵の息をつきながら感謝を述べる。ただ、当のヴィオナさんはキョトンとした顔で私とセロさんを見る。
「ひょっとして、やはり君等はアタシのことを慈善事業家か何かだと思っているんじゃないのか?」
「はい?」
改めて問い返すヴィオナさんの言葉に、私もセロさんも思わず聞き返してしまう。
ヴァイオリンを直す報酬が、直したヴァイオリンを弾いてみせてくれというのだから、お人好しと思われても仕方ないと思うのだけれど……。
「つまり、ヴィオナお姉様が出す条件はそれだけではない。そう言うことではないでしょうか」
戸惑う私達の隣で、紅茶を啜るメローヌが淡々とした口調で言う。ヴィオナさんは彼女の言葉に意を得たりと頷いて見せた。
それもそうか。いくらなんでもそんな都合の良い話は無いわよね。ヴィオナさんはヴァイオリンを弾いてもらうと言っただけだ。ひょっとして、フィオの演奏でお客を呼んで演奏料をせしめようとか……。
「報酬は演奏の良し悪しで決めようと思うんだ。内容によっては、ヴァイオリンの直しを演奏の御代の代わりにさせてもらうよ。だが……」
ヴィオナさんはヴァイオリンをそっとテーブルに置いた。そして、軽く組んだ両手で口元を覆い、私達の心を覗き込むように上目遣いでジッと見つめてくる。
「もし、フィオがこの問題児を使いこなせていないとアタシが判断したら……」
彼女はそこで一度言葉を止める。
次に出てくる言葉はなんなのか。私達はどんな顔でヴィオナの言葉を待っていたのだろうか? 彼女の隠された口元は、きっと意地の悪い笑みを浮かべている。そんな気がした。
そして、その意地の悪さを証明するような彼女の一言。
「このヴァイオリンはアタシがいただこう。ちょうど欲しがっている顧客がいるんだ」
「って、待てーい!」
ヴィオナさんの真似をして手を組んだ私のおでこに、フィオのチョップが入る。
「いったーい! 何すんのよ、フィオ」
「何すんのよ、とはこっちの台詞よ!」
大して痛くも無いおでこをさすりながら抗議する私に対し、フィオはそれを上回る剣幕で猛抗議してきた。
まあ、怒るのも無理は無いわよね。直しに出したヴァイオリンが、そのまま他人の手に渡ってしまうなんて事になって素直にウンと言えるはずも無い。そもそも、あのヴァイオリンはフィオのものでもないのだから、勝手にそんな話を持ち出されても困る。
当然のことながら、私やセロさん達音楽堂メンバーもヴィオナさんの言った条件には反対した。でも、反対もそう長くはもたなかった。
最初にヴィオナさんに陥落したのは、事の重大さがイマイチわかっていないフルーと妖精ズ。三人はお土産の誘惑に負けて簡単に寝返り、続いてセロさんが商談の年期の違いを見せ付けるように説き伏せられた。
メローヌも反対を続けていたのだけれど、このままヴァイオリンを返せばフィオの身が危険だと言う問題にメローヌが折れた。さらに……。
「ちなみに、トロ店長のOKは取り付けてあるから」
「にゃんですとぉっ!」
私の一言に驚き立ち上がり声を上げるフィオ。あまりの声量に食堂にいた学生達が一斉に私達のテーブルへと振り返る。
「フィオ。驚く気持ちはわかるけど、ひとまず落ち着いて」
私はフィオを椅子に座らせ、何事もなかったように咳払いを一つ。
そう。ヴィオナさんはヴァイオリンの真の持ち主であるトロ店長をも、すでに説得済みなのだ。
私がヴァイオリンの持ち主について話し抵抗するやいなや、ヴィオナさんはトロ・リボーヌ楽器店に赴いた。そして、金銭の大小では動かない熱血漢のトロ店長を相手に、問題のヴァイオリンを欲しがっているコレクターの熱意をこんこんと説いて、最後には店長を頷かせたのだ。驚くべきは彼女の行動力と巧みな話術。
こうして完全に外堀を埋められ、最後に残った私も落ちた。ヴィオナさんの口車に乗ってしまったと言ってもいい。
ヴィオナさんが私を言いくるめたトドメの一言は……。
「トラムは友人の演奏を一番多く聴いていながら、この条件に一番反対するのだね。ひょっとして、フィオの演奏はアタシが聞くに堪えないほどに酷いのかな?」
私は思わずヴィオナさんの言葉を否定してしまった。そのままなし崩しに条件を飲んでしまった。
「勝手に約束しちゃった事は謝る。ゴメン……」
「知らぬは当人ばかりなり、ね。用意周到な人だわ」
一通り事情を話して私が頭を下げると、フィオも諦めたように天を仰いで溜息を吐いた。
「あとはフィオ、あなた次第。断わればヴァイオリンはヴィオナさんの顧客の手に渡る。受けても演奏次第では同じ事……」
「当然受けるわよ。そんでもって、バッチリも演奏してみせる……って、あ、そっか。そうよ。要は、そうすれば何の問題もないってことなのよね。なぁんだ。心配して損しちゃったわ」
私の言葉に即答したフィオは、私に向かってニヤリと笑みを浮かべてみせる。
なかなかの自信家発言だけど、確かにフィオがいつもどおりに演奏すれば問題無いと思う。私だって勝算もなくヴィオナさんの売ってきた喧嘩を買ったりはしない。フィオの実力を知っていればこそ。
「それで、演奏はいつなの? あまり先延ばしにしたくないんだけど」
やると決めた途端、俄然乗り気になってきたフィオが急かすように聞いてくる。
「ヴィオナさんも滞在期間の問題があるから、早くしたいってのは同意見ね。それで……。フィオ、楽器店の皆の前で演奏するって話あったわよね?」
「ああ、この前の遅刻のペナルティの……。え? ひょっとして……」
確認するように問いかけると、フィオが頷きつつ問い返してくる。私はその問いに頷いて返した。
フィオが初めて問題児のヴァイオリンを演奏した日。演奏に夢中でバイトの時間に大幅に遅刻した彼女に与えられたペナルティは、トロ・リボーヌ楽器店の店員達の前で演奏してみせるというもので、演奏会はまだ開催されていない。そこで、ヴィオナさんにもこの演奏会に特別ゲストとして出席してもらうという事で話がまとまっている。
「トロ店長が店員達の都合をつけるからってことで、明日の夜にしたいって言ってたんだけど、それでいい?」
「ホントに知らぬは当人ばかりなりだわ。そこまで段取りされちゃってるのね」
あまりの進展具合に驚くことも忘れて感心するフィオ。私も昨晩のヴィオナさんが見せた手腕には舌を巻いたわ。
「よし。そうと決まれば練習練習。トラム、練習と本番の伴奏頼んでいいかな?」
腹が減っては戦はできぬとばかりに昼食を再開するフィオに、私は力強く頷いた。
「もちろん」
「サンキュ。ところで、肝心のヴァイオリンの直しはどうなったの?」
「フィオがいつそれを聞いてくるか待っていたわ。もう仕上がってるわよ」
尋ねるフィオに私はウィンクを返し、鞄の傍らに置いておいた黒皮のヴァイオリンケースをテーブルに上げた。途端にフィオの目がキラキラと輝く。
……ヴァイオリンの魅了って、解けてるわよね。フィオの顔見てたら、なんだか心配になってきたわ。
「フィオ。ひょっとして今すぐここで演奏したいとか思ってない?」
唐突な私の質問に、フィオはヴァイオリンから顔を上げて怪訝そうに私を見る。
「トラムさんは私をヴァイオリン中毒者か何かだと思っていらっしゃるんですか?」
つい先日までそれっぽかった人に言われたくないです。すぐさまヴァイオリンに手を付けようとしないし、一応魅了は解けている……かな?
「紙一重で天才じゃない方だと思ってるわ」
「誰がバカじゃい」
フォーク片手に抗議するフィオから逃げるように私は笑って席を立つ。
「それじゃ、先に行って練習室の予約してくるわね」
「あ、お願い。私もすぐ行くから」
言うが早いか昼食の残りを平らげにかかるフィオ。彼女に背を向けテーブルから離れかけた私だったが、言い忘れた話を思い出して彼女へと振り返る。
「ちなみに、もしヴァイオリンをヴィオナさんに取り上げられたら、店の損害の責任を取るってことでフィオはクビだから」
「って、待てーい!」
フィオは思わずオレンジジュースを吹き出し、本日一番の絶叫が食堂内に響き渡った。
なんだかんだでヴァイオリンが直ってきました。
それにしても、ヴィオナにあんなこと言わせてどうやって収拾付ける気だ、私……。