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♪37 紅茶と本題

 最後に食べようと思っていた料理を横取りされる。残り一個の特売品が目の前で他人の買い物籠に入る。そんな美味しいところを持って行かれた事はないだろうか。


 私はある、主にフィオ。思えば、あの時のフルーちゃんもだろう。




「うーん、驚いたな……」


 音楽堂の奥の居住区。その中心となるリビングにやってきたヴィオナさんは、店の方から戻ってくると唸りながら呟いた。


 まあ、無理も無いわよね。あれだけ散らかっていたはずの店内が、ああも綺麗さっぱり片付いているんだから。


 入店時に倒れていた商品棚が規則正しく並び、棚には床に散乱していた骨董品達がキッチリと納められ、おまけに骨董雪崩が片付いてようやく姿を現したフローリングの床には塵一つ落ちていない。それもこれも、たった一名が片付け部隊に加わった事で起きた戦果だ。そのMVPはもちろん……。


「ねぇ、トラム。ここなんて読むの?」


 手にした教科書から顔を上げて、そう尋ねてきた店員フルー。


 ……フルーちゃん、今狙った? MVPは店員だけど、あなたは店員違いよ。


「えーっと……私は何もしていない」


 いや、確かに私はMVPじゃないけど、何もしていなかったわけじゃないんですよ。私もちゃんと店の片付け手伝ってたんですよ。今だって、フルーに教科書の内容読んであげてんですよ。


「皆が期待しているようだったから、それなりに働くのだろうとは思ったけれど……」


「言ったでしょう? ああいう状況ではエースだと」


 フルーと私の特別教室と化しているリビング中央のテーブル。その私の隣に座ったヴィオナさんが煙草を咥えながら感想を述べると、姉の前に灰皿を置いたセロさんが自慢げに笑う。


「アタシの所にぜひ欲しいな」


「ダメですよ。この店に無くてはならない貴重な戦力ですし、それ以前に彼女は私達の大事な家族なのですから」


 ボソリと呟いたヴィオナさんにきっぱりと言い返すセロさん。その反応が面白かったらしく、ヴィオナさんはからからと笑う。


「冗談だよ。だから、そんなおっかない顔で見ないでくれ。だいたい、初対面相手に平然と悪態をつくような彼女を連れて商談に行こうものなら、アタシがどれだけ取引先に頭を下げる事になるか……」


「取引に出ている間、事務所の掃除をさせる気でしょうに」


「冗談はよしてくれ」


「あわよくばという顔でしたよ、ヴィオナ」


 セロさんのジト目から逃げるように、ヴィオナさんは彼から視線を逸らす。そして、新たにリビングに入ってきた者を見つけて咥えていた煙草を揺らした。


「おお。噂をすればなんとやらだ」


 ヴィオナさんの声にセロさん、私、それに教科書と睨めっこしていたフルーも顔を上げる。


 リビングに入ってきたのは言うまでも無くメローヌ。


「お茶をお持ちし……どうかなさいましたか?」


 メローヌはその手にティーポットと人数分のティーカップの乗ったトレイを持ったまま、皆の視線を浴びて立ち止まった。それでも、無表情は変わらないけど。


「あー! ディンベル、ドンベル、ズルイよ!」


 待ちきれなかったのか、ティーポットの陰に隠れてお菓子をむさぼっているディンベルとドンベル。目ざとく彼等を見つけたフルーから抗議の声が上がる。


「ずるい事あらへん。ワイらはメローヌが茶ぁ淹れるの手伝ってんで」


「正当報酬なのだ~」


 自分の頭ほどもあるクッキーにかじりついていた妖精ズは、口をもごつかせながら堂々と反論。まあ、クッキーの一枚や二枚でとやかく言う気は無いが……。


「ほほう、ディンベル君とドンベル君がねぇ」


 感心するセロさんにメローヌは変わらぬ無表情で頷いて見せる。


「はい。ディンベルさんもドンベルさんも一糸乱れぬ連携でティーセットを準備し、お湯の加減も茶葉の香りを飛ばさない適度な温度に」


 メローヌの言葉に思わず私も感心してしまう。この妖精達にそんな気の利いた事ができるなんて知らなかったわ。


「それは驚きね。嘘みたいだわ」


「はい、嘘です。お二方から、皆に問われた際はそう言うようにと……」


 先程と変わらない抑揚の無い声でサラリと言ってしまうメローヌ。その瞬間、リビングを包む静寂。私達はもちろんのこと、クッキーをかじっていた妖精二人も唖然とメローヌを見上げている。


 そして、静止した時の中で、唯一動く事を許されたかのように、メローヌの言葉が続けられた。


「ちなみに、今回の紅茶とお茶請けのクッキーはフルーお姉様がヴィオナお姉様にお土産として頂かれたものです。ディンベルさんが今日のティータイムはこれ以外に考えられないとおっしゃられましたので、勝手ながら……」


「アタシのクッキー返せー!」


 途端にフルーが椅子を蹴って妖精ズに飛び掛り、危機を察知したディンベル達は両脇にクッキーを抱えてトレイからトンズラ。


「うむ。確かに、その紅茶にあのクッキーというのは当たりだ。ディンベルもなかなか良い選定をするじゃないか」


「ああ、これは本当に美味しそうだ。流石はヴィオナです。フルー君好みのお菓子を選びましたね」


 ティーポットから立ち上る湯気に鼻をひくつかせたヴィオナさんとセロさんが感心して頷いている。その後ろを駆け抜けていくフルーと妖精ズ。


「うわ、二人共先に楽しんじゃってずるいなー」


「先にと言っても匂いだけさ。やはり実際に口にしてみなくては、その本当の良さはわからないと言うものじゃないか」


 口を尖らせる私を宥めるようにヴィオナさんが笑いかけ、姉の意見に同意するようにセロさんも頷く。そんな私達の背後で、未だに続いている妖精ズの逃走劇。


 メローヌがポットの中身をカップへ注いだ途端に、紅茶の香りがリビングに広がる。うん、これは確かにいい香り。メローヌの手で均等に淹れられた紅茶達は私達の目の前へと置かれ、誰からともなくカップに口をつける。


「あ、美味しい」


「口に含んだ途端、茶葉の香りが広がり。舌から喉へサラリと流れる風味は後を引かず、それでいて自らの進んだ軌跡を残すようにほのかに漂う紅茶の残り香が、一口の余韻を楽しませてくれる」


「さすがに世界各国を飛び回っているヴィオナだけのことはある。良い品を見つけてきますね」


「その分世界中の外れを引く事もあるのだが、確かにこの紅茶は我ながら良い買い物をしたものだ」


 口々に紅茶を賛美する私達。


 さて、紅茶を美味しく淹れてくれたメローヌに感謝すべきか、それともこの紅茶を買ってきてくれたヴィオナさんに感謝すべきか、もしくは買ってくる機会を与えたフルーに感謝すべきか、はたまたこの三人を集める事ができる店長のセロさんに感謝すべきか……。とにかく皆に感謝。私は皆さんのおかげで美味しい紅茶に出会えました。


 そんな事を考えながら静かにもう一口紅茶を口に含む私。そして、私達の後ろでは、やっぱり継続中のフルーの追跡劇。


 さすがに小人達とフルーもお茶に呼んだほうが良いかなと思い始めた矢先、私の脳裏に旋律がよぎる。


 これは……この曲はこの紅茶が呼んだ奇跡だというのか。遥かなる峰に吹き荒れる吹雪を思わせる重厚な響き。その極寒の峰の頂きで万年雪を割って咲く花のように洗練された気高さと生命力。峰の高みに辿り着いた者にのみ香る花の蜜のような、孤高の中に隠された優しさ。


 私は旋律をより鮮明に描こうとさらに紅茶を一口啜ると、鞄から五線紙とペンを引っ張り出す。ええ、この曲を楽譜として仕上げずして、何を仕上げるというんですか。


「……ああ、これが彼女の言っていた作曲か」


 急にあたふたと動き出した私を眺めながら、ヴィオナさんが納得したように言う。


「おや、トラム先生からお聞きでいらしたのですか?」


「出会った時にね。作曲が趣味だと言っていた。ひょっとすると、アタシ達がここにいてはお邪魔かな?」


 そうセロさんとメローヌに問うヴィオナさん。私は、お気になさらずと言う間も惜しんでペンを走らせている。そんな作曲中の私に代わってセロさんが首を横に振る。


「没頭されておられるうちは問題ありませんよ。それに、こちらはこちらでヴィオナに相談したい事もあるので話を進めましょう」


 セロさんの言葉に、ヴィオナさんは邪魔にならないと安堵する間も無く片眉を上げた。


「相談? セロがアタシに?」


 問い返すヴィオナさんに頷くセロさんとメローヌ。ついでに私も頷いているが、ヴィオナさんに見えたかどうかはわからないし、顔を上げて確認する暇も無い。


「百聞は一見にしかずと言いますし、ちょっと取ってきます。メローヌ君、その間にヴィオナに説明をお願いしますね」


 言うが早いかセロさんは席を立ち、飽きもせず追いかけっこを続けているフルーと妖精ズを避けながら部屋を出ていった。そして、残ったメローヌが店長の指示を実行するべく居住まいを正してヴィオナさんに向き直る。


「相談と言うのは、ヴィオナお姉様に診ていただきたいモノがあるのです」


「アタシをご指名というからには、美術品か何かかな?」


 ヴィオナさんの目は相変わらず眠そうに見えるが、その実獲物を捉えたかのようにその奥でキラリと光が射す。その微妙な変化に気がついたのかメローヌは返答に一拍置き、考える素振りを見せてから彼女に頷いてみせた。


「確かに美術品としての価値もあるやもしれませんね。診ていただきたい品はヴァイオリンです」


 その回答にヴィオナさんが興味を示すように声を上げた。同時に五線紙にペンを走らせていた私の手がピタリと止まる。


 そう、フィオのヴァイオリン。正しくは、まだ彼女のものではないけれど、あの魅惑のヴァイオリンをヴィオナさんの手で悪さできないようにしてもらわなくてはならない。


「セロさんから、ヴィオナさんが特別なチカラをお持ちだと聞いたんですけど……」


 五線紙から顔を上げて私が言うと、ヴィオナさんは咥えた煙草を上下に揺らしながら考え込む素振りを見せる。


「特別な、ねぇ。そりゃあ、鼻も人並み以上に利くし、耳も良く聞こえる。仕事がら目利きにも自信があるのだが……。はて、どれのことだろう?」


 いろいろできるんだなぁ。でも、私とメローヌは意にそぐわないと首を振った。


「ヴィオナお姉様は、人に害成すモノのチカラを抑制する事ができると……」


 改めてメローヌが尋ねると、ヴィオナさんの上下に揺れていた煙草が動きを止める。そこでようやく合点がいったとばかりに、彼女は二度三度と頷いた。


「なるほど、ね。そういうことか。つまり、セロが今取りに行っているヴァイオリン君はイタズラ小僧なのだね?」


 確認するように問うヴィオナさん。その顔には、イタズラ好きの悪童をどう懲らしめてやろうかと企む意地の悪い笑みが貼り付いている。ヴィオナさん、楽しそうだな。


 私とメローヌは、ヴァイオリンを預かる事になった顛末をヴィオナさんに話し出した。


 そうは言っても、説明はほとんどメローヌがしてくれた。理由は簡単、メローヌのほうが状況の説明が的確だからだ。


 その間の私の仕事は二つ。彼女の説明に適当なところで相槌をうつ事。もう一つは、フィオが絡む件でやたらと熱が入るメローヌに口を挟んで、フィオ自身の話へと脱線する前に軌道を戻す事。主に後者をやっていた割合が大きいわね。


「ふむ。聴いた者を魅了するヴァイオリンか……」


 私達から一通り話を聞き終えたヴィオナさんは、なにやら深く考え込みながらワインレッドの髪を掻き上げた。耳元の銀の十字架が揺れてキラリと光る。


「ヴィオナ、なんとかなりますか?」


 話の終盤で部屋に戻ってきていたセロさんが姉に問う。対するヴィオナさんは弟のセロさんに向けて指二本立てて見せた。


 ……Vサイン。任せろってこと? それにしては、立てた指に力が入っていないわね。


「現状でアタシにわかった事は二つだ」


 ああ、二つってこと。


「二つですか。それは何です?」


「一つ目は、現物を見ないとはっきりしない。二つ目は、メローヌはヴァイオリンの持ち主である……フィオさんだったかな? 彼女に御執心だという事だ」


「それ、結局わかってないって事じゃないんですか?」


 私が思わず言いそうになった事をセロさんが代弁する。一刀両断とも言えるセロさんの発言に、ヴィオナさんの立てた指がしなしなと折れ曲がる。だが、すぐに気を取り直して改めてセロさんの持つヴァイオリンケースをビシッと指し示す。


「どちらにせよ、セロも戻ってきた事だし。問題児君に会わせてもらいたいね」


 ヴィオナさんに促され、セロさんが彼女の前にヴァイオリンケースを置いた。


 時代を感じる黒革のヴァイオリンケース。私は何度かお目にかかっているせいか、それともトロ・リボーヌ楽器店でセロさんが弾いた一音のせいか、初めて見た時ほどケースを見ても恐怖や魅力は感じなくなっている。


 ヴィオナさんは慣れた手つきでポケットから取り出した純白の手袋を両手にはめると、そっとケースを開いた。


「奏でなければ魅了される事も無いでしょうが、一応気をつけて下さいね」


 脇からのセロさんの注意にヴィオナさんは無言で頷き、ケースの中からヴァイオリンを取り出す。


 上から、下から、右から、左から、ぐるりと見回したり、中を覗き込んだり、これでもかとばかりにジロジロとヴァイオリンを観察するヴィオナさん。時折「ほほう」とか「ふむふむ」とか何か納得するような声を上げるヴィオナさんを見守りながら、私達は固唾を飲んで彼女が回答を出すのを待つ。


 時間にして十分か十五分か。一通りヴァイオリンを見終わったのか、ヴィオナさんは軽く息を吐いた。


「どう、です?」


 痺れを切らしたように問うセロさん。だが、ヴィオナさんは彼に答えようともせず、ケースの中からヴァイオリンの弓をヒョイと取り出した。そして……。


ようやく出ましたヴァイオリン。ちょっと強引に持って行った感がありますが、出てきたものはしょうがない。

さて、このエピソード。どうやって収拾付ける気だ、私。

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