♪36 姉と弟
頼りになる兄。優しい姉。陽気な弟。お淑やかな妹。時として可愛さ余って憎さ百倍。そんな兄弟姉妹があなたにはいるだろうか。
私は、一人っ子なのでいない。少し憧れる時は、ある。
「なぁんや、セロとヴィオナは姉弟やったんか」
さも詰まらなさそうに私達の感想を代弁するのは、小人のディンベル。
あ、いや、私は詰まらないとか思っていない。ただ、そうだったんだと納得しただけで、決して痴情のもつれとか波乱の過去を期待したりとか、あまつさえそれをネタにドロドロした愛憎劇的な作曲をしようとか思ってない。ホント、嘘でなく……お願い、信じて。
しかし、セロさんとヴィオナさんが姉弟というのも言われてみれば、なるほど納得。確かに似ているかもね。種類こそ違うけど二人共音痴だし、マイペースな感じだし、鼻も利くらしいし……。
「え? となると、ヴィオナさんも狼男……いや、狼女なの?」
「はい。正しくはワーウルフですが」
私の問いにセロさんは訂正を交えた回答を返す。ちなみに、噂の人ヴィオナさんはまだこの店のオーナーのティバンニさんと電話と世間話に花を咲かせているみたい。
「しかし、みなさんの反応を見ていると私と姉がどう見られていたのか気になりますね」
セロさんが苦笑いを浮かべて私達を見回す。
「そら、若作りのオカンやろ」とはディンベル。
「セロの作った老け顔の隠し子なのだ~」とドンベル。
「ごめんなさい。私、てっきり恋人だと……」
……はい、これは私です。
それぞれの答えを聞いたセロさんの苦笑いが、さらに苦味を増した。
「えーっと、トラムさんはさておき、ディンベル君とドンベル君はそれ相応の覚悟をしておいたほうが良さそうですよ。なにせ……」
骨董品の山から首だけ出したままの姿で、私達に警告する我らが音楽堂店長セロさん。そのセロさんの頭上をズカズカと無遠慮にまたぐのは、彼の姉ヴィオナさん。……さっきまで電話していたと思ったのだけど。
「ヴィオナってばセロ並に鼻が利く上に、耳も良く聞こえるから」
幾分背筋を伸ばし『説明しよう』とばかりに人差し指をピンと立てて解説するフルー。その両脇にいた妖精ズの襟首をヴィオナさんがヒョイと摘み上げる。
その顔は営業スイッチが切れたらしく、出会った時と変わらない眠たげな顔。オプションで咥え煙草装備。
ヴィオナさんは、両手に持った妖精ズを自分の目の高さまで吊り上げて……。
「一つ尋ねたいのだが、小人さん達。誰が若作りで、誰が老け顔で、誰がオカンで、誰が隠し子だというのかね?」
「ヴィ、ヴィオ姐さん、お、落ち着いて話し合いまひょやないですか……」
「し、質問が四つになっているのだ~」
「だ・れ・の・こ・と・か・ね?」
ディンベルとドンベルを見る彼女の目は、飢えた狼のようにギラついていた。その視線をまともに浴びる事になった小人二人は、今にも食べられそうな小鼠のように震え上がる。
……失礼。見た目は眠たげな顔ではあるけれど、どうやら別のタブーなスイッチが入ってしまったみたいね。
私の隣にいたフルーにも妖精達の怯えがうつったのか、ピンと立てられていた指はヘナヘナと萎れ、口元は恐怖にわなないている。
「うわぁ、怒ったトラムみたいだね」
いや、私はあんなに怖くない……はずだ。
「あのー、ヴィオナ。二人も冗談のつもりで、決して本心から出たものではないはずです。放してあげてはもらえませんか」
妖精ズとフルーのビビる姿に、見かねたセロさんが助け舟を出す。そんなセロさんの方へと顔を向けたヴィオナさんの表情は不満を湛えている。
「セロ。そもそもキミがアタシの事を姉だと伝えておかなかったのが、問題だったのではないか?」
ヴィオナさんは不機嫌の矛先をセロさんへと変えつつ、後ろ手でディンベル達を放り投げた。
宙を舞った小人達は、フルーの持つ桶の中へ仲良くカップイン。だが、ヴィオナさんはそんな妙技はお構い無しといった風でセロさんに詰め寄り、これ見よがしに溜息をついてみせる。
「悲しいな。実に悲しい事だ。昔はお姉ちゃんお姉ちゃんと、暑苦しいほどにアタシの後ろを付いて歩いて来たというのに。あの日のセロ少年は、いったいどこに行ってしまったのだろうか……」
過去のセロ少年を思い描いて愚痴るヴィオナさん。
「いったい、いつの話を引っ張り出してくるんですか?」
「何を大げさな。大して遠い昔の話でもなかろうに。ほら、こうして目を閉じれば今も瞼の裏に鮮明に……」
「それこそ大げさです。止めてください、恥ずかしい」
よほど照れくさいのか、セロさんは僅かに頬を赤らめてヴィオナさんに抗議する。
ごめんなさい。私も、思い出しこそできませんが、想像してしまいました。
少年セロ君。身体はフルーより小さくて、今より童顔で目もクリッとしてて、でも銀縁眼鏡はそのままの大きさ。アンバランスな眼鏡はしょっちゅうズリ落ちちゃって、それを毎度毎度丁寧に直し、直したら持ち前の笑顔で追いかけてきて、抱きついた拍子にまた眼鏡がずれて、慌てて眼鏡を直そうとするんだけど抱きついてちゃそれもままならないし、困ったような、でもそれはそれでいいかなーなんて顔で笑いかけてきて、それで……。
うわっ、何コレ! 可愛過ぎ! こんな子にお姉ちゃんとか呼ばれたい! 頭撫で回したい! 抱き上げてギュッてしたい! 頬ずりとかしちゃいたい!
「くはぁ……」
「ト、トラム、大丈夫?」
湯気でも上がりそうに顔を赤らめながら歓喜の溜息をつく私。心配そうに声をかけるフルーの目がちょっと引いているけど、気にしない。気にならない。
「さあ、今からでも遅くない。お姉ちゃんと言うんだ」
ええ、ぜひ! ヴィオナさんに言った後で、私にもお願いしたい。
「何を催促しているんですか!」
あなたにお姉ちゃんと言わせたいのです。
「素直に言わないと、セロ少年の幼き日の甘くて切なくて小っ恥ずかしい思い出話を暴露するが、どうだ?」
それはそれで興味がある! さすが身内のヴィオナさん。強力な手札をお持ちだ。
「それは同時に、ヴィオナ少女の幼き日のほろ苦くてやるせない穴を掘ってでも入りたくなるような思い出話に派生する危険性がありますが、いいんですか?」
それもなかなか興味深い! さすが身内のセロさん。強烈なカウンターパンチだ。
「うぐ……」
セロさんの言葉が相当堪えたらしく、ヴィオナさんは苦い顔で口を閉ざす。それにしても、才媛を思わせる大人の女ヴィオナさんをたじろがせるほどの過去。いったい彼女に何があったのかもの凄く知りたい。
「ワイとしては、このまま泥仕合にもつれこんで欲しいな……」
「いろいろと面白い話が聞けそうなのだ~」
いつの間に復活したのか、桶から顔を出したディンベルとドンベルが口々に洩らす。
そうよね。もの凄く気になるもんね。……くれぐれも言っておきますけど、私は作曲活動の為の情報集めの一環としてよ。……ホントにホントですよ。
「ダメだよ」
膠着状態に陥ったセロさんとヴィオナさん。それを観戦していた私達は、少女の一言で我に返ったように彼女へと視線を向けた。対するフルーは、驚いた顔をしている私達を不思議そうに見返している。
うん、私達は少なからず驚いていた。フルーは、こういった状況を面白がりそうな子だと思っていたし。
「ダメ……かな?」
聞き間違いかしらと思いながら尋ね返してみると、フルーは私に頷いてみせる。聞き違いじゃなかったか。
「メローヌを助けなきゃいけないもの」
「あ……」
サラリと言うフルーに、私と妖精ズ、それとセロさんの声が重なる。どうやら皆が皆、ヴィオナお姉さん登場というイベントにメローヌ骨董雪崩遭難を忘れていたらしい。
……メローヌ、ごめん。私もあなたの事を忘れてた。
「大変です。急ぎ彼女を探しま……と、その前に私を出してもらえませんか?」
「メローヌってどの辺にいたの?」
「あっちの方なのだ~」
「いや、この辺にいたんと違ったか?」
今まで忘れていた事への贖罪のように、急にあたふたと慌て出す音楽堂の面々。そんな中、彼女と面識の無いヴィオナさんだけが一人私達の様子に首を傾げる。
「セロ。そのメローヌというのは?」
「うちに最近入った店員ですよ。まだまだ新人ですが、すでにこの店に無くてはならない戦力なんです。特に、今のような状況では他の追随を許さないエースと言ってもいい」
セロさんは骨董雪崩の中からなんとか出ようともがきながら答え、彼の返答にヴィオナさんは納得して頷いた。
「なるほどな。久しぶりの音楽堂で、どうにも昔と匂いが違うと思ってはいたのだが、そういうことだったのか。なるほどなるほど」
二度三度と頷いたヴィオナさん。辺りを見回すと、咥えていた煙草を放してスンと小さく鼻を鳴らす。
この仕草。ひょっとして……。
ヴィオナさんは改めて煙草を咥えなおし、音楽堂の窓近くに向かって躊躇い無く真っ直ぐに歩いていく。
たぶん、メローヌの匂いを嗅ぎ当てたのだろうけど……骨董品達を蹴散らすのはどうだろうか。一応売り物なんだから。
「ずいぶんと香りの希薄な娘だな。これではセロも探すには毎度難儀するだろう」
そう言いながらヴィオナさんは立ち止まって、骨董品の山の中へ無造作に片手を突っ込んだ。そして、再び引き上げられた彼女の手が掴み上げていたのは、音楽堂のエプロンを付けた黒髪無表情な店員。
「メローヌ!」
メローヌ救出に歓声が上がる中で、フルーの声が一際大きく響く。名を呼ばれたメローヌは、何事も無かったかのように無表情を崩さず、襟首を掴まれたままフルーに向かって一礼する。
「フルーお姉様。ご心配をおかけしました」
「ほほう、これは美人な店員さんだな」
顔を上げたメローヌの顔を横目にヴィオナさんの口元が笑みを作る。その美人店員メローヌは吊り上げられたまま器用にヴィオナさんへ向き直り、また一礼。
「助けていただき、ありがとうございました。皆様のお話は全て聞こえておりました。あなたが若作りで老け顔なオカンで隠し子のヴィオナお姉様ですね。私はこの音楽堂の店員をやらせていただいております、メローヌと申します。以後お見知りおきを……」
「断る」
ヴィオナさんはその一言と共に、掴んでいたメローヌを再び骨董雪崩の中に埋め込んだ。
本編でトラムが妄想モードに突入しておりますが、これは彼女独自の価値観に基づいた暴走であり、決して私の趣味ではありません。くれぐれもお間違え無きようお願いいたします。
加えて、メローヌが放置されておりましたが、これは音楽堂メンバーがうっかりしていただけであり、決して私が『あれ? 誰か書き忘れてないか?』とか思いながら書き進めていたわけではありません。
……いや、ホントですよ。