♪35 旧知の帰還
昔通った学校。幼い頃に連れられた店。数年開けての里帰り。そんな久しぶりに訪れた場所の変わらない光景に、当時を懐かしんで笑ってしまったりすることはないだろうか。
私はある。あの時の彼女も、そうだったのだろう。
私、トラム・ウェットが始めて音楽堂に入店して通算何回目……何十回目だろう。私は本来店内の商品棚に陳列されているはずの雑貨の山を眺めながら溜息をついた。
「トラ姐さん、溜息なんぞついても散らかった店の中は片付かへんで」
「なのだ~」
私の足元でディンベルとドンベルが言う。わかっております。わかっておりますわよ。でもねぇ……。
「たまには商品棚が倒れていない音楽堂で過ごしてみたいわ……」
つい本音が出てしまう。どうやら、文句を言っていた妖精ズもこれには同感らしく、二人してうんうんと頷いた。
「とにかく、みんなで店の片付けを……」
そう言いかけた私の足元で、妖精ズは示し合わせたように首から下げているベルに手をかけた。それをすかさず私が二人を摘み上げる。
「キミ達、いったい何をしようとしているのかしら?」
尋ねはしたけど、このカマキリとジャガイモ……じゃなかった。ディンベルとドンベルのやろうとした事は察しがついている。
「放しておくれやっしゃ、トラ姐さん! ワイらにはこの店を影ながら見守ると言う崇高な使命がありますのんや!」
などと御立派な事を言っているようですが、結局のところは店の片付けをサボりたいのだ。
「ダメよ。私も手伝うから、キミ達も片付け手伝って頂戴」
「たまにはお休みしたいのだ~」
はい、本音出ました。
確かに、いつもこの音楽堂を見守ってくれている妖精さんをこき使うのは私もどうかとも思うけど、でも今日は許してね。
「ヴィオナさんが来ているのよ。早いところ店を片付けてお迎えできるようにしなきゃ」
私はそう言って思い出した。
……やばっ、この二人って基本隠れてないといけない立場なんじゃなかったかしら。まずいわよ。手伝ってもらう場合じゃないわよ。ヴィオナさん、私の真後ろにいるのよ。今までの私と妖精ズのやりとりを、バッチリガッチリ見られちゃったじゃないのよ。
両手で小人さんを摘み上げたまま、私は嫌な汗を流しながら恐る恐る後ろへと振り返った。当然のようにヴィオナさんは私の方を見ていて、それも私の手元に視線が向いていて……どうしよう、バレバレだ。
「……トラム。キミが手にぶら下げているのは、ひょっとして妖精か? 家に憑くと聞いてはいたが、本当にいるものなのだな」
「って、あれ?」
彼女の反応は、焦る私をはぐらかすものだった。
大して驚きもせず、興味深そうに小人達を見るヴィオナさん。言葉からしてヴィオナさんは妖精の存在を知っていたようだけど、これってそんな有名な話なのかしら?
「姉ちゃんがあのヴィオナなんか?」
「あのかどうかは知らないが、いかにもアタシはヴィオナだよ。初めまして、妖精君。キミの名はなんというのかな?」
私達に見つかった時同様、ばれてしまったら臆さず堂々とするディンベル。そんな彼やドンベルを見てもヴィオナさんは、なんら動じる事無く挨拶を交わす。この人って、豪胆と言うか……あれかしら、世界を渡り歩いていろんな出会いを繰り返すうちに慣れっこになっているのかしら。
「ワイはディンベルや。この店を見守る役を任されてるねん。んで、こいつが……」
「ドンベルなのだ~」
「そうか、いつも音楽堂を見守ってくれているのだね。ありがとう、ディンベル、ドンベル」
ヴィオナさんに礼を言われてニヘラと笑う妖精ズ。こっちはこっちで、私と初めてあった時とは反応が違うように思うのだけど……まあ、今は流しておこう。
「時に、家屋を見守る者に限らず妖精は人目に付かないようにしていると聞き及んでいたのだけど、この二人は随分と開けっ広げなのだね」
視線をディンベル達から私へと移して言うヴィオナさん。眠たげなその目は私に説明を求めていた。
「えーっと、実はですね……」
私は、私やセロさん達と二人の妖精の出会った時の事をかいつまんで話す。
ヴィオナさんは私の話を一通り聞き終えると、少し微笑んでフルーを見た。残念ながらフルーはその大半が骨董に埋まっていて手だけしか見えていないが。
「それはフルーもトラムも災難だったね。それにしても、何かと問題が起きるのは相変わらずだ」
呆れたような口調だが、彼女の顔は笑っている。音楽堂が昔と変わらず賑やかである事を楽しんでいるみたい。
「あーあ。あの時見つからんかったら、こうして店の片付け手伝わされる事も無かったんやがなぁ」
「ディンベルがセロとトラ姐さんに見つかっちゃうからいけないのだ~」
「おどれが最初にフルーに見つかったんやろうが!」
私の手元で喚きあう妖精ズ。喧嘩両成敗ということで、私は彼等を摘む手を同時に離した。
「わぷっ!」「むぎゅ~!」
そんな小人さん達の悲鳴を背中に聞きながら、ヴィオナさんはフルーの元に歩み寄る。
「久しぶりの再会に積もる話もあるが、まずは店内をどうにかしないといけないな」
言いながらヴィオナさんは骨董土砂の中から出ているフルーの手を握り、無造作に彼女を引きずり出した。
音楽堂店員一名救出。頭部が桶に覆われているものの、他に目立った負傷は無し。同時に、これでお店の片付け要員一名確保だ。
「んー! んーんー!」
頭を覆う桶を取ろうと悪戦苦闘するフルーを地面に降ろすと、ヴィオナさんはワインレッドの髪をかき上げつつ私達へと向き直った。
「ディンベル、ドンベル、悪いがフルーに加勢してやってくれ。フルーが復帰したら、アタシ達に合流だ」
「へーいへい」
「わかったのだ~」
ヴィオナさんの指示に妖精達は各々返事をすると、さっそくフルーの元へ駆け寄る。それに入れ替わるように私に歩み寄ってきたヴィオナさんは、私の隣に立つと音楽堂店内を覗き込んだ。
「さて、残るはセロだな」
そう言うヴィオナさんの視線の先には、骨董の中で頭だけ出している銀縁眼鏡のお兄さん。ヴィオナさんのワインレッドの髪とは対照的な、ダークブルーの髪をバンダナで覆う音楽堂店長ことセロさん。
「やあ、お久しぶりです、ヴィオナ。こんな格好で失礼します」
「久しいな、セロ。そんな格好もいかにもキミらしい。元気そうで安心したよ」
交し合われるセロさんの苦笑いとヴィオナさんの悪戯めいた笑み。
そういえば、うやむやになっちゃっていたけど、ヴィオナさんとセロさんの関係って何なのかしらね。
「こちらは心配していましたよ。何せ、手紙の中に昔あなたに渡しておいた店の地図が紛れ込んでいたのですから。私はてっきり、あなたがまた道に迷っているんじゃないかと」
久々の再会ともなればセロさんのそんな言葉も懐かしいのか、心配されている事が嬉しいのか、ヴィオナさんは骨董品の山になっている店内に踏み入りながらクスクスと笑う。
「セロの心配性も相変わらず、か。慣れ親しんだこの街でアタシが迷子になるとでも?」
「その慣れ親しんでいる街でさえ、たまに迷子になっていたじゃないですか」
痛い思い出を出されたらしい。ヴィオナさんはギクリと足を止め、後に続いていた私は思わず彼女の背中にぶつかってしまった。イタタタ、鼻打っちゃったわ。
そっか。セロさんが音痴なら、ヴィオナさんは方向音痴なのか。妙なところで共通点を持つ二人だなぁ。
「いったいいつの話を蒸し返すんだ。アタシだって変わる。現にこうして音楽堂に辿り着いているだろうに」
「私には隣にいらっしゃるトラムさんが、迷える子羊を導いた救いの女神に見えてしかたがないのですが……」
ヴィオナさんの背中にぶつけた鼻をさする私をちらりと見て言うセロさん。彼の鋭い指摘に、対するヴィオナさんは返答に窮して……。
「おや、電話が鳴っている」
あ、逃げた。
突如店の奥から鳴り響いた電話の音に、ヴィオナさんはセロさんの頭をまたいで雑貨の山を突き進む。
「ヴィ、ヴィオナ。勝手に店の電話に出ないで下さい」
「何を言う、セロ。アタシとてこの音楽堂の縁者なんだ。電話の一つ取っても問題ないだろう。安心しなさい。電話番をしたからといって、駄賃をせびるような真似はしないから」
店の奥へ逃げるヴィオナさんを追おうとするセロさんだが、首から下が骨董品達の中に埋まっていてはそれもままならない。そして、私は呆気にとられてヴィオナさんを止めるのも忘れていた。
ヴィオナさんはセロさんに心配するなとばかりにひらひらと手を振りながら、その手で未だにけたたましくベルを鳴らしている黒電話の受話器を取った。
「はい、音楽堂……あらぁ、ティバンニさん♪ ご無沙汰してますぅ、ヴィオナですぅ」
電話の相手がこの店の大家さんだとわかった途端、声色を変えるヴィオナさん。
変わったのは声色だけじゃない。表情も眠たげな印象が消えて、柔和で朗らか。さしずめ、ヴィオナさん営業スイッチオンというところかしら……。
「えぇ、アタシのほうは元気で。ティバンニさんは? ……ああ、それは何よりですぅ。ほんと、いつもいつもウチの弟がお世話になってばかりで、ありがとうございますぅ」
なんとも甘ったるい口調なヴィオナさんが放ったワンフレーズに、私は思わずセロさんを見た。ついでに、桶を抱えたフルーと一緒に店内に入ってきたディンベルとドンベルもセロさんを見た。
おとうとですと?
大家さんと毎度の家賃の話を始めるヴィオナさんから私達へと向き直ったセロさんは、私達の驚いた顔にきょとんしながら見返してきた。
「どうしたんです?」
「あ、いや、セロさん。今、ヴィオナさんが弟って……」
私の言葉に、セロさんは思い出したように「ああ」と声を上げる。
「そういえば、ヴィオナが私の姉さんだと言っていませんでしたか?」
お休みを頂いての更新。期待を裏切らない普段どおりのお話でした。
ヴィオナお姉さん登場でこの先どうなることやら……。
え? 私? いえ、知りませんよ。