♪34 音楽堂の仲間
噂をすれば影が立つ。人の噂も七十五日。数ある噂についての話で、噂をされるとクシャミが出るという話をご存知だろうか。
私は知っている。知ってはいるけど……あの時のクシャミは私のせいか?
「そうかそうか。トラムはフルーの最初のお客さんだったのか」
男装の麗人ヴィオナさんは眠たげな目をさらに細め、私に向かって微笑みかける。
長らくカオブリッツを離れていたヴィオナさんは、音楽堂への道順をすっかり忘れてしまったらしい。おまけに音楽堂の電話番号もわからず、困り果てて立ち寄った臨海公園で私とフルーに出会ったのだ。
そんなわけで私とヴィオナさん、フルーは臨海公園を後にして音楽堂を目指してカオブリッツの通りを仲良く歩いている。ちなみに、今日もカオブリッツの路線バスは出鱈目なダイヤで運行中。バス停で待つだけ無駄だわ。
「今後とも音楽堂をご贔屓にしてもらうよう、アタシからもお願いするよ」
「いや、その、えーっと……」
見惚れそうになるヴィオナさんの笑顔を前に、私は返答に苦しむ。
お願いされてしまったものの、実は私はひやかし客に他ならなかったりする。考えてみたら私って音楽堂に初めて訪れてから今まで、商品を買った事は無いのよね。
「でも、最近はお客さんというよりは先生だよね」
私の隣を歩いているフルーがキャリーバックを引きながら言う。
フルーが持って歩いているキャリーバックは、もちろん彼女の物ではなくヴィオナさんのだ。長旅で疲れているヴィオナさんを気遣ってフルーが……という心優しい話ではなく、ヴィオナさんが上手くフルーを言いくるめたと言っていい。フルーがバックを持つと言い出した決め手は、ヴィオナさんの言った「お土産のお菓子がぎっしり入っているから」だ。
そんな知能犯ヴィオナさんは眠そうな目でフルーと私を見比べて、小首を傾げた。
「先生? 何の? というか、誰の?」
「フルーちゃんの先生です。読み書きがダメだって事になって」
私の返答にヴィオナさんはクスリと笑う。
「それはそれは、さぞや教え甲斐があるだろう」
意味深な言葉に私は思わず苦笑いを返してしまった。
「そうですね。それだけは十二分にあります」
「トラムって、先生の時は怒りっぽくてすっごく怖いんだよ」
私達のやりとりに割って入ったフルーが、心底不味いものでも食べたような顔で言う。当人の前でヴィオナさんに告げ口とは、堂々としたものというか、考え無しというか……。
「ちょっとフルーちゃん。私だって好きで怒ってるわけじゃないわよ。フルーちゃんが真面目に勉強してくれれば、優しく丁寧に教えてあげるんだから」
「アタシは真面目に勉強してるもん」
私の言葉が聞き捨てならないと頬を膨らませるフルー。でもね……。
「ノートは落書き帳に変わり果て、教科書はよだれの跡だらけ。ちょっと目を離せば鉛筆はかじる。資料のプリントが紙飛行機に変形しない日は無い。私の学校じゃ、そういうのは真面目と言わないのよ」
「トラムの学校には行った事ないもの」
さらりと言い返すフルーを見て、ヴィオナさんはさも愉快そうに笑う。
「アハハハ、こいつは随分と難儀なものだ」
「でしょ? トラムは怒り過ぎだと思うわ」
「ヴィオナさんは私に言ったの!」
私達二人を見ながらもう一度笑うヴィオナさん。どっちもどっちって事かしら……。
「怒ったトラムは怖くてイヤ。歌ってる時のトラムがいいのに……」
ヴィオナさんの笑い声に毒気を抜かれたのか、フルーは私との問答をやめてぼやく。私は真面目に勉強してくれるフルーちゃんがいいわ。
「フルー達の前でも歌っているのか。公園での一幕は貴重なものかと思ったのだけど、とラムの歌は結構日常茶飯事なのかな? 将来は歌手志望とか?」
フルーの言葉に興味を抱いたらしくヴィオナさんがそんな事を聞いてきた。私はちょっと考えて首を振ってみせる。
「いえ、歌うのは割と珍しいです。趣味で作曲をやっているんですけど、普段はだいたい五線紙に曲を書き起こすだけで。さっきはなんとなく口に出ましたけど」
「作曲が趣味、か。この街に住む人らしいな。ひょっとしてトラムはこの街の学校……えーっと、なんと言ったろうか……」
「聖フォンヌ音楽院?」
何かを思い出そうと虚空へ視線と指を漂わせるヴィオナさん。私が彼女の言いたいだろう名前を言ってみせると、ヴィオナさんは漂わせていた指をパチンと弾く。
「そう、それ。その音楽院の学生さんなのかな?」
「ええ。聖フォンヌ音楽院のピアノ科です」
「うん、やはりそうだったか。なら、いっその事、先生ついでにセロの音痴も治してやってはくれないだろうか」
笑いながら言うヴィオナさん。どうやら冗談半分で言っているみたいだけど……。
「セロの音痴矯正は、もうやってるよ。全然ダメだけど」
フルーの一言でヴィオナさんの笑みに苦味が入る。
「それはそれは、あいつは相当教え甲斐があるだろう」
「アハハ……フルーちゃん以上ですね」
乾いた笑いで返す私の顔も、彼女と同じ風味を表現していると思う。セロさん、今頃クシャミでもしているだろうか。だとしたら、クシャミする前に音符の一つも読めるようになってほしい。
「そういえば、ヴィオナさんはお仕事は何を?」
セロさんの不毛な音楽教育の話題から逃れるように、私はヴィオナさんに尋ねてみた。出会った時から気にはなっていたので、話題変更には丁度良いかな。
「アタシか? アタシは美術商だよ。絵画、彫刻に骨董、あちこち旅をしてはそんなものを売り買いしているんだ」
彼女の回答に私は「あぁ」と声を上げた。なるほど。美術品売買の商談を行うというなら、ヴィオナさんのスーツ姿も納得がいくわね。
一人納得していた私の袖がチョイチョイと引っ張られ、私は引っ張ったフルーを見る。
「時々、メローヌみたいに生まれ変わる前のモノ達をウチに連れてきたりするんだ」
さらに納得。美術商の傍ら、訳有り骨董品の保護回収もしているのか。いかにも音楽堂の関係者らしい話ね。それに美術商として世界中を飛び回るヴィオナさんなら、各地の保護活動もできるだろうし。
そのヴィオナさんはフルーが私にした耳打ちに表情を険しくした。
「ちょっ……! おいおい、フルー。トラムに何を話してんだ」
その声は怒っていると言うよりも慌てている。いや、慌てたいところを、無理矢理冷静を装ったような感じ。
対するフルーはキョトンとしたまま、ヴィオナこそ何を言っているんだとでも言いたそうにしている。そして、ヴィオナさんが何を言いたかったのか思い当たると、心配無いとばかりに笑ってみせた。
「大丈夫だよ。トラムはアタシ達の事を知ってるんだ」
「知っているって……」
ヴィオナさんがフルーから私へと視線を移してきた。真意を確かめようとする彼女の真剣な眼差しに、私は微笑んで頷き返す。
「ええ、初めて音楽堂に行った時にいろいろとありまして……。でも、その時内緒にするってセロさんとフルーに約束したんです」
ヴィオナさんの心配はもっともだと思う。たぶん、ヴィオナさんもセロさんやフルー、メローヌのように人間ではない。だから、彼女もそれ相応の苦労があって、人である私にそれなりの警戒心を抱いていると思う。
でも、私はフルーやセロさんと交わした約束は守る。そして、それはヴィオナさんにも約束できる。
私はフルーと顔を見合わせると「ねー」と確認しあった。その様子に、ヴィオナさんはワインレッドの髪をかき上げながら溜息をつく。
「トラム。今の言葉、信じていいのだね?」
もう一度、確かめるように聞いてくるヴィオナさん。その顔からは先程の険しさが抜けて、いつもの眠たげなそれに戻っていた。
なんだろう? セロさんの笑顔とは全く違うのに、彼を目の前にしているかのような落ち着きを感じてしまう。私は会って間もないヴィオナさんの事も、音楽堂のみんなと同じように好きになりかけているみたいだ。
まったく……そんな顔できる人を裏切るなんてこと、私にはできないわよ。
「ええ、もちろん」
私は、もう一度微笑んで頷いてみせた。ヴィオナさんは口の両端を持ち上げて満足げに頷くと、フルーに笑いかける。
「いい友達を見つけたな、フルー」
彼女の言葉にフルーは嬉しそうに笑い、私は赤面して俯いた。
そういう事を当人の前で言わないで欲しい。恥ずかしいやら照れ臭いやら……。
「あ、もうすぐだよ!」
フルーの上げた声に私が顔を上げると、そこは見慣れたパン屋ピッコロベーカリー。この店の脇道を行けば、目的の音楽堂だ。話し込んでいるうちに随分と歩いていたのね。
早く音楽堂に戻ってヴィオナのキャリーバックを開けたいのだろう。ピッコロベーカリーの角を曲がったフルーの足は速まり、キャリーバックが石畳の上で派手に音を立てる。
「おいおい、フルー。大事な鞄なんだ。壊してくれるなよ」
「うん、わかってる!」
ヴィオナさんの言葉に、フルーはとてもわかったとは思えない調子で音楽堂に向かってかけていく。
「わかってないよなぁ……」
「ええ、全然……」
元気の良い背中を見送りながら、私とヴィオナさんは苦笑い。まあ、フルーは私と違って運動神経がいいからあれぐらいでこけないだろうけど……。
……だろうけど? ……けど、だ!
「待って、フルーちゃん!」
音楽堂目前に迫ったフルーにとてつもない不安を感じた私は、慌てて彼女を呼び止める。
だが、時すでに遅し。私の制止は間に合わず、フルーが音楽堂の扉を開けてしまった。
「あにゃあ~!」
そして、店内から流れ出た無数の骨董品の波に、悲鳴を上げながらキャリーバックごと飲まれた。
「やれやれ、昔と何も変わっていないな」
ヴィオナさんの溜息交じりの呆れ声を背中に聞きながら、私はフルーを助けに骨董雪崩に駆け寄る。
「大丈夫、フルーちゃん」
骨董の山から出たフルーの手が私の呼びかけにパタパタと動いた。この返答は、大丈夫なんだか大丈夫じゃないんだか……。
それにしても油断していた。今日の店番はセロさんとメローヌだし、骨董土砂災害が発生する可能性は低いと思っていたのだけど。音楽堂にいるのは二人だけじゃなかったのよね。
「それで、今日はどっちがやらかしたの?」
私は糾弾するように足元の彼等を見下ろした。
私の足元には、骨董品達とともに店外へ流れ出てきたディンベルとドンベルの妖精ズ。
「待ってや、トラ姐さん! なんでワイ等限定やねん!」
「そうなのだ~。今日はホントに僕達じゃないのだ~」
私を見上げる小人さん達は、私の言葉が心外だと抗議の声を上げる。
む。今日は本気で反論してくるわね。でも、この二人じゃないとすると……。
「いやー、すいません。今日は私が震源地です」
店内から聞こえるセロさんの声に目を向けると、そこには骨董山脈の谷間からひょっこり頭だけ出しているのはセロさん。この調子だと、メローヌも被災しているわね。ご愁傷様。
「なんだか急に鼻がむず痒くなったと思ったら、立て続けにクシャミをしましてね。その拍子に商品棚が倒れてしまって、いや面目無い」
失敗談をしながら照れ隠しに笑うセロさん。そんな彼に私は思わず苦笑い。もしくは呆れ笑いを浮かべてしまう……普段ならそう。
私は冷や汗を流し乾いた笑いを浮かべていた。……これって、音楽堂への道すがらセロさんの噂をしていたせいじゃないわよね。まさかね。アハ、アハハ……。
「というわけで、今日の僕達は被害者なのだ~」
「え? あ、その、ゴメンねドンベル君。疑っちゃって」
足元でもう一度抗議するドンベルに私が謝ると、彼は嬉しそうに笑う。
「わかってくれればいいのだ~」
「うん、ゴメン。ディンベル君も……」
ディンベルにも謝ろうと視線を移すと、先程までドンベルの隣にいたはずのディンベルがいない。はて? どこに行っちゃったんだろう。いなくなったディンベルを探そうと視線を巡らせかけた私。でも、彼は容易く見つかった。
いました。足元です。さっきまでも足元だったけど、今はもっと足元。ディンベルは芋虫のように骨董の上を這って、私のつま先辺りまで近寄っていた。
「あの……ディンベル君?」
足元に寝転がるカマキリ小人は私の言葉など聞いちゃいない。何やら真剣な顔で私を見上げると、満足そうに頷いた。
「む、今日も白。清純派を邁進しとるな!」
ディンベルの言葉に、視線に、羞恥と怒りで私の顔が真っ赤に染まる。そして、頭へ昇りつめた血の気が、一気に脚力へと変換される。
「どこ見て言ってんのよ、この変態妖精!」
ディンベルは、怒声と共に振り上げた私の足に蹴り飛ばされた。
いつもより少し更新遅れました。
ヴィオナが加わってさらに賑やかになってきた音楽堂。この先どうなることやら。というか、フィオのヴァイオリンはどうした、とツッコまれそうですね。
ええ、放っておくとどんどんズレていきそうなので、なんとか軌道修正します。