♪31 帰り道
『フルーは、メローヌとセロさんの帰りを待つ』と『フルーはメローヌと、セロさんの帰りを待つ』。『料理好き』と『料理上手』。『パン作りたて』と『パンツ食いたて』……は違うか。そんな紛らわしい言葉。説明不足に言い間違い、聞き違いに勘違いで言葉の落とし穴にスッポリ落ちた事は無いだろうか。
私はある。言葉の選び方一つで回避できる誤解ってあると思うわよ、セロさん。
「それで、実際のところはどうなの、セロさん?」
トロ・リボーヌ楽器店からの帰り道。私は隣を歩くセロさんに尋ねた。
「どう、と言いますと?」
「ヴァ・イ・オ・リ・ン! そのヴァイオリンの事よ。直すの直さないの言っていたじゃない」
小首を傾げてみせるセロさんに、私は焦れて彼の手にする物を指差した。
セロさんが持っているのは、フィオから取り上げた……もとい、預かった古いヴァイオリン。演奏する者のチカラを吸って人々を魅了する音を奏でるという呪われた品だ。
フィオにこのヴァイオリンを手放すよう説得する際に、セロさんは故障しているから直すと言っていた。正しくは、知り合いに直してもらうと。
直して返すと言った以上は、いずれは返せと言われるのが当然。それでフィオがまたこのヴァイオリンに魅了されてしまっては取り上げた意味が無い。セロさんもそれを承知の上で預かる事を申し出たのだろうけど、その言葉に私は一抹の不安がある。
ぶっちゃけると……本当に直せるの?
「先程から何度も思い出そうと試みていますが、私の知る限りセロ店長の知人でヴァイオリンを直すような職人がいた記憶はございません」
セロさんを挟んで反対側を歩く音楽堂店員メローヌも考え込みながら呟く。相変わらずの抑揚の無いと無表情のようでいて、その声と顔には若干の不安が見えている。ここ数日で、ようやく私も彼女の感情が見えるようになってきたわね。まだ少しだけだけど。
「と、メローヌも心配しているみたいだけど、あてはあるの?」
改めて問いかける私にセロさんは、いつもどおりの見た者を穏やかな気分にさせる微笑を返した。
「ヴァイオリンを直す、ですか。うーん、生憎私にはそのような知り合いはいませんねぇ。アハハハ」
あっさり、さらりと、きっぱりと、ほんわかスマイルのまま答えるセロさん。アハハって……笑って誤魔化してもらっちゃあ困る。
「店長! か弱い乙女を謀り、あまつさえ彼女の大切なものを取り上げるなどと、不届き千万! 店長として人の上に立つ役職にありながら、なんたる所業! このような上司の下で働くなんて、私は恥ずかしいです!」
「えぇっ! いや、だって、あの時はああでも言わないと収集が付かなくて……」
私がとやかく言う前にメローヌがセロさんに食ってかかる。どうもメローヌはフィオの事になると気が強くなるわね。
突然のメローヌの剣幕にセロさんはいつもの笑顔を引きつらせ、あたふたと逃げ場を求めて私を見た。
セロさんの言いたい事もわかるわよ。確かにフィオはこのヴァイオリンに取り憑かれていたんだし、なんとかしてフィオとヴァイオリンを引き離す必要があったわよ。でも、残念。私もメローヌと同じフィオを応援する側。理由はどうあれ、知らず知らずのうちに友人を騙す片棒を担がされたと思えば、いい気はしないもの。
「あのね、セロさん。なんとかしないと、このままじゃ泥棒だよ? おまわりさんの厄介になったりしたら、店長不在で音楽堂は潰れてフルーとメローヌが路頭に迷うわよ」
「むぅ、それは困りますねぇ」
私が諭すように言うと、セロさんが苦い顔で唸る。
仮にも店を構えている身のセロさん。加えて、彼は素性も曖昧な狼男のお兄さん。警察沙汰というのは望むところではないだろう。
「でしたら、今からでもフィオにヴァイオリンを返すか。でなければ、本当にヴァイオリンを直してしまうかです、店長」
「この子をフィオさんに返したら元も子もないでしょうに」
強い口調で説き伏せようとするメローヌに、困り顔のセロさんは溜息と一緒に呟きを洩らす。
「となると、ヴァイオリンを直す? でも、いないんでしょ、そんな人?」
私が改めて確認するように言うと、セロさんを挟んだ向かい側を歩くメローヌが力なく頷いた。
「ええ、いませんよね。ああ、トラム先生のお知り合いにそのような方は……」
「あのね、メローヌ。そんなタイムリーな人がいたら、すぐにでも教えてるって」
「そう、ですよね。さて、困りました……」
「うん、困ったわねぇ」
私とメローヌ、二人して首を捻り思案を続ける。難しい顔で右へ左へ首を傾げる私達に挟まれ、セロさんは居心地悪そうにしながら遠慮がちに挙手。
「あのー、悩める先生方?」
「はい。どうしましたか、セロ君?」
私に発言を促され、セロ君……もとい、セロさんは私達双方を見回しながら手にしたヴァイオリンをチラつかせた。
「直せないものは直せないとして、要はヴァイオリンが不用意に演奏者のチカラを吸収しないようにしてあげれば良いと思うのですが……」
何やらややこしそうな言い回しをしてくれるわね、セロさん。
メローヌも私と同様の感想を抱いたのか、不思議そうな顔をしてセロさんを見ている。
「それって、直すって事じゃないの?」
「そう言えなくもないですが、厳密には違います。直すと言っているのは、言うなれば病気を体から追い出すようなものですよね」
セロさんはそこで一度言葉を止め、確認するように私達を見た。私もメローヌも続きを促すように頷いてみせる。
大丈夫。まだ理解の範囲内です。
「私が提案したいのは、病気との共存です。体に害を成さないのなら、体内に居てもらっても問題無いのではないか、と」
セロさんの提案に、私は腕を組み再び唸る。
つまり、百害が無いのなら一利が無くても妥協しましょう、と。蚊を相手に「痒くなる成分を注入しないのなら、ちょっとくらい血を吸ってもいいよ」と言うようなものだろうか。
「なんだか話を聞いていると、直すよりもそっちの方が難しそうな気がするんですけど……」
「そうですね。私には難しい。ですから、その道のプロにお任せしようと思います」
私の言葉に笑って返すセロさん。その後ろで私と同じように考え込んでいたメローヌが口を開く。
「店長はヴァイオリンを直す職人という知り合いはいない。でも、ヴァイオリンが放つ魅了の力と共存できるようにする知り合いはいる。そういう事ですよね。ですが、どちらにせよ。私の知る限りでは、そのような方が店長の知り合いにいたとは……」
メローヌの指摘に、セロさんが当然だと言わんばかりに頷く。
「それは、メローヌ君がまだ会った事がないからですよ」
そうか、確かにメローヌは音楽堂で働き出して日が浅いんだし、知らないって事もあるわよね。
「そうなのですか?」
「嘘だと思うんでしたら……ああ、ちょうど我が家が見えてきた事ですし、フルー君に聞いてみてくださいな」
セロさんはメローヌにそう言うと、見慣れた看板を見上げた。
彼につられるように目線を上げれば、そこには音楽堂の古めかしい看板。話したり悩んだりしながら歩いているうちに、私達は音楽堂の前まで辿り着いていたのだ。
「フルーお姉様はご存知なのですか?」
「もちろんですとも。フルー君は、伊達にお姉さんしてるわけじゃないって事ですよ」
表情を僅かに驚きのそれに変えるメローヌに、セロさんはいつもどおりの笑顔で返しながら音楽堂の扉に手をかけた。
「あ、セロさ……」
この店の扉を見るたびによぎる嫌な予感。私はその予感に従い、扉を開けようとするセロさんを止めていた。
……だが、ちょっと遅かった。
「あにゃ~!」
音楽堂の扉を開けた途端、骨董品の雪崩に襲われるセロさん。そして、それに巻き込まれるメローヌ。
間一髪。条件反射で扉から離れていた私だけが、生き延びていた。
「まあ、フルーちゃんが店番って時点で嫌な予感はしてたのよね……」
私は骨董土砂災害の現場に一人佇み、骨董品に埋もれるセロさんの上で目を回しているフルーを見ながら呟いた。
いや、一人じゃなかった。
「あう! トラ姐さんなのだ~!」
「うげっ! ヤバイとこ見られた!」
開け放たれた扉の奥、音楽堂店内から響く聞き覚えのある声。私をトラ姐さんと呼ぶ者は、そうそういない……というか、二人しかいない。
「ヤバイとこ……ねぇ。となると、今回の雪崩の犯人はあなた達かしら?」
糾弾するような視線を店内の二人、妖精のディンベルとドンベルに向けて言う。
「ち、違うのだ~。あなた達じゃなくて、ディンベルだけなのだ~」
「あ、こら、ドンベル! おまえ裏切る気か!」
「裏切るも何も、ディンベルが茶色の小瓶を蹴飛ばしたのがいけなかったのだ~」
「おまえが押すから、足が瓶に当たってしもたんやないかい!」
責任のなすりあいを始める妖精ズ。ヴァイオリンはさておいて、まずはこの散らかった店内をなんとかしなきゃね。
私は手を打ち鳴らし、ディンベルとドンベルの注意をこちらに向ける。
「はいはい。喧嘩はそこまで。喧嘩両成敗ってことで、私も手伝うからみんなを助けるの手伝って頂戴」
かくして私ことトラム・ウェット隊長の指揮のもと、音楽堂救助隊は骨董雪崩に巻き込まれた店員達の救助を開始した。
このところご無沙汰だったフルーがようやく前線復帰……のはずだったんですけど、気絶してますねぇ。
物語はそろそろ次のエピソードに移ろうとしています。次の話にはフルーにもしっかり出番をあげたいものです。